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キリスト教で、「そう造られたから蔑視ではない。」と言うのは女性蔑視の弁解にはなりません。
人類最初の女性であるリリスに勝手に造ったアダムの性奴隷 (慣習に習った生活を営むこと) として過ごすことを拒否し、逃げたのにも関わらず執拗に追い、挙げ句の果てには「戻らなければ、1日100人の子供を強制的に孕ませ産ませる責め苦と、産んだ子供を虐殺する責め苦を味わわせる」と脅迫しは訳です。これは言い逃れが出来ようもない女性蔑視だと言うことです。

これは、初めから従順な女性を造っていれば、このような問題は起きなかった訳です。
つまり、キリスト教の創造主は自分のした結果の後始末を威力を以って弱者である被造物に対し、強制的に従わせるという何とも独裁的傲慢な性格の持ち主だということが窺い知れますね。

以上のことからキリスト教は「女性蔑視」の考えに基づいた邪教だと思います。
私からすれば、仏教(変成男子など)もヒンドゥー教(ダウリーなど)もイスラム教(婚前交渉など)同じなんですがね。

質問者からの補足コメント

A 回答 (13件中1~10件)

日本神話に キ(男)とミ(女)の一風変わった挿話があります。



互いに魅かれて結ばれるといった物語ですが そのとき まづ初めには
失敗談がありますね。

《いざなう》のイザと属格(ノ)の《な》をつけて その後 それぞれ
イザナキとイザナミと呼ばれるようになったそのお話です。

つまり 女のイザナミのほうからまづ先に 《あなにやし え‐をとこ‐
を!》とか何とか声をかけて 相手をたたえ近寄って行った。

ところが そのときには ふたりの間に《蛭子(ひるこ)》が生まれて
しまったと言います。

そのあと 男のイザナキのほうから 声をかけるようにしたら さいわ
いであったと。



リリス神話は それについて触れるだけで その存在をみとめてしまう
ことになるので いやだったのですが ちょっとした推理としていまの
キとミなる神話を取り上げてみました。

つまり 女のイザナキから最初に声をかける場合としての《女性上位》
は よい結果をもたらさなかった。と言っていると捉えて リリスとア
ダムとの物語と突き合わせてみようかというかたちです。

現代からみれば まぁ 男尊女卑なる男性上位がまづいのと同じように
女尊男卑という意味での女性上位は やはりかんばしくないのだという
ことなのでしょう。

そういう倫理観が 大昔の神話の内容と どの程度・どのようにかかわ
っているのか。よく分かりません。

みなさんなら どう考えるでしょうか?
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いえいえ、どう致しまして。

それよりも、サイトの紹介、どうもありがとうございました。


”The Book of Isaiah 34:14, describing the desolation of Edom, is the only occurrence of Lilith in the Hebrew Bible”

との記述から、Isaiahにはその記述がありそうですね。
そこで、その箇所を抜き出して見ました。

新共同訳
ISA34:14 荒野の獣はジャッカルに出会い山羊の魔神はその友を呼び夜の魔女は、そこに休息を求め休む所を見つける。

この”魔女”を指しているのでしょうか・・・


ですが、(なんどもしつこいようですが)以下の記述とは異なると思えるのですがいかがでしょうか?

——————————————————————
人類最初の女性であるリリスに勝手に造ったアダムの性奴隷 (慣習に習った生活を営むこと) として過ごすことを拒否し、逃げたのにも関わらず執拗に追い、挙げ句の果てには「戻らなければ、1日100人の子供を強制的に孕ませ産ませる責め苦と、産んだ子供を虐殺する責め苦を味わわせる」と脅迫しは訳です。
——————————————————————-



実を申しますと、ユダヤ教、キリスト教共に女性軽視なところがることは私も認めております。

なのですが、確かにそうなのですが、例えば、家の近所で毎年秋に祭りがありますが(全国ネットで放映されるぐらいの結構大規模なお祭りです)、この21世紀の時代になっても神輿(?)の上に乗れるのは、男(の子)だけなんです。そんなことを考えて見ますと、キリスト教(ユダヤ教も含めて)が、特別、際立って女性軽視・男尊女卑とは言えない、とこのように思っているわけなんです。

もちろん、上記のような”性奴隷”は論外ですが・・・


ご理解いただければ、幸いです。
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>タルムード



ご存じないのかもしれませんが、タルムードはユダヤ教典ではないです。
律法をめぐる議論形式の注釈書です。
男性をたぶらかす女の悪霊についてのわずかな文章があります。
アダムと関係がありません。

> 男と女を創造されたのにも関わらず、アダムの肋骨からイブを創造する必要

第一章は総括的な概説ですから、天地創造の終わりまで書いてありますね。では、その後の事項が、時系列で、第二章に書かれているでしょうか?

人間の創造の件について書いてあるのが第二章です。時系列の叙述ではなくトピックの詳説です。普通はそのように読まれています。文法になぞらえれば、第一章と第二章の関係は、単純過去と半過去のようなものですね。物語叙述を同じ調子で系統立てて展開することは、叙事詩でもまだ無理なので、紀元前4~5世紀には無いでしょう。
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どうもありがとうございました。




〜「ベン・シラのアルファベット」という外典、についてです〜


 確かに、この書には、お話のようなリリスの記述が見られるようです。

 ですけど、これは、A.C.700-1000頃に執筆されたものではないのでしょうか?

 さらに申しますと、”Ben Sira”は、外伝であり、正典に近いものです(B.C.2世紀頃のものとされています)。ですが、”Alphabet of ben Sirach(A.C.700-1000頃のものとされています)”とは明確に区別されるべきものかと思うのですが、いかがでしょう?

ソース:
Alphabet of ben Sirach
https://en.wikipedia.org/wiki/Alphabet_of_Sirach …
Ben Sira
https://en.wikipedia.org/wiki/Ben_Sira
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この回答へのお礼

事実誤認がありましたので、訂正まで。
リリスについて書かれた外典と言うのは「イザヤ書」です。
失礼いたしました。

外典とは言え、三教において重要視されており、なおかつ、「聖書」としてされたものであるので、教義として説法をされていた過去があるのです。

Fountainhead of Document
http://www.bibliotecapleyades.net/sumer_anunnaki …

お礼日時:2016/10/23 21:24

旧約聖書は、初めから従順で愚かな女性が作られたことを示しています。

アダムの後につくられたエバのみが、アダムの妻です。

リリスは聖書の世界の人物ではなく、後世にキリスト教系カバラという異端の一派が、民間伝承を織り交ぜて創り上げたものです。奔放な夜の淫魔という存在は、ロマネスクに至って、芸術的インスピレーションを掻き立てることになるでしょう。芸術的題材であり、精神史において興味深い人物だと思います。宗教史には痕跡を残していません。

宗教も芸術も女性蔑視の歴史ですね。
以上。
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この回答へのお礼

では、男と女を創造されたのにも関わらず、アダムの肋骨からイブを創造する必要が何故、あるのでしょう。それを証明できなければ、その回答は偽です。

イザヤ書には「夜の魔女」が登場しますが、同時にユダヤ教典のタルムードには夜の魔女はリリスのことであると書かれています。

お礼日時:2016/10/23 17:10

★(№6お礼欄) 「今、関わっていない」から問題なのではなく、


「過去に神が犯した、女性蔑視とも取れる行動」について質問して
いるのです。
☆☆(回答№6)〔神のおこなった〕《自らの悪業》というのは 
すべて〔神との約束をやぶって犯した〕人間の罪に対する処罰です。

☆ この処罰に 間違いがあったのですか?

間違いはなかったとするなら その処罰なる行動について 男女の
あいだに差別をもうけることもあり得ません。

と理解してください。
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すみません。

以下の文章のソースを教えていただけないでしょうか?

 創世記には、そのような箇所が見当たらず・・・

——————————————————————
人類最初の女性であるリリスに勝手に造ったアダムの性奴隷 (慣習に習った生活を営むこと) として過ごすことを拒否し、逃げたのにも関わらず執拗に追い、挙げ句の果てには「戻らなければ、1日100人の子供を強制的に孕ませ産ませる責め苦と、産んだ子供を虐殺する責め苦を味わわせる」と脅迫しは訳です。
——————————————————————-



 ちなみに、次のは、ヨハネ伝からのものです(8:3〜8:9)。

そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。


 案外、主イエスは、女性には優しいと思うのでけど
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この回答へのお礼

イエスの話をしているのではありません。
「ベン・シラのアルファベット」という外典(キリスト教で聖書正典に対して正典に近く重要ではあるが、それと区別されている文書)に記載されているもので、創世記には書かれていない「神が女を造ったにも関わらず、アダムの肋骨からイブを造ったのか」という矛盾点に対する一説が書かれている書物です。

鄙劣なことにユダヤ教は聖書の矛盾点の補填をした書物を認めておらず、そのことをゲロっちゃった方が下におられますが、まぁ、それは置いておきましょう。

お礼日時:2016/10/23 02:21

★(№5お礼欄) 男女の差が無いと言ってるいるが、やってることは


今で問えばただの「女性蔑視」ですがね。
☆ いまではもう《いっさいの人間についてあらゆる罪を問わない》し
《オシヘはすべて要らない。文字通り 約束事も屑に成った》というの
ですから あとは すべて人間が人間の考えと努力とでやることばかり
です。

つまりもしこの世に《女性蔑視》が行なわれているとすれば そうだと
してもそれらはみな 人間がおこなっていることです。神は もうかか
わっていません。
――と知るべきです。



★ 自らの悪業をただ自身の「言葉」だけで「無かったこと」にしただ
けじゃないですか。
☆ 《自らの悪業》というのは すべて人間の罪に対する処罰です。

神によってエジプトにおける奴隷の頸木から解放されたあと 人間が 
またまた神のいましめをやぶったのです。

金の子牛をつくってその偶像崇拝で浮かれ始めました。

またまた そして またまた・・・というふうにつねに人間の側が 神
との約束をやぶっています。

その処罰としての《神のおこなった悪業》です。よ。

しかも この悪循環を一方的に神のほうから断ち切った。
じんるいの犯したあらゆる罪をすべて忘れるということをも成した。
というのが 神です。
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この回答へのお礼

「今、関わっていない」から問題なのではなく、「過去に神が犯した、女性蔑視とも取れる行動」について質問しているのです。
そして、その様な非道な「神」を信奉しているキリスト教・ユダヤ教・イスラム教も「神の道理から外れた行いについても、等しく否定している文言や教義がなされていない」以上、それを総括して信奉していることは「同罪」であり、その様な神を信奉している宗教こそ道理に外れた「邪教」だと言っているのです。

先述もした通りですが、リリスは自由を求めてアダムの元を離れた。それを《全能》であるならば《予知》ができ、更に言えば最初から『アダムの肋骨からイブを造っていれば』このような問題は起きない訳です。
しかし、それを行わず男と女を作り、結果、アダムとリリスは別れ天使を派遣し、リリスを脅した挙げ句に一方的な判断で責め苦を与えた。
これを私は、神が起こした「自らの悪業」と呼んでいる訳です。
女性の自由を許さないなど、今で言えばそれこそ「女性蔑視」・「女性差別」です。

お礼日時:2016/10/23 02:38

新約聖書には 旧約聖書のエレミヤ書を引いて 神は (1) 人びとの罪を


おぼえない。忘れる。(2) オシヘはいっさい要らなくなる。ということを
語っているというくだりがあります。

そして そこでは 明示されてはいませんが その預言の中身について男も女
もないという含みが 見て取れます。

▲ (伝パウロ・ヘブル書8:7-13) ~~~~~~~
もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の
余地はなかったでしょう。
事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。

   「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、
    新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。

   「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、
    エジプトの地から導き出した日に、
    彼らと結んだ契約のようなものではない。
    彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、
    わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。

   「それらの日の後、わたしが
    イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。

   「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、
    彼らの心にそれを書きつけよう。
    わたしは彼らの神となり、
    彼らはわたしの民となる。
    彼らはそれぞれ自分の同胞に、
    それぞれ自分の兄弟に、
    『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。
    小さな者から大きな者に至るまで
    彼らはすべて、わたしを知るようになり、
    わたしは、彼らの不義を赦し、
    もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」
        (旧約聖書・エレミヤ書 31:31-34)

神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと
宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。

cf.【Q:神みづからによる自己の揚棄:エレミヤ書31:31】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8486678.html
 ~~~~~~~~~~~~

☆ すなわち 《罪が赦され オシヘは要らなくなる》ことについて男女の
差は ありません。

このくだりについて まなんでください。
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この回答へのお礼

「神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまった」
これこそ、傲慢そのものではないですか。
自らの悪業をただ自身の「言葉」だけで「無かったこと」にしただけじゃないですか。

男女の差が無いと言ってるいるが、やってることは今で問えばただの「女性蔑視」ですがね。

お礼日時:2016/10/22 16:37

こんにちは。



☆リリス神話だけでなく、マリアの受胎告知も同じです。
◇方や悪魔の生みの母親、方や無原罪の聖女であり神の子・イエスの母親ですよ。
この2つの物語、ファンタジーのどこが同じなのか、説明してください。
同じだと質問者が勝手に思い込んでいるだけはないのでしょうか。


☆ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も姉妹宗教であり、信仰する神は「同じ」です。ですから、何ら関係が無いばかりか同じですので、関係がないと言う理屈は"偽"です。
◇同じ神を信仰しているから、何だというのですか。
質問者は、「日本人という同じカテゴリーに属しているから、質問者とわたしは同じだ」と主張したいわけですか?

例をあげます。
同じアイドルの熱烈なファンであっても、ファンAは「目がいい」、ファンBは「目はダメだけれど、口がセクシー」、ファンCは「目と口はダメだけれど、鼻の形がかわいい」などなど主張はまちまちで、千差万別です。
実在の同じアイドル、実在する同一人物について語っているにもかかわらず、この主張は矛盾しています。
にもかかわらず、質問者は「同じアイドルのファンだから」という大雑把な理由のみで、ファンA、B、Cをひとくくりにして語ろうとしています。
このことがいかに危険でナンセンスなのか、お気づきになりませんか。

さらに例をあげます。
x²=1
という方程式があります。
この(実数)解はなんら条件を設けなければ、x=±1になります。
しかし、
条件1 x<0
条件2 x≧0
という条件を課せば、解は、条件1ではx=−1であり、条件2ではx=1となり、解は一致しない。
x²=1という同じ形の方程式であるにもかかわらずです。
条件、仮定が違えば、結論は違ったものになるのです。
さらに、例としてあげるならば、平行線の公理以外はすべて同じ公理を採用していても、平行線の公理を認めるか認めないかによって、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学という大きく異なる理論が構築されます。

ですから、質問者の話は、あまりに大雑把すぎます。


☆逆です。そもそも自由意志を与えるならば、自由意志を取ると予知できますよね「全能」ならば。それにも関わらず自由を選んだリリスを処罰した。処罰されるのは原因であり、元凶である神なんですがね。
◇リリス神話は、ユダヤ教の神話ですらありません。
ユダヤ教のカルト的な一派の秘教主義的な解釈によるもので、ユダヤ教では認められていません。まして、キリスト教、イスラム教とはまったく無関係。そもそも、リリス神話はイスラム教が成立して以降のものです。
ユダヤ教の魔術的なラビがホムンクルスやゴーレムを作ったというお伽話と同列なものであり、リリス神話(?)というお伽話を論拠に議論を進めようとすること自体、わたしには信じられない。


さらに、質問者は「邪教」の定義すら与えていない。
質問者の質問、およびお礼を読むかぎり、あなたの考えと合致しないから、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教を「邪教」と呼んでいるとしか判断できない。
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この回答へのお礼

先述の内容を全く理解されていない様で実に残念ですね。

「同じ」と記載したのは、元凶である神が同じだからです。
同じ神を礼賛し、信奉しているのにも関わらず、リリスに対する悪業に否定的な教義を伝えていない以上、イスラム教もキリスト教もユダヤ教も「同罪」です。
唯一神教において、神は一人であり同一人物なのだから「日本人」などという複数の要素を持つ集合を持ち出されても、論点が違う上に譬えが悪いですね。

ここで、数学の話をしても時間の無駄なのであえて、省略します。

ユダヤ教法典に乗っている話をユダヤ教が「認めていない」から不問にするなどとは理屈が破綻している訳ですよ。そうだよな。男女平等を謳う教義の癖に教典に書いてあるのが、女性蔑視の内容だもんな。そら、目を反らしたくもなるわ。
で、男と女を創造されたのにも関わらず、わざわざ神が男(アダム)の肋骨からイブを創った内容はどう説明するんでしょうね。少なくとも何らかの理由があり、アダムの元を離れたと推察されるのは必然でしょうに。

邪教の定義ですか? 言葉の通りですよ。「道理に反し、世に害毒を流す教義を持った宗教」って意味です。

お礼日時:2016/10/22 14:53

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