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宇宙やその中の人間などは全て計算できる数式的な機械的な存在なのでしょうか? それは証明できるのでしょうか? できるとしたら何年後?

A 回答 (1件)

この質問は、哲学的にものすごく深い問題です。

哲学者の中でも、機械論といって、人間の行動などすべてが機械的決定論的に決まるという立場の人もいますし、人間の自由意志のようなものがあって機械的に決まるものではないという立場の人もいます。

ここからは、私の考えです。

何をもって、証明できたとするのかが決められない種類の問題だと思いますから、そのどちらが正しいのかは、証明できないことだと思います。

あまり根拠はありませんが、理科系の人は、すべてが法則、規則にしたがっていると思っていて、機械的ではない(ように見える)行動なども、まだ知られていない法則、規則があって、それによって決まるのだ。だから、未知の法則、規則を見つけたいということを動機として、研究、解明しようしていると思います(でも、最終的には、解明できないところがあって、それは神のなせる技とか意志とか、という研究者も結構いるようです。神を持ち出すことは、ちょっと格好悪いという雰囲気もあるので、表立って言う人は少ないのですが)。文科系の人の論調は、人間には自由意志のようなものがあって、すべてが機械的に決まるわけではないというアンチ機械論のほうが強いように思います。

このような議論が盛んになるのは、科学技術が急速に発展し、それが一般の人にも認められたころに、機械論も盛んになっているように思います。ずっと昔のことは分かりませんが、ニュートンが活躍した時代以降(力学的世界観が確立した時代)に、機械論的な哲学が盛んだったように思います(論争があったという意味で)。今日も、そのような時代のように見えます。つまり、少し前までは、力学的な事象は、法則として数式などで表されるけれど、人間の行動、心理などは、数式では表されないから、すべてが機械論決定論的に決まるのではないという主張が強かったと思います。しかし、近年の生物学、特に生化学に基づく生命現象の研究成果によって、生物のミクロレベルの動きが解明されてきて、その延長上でかなりの行動が規則的に説明できるようになって来ているので、すべて法則、規則で説明できる時が近いのではないか、と考える人が増えてきて、このような議論が盛んになっているように見えます。

このようなことを書く上は、自分の立ち位置をはっきりさせておかなければならないと思います。私は、約50年前に大学の工学部に入って、技術者の教育を受けました。今は、定年退職して、悠々自適と行けばいいのですが、何とか生活しているものです。
学生時代に、役に立つ技術者になるということで良いのか、なぜ勉強するのかなど、もやもやとした気持ちがあって、哲学、宗教、生物学などあちこちに首を突っ込んできました。でも、基本的には理科系の人間で、数学、物理の美しさの延長線で、あらゆることが機械論的に解決できたらすごいなという気持ちのほうが強い(が、やっぱり最後には、神のみぞ知る、ようなところが残るのではないか)と思っています。このようなバックグラウンドからの意見ですので、適当に割り引いて読んでいただければ幸いです。
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