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「明成皇后」を見ていて疑問に思うことの一つにホン尚宮という人物が本当にいたのか疑問に思います。理由は、壬午軍乱の際に、王妃を背負って逃げる洪啓薫の妹という設定になっているが、かなり無理があると思われる。壬午軍乱は王妃が31歳の時の出来事である。個人的には、ホン尚宮は王妃とは少なくとも30歳以上年の離れた老女であると思う。服を取り替えたのは若い官人であり、ホン尚宮とするのはかなり無理があると思われる。洪啓薫には妹がいたのかも疑わしい。

A 回答 (2件)

「閔妃暗殺」(角田房子/著 新潮文庫1993年)という本があります。

これにお尋ねの場面があるので要約を。

(壬午軍乱の時 1882年)洪啓薫が宮女である妹の手を掴んで閔妃のもとへ駆け付け妹の衣服と着替えさせ輿に乗せた。途中で乱軍の兵士が輿を開けたが洪啓薫が「妹の洪尚宮だ。逃がしてくれ」と頼み閔妃を輿から出して背負った。(143~144頁)
(閔妃が暗殺された時 1895年)洪啓薫は僅かな兵力を率いて駆け付け、光化門で日本守備隊と銃撃戦となり死んだ。54歳だった。(400頁)

というわけで洪啓薫に妹はいたようですね。
閔妃暗殺事件の時(1895年)洪啓薫は54歳ということなので1841年生まれとなります。閔妃は1851年生まれですから妹の洪尚宮は閔妃より5歳ぐらい年上と思われます。
著者の角田さんはノンフィクション作家ですから一応信用してよいでしょう。しかし閔妃の周辺は不明な点が多いし、その後角田さんの誤りが判明した点もあるようですからその点は考慮してください。詳細は上記の本を見てください。20年も前の本ですがまだ現役で売られています。
余談ですが#1殿が仰るようにドラマや映画は史実的にはデタラメが多いので信用しない方がよいです。あくまでも娯楽と考えましょう。
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この回答へのお礼

洪啓薫の年齢を教えて頂いたので、勝手に類推することにしました。王妃が入宮するのは、15歳です。ホン尚宮は5歳上だと20歳ということになり、壬午軍乱の時に、彼女は36歳ということになります。
引っかかるのは、王の手もついていないホン尚宮が僅か20歳で尚宮になれるのか。官女職には、7歳~8歳で宮中に入るそうなので、12~13年で尚宮になるのは、バッグがいないホン尚宮では無理だと思います。普通は25年かかるようなので、王妃と会うのは彼女が32歳の頃と考えられます。そして、48歳の時に壬午軍乱が起きて、52歳の洪啓薫が妹と言っても矛盾はない。【ただ、服を換えたのが「若い官女」であるという説とは明らかに矛盾します】。
角田房子さんが表紙で使った女性も、最近は他人という説が有力で、少し怪しいですが、ホン尚宮と服を取り替えたというのを完全否定は出来ません。
加えて、ホン尚宮の存在自体を否定することも誤りのようです。勉強になりました。

お礼日時:2017/01/05 00:30

主役と準主役以外は、ほとんど架空だと思われる



良くて、そんな名前の人物がいたレベル
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