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日中戦争で日本が中国に攻め込んだからとも言われますが、それよりはるか以前から日本人を憎んでいる事例があります。

書籍「西太后」より(208頁)
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光緒帝等は、日本との開戦(日清戦争)を強硬に主張した。それまで現政権は西太后の一派に服従していた。
しかし“反日愛国”という錦の御旗を得て、現政権は初めて公然と西太后派に反抗したのである。
さすがの西太后も、“反日愛国”という正論には勝てなかった。
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日清戦争以前から“反日愛国”と言う言葉があった。

同書籍より(210頁)
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下関で(日清戦争の)講和条約が調印されると、清の朝野にはごうごうたる講和反対の声が上がった。
光緒帝のもとには、再戦を嘆願する上奏文が殺到した。
洋務派で南洋大臣の張之洞は「新彊のいくつかの都市をロシアに与え、チベットの一部をイギリスに譲り、両国を日本と戦わせるべきである」という奇策を力説した。
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つまりロシアやイギリスには負けても良いが、日本にだけは負けたくなかった。
「白人に比べて格下の日本人には負けたくない」と言う事でしょうか?

更に昔、漢人にとって格下のモンゴル人(元)や満州人(清)に攻め込まれたときも同じことを言っていたのでしょうか?

論文を書いています。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

聖徳太子の頃、600年から618年の間に日本から隋に



5回以上遣隋使が送られました。

その時の国書に「日出る国の大使(日本)書を

日没する国の天使(隋。今の中国)に致す」と書き送ったので、

カチンときたのでしょう。

中国から見れば、日本は日が昇る東にあり、中国は日が沈む

西にありますから。

聖徳太子が悪かったのね(笑)

その時のことがあるから、今でも、目の敵にされているのかも?
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なんでも、自分が一番の大国でないと気に入らない、、、訳ですから、



(国土が)小さい日本に負けるのが、ひたすら 悔しいだけなのでしょう。
それだけ、日本を恐れている、、という事ですね。
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最近でのケースに当て嵌めるとアメリカがベトナムをナメてボロカスで敗退でわかると思います。

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日清戦争の敗因は西太后が莫大な国家予算を快楽と自己欺瞞に費やし張り子の竜。

又当時は漢族の国では無く清族の国、当時の中国は無知傲慢で日本をナメていましたね。
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憎しみばかりとは思いませんが鼻の先にある隣国だし、かつては庇を貸したこともある大家だからです。



世話してやったのに、店子に大きな顔をされている大家の気分でしょう。逆の立場で考えると分かりますね。
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