プロが教えるわが家の防犯対策術!

日本語が乱れているという人がいます。

言葉に限らず、多くのものが時間変化するのは
珍しくないと思うのですが。

・言葉が変化することは悪いことなのでしょうか。(大昔の言葉を今も使うのがいいこと?)
・変化を許すとして、変化の傾向に「この変化はいい変化」「この変化は悪い変化」などあるのでしょうか。
・起点となるべき時代があるのでしょうか(1980年の日本語が一番正しい、とか)。
・新しい言葉を作る人はだれ?(若者、社会人、言語学者などの専門家?)
・言葉の使い方が変わるのは不愉快なものでしょうか。

A 回答 (18件中1~10件)

>>・言葉が変化することは悪いことなのでしょうか。



別に悪くは無いですが、原子力発電所の廃棄物を10万年地下深く保存すると政府は言っています、言葉、文字が10万年受け継がれるでしょうか?
怖いです。
茨城県の原子力施設でビニール袋が破裂して作業員が被爆しました、たかだか40年程度で。
多分、その時点その時点の総理大臣が、自分の言葉が10万年続いて、理解され続くと思っているのかもしれません。

>>・変化を許すとして、変化の傾向に「この変化はいい変化」「この変化は悪い変化」などあるのでしょうか。

良いも悪いも無い。

>>・起点となるべき時代があるのでしょうか(1980年の日本語が一番正しい、とか)。

起点もなければ変化後の最良も無い。移ろい変わっていくだけ。

>>・新しい言葉を作る人はだれ?(若者、社会人、言語学者などの専門家?)

JKだったり、作詞家だったり。
昔、JK達が、ポケベルに新しい言葉、文字を作り出しました。それが続けば今では古いけど未だ続いていたのでしょうが、ポケベルがなくなっちゃったし、ポケベルが買えない世代も未だ生きていますが。
作詞家では、さだまさしかな。秋桜、さだまさしの造語だそうです。

>>・言葉の使い方が変わるのは不愉快なものでしょうか。

自分たちが普通と思って使っていたものが別の勢力に変えられると、不愉快でしょうね。
でも、その人達も昔、更に古い世代から言葉を変えて奪い取った歴史が有るはずなんですが。

だから、流れのままに。
わたし、若者言葉を女性がしゃべるのは、いくらでも許容できますが、男がしゃべるのは文句を言いたくなります。
私の地方の方言は、敬語が有りません、なので、話す顔を見て話さないと、今の時代、キレられます。
わたしがしゃべる方言、言葉に起こすと、自分でも理解不能の部分があります。
    • good
    • 0

言葉の乱れは世の中のご時世に流された結果から来るもの過去の教科書的な言葉も次々変わっていく世の中です。


社会にうつろいゆくうものではないですか?
歌謡曲のように。
    • good
    • 0

>・言葉が変化することは悪いことなのでしょうか。


>・言葉の使い方が変わるのは不愉快なものでしょうか。
>・変化を許すとして、変化の傾向に「この変化はいい変化」「この変化は悪い変化」などあるのでしょうか。

この3つはセットですね。

変化する事は悪い事じゃないですけど
使い慣れた人に対しては、不愉快になります
良い悪いも受け止め方です。

ただ、言葉の乱れとはなんでしょうか
1. TPOを使い分けができていない
2. 状況の使い方を間違っている
3. 言葉が変化している

1は主に、尊敬語、謙譲語ができていない場合です。
2は確信犯など従来と違った意味で使われ
 乱れていると思われるケース
3はら抜き言葉の様に、変化するケース

どれも受けて側だと思いますし、これの変化は誰が
変えるのでなく、時代と時間だと思います。
    • good
    • 0

そうね、乱れって言ってしまうのと変化と言うのとだいぶ違う。



正直、聞き苦しい変化は嫌ですね。原型なさすぎとか^_^;なんでも略すのも分からないかも

人により受け取り方違うから難しいけど私は、変化はありだと思います。

いい変化、悪い変化の基準はう~ん、、、
殆どの人に通じるか通じないか?難しいですね
    • good
    • 0

言葉は生き物です。

使われてこそ生き残っていけるので、言葉が市井のなかで同義の言葉の中から生き残りをかけて独自のニュアンスを身につけいく様は、悪いというより逞しいな、と感じます。確かに昔の語義から考えると考えられない使用法のなってしまっているものもあります(特に形容詞)が。。逆に今は使われないことばには、(どれも時代の要請により産まれた言葉でその時代時代の精神を背負っているので、逆にそに濃度が大きかったから日常から姿を消した訳ですから)趣きがあり魅力的なのも確かです。私自身は古えの言葉も大好きです。そう思う人間がいる限り言葉はほろびませんしね(^^)
    • good
    • 0

米国在住です。



日本で大学卒業後、就職し、1982年以降は、英国・米国に居住してきました。祖父母に育てられましたので、もともと、言葉遣いは、明治時代、と呼ばれていました。

言葉は、人間の生活の変化に即して変化してゆくので、止めようがないと思います。

起点となるべき時代:私は、1964年の東京オリンピックがエポックとなるように思います。第二次大戦後の混乱から、世相が落ち着き、ようやく、文化的な生活を営めるようになりました。優れた小説家も輩出しました。それ以前は、文語と口語を近づけた、夏目漱石の出た、文明開化後だったでしょう。

新しい言葉をつくる人は誰?:これについては、私も、ここ十年ほど、気になっていました。

外来語に例をとると、IT用語はそのまま輸入され、英語に直したときでも、翻訳が楽です。しかしながら、セクハラ・モラハラに続いて、ヌーハラというのが出たときに、首をひねりました。一見、外来語風ですが、どこをどうしても、英語にはなりません。他にも、英語風・外来語風のカタカナ単語で、すでに、英語にならないものがたくさんありません。いったい、誰が考えているのか。。。

ここ最近、YouTubeで検索してみると、実に、バラエティ番組が多く、夥しい数の芸人さんが出演しています。それらの芸人さんは、討論を戦わせるためにそこにいるのではなく、十秒以内に、何か、面白いことを、ぱっと言わなくてはなりません。私は、これが、日本語を変えているのではないか、と、ごく最近、思うようになりました。

本を読まず、テレビや漫画で情報収集をする一般国民が、面白くて、耳新しい言葉をインターネット(これもネットでは英語になりません)で拡散し、新しい日本語を形作っているように思われます。

言葉が変わってゆくのは、不可避ですが、私が危惧するのは、自分の主張を述べ、相手の主張と妥協点を見つけてゆくための言葉が、”面白ければよい”というふうに思われてゆくのではないか、ということです。

美しいか、否か、という点も、もう一つではないでしょうか。

それでは、美しい言葉の回帰のためには、何が起きればよいか。。。明治人間の私は、偉大な小説家あるいは、偉大な詩人の登場に期待しますが、自分でも、時代遅れだなぁ、と思います。
    • good
    • 1

>どんな変化でも必要ならばOKいいということですね。


状況や物や、心情でも構いませんが、新奇なことに出会い表現したいが上手く言葉にならないもどかしさを満たす言葉なら、OKということです。
    • good
    • 0

あなたのいう言葉の変化という概念には、外来語の輸入と同化など量的な拡大も含まれるのでしょうか? ご自分の質問文をもう一度読み直されてはいかがでしょう。


コンビニは、コンビニエンスストアを輸入し、縮約して日本語として使いやすく同化したもので、外国人には意味不明です。学術・技術系のみならず多分野で言葉の輸入拡大は続くものと思いますが、これも変化の内でしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あらゆる意味で「変化」です。拡大も変化だと思います。
言葉が輸入されればそれも変化ではないですか。

お礼日時:2017/07/14 21:03

>人間の感情と無関係なので、あまり良いことではないですね。



以下のように回答しました。「そのこと」には仰る意味も含ませたつもりです。

日々新しい状況が生まれ、「そのこと」及びそのことから生じる人間の心情を言葉で表現する必要を人間は感じるからです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どんな変化でも必要ならばOKいいということですね。

お礼日時:2017/07/14 17:11

#6です。

お礼ありがとうございます。

ちょっと補足です。言葉の乱れというのか、言葉の変化というのか、どちらでもいいのですが、はっきり言ってこれは「同じこと」です。見る人によっては「乱れ」であり、許容する人からすれば「変化」であるわけです。

たとえば「全然」と言う言葉があります。

この言葉、明治時代までは「全然~~ある」という肯定形のいい方もできました。確か夏目漱石の小説にでてくるはずです(学校でそう習いました)

ところが、私が子供だった30年前では「全然~~ない」という否定形が正しく、肯定形はまちがっているとされていました。私と同年代の人なら、これに同意するはずです。いまでも辞典などにはこの否定形での用法が正しい、と書かれているようです。

ところが20年ほど前から「全然○○ある」と言う言葉使いがでてきました。これは明治期の用法とは少し違うのですが、でも肯定形の文章で使えることは同じで、先祖返りした用法ともいえるでしょう。

ちなみにwikiに詳しく載っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E7%84%B6

もう一つ「貴様」と言う言葉もご紹介しましょう。
この言葉、鎌倉時代ぐらいに出来た言葉で、今でいう「貴殿」とか「あなた様」と同様の意味を持っていました。つまり「敬語」で武士たちが手紙のやり取りをするときに「あなた様」という意味で「貴様」と表現していました。

ところが、江戸時代ぐらいになると、庶民も「貴様」を使うようになり、これがだんだんと「キサマ!」と罵倒するような用法に変化していきます。江戸時代ぐらいの時代劇で「貴様、名を名乗れ!」というのは正しいのですが、これが鎌倉時代だとニュアンスとして間違っている、ということになります。

ですから、言葉の変化・乱れ、というのはあくまでも「その人の持っている基準」にすぎないのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

要は、
「みんな、自分が理想とする言葉遣い(必ずしも自分の言葉ではない)が正しい」
ということですね。

まあ、おっしゃるとおりだと思いますし、私も内心そう思って質問しましたし、
みんな概ね同じ意見のようです。

にもかかわらず
「言葉が乱れている」
と嘆く人は何なんでしょうかね。

お礼日時:2017/07/14 16:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!