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日航ジャンボ機の墜落事故は1985年の出来事だったでしょうか。あの事故は、異常が発生してから墜落するまである程度時間があったようです。

あの異常発生から墜落までの間の、乗客の時間の過ごし方なのですが、ある男性は手帳に奥さんあてへのメーッセジを残し、「子供をよろしく」と書いていました。そういう手帳が発見されています。

みなさんは、あのような極限状況のなかで子供を気遣って遺書をのこすというような行動はできますでしょうか。私は、ただパニックに陥るだけのような気がします。

お考えをおきかせ下さい。お願いします。

A 回答 (3件)

1985年8月12日のことでしたね。


パニック状態でしょうが、落ちるまでにかなりの時間がかかったのでそうしたメッセージが残せたのでしょうね。
30年以上たちましたが鮮明に記憶に残っています。生存者が見つかったの報道を喜んだのを覚えていますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。川上さんという少女や、スチュワーデスの方などが生き残ったのでしたかね・・・

お礼日時:2016/08/19 21:33

みなさんは、あのような極限状況のなかで子供を


気遣って遺書をのこすというような行動は
できますでしょうか。
私は、ただパニックに陥るだけのような気がします。
   ↑
普段の心がけ次第だと思います。

遺書ですが、女性は、怖い、助けて、死にたくない
というモノばかりでしたが、
男は家族を気遣ったモノが多かった、と記憶
しています。
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この回答へのお礼

ああ、そうでしたか。男女差があったのですか。
悲惨な事故でしたよね。有難うございました。

お礼日時:2016/08/19 21:36

当時は携帯電話がありませんでした。

紙に遺書を書いても墜落で
燃えたりバラバラになったりして遺族に届くとは確信できない状態なので、
遺書を書く人は少なかったでしょう。

今なら、家族に電話したりメールする人が続出するはずです。私も含めて。
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この回答へのお礼

bagus3様は携帯電話をするのですね。私にはそんな余裕はないかもしれません。ありがとうございました。

お礼日時:2016/08/19 21:35

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