アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

国の定義にある程度統一された基準はあるのでしょうか?
例えばヨーロッパの方は数百年の間にコロコロと国が変わっていますが何をもってして変わったのでしょう?
例えば大日本帝国と日本国は別の国ではないのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • ご回答ありがとうございます。

    >どういう理由から~
    その国を表す名称が違うからです。逆に「連続性がある」ならば名前が変わっても同じ国なのでしょうか?では何故名前が変わったのでしょう?(大日本帝国と日本国は違う国だ!と主張してるわけではありません、純粋な疑問です。)

    >同じ国でも、支配者が交代~
    すみません事実のみでは理解ができなかったための質問です。支配者が交代しても「同じ国」な理由はあるのでしょうか?

    例えば中国はたくさんの国が興り滅びましたが、なぜ「(現代の呼称で言えば)中国」という一つの国として認識されないのでしょうか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/03/24 00:43

A 回答 (6件)

質問者様は国を定義するにあたって、国と国家をごっちゃしているように思います。



名前が変わっているのは「国家」です。国家というのは統治者が変われば名前が変わります。特に君主制の時代は統治している君主が付けた名前に変わるわけです。ですから、中国の統治者が変わるたびに名前が変わります。特に異民族が支配した元や清は支配した異民族の言語の名前もあります。例えば元はダイオン・イェケ・モンゴル・ウルス(漢字は大元大蒙古国)でモンゴル文字による表記もあります。(wikiを見れば書いてあります)
 今の政府は中国共産党なので、国家の名称は中華人民共和国です。

ではなぜ中国が国として、4000年の歴史を有しているかというと、地域的なまとまりがあるからです。工業化や機械のなかった近代以前は、国家は移り変わっても「国」の広さはあまり変わることがありませんでした。
なぜかというと「人が住んで生活できる土地」が限定されていたからです。

中国に関していえば、北は黒竜江(アムール川)とゴビ砂漠、南はベトナムとの境にある山岳地帯、西はチベットにつながる山岳地帯(青海高原)、東は太平洋(東シナ海など)に囲まれた平原地帯が基本になっています。この地域に文明を起こした民族が漢民族であり、漢字などの文化を作りながらこの平原が一つの国として纏まったことから、中国の「地域」が確定しています。そして初の統一国家を作った始皇帝による秦の領地が基礎となっているのです。

ですから、逆をいえば現在の中華人民共和国がチベットや内モンゴルなどを自治区として持つのは「中国の本来の地域」としてはおかしいのですが、例えば異民族国家であった元は今のモンゴル出身であり、元は北京に首都を定めたため「中国の地域を支配した支配者」と認定されています。ですから、中国人の考えでは「モンゴルは本来中国の一部」ともいえますし、チベットなども「元が支配した時期があるから中国の一部」ともいえますし、逆にモンゴル人からすれば「北京辺りはほんらいモンゴル国の一部」ともいえます。

しかし、漢民族が支配していた時期が長いこともあって、秦が領土とした地域は中国人の国(領土)、とされていて、今現在そこにある国家が中華人民共和国、という名前になるわけです。

同様にほかの地域も地形の影響で国は大体決まっています。たとえばローマ時代にイタリア人は地中海沿岸とヨーロッパのほぼ全体を支配地域に納めましたが「イタリア」という国と「イタリア人」という民族はイタリア半島を母体するということになっています。ちなみに半島の北限はアルプスのふもとまでです。同じようにアルプスの山中はスイス人になりますし、アルプスを超えてフランスとドイツになりますが、この区分けの基本はライン川になっています。
 これはローマ人がライン川の東側を領土化するのが早かったこと、ライン川の西側のゲルマン人はローマと同化を拒んでなかなかローマ化しなかったこと、などの理由があります。このためライン川の東側ののちにフランス人となる人々と西側ののちにドイツ人となる人々の文化的な違いが生まれ、それがのちのフランスとドイツに跨るフランク王国分裂の決定的な違いになっていきます。

どういう違いかというと、フランスの地域はローマ化した文化があるのでカソリックを受け入れるのに、ドイツはローマ化に抵抗した気風を持つので、おなじキリスト教でもプロテスタントになっていった、というような違いです。

このような文化的な違いも国の成立には大いに関係しますので、ローマ崩壊後に出来たフランク王国が分裂して以降、フランスとドイツの国土は歴史的にほぼ固まっていくわけです。

しかし、同時にそこを支配する支配者は時代によって移り変わります。ローマは自滅して分裂し崩壊しましたが、その後には地域にたくさんの支配者が分裂して立ち、戦争や宮廷闘争、さらには王族間の結婚などで、合従連合や分裂を繰り返しました。今の形の国家なのはたまたまで、たとえばモナコは公国ですが、跡継ぎが絶えるとフランスに合併される約束になっています。ですからモナコ国民は歴史的に見ればフランス人です。

また、クルド民族というのが居て、トルコ・イラン・イラクの国境がある山岳地帯に住んで居るのですが、彼らは第2次大戦中にイギリス協力し「戦後はクルド人国家を作る」と約束してもらったのに、それが反故にされた民族もいます。クルド人からすれば「山岳地帯」は「自分たちの国」なので武装して実力で国境を作って政府を作っています。しかし、どこのくにもその国家を認めないし、国際社会も認めてくれないので「テロ組織」という扱いになっています

陸地の国境を接している国は、多かれ少なかれこういう問題があります。中国は比較的そのような摩擦がすくない地域で、東アジアの中原とよばれる平地はほぼ間違いなく漢民族の国です。だから中国の「国の歴史」として「4千年」といえるわけですが、国家は支配者が変われば変化するものであるといえます。


そのなかで、日本は世界の歴史でものすごく特殊な国です。なぜなら国土と民族と国家がほぼ一致したまま有史以来の歴史を有している唯一の国だからです。
ここで「大日本帝国と日本国は別の国ではないのでしょうか?」という点に触れます。
結論から言えば同じ国で同じ国家です。

まず国の要件は民族の連続性にあります。日本は島国で最初の王朝である大和朝廷ができてからほぼそのままの島国です。後から参加したのは北海道と沖縄ですが、北海道は当時「無主の地」でアイヌ民族はいましたが、統治国家の形態はなかったので日本に併合されています。ロシアに併合される危険もあったのですが、日本が勝ったのです。
沖縄は日本と中国両方に帰属していましたが、日本が沖縄処分をしたときに中国(当時は清)はなにも言いませんでした。ですから日本の領土になっていて、沖縄人が独立したいなら民族自決権はあるとされています。

ですので国としての日本はそれこそ魏志倭人伝に「倭国というものがある」と記録された時期から同じ民族(倭人)が住んで居る地域であるので、地域の問題はありません。
では国家という支配者の定義を見てみると、当然ですが日本も最初は強力な指導者が統治者になって君臨しています。その末裔はどこにいるかというと、今も天皇という君主として存在します。ですから日本は大和朝廷が開いてから「ずっと同じ統治者の統治を受けている」同じ国家である、といえます。

もう少し子細に見ましょう。そもそも支配者が変わる、ということはどういうことでしょうか。たとえば中国で異民族である元が国家を開始した時には、その前の支配者は殺されたり追い出されたりしていて、前の国の法律などは全部無効になってからのスタートになります。当然、財産も元の支配階級がすきかってに略奪してからのスタートです。
 ですから、前の支配者の権限はまったくゼロになるのが「国家の交代」です。逆にローマ皇帝は争乱期には同時に5人ぐらい「私がローマ皇帝」と立ちましたが、かれらが指導できる政府・国家はひとつなのでいくら指導者が変わってもローマという国家は連続していたわけです。

日本の場合をかんがえると、次の時期に連続性があるかどうか、を検討することになるでしょう。
・鎌倉幕府開闢
・明治維新
・ポツダム宣言受諾からサンフランシスコ条約後まで
です。
まず、鎌倉幕府については、天皇の勅許を経て開設しています。また幕府の将軍の代替わりの際には必ず勅許を求めています。つまり天皇という統治者の権限はなくらならず、統治者が征夷大将軍を任命することによって、そのものに権限をゆだねているわけです。ですから、天皇の統治は続いている、といえます。

明治維新は、徳川将軍が「国の統治権をお返しします」と大政奉還したことによって実現しています。つまり、鎌倉幕府以前のように天皇に権限がもどったのです。しかし、時代的に君主国家に戻すことはむずかしかったため、イギリスなどの憲法を見本に立憲君主制国家にしました。

立憲君国家は共和政と違って「君主は在れども統治せず」ということで、統治の実態は国民政府、つまり選挙で選ばれた政党政治で行われます。これは幕府の勅許と実際には同じことで、指導者(幕府なら将軍、今なら首相)が変わるたびに天皇から任命される、という方法をとります。
また、議会も君主である天皇が列席して開始されます。
これが大日本帝国憲法の実態であり、天皇が統治権を失ってはいません。

次にポツダム宣言を受諾して、日本は敗戦しGHQが占領に入るわけですが、実態として日本国政府が消滅したわけではありません。大日本帝国憲法は大日本帝国議会(ただし、戦後の普通選挙後の議会)で日本国憲法に変わったのです。この時に君主制については一部の変更はあったものの「君主は在れども統治せず」という方式に変更はありませんでした。
 今の内閣も必ず天皇の任命を経て内閣総理大臣になりますし、国会の開会式には天皇が参加します。また、国事行為とされる条約や法律の施行には天皇のサイン(御璽)が必要で、最終的に「天皇が許可したから法施行できる」という形をとっています。

したがって、日本国は大和朝廷が開闢して以来、同じ国で同じ国家形態で、同じ民族が住み続けている、世界で唯一の国であるといえます。
    • good
    • 1

国の定義にある程度統一された基準はあるのでしょうか?


  ↑
ありますよ。
国家三要素説が、通説です。

つまり、国家とは、
1,領土があること。
2,領民がいること。
3,その領土と領民を統治する権力が存在すること。

この三要素を具備するのが国家です。




例えばヨーロッパの方は数百年の間にコロコロと国が変わっていますが
何をもってして変わったのでしょう?
   ↑
「3」の統治権力の主体が変わりました。
また、領土が変わった場合も多いです。




例えば大日本帝国と日本国は別の国ではないのでしょうか?
   ↑
ハイ、学術的には別の国ということも
可能です。
なぜなら、統治の主体が、天皇から国民に
変わったからです。

領土は多少変わりましたが、本質的な変化はありません
でした。
領民もしかりです。

しかし、統治権力のあり方が変わりました。

これと同様に、明治維新の時も国が変わった、と
する説があります。

これに対しては、江戸時代だって天皇の下に
将軍がいたのだから、本質的な変化は無かった
とする説もあります。

現代でも、首相や最高裁長官は天皇が任命する
のだから、戦前と本質的違いはない、とする説もあります。
    • good
    • 0

現代であれば、あります。


モンテビデオ条約(1933年)より前には、明確にはありませんでした。
ただし、ヨーロッパに関しては、歴史上は
ウエストファリア条約(1648年)が主権国家を認めた、
一つの歴史的な基準とみなされています。


気を付けなければならないのは、歴史学上は
上記の年号の"前"に関しては国家の連続性を担保する考え方は
確立されていなかった(あったとしても国際的な合意を得ておらず、
あくまで独自の主張となっていた)
と考えた方が通りは良いでしょうね。




ひとまず現代の基準としてそれぞれを確認しましょう。、
・モンテビデオ条約 (1933年)
・条約に関する国家承継に関するウィーン条約(1962年)
がその骨子となります。



モンテビデオ条約では国家の必須条件として

a 永久的住民
b 明確な領域
c 政府
d 他国と関係を取り結ぶ能力

が定義されています。
直近で日本が国家承認をしたニウエの説明で、外務省が
人口や領域、首都(政府の存在)とニウエの外交関係を
補足説明しているのはこういう理由があるわけです。

(参考)ニウエの国家承認 ※外務省HPです。 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4 …



次にウィーン条約(1962年※ウィーン条約は他にも年号ごとにたくさんあります。)
では国家承継を『領域の国際関係上の責任が一国から他国に置き換わること。』
と定義しています。

ですから、たとえば中華民国が条約で負っていた役割を
中華人民共和国が引き継ぐ場合は、それを宣言して、
正当性を主張し、その責任を果たす必要が出てくるわけです。
(このとき、一部または全部を引き継がない『クリーンスレート』という宣言も
選択肢としては認められています。)

ただし、日本国はこの条約に加盟していないので、この考え方を
公式には取っていません。そもそも加盟国はあまり多くありません。
加盟しているハーグ陸戦条約には内戦を行っている交戦団体が
国家の役割の引継ぐことはウィーン条約と同じような形で定義されており、
どちらの条約でも他国の承認が重要な要素となっています。



長々と書きましたが、現代の基準は

・住民、領域、政府、外交能力があること、が国家の要件。
・前の政府が負っていた責任を果たす意思と能力があること、が国家が認められる要件。

ということです。一方、繰り返しになりますが
これを過去に遡って適用してしまうのは、
歴史学としても法学としてもちょっといただけません。
苦労して国際的な合意を取り付けた歴史を無視するような行為でもありますしね。
それは、国家という概念がそもそもなかった時代、
原始人の国家を語るようなものになってしまうのではないでしょうか。
生まれる前からそこに正当性は存在しないのです。
    • good
    • 0

No.1&2です。

「補足」と入れ違いになってしまいました。

>例えば中国はたくさんの国が興り滅びましたが、なぜ「(現代の呼称で言えば)中国」という一つの国として認識されないのでしょうか?

えっ? 「中国4千年の歴史」と言われるではありませんか。中国人自身が「中国は歴史ある国だ」と思っていますよ。「王朝」は替わっても、中国は中国。それは「国」というべきなのか「民族」というべきなのか分かりませんが、「その地に住む人たち」「地域共同体」の歴史の連続性ということなのでしょう。

No.1&2では、一つの支配体制が及ぶ範囲に形成される共同体、そして近代以降の「国民国家」を「国」という概念でとらえましたが、質問者さんの「国」の定義はどのようなものなのですか?

>その国を表す名称が違うからです。逆に「連続性がある」ならば名前が変わっても同じ国なのでしょうか?では何故名前が変わったのでしょう?(大日本帝国と日本国は違う国だ!と主張してるわけではありません、純粋な疑問です。)

国の名前なんて、自ら名乗るだけで、同じでも変わっても「実体」が変わらなければ同じです。
正確には「大日本帝國」だし。
国の政権や王朝にとって、「連続性」つまり「正当性がある」ことは非常に重要ですよ。「軍事クーデター」や「革命」は、その正当性に疑問があり、他の国から承認されないことが多いからです。
日本だって、武家の政権(幕府)は、天皇から任命・委任されるという形をとっていましたから。
    • good
    • 0

No.1です。

ヨーロッパにおける「国」と「王朝」の面白い例として、「英仏百年戦争」というものがあります。有名なジャンヌ・ダルクが登場するころの歴史です。

ジャンヌ・ダルクは、フランスをイギリスの支配から救った救国戦士か?
いえいえ、ジャンヌ・ダルクをフランスの祖国の英雄に仕立て上げたのは、350年以上も後のナポレオンなのです。
「英仏百年戦争」の当時は「イギリス」とか「フランス」という意識は誰にもありませんでした。戦っていたのは、どちらもフランスの貴族で、一方がイギリスを領地としていただけ。

そんな話は、こんな本を読むとよく分かって面白いですよ。
https://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E4%BB%8F%E7%9 …

あるいは、分かったようでよく分からない「神聖ローマ帝国」。要するに「現在のドイツ、オーストリア」の王国の緩やかな連合体です。ヴォルテールいわく「神聖でも、ローマでもなく、ましてや帝国ですらない」。
この「国」に関しては、こんな本を。
https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%8 …

「国」「国民国家」という概念は、フランス革命とナポレオンが作ったと言われています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91 …
http://www.y-history.net/appendix/wh1201-026_1.h …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます、
やはりNo.1のご回答でおっしゃられたように、
(ある程度)統一された定義のようなものはなく
それぞれの地域での歴史の上に成り立っているものなのですね。ありがとうございます。

お礼日時:2017/03/24 00:50

ありません。



ヨーロッパの場合は、基本は「王様の統治できる範囲」で、日本でいえば江戸時代の「藩」に相当します。王様が駆けつけて軍事力で守れる程度の広さが一つの国です。
それを、近代以降の工業化、交通の発達で「同じ言葉を話す地方国家」を「国民国家」に統合していったのが歴史です。ただし、「王国」の時代から「被征服地域」があり(たとえば「ボヘミア」や「ハンガリー」)、それが第一次大戦で「帝国」が消滅したことから、「民族自立」で国家になったものもあります。

どうしようもないのは、そういいったヨーロッパの植民地だったアジア、アフリカや、第一次大戦で消滅したオスマン・トルコの領土であった中東地域です。これらは、ヨーロッパの旧「宗主権」や「信託統治」などによって「機械的」に国境線が引かれました。それが今でも民族対立や分離独立の内戦のもとになっています。

>例えば大日本帝国と日本国は別の国ではないのでしょうか?

どういう理由からそう考えるのですか? 

 同じ国でも、支配者が交代することはよくあることです。ヨーロッパの王国でも「〇〇朝」というのは、支配者の一族が交替したものです。
 フランスだと、「ヴァロア王朝」から「ブルボン王朝」に替わって、ルイ14世などの専制君主になり、フランス革命で共和制になり、ナポレオンが帝政を敷き、ナポレオン失脚後再びブルボン王朝が復活し、七月革命で「オルレアン朝」に替わり、さらに二月革命で再び共和制(第二共和政)になります。その後も、ナポレオン3世による第2帝政、普仏戦争に負けての失脚と第3共和政などと続きます。この間ずっと「フランス」でしょう?

 特に日本の場合には、「大日本帝国憲法」の手続きにのっとって憲法を改正して「日本国憲法」を作っていますので、正当な「連続性」があります。
この回答への補足あり
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!