プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

http://www.asahi.com/articles/ASJ8K31R9J8KPUTB00 …
 元公募の校長が今度は犯罪を犯しました。
 まともな人間が公募で校長になるはずはないと思っていましたが、校長を辞めた後でもこんな犯罪を犯すとは、信じられません。彼はきっと元校長の肩書きを犯罪に利用したのだろうと思います。
 もう完全に校長公募は失敗しています。今年も校長を公募しているそうですが、もう完全にやめます。校長公募を考え出した前の市長がバカでしたと頭を下げるべきだと思いますが、良識ある皆さんのご意見はいかがでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 校長公募をする時に日本の教育を変えたいと言われますが、日本の教育の何が間違っているのでしょうか?
     今も東大には約千人も入学します。高校野球では、みんな心かスポーツを楽しんで、スポーツによって心身を鍛練しています。オリンピックでは日本人サポーターが進んでゴミ拾いをして世界に賞賛されています。メダルもたくさん取りますし、ノーベル賞もたくさん取っています。
     でも教師にはなれないけど校長なら公募でなれるなんて社会を作ったら、日本は崩壊します。
     特に優秀な管理職でもないのに、ウソをついて校長になるような人間が校長になっては絶対にいけないと思います。校長になるべく若い頃から努力した人だけが校長になるべきです。そうなると教頭は教師の中でも優秀な人材が抜擢されておりますので、優秀な教頭を校長にして、さらに優秀な教頭・教師を育成しないことには日本は崩壊します。

      補足日時:2016/08/18 17:17

A 回答 (5件)

お書きの人物だけではなく、児童の母親にセクハラをしたり、教頭に土下座をさせたり… 不祥事があまりにも多すぎます。


確か、橋下市長の下で選んだ公募校長の 3分の2 は すでに職を離れており、“理念が良いからそれで良い”と許容できるレベルではありません。

不祥事製造装置?辞めていった公募校長のまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2140705674717036601

不思議なのは、公募校長には教員免許が不要だ、という点です。
法的にはOKなのでしょうが、校長は(形の上だけでも)児童・生徒の学年修了や卒業を認定する、教育者としての役割があるのに…。
教員免許は更新制になり、その意味では医師や弁護士の資格よりも厳しいです。同じ更新制である自動車の運転免許更新は半日で済みますが、教員免許の更新には大学での何日にも及ぶ講習を受けなければならず、過酷な勤務を強いられている 現役の先生の負担も大きいです。
それだけ学校の先生に求められる役割が大きくなったとも言えるのに、校長は“免許なし”で務まるのでしょうか。


国会議員の金銭スキャンダルが持ち上がったときに、“議員は「お金にきれいな人」でなくてもいい”という意見が少なからずあります。
公募校長もこれだけの不祥事、“人格が優れている”という条件は不要ですかね。

大阪市の公募校長は、今年は確か1人だけ合格、だったと思います。おっしゃるように一度立ち止まり、“校長公募を考え出した前の市長がバカでした”と、制度を見直す必要があると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。全くご指摘の通り校長が教員免許を持っていないことが問題なのです。
教員免許を取ることはそんなに難しい事ではありません。3年ぐらい定時制や通信制の学校に通って教育実習をすれば取ることが出来ます。私は何10人も教育実習の学生を見てきましたが、みんな志に燃えています。毎日、厳しい指導もしましたが、それに耐えて生まれて初めての授業を緊張しながらやってきました。校長たるもの最低それぐらいの経験はあるべきだと思います。
 そして採用試験を受けて何年間か担任の経験があれば、今の教育の何が間違っているのか、何処をどう変えれば良いのかよく分かるはずです。それが出来ないのに校長なんかしてはいけません。
 ある外食チェーンでは社長が厨房に立って日々料理の味を追求しているそうです。校長も自ら授業をして、授業の仕方を教師に伝えることが必要だと思います。
 校長とはその学校の最高の教育者でなければなりません。出来もしなかった管理職の仕事を、さも大成功したかのようにウソをつくような人物であっては絶対にいけません。
 今年は一人だけ採用されましたが、なんと元大阪市の公務員です。まあウソをつくような人物ではないのでしょうが、まともと見られる人物が元公務員しかいなかったのでしょう?でも管理職としては経験は無いはずです。
 人は謙虚でなければなりません。過ちがあればすぐに改めるべきです。
“校長公募を考え出した前の市長がバカでした”と、制度を見直す必要があると思います。
 校長公募は大阪だけの過ちです。民進党の自治体も自民党の自治体もそんなバカなことはやっていません。何故維新の会だけが間違えたのしっかり反省して欲しいと思います。

お礼日時:2016/08/19 09:52

学校が抱える問題、閉鎖性について、認識が違うと思いました。



手前勝手ですが、自論を述べます。


学校は、まず生徒にとって窮屈です。選択が出来ません。

やり直しがききません。自分を殺して、学校に合わせな

ければならない場面が多すぎます。

というより、全体がそうです。

自由な精神が育ちません。本当の意味で内発的ではありません。

服従と妥協、効率と損得は学びます。

これが、まず大きな問題です。

将来の日本を考えると、どうしてもそういう学校であっては困ります。


このような基本認識を、どのようにお考えになりますか?
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この回答へのお礼

だから犯罪を犯すような人物が校長をしても良いのでしょうか?
誰からも有能な管理職とも見られないような人物が公募で校長になっても良いのでしょうか?
40歳になっても50歳になっても教師になることは出来ます。1年でも2年でも担任を持って校長になってその経験を生かすのが教師としての道だと思います。
 算数が分からない子がいます。その子に何を指導するべきが知らない校長は邪魔です。
 問題行動を起こす子どももいます。そんな子にどう指導するべきかアドバイスも出来ない校長は邪魔です。
会社の管理職も同じだと思います。仕事を覚えない部下にどう指導するのか?
問題がある社員をどう指導するのか?普通の社長ならそんなことを悩んできたはずです。
 それが出来ないような人物が公募の校長なのです。
 貴方の考えが一般的な国民の考えならほとんどの自治体で維新の会が知事や市長をしています。そして何万人もの公募の校長が誕生しているわけです。でも日本全国で大阪だけが知事。市長が維新の会で校長公募も大阪だけと言う事実をどう受け止めますか?
 大阪の何が特別なのでしょうか?
 世論調査でも維新の会の支持率は共産党以下です。貴方の考えがいかに特別な考えであるのかご理解下さい。

お礼日時:2016/08/18 13:11

>優秀な教頭はいない



教育改革の旗を持つには、しがらみ多く難しい、の意味です。

>4年も経っています

まだ緒に就いたばかりです。教育は100年の大計とも申しています。

>教師になれないけど、校長にはなれる

行政(役人)上がりの政治家もよいが、角栄さんみたいな政治家も必要です。

>市役所の退職した公務員を校長にする

紆余曲折のひとつと思います。
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この回答へのお礼

学校のしがらみと言う言葉が分かりません。
しがらみでなくて学校教育は、多くの法律によって運営されています。国語。数学の指導方法は明治の時代から日々工夫を重ねてきたものです。生活科やゆとりの学習も文科省の指導の下で進められてきたものです。これまでの経緯を全く知らないで、教壇に立ったこともない人が校長になっても何も変えられないのです、出来るとすれば職員を叱咤激励するだけです。
 そうじゃなくて、こんな授業をやってみろと自分が授業をしてみせるぐらいの実力が無ければ何も出来ません。
 料理が出来ない料理長はいません。建築会社の社長も建設現場に足を運んだ経験がない人には務まりません。
 病院の院長もそうです。
 大事なことは有能な管理職はすでにどこかの会社で管理職をしていると言うことです。もしもそんな人物の会社が倒産してもいくらでも新しい職場に採用されます。山一証券の管理職はほとんどがどこかの会社で管理職をしているそうです。
 日本の会社はバカではないのです。優秀な管理職が遊んでいるとなったら、自分の会社に採用します。優秀でない管理職には声も掛けません。その声も掛けられない元管理職を校長にして良いことがあるはずはありません。
 元教頭が校長になって成功した事例が二つだけあります。
 一人は乃木大将が学習院の校長をしたことです。
 もう一人は三浦雄一郎さんです。確かクラーク高校だと思います。(今年甲子園に出場しています)
そんな人物なら誰でも納得しますが、そうでないバカだから校長公募に応募するのです。
 日本の会社の全ての社長は何十年か前に新入社員で入社しています。本人の努力と才能で係長とか課長とかを経験して社長にまで出世しています。それを公募で社長を選んだから間違いなく会社は潰れます。

お礼日時:2016/08/18 10:33

この制度は、閉鎖的な教育現場をもっと開放的なものにが目的だったと思います。



この点は、国民の支持もありました。ただ真に開放的にするには、その他の条件

整備とともに推進する必要もあったわけです。


しかし、現場の人事が旧来のまま、学校改革をしても実効は上がるまい、という

判断があっても無理からぬ事と思います。


優秀な教頭、とのお話ですが、学校の開放という観点から、明確な方針と推進

行程を示しうる人がいるでしょうか?


校長公選は大きなプロジェクトの一角です。

入試制度、生徒の自主性の尊重、再挑戦が可能なゆとり、設備・人員の拡充、

そういう仕事を、市民や行政の理解・協力を取り付けながら推進する現場監督が必要です。


ことは100年の大計です。紆余曲折はあると思います。
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この回答へのお礼

今学校現場には優秀な教頭なんかいないというお考えなのでしょうか?
そうであれば、それは教育委員会の研修計画の問題です。教頭の研修会だって年に100時間は下りません。その時間を何に使っていたのでしょうか?優秀な教頭が育っていないというのなら教育長は辞表を出すべきです。直接教頭を指導する校長も処分するべきだと思います。
 もう校長公募が始まって4年も経っています。大阪では30人ほどが公募で校長になったはずです。では彼らは優秀な教頭を育てることが出来たのでしょうか?もしもそうなら、今年、市役所の退職した公務員を校長にすることもなかったはずです。
 大前提が全く間違っています。校長として教育を改革したいと思うような人物は30過ぎても40過ぎても教師の免許を取り、教壇に立って何を変えるべきなのかを考えます。現実に50歳過ぎても教育実習をして教師になった先生もいます。そんな人たちを大事にするべきなのです。
 教師になれないけど、校長にはなれる?そんな社会を作ってはいけません。

お礼日時:2016/08/17 18:49

理念としては賛成です。



個々には色々あるかも知れない。

その個人を採用したことは説明・謝罪すべきですが、

制度導入については、今後も磨き上げて継続

して欲しいと思います。

ただ、制度の維持に腐心するようなら、今年は該当無し

と潔くあるべきです。

また、当該校長は落下傘で現場を治めるので、苦労だ

と思いますが、相応の自覚が必要です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。彼は校長の採用された頃は50歳ぐらいだと思います。
貴方の周りの50歳の管理職に「校長になろうかな?」なんて考える人がいるでしょうか?いるとすればリストラされそうな管理職か、ブラック企業の管理職ではないでしょうか?
 私も、民間人で優秀な人材はたくさんいると思います。現在のプロジェクトXを進めているよう人物もいるし、松下幸之助のような人物もたくさんいると思います。でも彼らが一番必要とされている場所は企業の現場です。学校ではありません。
 逆に学校の教頭を企業の現場に引っ張ってきてどんな人材が求められているのが指導するのが教育行政のあり方だと思います。
校長を公募したら優秀な管理職がどんどん集まるなんて前提が間違っているのです。企業の現場も学校の現場も知らないバカが言い出したことです。今年も校長が公募されるそうです。本年度採用したのは、何とこの前まで市役所で仕事をしていた公務員です。係長でも課長でも無かったそうです。まあ、役人の世界で30何年も仕事したのですからバカではないと思いますが、どう考えても利口な人物ではないと思います。それでもバカを採用するよりもましなんて人事なら、優秀な教頭を校長に採用するべきだと思います。
 大阪には優秀な教頭はいないのでしょうか?いないのなら教頭を指導するべき校長の責任はどうなるのでしょうか?(公募の校長にもその責任はあります。)

お礼日時:2016/08/17 13:42

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