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「哲学は人を救わない。」ではなく、
「二流の哲学は役に立たない。」と言う事ではないかと思うのですが、如何でしょうか?

A 回答 (6件)

二流というか、自分なりのポリシーに類する哲学は


多様でいい範囲内の他の人の生きざまにとっては
役に立たないということは言えると思います。

広く人を救うことにつながる普遍性を持った哲学
世の中の構成員である自分を救うことになるポリシー的な哲学
両方あっていいのではないでしょうか。
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そうだと思う。


この複雑な世の中を、哲学やその他の学問で説明することはできないと思うけれど、一流というのはそれを素晴らしく調理するので一流と言われるのだと思います。
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崩す論理を学習してポイントを纏めましょう。

大きいのは、嘘ですね。そしてお金の存在この2つに騙されず生き残りましょう。
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物理的考慮が無いと救え無いのは、当然ですね。

衣食住を揃える事が無くして、生存等夢物語この世の自然法を理解して生きていきましょう。絶対必要な事は社会の協力ですね。生き残る事は物理的考慮が不可欠なのです。人口増加が、戦いを作ります。生存を守る論理と崩す論理が生まれるのです。崩す論理に左右されず生きていきましょう。
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勘違いして哲学に救いを求めてしまった人の言い分。


科学も哲学も一流も二流もなくそれらを学んだ本人次第。毒にも薬にもなる。
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★ すくう・すくわれる


☆ という主題を扱うには 定義が必要ですが この趣旨説明だけで問う
ているのだとすれば ふつうにその内容は捉えて回答せよということでし
ょうか。

ただし わたしの・この場合の《ふつう》は やはり人間のチカラを超え
た場におけるすくいなのだと考えます。

すなわち そのあたかも雲の中に網で掬われて行ったかのようなその場に
あって《わがこころのやわらぎを得る あるいは われに還ってわたしが
わたしであること》だと捉えます。

早い話が おのれの主観真実における《わが固有の時》を ヒラメキとし
てのごとく得ることと捉えます。



そうしますと そのためのキッカケは――つまり《人をすくう・わたしが
すくわれる》ときのキッカケは―― ひとり哲学にさえ限らず何でもあり
だと見ています。

たとえて言えば 世界のあらゆるものごとがすべて《神から送られて来る
メール》であると見られます。

すなわち 人がすくわれるのは 哲学の一流・二流を問わないのですし 
哲学の内外をも問いません。

日常の出来事すべてがキッカケと成り得る。こう考えます。
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