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格助詞なので富貴は吾の願いに非ずでも正解ですよね?

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A 回答 (3件)

「が」、と「の」の違い、まったく個人的な感覚です。


吾が願い、叶えるためには吾も積極的に参加行動する。
吾の願い、叶える、叶えてくれるのは誰でもよい、叶うか、叶わないかの期待度も不問、ただそんな願いを持っているだけ。
「が」主格だから・・・「の」所有格だから・・・、ではなく、上のような意味を含むから、主格、所有格と分類しただけです、文法は後からです。
したがって、格助詞だから・・・・は本末転倒?。
連体格は文法のための文法?。
誰がために鐘は鳴る、「の」なら表現の通り、「が」なら、誰と表現される、共同ではなくとも個々の立場でも鐘を鳴らすことに参画する。
現代文でも、私の願い、はあっても、私が願い、という表現はあまり聞きません、が敢えて使って見たい場面は感じます、「が」に続くのは体現、連体格何でしょうか。
私が願うことが私の願い、文章として、文法的にはめちゃくちゃですが敢えて表現すればこんなとこでしょうか。
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古文ですから、「主格」の格助詞でなく「連体格」の格助詞として使われることが多く、とくに「我」という代名詞に付くことが多いようです。

現代語では「わたしの」に当たります。(我が家ーわがや・君が代ーきみがよ)
 しかし、古文ですから、現代語訳でない限り変えてはいけません。古文には古文の言い方があるのです。
 問題文が見えないので、正解が解りません。もし、現代語訳であれば、外の語ももっと現代語らしく書かねばなりません。
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格助詞のそれも主格じゃないですか、それを「の」に置き換えて平気ですか。


日本語の感性ゼロですよ。
たぶんですが、金に代表される価値でなく、金で買えないものの価値を知っている、そんな状況と思いますが、
吾の願、ではガキが、もの欲しがる程度の願です。
全体を理解したうえでないと文法は理解できません。
例、現在語の、れる、られる、自発、受け身、可能、のほか尊敬語にも使われます。
全体の内容理解せずに、正しく区分できません。
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