アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています。

太平洋戦争中に空爆で大都市は灰燼に帰しましたが、大都市以外はどうだったのでしょうか?

日本は焦土から立ち直った凄い国という意見が昔からありますが、どうして日本は焦土となったのに戦後の闇市や農村へ買出しが行なえたのでしょうか?

A 回答 (9件)

昭和15年、アメリカは国勢調査の都市別人口調査結果をもとにとして、


空襲目標たる180の中小都市を選定しました。

東京、大阪、名古屋、横浜、神戸、川崎及び尼崎は既に行われた空襲によって
破壊されており、また京都、広島、新潟及び小倉は原爆投下の対象都市となった
ので除外され、昭和20年、空襲目標は最終的に137都市に絞られます。

空襲は昭和20年8月15日の終戦当日まで続き、被災人口は970万人に及びます。
被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割
にあたる約223万戸が被災しました。

その他、多くの国宝・重要文化財が焼失。
米国戦略爆撃調査団は30万人以上の死者、1,500万人が家を消失。


地方都市の空襲で一例を挙げると、

富山空襲では、米軍は「目標の99.5%を破壊した」と報告しており、
市街地における個人の住宅はほとんどすべてが消失し、戦災を免れた
ものはわずかに市街を離れた地域にあった西田地方や新庄等の地域の
うちの少数に過ぎませんでした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災しました。
たった2割なのですか?、残りの8割は被災しなかったのでしょうか?。
焦土化というなら、8割、9割が被災しているのでは。

お礼日時:2017/07/23 15:05

ご存じと思いますが、敗戦後は、朝鮮半島やインドシナ半島で泥沼の戦争があり、その軍装品生活物資等の巨大需要が発生したため、アメリカ資本の支援の元、それを供給する形で日本の産業は急速に復興してきたわけです。

都市市民の買い出しの資金として、またインフラの回復にもこうした金の流れもあったものと思います。朝鮮戦争もベトナム戦争もなければ、もっと悲惨な風景だったろうと思うと、とても複雑な感じがします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

戦後の復興に関しては、別の機会で。
ただ、ご存知だと思いますが日本は国民の多くを海外へ売り払うことで、人口問題と貧困を解消した経緯があります。

お礼日時:2017/07/30 02:48

>石炭という資源はあったのではないでしょうか



労働者もたくさんいましたし石炭は豊富にありました。深いところに鉱脈が多いのでコストが高い、大きな人身事故が多発しました。常磐ハワイアンセンターやハウステンボスがその失業対策として作られました。コストが低く扱いやすい石油に主要エネルギーを転換したのです。反発も大きかったが大きな決断でした。
>金、銀、銅を採掘し、海外
海外より安い良好な鉱脈はありますが量は多くないです。主要な資源は無い方が海外から安く調達できるから有利です。

②言論が恐ろしく退廃しています。退廃していないのは、いつ頃だと御考えでしょうか。
主幹になりますが

退廃、大衆迎合、印象操作、新聞社の使命感がうすれ話題性、売る上げ中心になったのは80年代初頭だと言われています
戦前は新聞の与える社会へ影響力が大きかったこと、拡販の為に戦争を煽り国を滅亡させたのは戦前です。戦争強硬論は軍部よりマスコミの方が強かったのです。戦争は新聞が売れるのです。
戦後は政権礼賛では記事が作りにくいし売りにくい。政権交代がないので政府の機関誌になりますからどうしても左寄りになります。

ハッキリ世論誘導しだしたのは二中国交回復後、朝日の靖国。慰安婦、教科書、近隣条項等の問題を煽って捏造した80年代前半でした。このころから新聞界を主導していた朝日新聞社内にチャイナスクールが権力を持ち中国の意向を執筆する人が主導権をにぎります。朝日新聞は中国の検閲を受けていると言われました。特に靖国問題を憲法問題から国際問題と引っ掻き回し国論を二分させたのは取り返しのつかない間違いでした。

文化風俗についてはいつの時代も国民は自由に楽しんでいます。道徳といったものはその時代生活レベルによります。

中国の嫌がる政権は弱体化させ引きずりおろす傾向が強くなったのは、第一次安倍内閣の時の安倍おろしのころから顕著になったと思います。政局に拘り本筋を見誤り視聴率稼ぎで本筋を隠す尋常でない最近の報道はネット時代にかなり存続の危機感を持っているからだと思います。

報道していないのでしょうか?。報道しているメディアも結構あると思いますが。

昨日の国会証言冒頭加戸知事の「メディアには報道しない自由が有りますので私の発言が報道されなくても全く抗議するつもりはありません」はメディアに携わる人は吃驚したでしょう。前回の国会証言を朝日、毎日は放映ゼロ、NHKも少し触れるだけ、ネットで話題になりましたね。昨日は少し取り上げました。

森友の土地も実売価格は買戻し特約、瑕疵担保責任なし、地歴からして1億円しないただ同然の土地を財務省が巧みに売りつけたというのが真相.
籠池が発狂して100万円をもって安倍さんを追いかけまわしているのは「国に騙された責任取れと」怒っているんです。本当に9億4000万の土地を1億4000万で買ったのなら売却して8億円儲ければいいのです。誰も買う人いませんね。あと暴力団、関係、在日団体等、大阪独特のタブーが絡んでいる土地なんだす
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>石炭は豊富にありました。
資源はあったで、間違いないでしょう。

世論誘導と退廃は別物ではないでしょうか?。
そして、マスメディアというのは地上波や大手新聞だけではないでしょう。

お礼日時:2017/07/30 02:41

敗戦時焦土化したと言えども日本には世界最高クラスの工業技術と教育、文化、知識が国民に残されていました。

間もなくプロ野球も再開し、人々は困難にめげず働き勉強に励みました。そして経済発達に必要な条件がすべて揃っていたのです。まず人口の増加、資源がないので国内産業を保護することなく当時の一番安価な資源を世界中から買う事が出来ました。その過程で石炭産業は壊滅しましたが・・性能が優れて安価な製品を世界中に売りまくりました。ドイツのように分裂国家にもなりませんでしたので一時は欧州に匹敵するGDPまで発達しました。ただ現在は言論が恐ろしく退廃しています。国民を誤った方向に導く報道しない自由が世論を支配しています。ネット社会でも抗う事は難しい状況です。最近の一連の報道に隠れて中国の軍艦が日本の領海を我物顔で行き来視しています。以前の報道をされていた時より多くの中国船が行きかい日本の漁船が被害にあっていても報道は加計、森友で浮かれれています。報道は危機的な状況と言えます
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

良く理解できない事が幾つかあります。

①「資源がないので」、「石炭産業は壊滅しました」。石炭という資源はあったのではないでしょうか?。
また、日本は鉄鉱石は採掘できませんが、金、銀、銅を採掘し、海外へ輸出をしていたと思っていたのですが。

②言論が恐ろしく退廃しています。
退廃していないのは、いつ頃だと御考えでしょうか?。
暗殺が横行し、エログロナンセンスが大流行した戦前、言論統制中に関わらずクーデターを起きてしまった戦中とは違うでしょうし、カストリ雑誌が濫造された混乱期、安保闘争や共産テロは起こり、ヤクザ映画が流行った成長期、セルビデオやグロ系オリジナルビデオが流行った80年代、90年代、そして00年代以降のサブカル。どの時代が退廃していない、という考えなのでしょうか。

③国民を誤った方向に導く報道しない自由が世論を支配しています。
報道していないのでしょうか?。報道しているメディアも結構あると思いますが。

お礼日時:2017/07/25 22:56

第一攻撃目標は「軍事施設、軍需工場」です。


アメリカだって武器弾薬を生産する資金集めに必死な時だったので
田畑に爆弾を投下したところで誰も喜ばないどころか、
自国民からバカにされ戦争反対運動が起きるというものです。

>戦後の闇市や農村へ買出しが行なえたのでしょうか?
 日本人皆殺し作戦では無かったので、
 農村地への爆撃は基本的になかったから、それなりに食糧はあった訳です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>アメリカだって武器弾薬を生産する資金集めに必死な時だった
そうだったのですか。もっと爆弾が腐るほど持っていたイメージだったので、以外です。
食糧はあったのですね。

お礼日時:2017/07/25 22:32

農村の方が都市に比べて食料があったからです。


街でも家庭菜園が推奨されていましたが、それは焼けてしまいました。
田舎ならば空襲の被害も少なく、山や川からの恵みありましたので、都会に比べたら食料事情はマシだったのです。

都市の空襲の被害状況については、以下のページが軽く参考になります。

総務省 一般戦没者 国内各都市の戦災状況のページ
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/ …

こちらは軍関係、工場都市の被害があった大都市中心ですので、ウィキペディアで 日本本土空襲 の項も調べてみてください。
こちらの方が空襲を受けた都市名が多いですが、それでも全てではないと思います。

宇和島市の空襲に合った人から話を聞いたことがありますが、それが載っていないため、他にも載っていない町があると思われるます。
また、祖母が暮らしていた田舎町も爆撃されて数軒の家が燃えたそうですし、汽車が機銃掃射に合い、死者がでたこともあったそうですから、日本全国でそのような小さな被害があったことでしょう。


大地があるだけでは国にはなりません。
そこを耕し、産業に携わり、生活する人がいて初めて国と呼べます。

今のように農業が機械化されていない当時、働き盛りの男手を兵隊にとられ、農耕用の牛馬も供出させられ、老人と子供、女だけで農業を担うのはどれだけたいへんだったでしょう。
元々農家には余分な人手などありません。
子供から老人まで、家族全員で農作業をして、ようやくそこそこの暮らしができていました。
そこから一番役に立つ人材がいなくなるので、生産力は落ちます。
元々都市と比べると貧しい暮らしだった農村です。
厳しい労働と粗末な食事で疲弊します。
生産力は落ち、都市に流れる食料も減り、配給制度が取り入れられます。
都市住民は飢えます。

空襲や戦死、言論統制など緊張が身近にあり、将来の見えない困難な日常。
いつ果てるとも知れないさまざまな制限がかかった暮らし。
人の心に希望の少ない、肉体的にも精神的にも疲れ切った状況。
物理的に「焼けた土地」というだけでなく、これも含めて焦土なのだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

それは、焼けた土地にはならないでしょう。
希望が少なく、肉体や精神が疲れ切っている状況を「焦土」と呼ぶなら、現在のベネズエラも焦土と言っても良くなります。

お礼日時:2017/07/30 02:43

>日本全土が焦土化して、立ち直ったなら凄まじいと思ったのですが、かなり残っていたのですね。


 ↑
きっと原爆被害と混同していたのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>きっと原爆被害と混同していたのでしょう。
それは大丈夫です。どちらかと言えば、東京大空襲後です。

お礼日時:2017/07/23 23:59

焦土になったのは、軍関係の基地や軍港、工場施設だから。


それと40万人以上の大都市。

なので津々浦々まで焦土化した訳でない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>津々浦々まで焦土化した訳でない。
そうなのですか。
日本全土が焦土化して、立ち直ったなら凄まじいと思ったのですが、かなり残っていたのですね。

お礼日時:2017/07/23 15:07

太平洋戦争で、日本の47都道府県は全て米軍の爆撃にあい、日本中が灰燼に帰したようなイメージがありますが、一万名以上の死者が出たのは、広島、長崎を除いて、東京、大阪、愛知の三大都市圏だけで、それ以外の道府県での死者は数十名から数千名です。

 終戦時に国電(大阪(京阪神)や東京(首都圏)の2大都市圏で、今のJR近距離専用電車が走る区間の総称)は時刻表通りに動いており、広島の路面電車も被爆後3日で動き出したほどで、各地である程度のインフラは確保されていたようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>時刻表通りに動いており、広島の路面電車も被爆後3日で動き出した
それは凄いですね。
日本が優秀なのか、それともアメリカ軍の作戦が優秀だったのか(インフラを破壊せずに、戦力を削っていく)。

お礼日時:2017/07/23 15:02

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!