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愛されたい を 必要とされたい と考えてみると

愛することは、必要とすることになるのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 我ながら中身の無い質問でした笑

    皆様は「無償の愛」あると思いますか?

      補足日時:2016/09/05 16:11

A 回答 (10件)

愛されたいと、必要とされたいは別だと思います。


前者は無償であり後者は対価があるように思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

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お礼日時:2016/09/08 13:49

僕がキミを愛するのは、



◇1.僕がキミを必要としているからである
◇2.キミが僕を必要としているからである

どっちが正解というわけでもないのだけど、僕の場合◇2.かな。愛っていいもんだよね…なんて言わないけど、僕なんかでも愛することができるってのはありがたいとは思う。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/07 13:00

愛といっても、性欲の発露から、情緒的な博愛、論理的な


自己の生命の社会性の自覚による利他まで、ピンキリで
あり、一概には断言できない。
かつて日本版エンサイクロペディアを作ろうとした時の、
最初の項目が「あい」であった;

愛(あい):自己の生命の組織(社会)性の認識によって、あらゆる衝動の発現に於ける利己過程に、利他が介在すること。

主として、性別(交配)・親子(生殖)・分業(組織)などに、個体生命の成立に於ける超個体的機能が顕著であるが、認識未だ及ばず、「自己の生存(反エントロピー)」という本質的統一性を、現象上に捕捉し得ない不完全な認識を補う、非認識的に組織化する上での近似的多元的に発達した多様な即物的衝動や他律的常識の集積による、内的矛盾に於て発生する自虐的意識行動に対し、その結果(非認識)的整合(>システム進化)に対する、形骸的概念として、主に性欲・自己顕示欲・虚栄心・偽善などの発現の上に、現象的定義域を持つ。

しかしそれは、この本質としての、生体外情報の処理システムたる認識による、自己の生命システムの組織性の追跡によって意識(必然=宇宙)を共有し自我を超越するものではなく、近似システム(金・権力etc.)による自我の延長(自由競争)、あるいは歪曲した衝動(イズム)の手段としての自我の相乗(マイホーム主義・愛国心etc.)とでも言うべきものであって、つまり「利己過程に利他が介在する」事によって個体間闘争が回避されるのではなく、集団的に新たな、そして組織的ゆえにより強力で容赦ない、闘争段階の形成へと変形されるに過ぎず、飽くまで常識による常識の為の虚構であって、人を低認識(情動)化して充足減に導く、中毒(近充足)性毒物(非最大充足)に他ならぬ。

そこに於て、真の愛は、完全なる科学(原理認識)である(社会生命性の自覚化による他我)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/07 12:59

学生時代にエーリッヒフロムの「愛するということ」を学んだ経験がございます。

そこでは確か、「愛するということは技術である」というようなことが始まりの方に書かれていました。「ええっ!」っと思いました。いかがでしょうか。
 私は「愛」という言葉を使いませんが、ある人を大切にしています。それだけですが、それを無償と言うのでしょうか。それとも、それだけで心持ちが良くて、そういう代償をもらっている。そのために行っているのかもしれません。
 心離れられてしまうのかもしれません。浮気されるのかもしれません。自分の心が離れるのかもしれません。別れるのかもしれません。
 どちらにしましても支配するわけでもなく、支配されるわけでもなくて、協力して生きております。
 私にとりましては、必要とする必要とされる、無償か有償か、それらはあまり大きな問題ではないようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

参考になりました。

お礼日時:2016/09/07 12:59

「愛とは、その手段において戦いであり。

本質において男女両性の不倶戴天の憎悪である。」
は東洋の猿まね思想家、ニーチェ、の台詞ですが。
愛=憎悪 愛がなければ憎悪もない。愛と憎悪は、同じ一つの感情の表裏てある。ということが理解出来ないのが、女性的、なユダヤ思想に発する、西洋思想です。愛を唱えたリスト教の歴史が憎悪に彩られている事は誰でも気づく事でしょう。
好嫌戦慄は己より発し己を去る(ブッダ)
かって日本の男子は、好き嫌い、とか愛だの恋だのと口にするの女子供の心として、恥じとしていたようです。それが、アメリカの日本人改造を目論む、占領政策によって、中高生までが、処女や童貞である事を逆に、恥ずかしい、と感じるようになっているようです。女の子にとって、愛、とはエクスタシイー願望の意味であり、男の子の幸せ、とは。金持ち願望に他ならない。そんな思想、認識、社会、になっているようです。
30年ばかり前に、誰かが予言した、女性の時代、知恵のない時代。亡者が亡者に道を尋ね、安心をしながら、地獄へ堕ちてゆく時代に日本はなってしまっているいるようです。
人を愛する者が、人を憎む者であり。神を信じる者が悪魔を信じる者、なのです。
執着=心 を持たない、釈迦や老子が、もっとも、万人に安心と静けさ、を感じさせる人格、である事、をかっては、誰もが知っていた。
塚(人の心)を掘り起こしたら、あらゆる者が出来た、金銀も出てきた、ガラクタも出来た、虫も、蛇やトカゲも出てきた。ブッダは、すべて捨てよ、ただし龍(知恵、悟り、を求める心)だけは、そのままにしておけ。と言われた。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/07 12:58

無償の愛もあるでしょうね。

母の子供に対する愛、父の愛など親子や夫婦に於いては無償の愛もあるでしょう

愛とは相手や自分を活かし合い存在させる働きですから。親子愛、夫婦愛、男女愛、友情、人類愛もあるでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/07 12:58

必要とされたい、というのと


愛されたい、というのは別でしょう。

一部重なるところはありますが。

国民に安倍総理は必要だ。

だからといって愛しているわけでは
ありません。

必要だろうが、不必要だろうが愛するのが
愛でしょう。

愛国心を例にとると理解しやすいです。

米国は、祖国を追われ、捨て、拉致された
人間で構成された人口国家です。
こういう人工国家の国民は、米国に居れば
利益になるから、必要だから米国を愛するのです。
利益にならなければ、不必要になれば捨てるでしょう。

しかし、日本のような国は違います。
利益になろうがなるまいが、祖国を
愛してしまう、というのが祖国愛です。

出来の悪い子でも、母親は愛してしまうのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/07 12:57

自分は


1.いていいよ
2.いて欲しい
3.いなくちゃダメ
の順であると思う。

最初は存在を認めること
次に調和し 求めること
そして必要不可欠になること。

趣味でも人間でもペットでも仕事でも同じだ。
1.は不特定多数でも かなり分野的に広く持てる。
2.は相手との関係性が問われるので 自分だけの一方通行では難しくなる。
3.は依存に近く 自分の一部でもあるので 安定性も高いが失った時のリスクも高い。

そしてこれらの全てに「欲」と「願い」が絡み 否応無しに「自分」と向き合う事になる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

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お礼日時:2016/09/07 12:57

愛は、対象を守りたいという感情ですね


欲しいとか、必要とされたいとかってのは欲情ですね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/07 12:56

そうだと思います。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/07 12:56

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