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大学生です。文学部に入っています。

文学や哲学を勉強しているんですが、そのどれも馬鹿馬鹿しいものに思えて仕方なくなりはじめたんです。
文学は、自分が小説を書くのが趣味だったので「おもしろそう」という考えで入ったんですが、あまりにも暗いものばかりで気が滅入ります…(面白いんですけどね)
また、どんなに凄いことを書いていても、ふと我に返ると「けっきょく自己陶酔じゃないの?」「人の闇を見続けるなんて、自分を苦しめることにならない?」「感動的なモノを書いたつもりで、誰かを傷つけたらどうするの?」
という疑念が湧いてきてしまいました。それで、趣味であり生き甲斐だった小説も書けなくなっちゃいました。
また、哲学もおもしろいのですが、やっていく内に「こんなことばっかり考えるより、楽しく生きた方がよっぽど有意義じゃないの?」と言う疑念が。身も蓋もないですけど。
文学者や哲学者に自殺が多いのもうなずけます。しかも死ぬことが美学みたいにされてるところもあります。気持ちは分かりますが、「自己満足じゃん」と思わなくもありません。
テレビの文化人や偉人を見て、「すごいなぁ」と思ういっぽう、彼らを見るとめちゃくちゃ苦しんで生きているように思えます。
大学の先輩とかのブログを見ても、自意識こじらせまくっていて生き辛そうです。
好きなアニメに長々考察をたれて、他の人たちと論争しています。気持ちがわかるだけに、見ていて可哀相です。好きなモノは好き、それでいいと思うんですけどね。(それが難しいんですけど)

でも、課題をやるには考えなくちゃいけません。真面目にやりすぎて、3ヶ月ほど寝たきりになってしまいました。自意識がふくれて、つらいです。プライドを捨てたいです。
でもプライドを捨ててしまったら、課題は出来ないし…まいった。
踊る阿呆に見る阿呆、っていう言葉がありますが、わたしは今まさに「見る阿呆」です…。踊る阿呆になりたいな、と切に思います。

学問から離れて幸せに生きる方法って、あるでしょうか?

A 回答 (8件)

秋空の下で「適当最高!」と叫んで下さい。

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哲学も文学もまともに学んだ事のない人間です。

ただ文化研究の一環で言語学とか、政治学とか社会システム論とかかなり抽象的な分野を勉強していたので参考までに回答させて頂きます。

もう少し社会学の正統派を学んだらどうでしょうか。
文学部の範囲内での哲学はツマラナイかもしれませんし、バカバカしいかもしれません。
しかし社会学の中心は人であり、その人を取り巻く社会を哲学的に考えるのは面白いし、実生活に活きるものと思います。

まぁ学校した後の仕事に使えるか、というとかなり厳しいものであるのは間違いないのですが…。それは文学も同じということで…笑

はっきり言っちゃうと有意義に思えるような生き方しても、人生なんて自己満足な部分がかなり強いです。
本当の意味で有意義な人生を送れる人って偉人かオリンピック選手ぐらいなんじゃと思います。
だから肩の荷を下ろしてみてはいかがでしょうか。
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歴史に残ってる文学は多くがくだらない。


トルストイとドストエフスキーだけを読みなさい。飽きてもだ。
二人ともロシア人なんて。
ほかにもあるが弱気になってしまった人間には多くは却って悪い。
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この世の中、自分の未来は誰にもわからない。

でも、そんな手探りの世界で生きて来た経験のある人に確実に解っていることが一つだけあるのですよ。それは、自分の思い通りには絶対にならないということです。どんなんに未来を予測し、それの準備をしても、必ず想定外の偶然な出来事が起こって、自分の人生の路線を変えさせられてしまう。だから、こんなはずじゃなかった、なんてことで人生を送っている人は絶対に幸福にはなれません。

ではどうするか。今貴方がいる状況は自分の意思で選んだかもしれない。でも、その意思だって、偶々貴方がいた環境と言う偶然の成り行きが、そのような意思を生み出したに過ぎない。もしかしたら、小学校や中学校の時、誰かに国語や文学的センスを褒められたから、それらが好きになったのかも知れない。そのころ、もし偶々数学的センスを褒められていたら、理系の大学に進学していたかもしない。いかにも自分の意思や決意がそうさせているように思っていても、人生の圧倒的な部分は偶然な成り行きが決めているのです。そもそも、貴方が日本人として生まれて、日本語で世界を考え、ネットが使え、さらに、中東やウイグルやチベットなどでいつ殺されるか分からないような世界でなく、命の安全が保障されている日本という世界的に見て相対的に恵まれた環境に生きているのも、偶然のなせる技です。

どんな環境にいても貴方にできることは、与えられた環境の中で精一杯生きることです。何が次に起こるか誰にも分からない世界に貴方は生きているのですから、必ず想定外のことがいつか起こってくる。その時に、今までの生き様が決定的な役割を演じるのです。投げやりに生きて来た人にはその想定外の時に、投げやりの結果が出る。自分のやっていことが何だか解らないけど、一生懸命にやって来た人には、あって驚くような新しい世界が現れてくる可能性がずっと高くなる。

すべての人の人生は、自分で選んだ人生のつもりでも、よく考えてみれば、偶然の成り行きで選ばれてしまった人生なのです。そして、想定外なことが起こった時に、今までの生き様が試されるのです。運命の女神は、彼女に従う者を優しく導いてくれ、彼女に従わない者の前髪を引きずって行きます。後で後悔しないために、次にやってくる想定外なことが起こる時まで与えられた環境の中で精一杯生きてみる。これが、人間に与えられた幸福の道への唯一の方法のようです。
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離れている人でも幸せに生きていない人は山ほどいます


哲学しているのなら
世の中は無だという結論に到達していないのですか?
文学を読んでいるのなら
要約したら空 虚しい
宗教に辿り着きませんか
作品のほとんどは 自分史 
自分の体験を角度を変えて書く事で原稿料をせしめてきただけの事
特に新聞に連載された物は 文節が新聞サイズ 
書く事が無くなった真面目な人はたいてい自殺しているか
病気になって死んでます。
プライドねぇ
そもそも他人と比べて誇れるようなもの あるんですか あなたに
裸で産まれてきて
親に餌と服を与えられて 親の言う通りにいきてきた
ほとんどの人間がしている事 してきただけの人間の
どこにプライドなんてあるんですかね
無い物を捨てるっておかしな話しですよね
山折さんとかの本読みました?
徒然草の仁和寺にある法師 みたいな 浅はかさ
笑うしかありません
ただのおばちゃんでもこの程度の本よんでますよ
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私は半沢直樹をTVで知って面白かったので本も読みました。


娯楽という文学もあっていいと思います。

学生の頃学校の先生の推薦で モッキンポット師の後始末 という本をよみました。
確か大学生がハチャメチャをする内容でモッキンポット師が後始末をしたのかな?
とにかく楽しかったです。

日本では漫画をはじめ 娯楽小説は低く見られますが
小説の最後に数行でもたとえば教訓のようなものでも
あるとこの本を読んでとても有意義だと思い感謝することがあります。
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77歳男性です。



>文学や哲学を勉強しているんですが、そのどれも馬鹿馬鹿しいものに思えて仕方なくなりはじめたんです。
>学問から離れて幸せに生きる方法って、あるでしょうか?

⇒ 確かに、文学や哲学は、生きて行く上で参考になるヒントを得られることもありますが、突き詰めて考えると、貴方の仰るとおり、馬鹿馬鹿しいと思います。
貴方が、まじめで、物事をとことんまで考える性格だから、そう思うのだと思います。

私は、もともと文学はとことん突き詰める価値を感じないので、やりませんでしたが、哲学は宇宙の真理を解明してくれるだろうとの期待から、いろいろ勉強しました。
しかし、結局、人間の知恵の限界を思い知らされるだけでした。

貴方が馬鹿馬鹿しいと感じるのは至極もっともだと思いますので、あまり深く追求するのは辞めて、でも、折角文学部に入っておられるのですから、今やめるのはもったいないので、教師の資格を取って、学校の国語の先生にでもなられたらどうでしょうか?
今、全てを辞めて、一から出直すのは、大変もったいないと思います。

大学を卒業して実社会に出て、学校の先生にでもなれば、学校の生徒の成長を楽しみにしながら、学問から離れて楽しく生活できると思いますが、どうでしょうか。
卒業までの、あと少しの辛抱だと思います。
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葉山辺りでスローライフをおくってみては?



基本、文学や哲学や音楽や美術、宗教などは、賛同者と非賛同者に分かれます。
何人に賛同される作品なんかは存在しないのだと思うので、もう少し気楽に考えれば良いですよ。
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