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「元号」と「西暦」との関係     教えて下さい

私たちは、無意識に、歴史の授業で教わったままに、「○○○年は、西暦で×××年」と覚えたりしていますが、これは、なぜそう言えるのか、教えて下さい。

         平城京 710年
         平安京 794年

とか教えられましたが、日本史と西洋史との接点がはっきりしないと、西暦では言えないはずですよね。

        もちろん 東京オリンピックが

        昭和39年 1964年であったことは、

        自分が生き証人なのですが。

よろしく、御教示下さい。

A 回答 (3件)

日本で使われた暦は和暦といいます。


和暦ではまず、その元号が何年続いているかや、新しい元号になったタイミングもだいたい明らかになっています。
また干支がわかっているので、60年単位でいつかがわかっています。
彗星など天文の情報がわかることもあるので、それで判断することもあると思います。

>平城京 710年
>平安京 794年

どちらも平安時代に編纂された史料に元号で書かれています。

西暦に変換するためには、いくつかの方法があります。
歴史の教科書では単純に西暦と和暦の変換をすることが多いと思います。
平城京への遷都は和銅3年ですが、この年はほとんどの期間が西暦の710年とかぶるので同じ年として扱うという方法です。

実際は和暦は太陽太陰暦で、西暦は太陽暦で、年初や年末のある程度の期間は年がずれることがあります。
厳密に書く場合は、この差も計算して出します。(ウィキペディアなどはこちらの書き方がされていると思います。)

また、和暦の太陽太陰暦でも時期によって使用している暦がちがうため、ズレが生じます。
西暦も現在のグレゴリオ暦とユリウス暦ではズレが生じます。
それぞれどの暦で変換しているかは注意が必要です。

明治6年からは日本もグレゴリオ暦を使っているので、元号と西暦の換算は単純に変換してもズレは出ません。
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この回答へのお礼

私が知りたかったことにドンピシャと答えていただき感謝いたします。長年の疑問を解決するための確かな道しるべができました。

感謝いたします。

お礼日時:2016/12/02 02:05

当時の人は西暦何年とか言っていませんね。

中国の年代は意識していたとは思いますが。
私たちも明治以降西暦を日常使うようになっていますので、そこから天正何年とか言わずに西暦で言うようにしているだけです。
元号はたくさんありますし、無い時期もあります。年の途中で改元したり、その際は正月までさかのぼるとか複雑です。
永禄3年桶狭間の戦いと言っても全然問題ないと思いますが、1560年と言った方がいろいろイメージしやすいですよね。

ただ旧暦(これも数度修正されている)ですからぴったり一致するわけではありません。
例えば治承・寿永の乱のさなか、平清盛による福原遷都は1180(治承4)年と教科書には書かれています。
しかし、やはり平清盛が命じて行われた南都焼き討ちは同じ治承4年の12月28日のことですが、換算すると1181年1月15日となります。

平城京遷都は教科書では710(和銅3)年とありますね。元明天皇の遷都の詔が出た日をその時とすると、続日本紀和銅3年3月辛酉条に「始遷都于平城」とあり3月10日です。
この日をカエサルがローで施行しローマ帝国滅亡後も西洋で使われた西暦の元となっているユリウス暦に換算すると710年4月13日なのでそういって差し支えありません。
平安京は794(延暦13)年です。ちなみに10月22日です。西暦換算すると794年11月22日なのでこれもそういって全然問題ありませんね。
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この回答へのお礼

詳しい解説に感謝いたします。

さらに読書して勉強します。

お礼日時:2016/12/02 02:08

天皇が亡くなるたびに元号はリセットされるので、基準もその都度変わるのでしょうけど、昭和だったら昭和元号に+25を足せば西暦の下2桁になりますね。

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