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人に魂のようなものの有る無しは 完全に肯定できるものでもないし 否定できるものでもないのでしょうか?
それとも 意識の研究 ハードプロブレムや心身問題の解決によって否定されるのでしょうか?

A 回答 (8件)

魂を実感できないのでしょうか。


愛を実感する。だから、愛の存在を肯定するのと同じです。
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>人に魂のようなものの有る無しは 完全に肯定できるものでもないし 否定できるものでもないのでしょうか?



客観的な証明も反証もできないものと思います。

ただし、客観的に共有できないとしても、その判断をせざるをえないような強烈な体験というものは、ありえます。

それはかならずしも共有できないという点からして、主観的なものになります。

だれでも、どう判断するかを自由に決める権利を有しています。思想・信条の自由。
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No3です。




>心は物理的なプロセスによって動いているとゆう証明はこの先できるのでしょうか? ジョンサールがそう主張しているようなのですが

分かりません。

金井良太氏やジョンサール氏やレイカーツワイル氏は本を書かれていませんか。
本当にその分野に興味があるならば、それを読むと良いと思います。

それでその本の中に、他の本を出典にした記述や参考文献もあると思います。
その出典元の本や参考文献も読むと良いでしょう。
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この回答へのお礼

あなた個人ではどうお考えなのでしょうか? お手数ですがお願いします

お礼日時:2017/05/06 18:47

証明の問題ではないんですよ。



なぜなら 人間の知覚や思考の能力を超えているところ――場または
チカラ――のことを言っているのですから。

仮説として想定するしか扱う方法はありません。

そしてそれは 可知でもなく不可知でもなく 非知として捉えること
にるはずです。

これで 何の問題もありません。

これまでの世界の歴史で 誰も言ったことはありません。たぶん。
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心の正体が高次元空間にあるとしたら、


それは三次元空間の人間にとって
物心二元の魂という存在になるかもしれません。

そうだとしても
それは現代では証明できません。
人間の認識能力の構造的限界を越えている可能性もあります。
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>完全に肯定できるものでもないし 否定できるものでもないのでしょうか?



どの世界で戦うかで決まります。科学や法律の世界で戦うか。宗教や政治の世界で戦うかで変わります。
宗教や政治の世界では、神の存在を認めさせる事も可能です(日本はその影響はないが、その影響が強い国も多い)。

そして、「その存在はあるかもしれないし、ないかもしれない。」という立場を取る事も可能です。
これを不可知論と呼びます。あなたの考えを否定するつもりはないですが、私にはそれを見る事も感じる事も出来ないので肯定も否定もなんともいえないです。

因みに私もこれ。宗教やオカルトの話はこの立場で私は通します。








>それとも 意識の研究 ハードプロブレムや心身問題の解決によって否定されるのでしょうか?

科学や法律の世界で戦うという意味ですね。

否定されるのではなく、立証できない事実が「その存在はない」となります。
これは近代国家の原則が働きます。



近代国家の原則は、「その存在がある」と主張した側に立証責任があって、立証できないものは存在しないとします。
これは何故かと言うと、例えば「あなたは過去強姦した可能性があります!」といちゃもんをつけられたとします。


今の世の中は、「あなたが強姦した証明がない限り、あなたの強姦の事実は存在しない」となります。
そこで、「いいや。強姦した証明がないからといって、強姦の事実がないとは限らない。強姦していない証明が出来ない限りお前は強姦したかもしれないし、していないかもしれない。」と主張した人がいたとします。

今の社会ではこのような主張は認めません。疑わしい事は罰せず、推定無罪といい、証明されていないモノはすべて「それは存在しない」事になります。


これと同じ場で「魂の存在の有無」を戦わせた場合、その存在を証明する責任は魂の存在を主張する側にあります。そして、魂の存在を証明できなければ「魂は存在しない」という事になります。

科学的に証明したい場合は、立証責任はその存在があると主張する側にあります。そして、その証明が出来ない場合は「存在しない」となります。仮に、科学の発達で1000年後にその存在が証明されて存在が認められても、近代国家の原則に従って現状で証明されていないものは存在しないとなります。

何故、そのような原則を採用しているかというと、これをしないと悪魔の証明を認める事になるからです。




普通は、宗教やオカルトの話は、そういう場では戦わないです。
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この回答へのお礼

なるほど 丁寧なご回答ありがとうございます
あともう一つなのですが
心は物理的なプロセスによって動いているとゆう証明はこの先できるのでしょうか? ジョンサールがそう主張しているようなのですが
また 意識研究をしている金井良太とゆう人は50年後には意識のメカニズムが解明されているとしています
またレイカーツワイルは精神転送が可能になっているとか
やっぱり心は物理的な動きでしかないのでしょうか?

お礼日時:2017/05/05 13:26

その発生プロセスが明確になれば、他の説明は否定できます。



全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に
詰め込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、
認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は
光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、
自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。

しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に
生じるもので、根源的に絶対化しようとすると、元の無限
不確定性に発散します。
実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との
相対によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持って
います。
客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。
認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。

我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」
ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、
認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、
その経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として
時空的広がりは発生しているのです。
無の不確定性無限の潜在としての、「自我仮説性」の相補と
しての「時空仮説性」。
「相補」というのは、絶対時空を否定し、認識体との相対に
おいてしか時空は計量できないとする相対性理論や、同じく
認識体が現象表面的に物事を捉え、本質的に決定しない事に
より有限的存在性は生じるとする不確定性原理といったものを
伴う時空、ということです。

即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確
定性(h)の収束におけるhの減少の時系列化である時、それが
架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的空間
性が、超光速(過去=経験=時間)と光速下(未来=予測=空間)に
相補分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説的に直交基底を
なす事によって相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面
的定性化における有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。
「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補と
して生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という
無の射影として、存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです。
「人に魂のようなものの有る無しは 完全に肯」の回答画像2
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学問体系にないので、物理科学的考察は出せません。

それをオカルト(非科学的)と呼びます
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