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日本の朝廷制度の改革について。

日本の朝廷の歴史に詳しい人に聞きたいのですが、戦国時代、安土桃山時代でも時の大名の天下人が朝廷制度の改革は出来ますか?

例えば、大政大臣というポストは今でいう
最高栄誉職みたい?だと自分では思ってます。

もしこの時代でもそういう認識なら、権力、権威なども持たせることは出来ますか?

やはり朝廷や王朝は儀礼、伝統、前例などを重視する為、織田信長、豊臣秀吉などでも無理ですか?

A 回答 (5件)

権威は自分から唱えてもだめです。

万人がそれを認めなければ。武家政権は力で国家権力を握りました。されどその正当性を認識させるためには、天皇から征夷大将軍の任命を受ける必要があったのです。織田信長は統一半ばで没してしまったので、権威などは無視したとも思われていますが、京に上るに際しては足利将軍の権威を利用しましたし、戦の和解にはたびたび天皇の綸旨をも利用しています。
日本の朝廷制度は大和政権の成立から、その利用の便宜性に支えられて存続してきました。天下人といえども利用できる権威の存続は望ましかったと思われるのです。そしてそれに手を付けることが、権威の低下、失墜に及ぶことを危惧したのではないでしょうか?
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お礼日時:2016/11/05 16:40

足利義満が太政大臣になっていますよね?ちょっと的外れですが、時の権力者が無力な朝廷の官位につくことで、権力・権威を持たせるということは可能でしょう。

同様に豊臣秀吉の関白就任も権力・権威をもった関白を作った、と言えなくもなく。

伝統を重んじるということはあるものの、結局は力やお金で何とかなるものだったのではないでしょうか?
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お礼日時:2016/11/05 16:39

できたか、できなかったか、という点でいえばできたでしょう。

ただ、やるかやらないか、でいえばやらなかったはずです。

鎌倉幕府以降の日本の武家政治は「征夷大将軍」という軍事指揮権を元にした軍政府が運営する、という形式になっています。軍政府に任せたのだから、天皇を始めとした公家は政治には手を出さない、その代りに公家以上の身分はいじらないし、朝廷の人事には口を出さない、というのが取り決めになっていました。
 ま、だからそこヤル気のあった後醍醐天皇は朝廷に実権を取り戻そうと動くことができたわけですが、それが南北朝の分裂を引き起こします。

後醍醐天皇が南朝を開くきっかけとなったのは、足利尊氏による京都の包囲網と光明天皇の擁立ですが、この光明天皇によって尊氏は室町幕府を開くことになります。

ある意味、武士が軍事力で天皇そのものを追い出して、新しい天皇を擁立できたのですから、朝廷制度の変革など自由にできたはずです。

ただし、自由にできたとしても不の影響力もすさまじいです。天皇が追い出されて、新しい天皇が擁立されるのは、武士の時代だけのことではありません。大化の改新以降何度も起きていることです。

しかしそれでも公家はそのまま存続し、中には武家と協力して影響力を保持した人もいたでしょう。明治維新時代の公家であった岩倉具視などは、その代表格であったといえます。

これらの公家の要所要所にいる人々をそのままにして、協力してもらえるから天皇を挿げ替えてもうまくいくわけです。トップを変えても政治機構(朝廷制度)そのものには手を付けない、というのが重要だったのです。

ですから、武士が京都を軍事力で包囲すれば朝廷制度を変えることぐらい、いつでもできたはずですが、それをすると天皇をいくら変えても、天皇が協力するといくらいっても、公家のサボターシュでいくらまっても征夷大将軍の勅許が出ない、ということになりかねなかったわけです。

天下人もひとつだけ弱点があるのは「天皇の勅許をもらう必要がある」ということです。これが無ければ、天皇を無視して全国を軍事力で平定するしか天下人になる方法はありません(その代り、朝廷もいらなくなりますが)、それにはあまりにも労力がかかるから、京都に行って「征夷大将軍にしてね」とお願いできるだけの実力がある武士が天下人であり、公家からすれば「天皇に奏上して勅許は上げるけど、朝廷システムは壊さないでね。壊そうとしたら逆賊人の勅許を出しちゃうよ」という交換条件がだせたわけです。

ですから、実力としては朝廷制度なんていくらでも変革できたはずですが、目的は天下統一なので、そういうことはしなかった、ということになります。
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お礼日時:2016/11/05 16:39

質問の趣旨を誤解していました、位階と官職を変える事が出来るかと言う事ですね。


出来ない事も無いとは思います。(明治維新の時に位階と官職は変更されましたからね)
ただし、無理に変える必要性も無かったのでは無いでしょうか?
官職の最高位は太政大臣なわけですから、それになれば良いわけですよね?
鎌倉幕府以後の武家政治では、征夷大将軍が重要な官職だったわけですが、織田信長、豊臣秀吉はなっていません。
徳川家康からは、幕府として、征夷大将軍が復活したというか、実権を取り戻した形になります。(家康は、太政大臣にもなっていますけどね)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ただ単に権力があるという事だけでは、駄目なんですね。

名目上だけの朝廷という存在でも「正統性」が必要なんですね。

自分の中では世界の王朝の中でも日本の朝廷はややこっしいという、イメージがありました。

日本史も奥が深いですね。

お礼日時:2016/11/05 16:37

織田信長は、官位には興味が無かったようですから、望むことは無かったでしょうね。


右大臣・右近衛大将も辞任していますし、実際に太政大臣・関白・征夷大将軍の三職推任もありましたが、受けた形跡が無いです。
豊臣秀吉は、太政大臣になっています。
徳川時代は、家康、秀忠、家斉が太政大臣になっていますから、可能と言うか、実際になっていますよね?
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この回答へのお礼

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お礼日時:2016/11/05 16:38

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