プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

キリスト教についての質問です。ほかの神様を拝んではいけないというルールを破ってしまった場合、許してはもらえるのでしょうか??

A 回答 (7件)

質問では漠然としていますが・・・その部分をもう少しはっきりしましょう。


ルールを破るのが「あなた」と仮定して

(問1)「誰に」許してもらえるか?をまず自分自身の中で考えてみてください。

 他の神を拝んだときに、

 ①あなたが通われている教会や教団の関係者に許してもらえるか?ですか。
 ②あなたの周囲の「家族や仲間」に許してもらえるか?ですかですか。
 ③それとも、神(キリスト)に許してもらえるか?でしょうか。

それによって、方向性が変わってきます。

(問2)「他の神を拝む」という行為の程度として
 
 A、本心から拝み、これからもずっと続ける。
 B、うっかりしてしまい間違って拝んでしまった。
 C、観光地などでは拝んでいる。(程度で自分ではよいと思っている)
 D、その他

ただ拝むといっても、その程度によって違いがあります。

①では、通われている教会や教団の宗派によってそれぞれ考え方が異なりますから
A~Dの行為について許されるかどうかを、行動前に聞いてみるとか、
既に行動していても「懺悔」でその状況を告白してもいいと思います。
ただ、原理寄りだったら、聞くだけで大きな問題に発展したり命の危険性があるかも
しれませんので、ケースバイケースで対応してください。

②では、通われている教会や教団の「教え」をあなたの周りの「家族や仲間」が
どのように感じて、自分たちの中で「神」や「教え」をどのように捉えているかによって
変わってくると思います。
ルールといっても解釈が違いますし、教団の教えが厳しくとも、現代社会で周りは
それほど問題にしないことが多いと個人的には感じています。
国際的にも最近はソーシャリティが成熟しており、昔ほど相手の考えや行動に土足で
踏み込んだりしないし、個人の価値観を尊重し、相手に自分の考えを無理やり押し付ける
ことが頻度的には、なくなってきてるように思えているからです。
これも、それとなく周囲に直接聞いてみるのが一番ではないでしょうか。

③は一番難しい問題であり、逆に簡単に回答は得られます。
あなた自身の「宗教」や「神」の解釈や価値観によって、あなたの中でどう思うか、ですから。
例えば「もう神は許してくれない。」と自分で感じ取ってしまったら、許されることはないのでしょう。

周囲の宗派ではとか、過去の事例ではとか、有名な神父様のお話ではとか、ではなく
まず、あなた生活に関わっている教会と教団、そして周囲と自分自身の信念や考え方で
おのずと本当の回答は出てくるのではないでしょうか。
    • good
    • 0

基本は個々の解釈次第ですよ


キリスト教原理主義者は許さないっていうでしょうけどね

「クリスマスの精神」というモノがアメリカには有りました
移民国家に置いて多種多様な宗教が有りながら
共にクリスマスを祝う。そこに宗教対立は無い
ユダヤ教やイスラム教の混在する国では宗教の祝日に
他の宗教の人は「おめでとう」と声を掛けるようです

他の神を敬うと信仰するは必ずしも同一ではない
他の神を信仰するならそれこそ改宗しなさいよって話ですしね
    • good
    • 0

誰から許しを貰うのかにも拠りますが、大概は、許してもらえないでしょうね!


キリスト教徒(カソリックでもプロテスタントでも、)なら最低でも、懺悔しろと言われます。

でも、神様は許してくれると思いますよ。
    • good
    • 0

40年来のカトリック信者ですが、仏教や神道、それに宗教全般についても共感する者です。


一神教の代表はイスラエル系の3宗教(「キリスト教、ユダヤ教、イスラム教」であり、この3宗教の「神」は共通です。なぜならこの3宗教は起源が同じだからです。キリスト教では、古くはヤーウェなどと呼ばれたこともありますが、今は単に「神」(英語では頭文字が大文字のGod)と呼ばれることが多く、イスラム教では「アラー」と呼ばれていますが単なる呼び方の違いです。(キリスト教の「神」についての詳細は、以下の過去問への私の回答(No.7)をご覧下さい。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8810312.html )

他の宗教(ヒンドゥー教、仏教、神道など)は大方多神教であり、夫々の宗教には、固有の「神」或いは「教祖」と言われる存在や、教団組織、教義があるように思われます。ただ、神道のように、教祖や教義が存在しないものもあり、こうした宗教は「自然宗教」と呼ばれることがあります(自然や祖先を神のように敬う日本人の宗教心やアニミズムと呼ばれるものも一種の「自然宗教」と考えられます)。

又、仏教にも「神」と言う存在はあるにはありますが、むしろ「仏」がメインであり、キリスト教徒とは信仰に対するアプローチが異なるように見受けられます。キリスト教の場合は、万物を創造した唯一・絶対神に人間が従う構図になっているのに対し、仏教では、人間を含む「生きとし生ける者」には皆、「仏性」が宿っており、仏は慈悲を垂れる有難い存在ではあるが、むしろ人間が自らの「仏性」を開拓していくことに重きが置かれているような気がします。

このような諸宗教のはざまで、「他の神に対して祈る」ことが、そんなに悪いとは、多くのキリスト教徒でも思っていないと私は確信していますし、実際、近代のカトリック教会では(具体的には第2バチカン公会議(1962年~1965年)以降)、カトリック教会は、一般社会や他宗教との対話を推し進め、少なくても表面上は他宗教(とその神)を否定しない立場を堅持しています。

キリスト教の他宗教に対する考え方は以下の通り3つあります。
1. キリスト教の他には救いなし。他の宗教は「邪教」であり、キリスト教のみが正当である。(宗教的排他主義)
2. 他の宗教を信じるのは別に良いが、結局は他宗教を信じる者もキリスト教の神を通じて救われる。「宗教的包括主義」
3. 他の宗教を信じる者も、キリスト教を信じる者と同様、救われる。(宗教多元主義)
現在のカトリック教会の主流派は2で、他宗教とも一応交流を保つ立場であり、信者に対しても、他宗教形式(例えば仏式)の法要などに儀礼的に出席することは全く禁止していません(ただ、心の中では、仏前などでも、キリスト教の神に対して祈るよう推奨してはいます)。
⇒日本カトリック司教協議会 諸宗教部門 編『カトリック教会の諸宗教対話の手引き 実践Q&A』

私は、上記の3の立場であり、絶対に変えるつもりのないことも、教会の神父の前でも強く公言していますが、「まあ、色々考えもあるし、いいんじゃない」と言う感じで容認されています。

近代日本のキリスト教信者たちも、日本の宗教風土
(① 全ての宗教を等距離に一応受け入れようとするが、特定宗教に帰依しようとしない、いわゆる「無宗教」の考え方
②自然を神の被造物であり、人間も自然を自由に利用しても良いと考えるキリスト教とは異なり、自然を神のように畏敬する考え)
とキリスト教の考え方の間をどのように折り合いを付けるか悩み続けました。
まもなく日本でも公開される映画「沈黙」の著者、遠藤周作やその友人であった井上洋治神父は、その代表だったと思いますので、是非彼らの著作を読んで頂ければ、参考になると思います。

長くなりましたが、本質問の結論として、以下の通り回答します。
回答:ほかの神様を拝んではいけないというルールを破ってしまった場合、許してもらえます。
というか、ほかの神様を拝んでも全然問題ない。ドンドン拝みましょう!

参考として、私も過去の多くの類似質問への回答の中から、以下とその回答中に引用した質問をご参照下さい。
私が過去に最もしつこく食い下がり、何回も回答した質問です。結局、質問者とは平行線でしたが・・・。

一神教の宗教ってさ、本質的に危険思想だよね?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9333655.html (回答20~25)
    • good
    • 0

キリストさんはマリアさんが単為生殖で産んだ子供であるようです。


現代の科学を持ってしても人類の単為生殖は成し遂げられていないようですから、そこから類推するに、神様はキリストさんではなく、実はマリアさんだったのではないでしょうか。
ですが、そうなると、キリスト教にまつわる根本がおかしな事になります。
科学的に妙な話だなあと私は思いますし、であったとすれば、その程度のことなどキリストさんは気にもかけないのではないように思います。
最近は外国人旅行者が増加しているようです。
その中の一定程度の人たちは、寺や神社を訪れます。
ですが、それらの人たちが罰を受けたという話を、私は聞いたことがありません。
    • good
    • 0

一度の過ちで全てダメになるわけではありません。

    • good
    • 0

許してもらえます。


この後は、さらに教えを忠実に守る事に努めましょう。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す