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第2次世界大戦で、日本はドイツが降伏した後もしばらく戦い続け、原爆を2発落とされてようやく降伏します。
日本、ドイツ、イタリアの3国のうち、日本がドイツよりも長く戦争を続けた・続けることが可能だった理由は何でしょうか?
ドイツは本土決戦を行い首都陥落まで徹底抗戦したのに、日本本土は空爆はあったものの戦場になっていませんでした。

質問者からの補足コメント

  • 軍上層部のプライドと意地って、それはベルリン陥落まで戦ったナチス軍の方があるように思いますが、いかが?

    沖縄戦では日本軍兵士を大量に投入しており、見捨てたわけではないと思いますが、いかが?

    ドイツ軍はフランスと戦っていたって?ご冗談を。ヴィシー政権はドイツに協力していたのはご存知?

    あと、アジア地域は連合国軍によって簡単に鎮圧されたって?
    インドネシア、ベトナム、シンガポール、台湾、朝鮮半島は降伏まで無傷でしたよ。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/08/08 12:58
  • こちらも議論するつもりはないですが、事実関係を誤認して、そして自分の主観的意見を散りばめて日本を貶める方向に文章を展開しているので補足したまでです。

    アジアの日本軍は簡単に鎮圧されたわけではなく、日米両軍の必死の戦闘の結果、終盤の日本軍は劣勢になったのです。
    簡単に鎮圧されたという表現は旧日本軍を貶めるだけでなく、莫大な犠牲を出しながらも必死に戦った米国軍兵士をも冒涜することになりますので、私は不快感を感じた次第です。
    それでは、これまで。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/08/08 18:27
  • おっしゃる通り、硫黄島の戦いも沖縄戦も、アメリカ軍は日本軍の5倍の戦力を投入し、莫大な犠牲を払ってようやく占領したという感じですから、簡単に鎮圧したわけではないです。

    なぜか簡単に負けたかのように思っている日本人は多いですが、アメリカも国家総動員体制だったのです。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/08/08 21:44
  • まず、ソースが不明ですね。それぞれの根拠史料を示してください。

    欧州戦線の方が投入した戦力が多いということですね。おさらいをしますが、
    欧州戦線でアメリカが戦った国: ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランド、ブルガリア
    太平洋戦線でアメリカが戦った国: 日本 ← たった1か国で戦っています。国の数からいって欧州戦線の方が多いのは当たり前です。

    また、欧州戦線の方がアメリカ軍の死者が多いということですが、兵隊主体の陸戦と、艦艇主体の海戦では、死者数に差がでるのは当たり前です。

    あと、ルソン島の戦いですが、日本軍の死者のほとんどが病死です。補給が断たれて餓死やマラリアによる死者が続出したことが、日本軍の死者が多かった理由です。単純に比べられません。

    最後に、日本軍とドイツ軍の死者数を比べてみます
    日本軍:約200万人
    ドイツ軍:約500万人 ← 日本軍の倍以上!

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/08/10 23:39
  • 日本に正規部隊は送っていないって、それでは最強とも言われるアメリカ正規海軍は1年間どこで戦っていたの?欧州戦線ではほとんど海戦が行われていないのですよ。

    ドイツがトップクラスの科学技術国と称賛されていますが、ドイツはアメリカでなく、アメリカより遥かに遅れたソ連にボコボコにされています。
    一方、日本が負けたのは名実ともに世界の最先進国だったアメリカで、ソ連とは最後戦うものの、覚醒したアメリカから原爆を2発受けて降伏しています。

    当時の二流国であるソ連に負けたドイツと、超大国アメリカが核爆弾を使ってようやく降伏した日本の、一体どちらが強いんでしょうねw

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/08/11 08:05

A 回答 (16件中1~10件)

日本が島国だったこと、ドイツが陸続きの国であり、ソ連と戦闘があったことが戦争終結の時期に違いが出た原因です。



ドイツが戦った相手は当初はイギリス・フランスなどのヨーロッパ諸国とソ連、つまり陸続きの攻防戦です。ドイツは優秀な兵器をもち、特にアメリカに対してはUボートが活躍してアメリカからの物資援助もアメリカの軍艦も寄せ付けませんでした。

また、機甲師団も優秀でヨーロッパ戦線で瞬く間にフランスやソ連の一部を占領していったわけです。ですからいわゆる西部戦線は順調であったといえます。

しかし、ソ連と対決している東部戦線はソ連の全面的な対決姿勢により、不利な状況が続き、結果としてソ連の反撃とそれに呼応したアメリカのノルマンディー上陸作戦により、窮地に立たされます。

ソ連は対ドイツ戦に集中するため、日本とは日ソ中立条約で対抗しない姿勢でしたので、日本よりもドイツの降伏が早かったのはこれがもっとも大きな理由のひとつになるでしょう。

日本の場合、戦線としては二つありました。
・中国大陸から東南アジアに延びる植民地での陸軍の戦闘
・戦略的要所を抑えるための太平洋でのアメリカとの戦闘
です。

植民地に置いてある軍隊は本国に比べれば2流であり、日本陸軍の快進撃は「本国が近く補給などが受けやすいかどうか」で違いがでました。本国から遠い、各国の植民地の軍隊は日本軍に負け続け、本国からの補給も行き届いていなかったといえます。

アメリカはこれらにも援助していたわけですが、アジア大陸はアメリカ本土からも遠いこと、アジア大陸に行くには日本の哨戒網を突破することが必要だったために、アメリカと日本の戦いは主に太平洋での海洋戦になっていきます。

アメリカは「とにかく日本がもっている島々を攻略しないとダメだ」ということで、ミッドウエー海戦で有利になると日本の要衝である、パラオやガダルカナル島、グアム島やサイパン島などを攻略していきます。

アメリカが予想外だったのは、日本軍が全滅するまで戦いをやめなかったことでしょう。これにより日本本土攻撃がどんどん遅くなっていったわけです。

陸地の戦いは、一旦均衡が破れれば一気に本土に迫ることができます。ドイツは結局東部戦線も西部戦線も失い、両側から押しつぶされる形で敗戦に至ります。

その時、日本のほうは「まだ島嶼部を攻略中」であり、島嶼部はひとつづつつぶさないと、思わぬ反撃を受けることになります。ですからパラオなど南太平洋のアメリカ本土に近いところから丹念につぶして行って、サイパンを攻略したら本土爆撃をしつつ、沖縄・硫黄島そしてようやく日本本土に総攻撃ができるところまで行ったのが、ドイツ降伏の後だったわけです。

また、日本は最大兵力を動員できるソ連と中立状態でしたから、ソ連との戦いを考慮しないで戦争を進められました。ソ連はドイツ降伏後、アメリカの要請で対日戦線を開く予定でしたが、広いユーラシア大陸の西側から東側に兵員を移動するだけで半年かかり、それが結局日本の降伏を遅らせる原因にもなっていきます。

結局日本が最後まで本土決戦を避けられたのは「島国だったから」にほかなりません。島国の戦略の最大のものは「敵が本土に至る前に殲滅する」ということです。

ですから、日本は大戦前から太平洋上の各島嶼を戦略的拠点として整備し、アメリカはそれをひとつづつつぶさないと本土にたどり着けなかった、ということです。ただ、ソ連が最初から戦争に参加していれば、満州と朝鮮さらに日本海でも海戦が必要になり、日本海軍も二方面作戦を強いられて降伏の時期は早まったでしょう。

ということで、ドイツよりも長く戦争が出来たのは
・アメリカとの戦いは海戦が主体だったこと
・ソ連との開戦が終戦時までなかったこと
ということでしょう。
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連投になってしまい申し訳ありません。


 本題に対する回答を完結にまとめます。
感情的になら客観的かつ冷静にデータをみてください。
 以下結論↓↓↓


「日本軍はドイツと比較して圧倒的に弱かったので、英米はドイツを打倒あるいは欧州戦線を安定させてから日本の相手をすればいい程度にしかかんがえていなかった(事実その通り)だから日本は後回しにされドイツより降伏があとになった)


以下理由↓↓↓

  「日本軍とドイツは現代で比較すると、北朝鮮とアメリカほどの経済格差(一人当たり)があった。 逆に言えばドイツは世界トップクラスの経済大国かつ科学技術大国であり、その世界トップクラスの先進国がナチスによる独裁国家だった。 勿論当然だが日本とドイツを比較すればどちらが脅威かは明確。片方はソ連を除けばアメリカの次ぐ世界第二の経済科学大国かつ工業先進国。もう一方の国は国民は貧しい暮らしをしてるにもかかわらず、国家予算の8割を軍事ばかりにつぎ込む絹織物主体の軽工業後進国。現代で比較するならば正に北朝鮮がぴったりだろう。勿論英米といえども戦力は限られている。その戦力をどちらに割り当てるべきかは考えるまでもなくドイツ。
 だからアメリカは日本に奇襲攻撃されても本国からの正規部隊は1年間も送らずに太平洋を放置していた。これらのことからも如何にドイツが激しい攻撃を受けたかはわかるはず。


よく日本軍はアメリカと激闘を繰り広げたとの勘違いしておられる方が日本には多いです。それは日本ばかりに焦点を当てた番組や記事が多いために第二次世界当時の日本を客観的に相対的に比較していない為におきている誤解です。
この回答への補足あり
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>>日本軍:約200万人


ドイツ軍:約500万人 ← 日本軍の倍以上!

むしろドイツの死者が日本の倍程度であることのほうがはるかに驚く事なんですよ。 逆にその指摘が日本軍の弱さを物語っています。
アメリカ軍太平洋戦争戦死者 10万人
 1941~1945
アメリカ軍 西部戦線戦死者 約20万 1944~1945

ドイツ軍西部戦線戦死者 約35万 1944~1945

ドイツ東部戦線戦死者 約490万 1941~1945

西部戦線と東部戦線の双方において、
ドイツ軍対連合軍のキルレシオはドイツ軍有利です。
西部戦線の戦死者数は1:1.8程度でドイツ優勢。
東部戦線の戦死者数は1:2~3程度でドイツ優勢です。

ドイツ軍が如何に驚異的な戦闘効率を持っていた軍隊かわかりますよね?

まあこれは当然で良く訓練され、士気旺盛かつ武装良好な先進国同士の戦いにおいて双方の損害は等しくなるのです。 
アメリカイギリス対ドイツの西部戦線がまさにそれです
一流の先進国同士の戦闘は同等の損害を双方にもたらします。

補足で質問者様がドイツ軍の戦死者の多さを指摘しましたが当然です。第二次世界大戦において太平洋戦争は極東の局地戦程度だからです。

大平洋戦争がいかに小規模だったかを比較すればドイツ軍が如何に大規模戦争をしていたかがわかります

 正直海外の多くでは太平洋戦争があったことすら知らない人が大半です。パールハーバーと原爆ぐらいでしょうか。知ってても



一応独ソ戦と比較しておきましょうか
簡単に比較してみましょう
日米がとんでもない規模の大戦争をしてたと恥ずかしい勘違いをしてる方が多いですからね
まず太平洋戦線の有名な戦い、主に地上戦のものをあげてみましょうか。
タラワ島の戦いが、日本軍約5千で、米軍が1万6千。
ペリリュー島の戦いが、日本軍約1万で、米軍が約5万。
硫黄島の戦いが、日本軍約2万1千で、米軍が約11万。
大規模な戦いとなると、
サイパン島の戦いが、日本軍約3万で、米軍約6万6千。
フィリピンの戦いが、日本軍約30万で、米軍が約40万。
沖縄戦が、日本軍約12万で、米軍が55万です。

それに対して独ソ戦をあげてみましょう。
開戦のバルバロッサ作戦で、独軍は300万の兵力となっています。ソ連軍は信用できる資料が残っていないらしくよく分りません。
キエフ攻防戦では、ソ連軍は独軍に包囲されなんと65万人もの捕虜を出しています。秋口にはヴァジマ・ブリャンスクで50万人包囲されました。
モスクワ攻防戦が、独軍100万に対して、ソ連軍は125万か、それ以上。
スターリングラードの戦いにもなったブラウ作戦が、述べたように独軍130万で、ソ連軍はそれ以上。そのスターリングラードがソ連軍によって包囲されたのが、ウラヌス作戦でソ連軍は少なくとも114万以上。独軍にいたっては負け戦のせいもありどの程度の兵力か不明です。
独軍最後の大反撃、クルスク作戦が独軍80万、ソ連軍130万です。
ソ連軍の大反撃、バグラチオン作戦となると独軍85万に対してソ連軍は125万になります。
最後のベルリン攻防戦では、独軍は100万をなんとか集めますが、ソ連軍は200万を超える将兵が参加しています。
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ソースに関して


各国の戦費に関して。
出版 浜島書店 ニューステージ世界史詳覧  1998年改訂版

ドイツ 日本 本土爆撃に関して

ドイツ本土戦略爆撃 大内健二著

その他の戦死者に関するデータはネットで調べればいくらでも出てきます

 


前の文でも出しましたが、そもそも日本軍はアメリカイギリスにとって全く脅威では有りませんでした。それは誇張ではなく全くです。日本人からすると受け入れがたいですが事実ですので、日本軍を美化することなく客観的にデータに向き合ってほしいです。
勿論、ドキュメンタリーなどでは日本軍は手ごわかったなどと言いますが、それらはリップサービスです。

先ほどを示しましたがアメリカは日本には負けるとは全く考えていませんでした。そして手強い相手だとも考えていませんでした。当時の最も恐れられていたのなナチスドイツです。連合国はドイツに負けることはあっても、日本はそもそも脅威ではなく、ドイツを倒してからその後相手をする予定でした。

勿論ドイツは世界第三位の超経済大国かつ欧州随一の工業先進国でしたからその脅威は当然です。



当時の日本は今の北朝鮮と全く同じで国民の生活を完全に犠牲にした上で国家予算の大半を軍事費をに傾倒した典型的な非民主的軍事国家です。
それは当時の日本の主要産業が軽工業だったことからも明らかです。




毎日新聞



日本経済の実態 生糸、綿織物頼み「重工業国」の段階にほど遠く

日本はまだ、欧米のような重工業国の段階には達していなかった。このことは主要な輸出品に顕著に表れており、1940年の輸出額(36億5600万円)のうち、生糸(4億4606万円)、綿織物(3億9913万円)、衣類(1億3859万円)でほぼ4分の1を占めていた。

日本の主要輸出品 = 1940年



出典:「外国貿易月表」財務省 / 「日本統計年鑑」総務省など

産業構造においても、十分な工業化には至っていなかった。同年の国民所得(309億7300万円)における経済活動別の割合をみると、製造業は最多の30.0%。一方で、農業も19.1%を占めている。

日本の経済活動別国民所得 = 1940年



出典:「国民所得白書」内閣府

「輸入原料に依存する貧弱な日本」米分析



日本の戦争経済の実態を調査するため、米国のハリー・トルーマン大統領は終戦直後に「アメリカ合衆国戦略爆撃調査団」を派遣した。その調査によると、日本の重工業と軽工業の製品比率は1930年には38.2%対61.8%だった。構造転換を目指した努力によって、1937年には57.8%対42.2%と逆転。ただし、各種原料の確保は「依然として日本の工業生産を制約する要因」だった。日本が重工業化のために進出した満州と中国・華北地方からの資源輸入は限定的だったと指摘したうえで、同調査団は次のように結論づけている。

「日本の軍事工業は比較的小さくかつ新しく建設されたものであるから能力には余力というものがなかった。兵器生産の経験や他に大量生産の産業も少ない日本では、工業的機械学的に熟練した労働力を作り上げることができなかった。これは後日経済が大規模な戦闘のため逼迫(ひっぱく)したとき、熟練の不足、創意の不足、即席にものをつくる能力の欠如を意味していた」

「要するに日本という国は本質的には小国で、輸入原料に依存する産業構造を持てる貧弱な国であって、あらゆる型の近代的攻撃に対して無防備だった。手から口への、全くその日暮らしの日本経済には余力というものがなく、緊急事態に処する術(すべ)がなかった」
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>>何故日本がドイツより長く戦えたか?



日本が1945年まで戦えたのはヨーロッパ戦線でドイツ軍がアメリカ軍とイギリス軍の主力部隊を引き付けていたからなんです。
 もし仮にドイツがいなければ日本軍はイタリア軍が降伏した1943年とほぼ同時期に本土に侵攻されて大敗北していたでしょうねえ

 
 
驚くべきことに真珠湾攻撃により日本から先制攻撃を受けたアメリカは、その兵力の8割を即座に太平洋ではなく「北アフリカ戦線:」に送ったのです。先に攻撃してきた日本軍を放置してその兵力の大半をヨーロッパに送ったのです。どれほど日本軍がとるに足らない存在だったかが当時のアメリカの行動から読み取れます。





まず結論から言います。


日本の国力や技術力、一人当たりGDPそのたすべてがイタリアより下

日本が緒戦で戦っていたのはアメリカイギリスの植民地軍。
その中身は現地人やインド人が7割を占めた混成部隊で、あくまで植民地での反乱を鎮圧する部隊であった。
その証拠に日本はアメリカの正規軍である、アメリカ海兵隊第一師団との初めての戦いであるガダルカナル戦以降いっさいの勝利がない
日本が宣戦布告してから、1年1ッか月もの間、アメリカは太平洋方面に一切本国の正規軍すら派遣せずに植民地軍で放置していた
5大列強とか言ってるのは日本だけ
世界じゃ日本が優れていた国だった
なんてだれも思ってない

東洋の小国


今の北朝鮮と同じ扱い」

↑これが真実です。

いくつかデータを示します

まず以下のデータをご覧ください。
「第二次世界大戦各国戦費」(特に戦争期間と戦費)

戦費はその当時の国の科学技術力と直結するデータである。
なぜなら技術先進国が第二次世界大戦の主導権を握り、最新技術兵器はそれだけ費用も高くなる。
一方戦費が少ないということはそれだけ
旧式の兵器を使い、軍事力も弱いということである。 
 ドイツがアメリカに肉薄する戦費だということは特筆に値する。
イタリアの実際の参戦期間は3年程度と非常に短いにも関わらず
戦費は日本の1.8倍にも達します。
一方日本の戦費が同盟国の中でも著しく低いことにも留意すべきである。
これは、科学技術戦争の第二次大戦において、列強と同じ土俵に立っていなかったことを意味する。
またドイツは当時ソ連を除けば世界第二位の経済大国であった。
 

【連合国】
アメリカ約3410億ドル
イギリス約1200億ドル
ソ連約1920億ドル
その他

【枢軸国】
ドイツ約2720億ドル(1939-1945)
イタリア約940億ドル(1940-1943)
日本約560億ドル(1941-1945)
その他

イタリア以上に長期間戦い総動員している日本がイタリア以下の戦費しか使えていません。
フランスはイタリアより上で
イギリスのちょい下の国力

ちなみに、イタリアはこれだけ消費しても
戦後、餓死者を出すような経済的混乱はなかった
日本はアメリカから大量に食料をもらって
かろうじて生きられた
これが当時の国の強さです。大和魂で武装しても砲弾が貫通するわけでも、装甲が厚くなるわけでもありません。
第二次大戦では精神力はなんの強さの指標にもなりません。

また日米の戦死者です。

日本太平洋方面死者(軍人)190万人
アメリカ 太平洋方面死者数 10万(1941~1945)
アメリカ ヨーロッパ方面死者数 30万(1944~1945)




またイタリア軍は弱いといわれますが日本軍よりもはるかに強いです。
イタリア空軍の主力航空機を3機紹介します。日本では知られていませんが海外では日本機よりはるかに有名。

まず1機目。第二次大戦前から大戦にかけて。日本が日中戦争で97式や96式戦闘機を使っていたのと同時期です

MC.200 サエッタ
発動機:フィアット A74RC38空冷星型14気筒×870hp
全備重量:2,208kg
最大速度:512km/h


次に大戦前半期 ちょうどゼロ戦が初飛行したのと同時期のイタリア空軍の主力です。
日本軍のゼロ戦が同時期だと思うとびっくりすると思います。
マッキ MC.202
初飛行:1940年8月10日(因みにゼロ戦が試験飛行に成功したころ)


最大速度:600 km/h (324 knots, 372 mph)
航続距離:765 km
実用上昇限度:11,500 m (37,730 ft)
上昇率:18.1 m/s(3,563 ft/min)



戦争中期 日本が(ゼロ戦52型を主力wにし始めたころ)

マッキ MC.205  運用開始:1943年6月
マッキmc205はP-51D マスタングに引けをとらない高性能であったとも云われている。
馬力:1,475hp
性能
最大速度:640km/h(高度7,500m、400mph)
航続距離:855km
実用上昇限度:11,500 m(37,650ft)
武装(M.C.205V後期生産型)
12.7mm ブレダ-SAFAT 機銃×2(各400発)
20 mm MG151/20 機関砲×2(各250発)


これだけでもイタリアのすごさがわかると思います。


また戦車もイタリアのM13やP26等、同時期の日本戦車チ破たんとは比較になりません。
お調べください。

  イタリア海軍は世界で4番目の規模を持つ海軍でした
しかしムッソリーニの無策で国際的に孤立していたイタリアは、枢軸国側に付く以外に選択肢が無く、
結果として主力艦以外ならば同等の規模を持つフランス海軍と、
数の上でも質でも欧州最強を誇るイギリス海軍を同時に相手にせねば成らない状況下に置かれていたため活躍できなかっただです。

またイタリア陸軍も日本では馬鹿にされていますが、ドイツと共に東部戦線でかなりの戦果を挙げています。
 アフリカやバルカン半島での敗退が良くやり玉に挙げられますが、相手はイギリスやアメリカの正規軍です。
日本もアメリカの正規軍と初めて戦闘した1943年のガダルカナル以降は一切まともな戦争になってません。




また日本軍の弱さに関するデータです

陸軍では、根本的にアメリカ軍が投入した兵力は太平洋戦線よりとヨーロッパ戦線が圧倒的に多い。
陸軍航空隊の兵力は太平洋より15倍近く投入。
実質的な戦闘期間はヨーロッパ戦線の方がかなり短かったにもかかわらず、ヨーロッパ戦線での戦死者は、太平洋戦争での戦死者の2倍(457:969)であり
、圧倒的にヨーロッパ戦線が激戦だった






大西洋方面での連合軍の損害は太平洋の100倍にも上った

Uボートの戦果
空母2、戦艦2、輸送船3000隻程度



ドイツ本土戦略爆撃」 大内健二著より 
ドイツには日本に落とされた10倍以上の爆弾が降りそそぎ、英米爆撃機は1万機が撃墜された。
ドイツ降伏までにドイツ国内に来襲した英米の戦略爆撃機は53万機を越えた。
北朝鮮本土となっている数字は、朝鮮戦争です。


総爆撃参加機数 (機)
ドイツ本土 530223
日本本土 25915 
北朝鮮本土 21330

総爆弾投下量 (t)
ドイツ本土 1643398
日本本土 155000 
北朝鮮本土 167000

総投下爆弾数(発)
ドイツ本土 7296700
日本本土 689000
北朝鮮本土 741000

未帰還機数(機)
ドイツ本土 10665
日本本土 351 
北朝鮮本土 34


推定犠牲搭乗員数(名)
ドイツ本土 43400 
日本本土 1750 
北朝鮮本土 170

国土面積比投下爆弾量 (t/k㎡)
ドイツ本土 4.6 
日本本土 0.4 
北朝鮮本土 1.4

国土面積比投下爆弾数(発/k㎡)
ドイツ本土 20.4 
日本本土 1.8 
北朝鮮本土 6.1


日本軍が有利だった

ルソン島の戦いでは日本25万対アメリカ17万で日本の死者21万アメリカ死者8千
8000人!?文字読める?朝鮮人さん?
日本は21万人殺されてアメリカはたったの8000人(^0^)(笑)
この戦いにおいては数で勝っていて、上陸するというアメリカ側が不利な状況から始まってるのにかかわらず負けてる。



フィリピンのマッカーサーやら、ミッドウェーのF・J・フレッチャー将軍やらマリアナのレイモンド・スプルーアンス将軍とか大した戦術すらないただの凡才な司令官にもかかわらず、太平洋方面だと英雄扱い。彼らは戦争の基本的な戦術しかしてないのに、日本軍は全滅するありさま。 ヨーロッパのモントゴメリー将軍やジョージパットン将軍みたいな天才的司令官とは各が違うということも知らない
 日本が宣戦布告してから、1年1ッか月もの間、アメリカは太平洋方面に一切本国の正規軍すら派遣せずに植民地軍で放置していた事実もしらない。
ガダルカナルでアメリカ本国の海兵隊が派遣されてからは日本軍は一切対等な戦いすらできてない。
 日本軍の潜水艦は第一次大戦のドイツ帝国海軍の初期型Uボートを鹵獲したものをパクっただけで、そのままの物を第二次大戦で使っていたことすらもしらない。潜航震度はわずか80メートルwドイツの11型ボートは300メートルも潜航できる。


   日本軍はとてつもない雑魚で、植民地軍相手の戦争初期の半年wだけ勝利しただけで、途中でミッドウェーで全滅した挙句、あとは肉弾突撃して死んで終わっただけ。
 戦術らしい戦いは全くない。
連合国の圧倒的な物量の前に敗北した?なんて冗談でも言えない。
 それはドイツ。
この回答への補足あり
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英米との和平工作をソ連(スターリン)に頼んでいたから。



8月に日本を攻撃するため、スターリンは先延ばししていました。騙されていたのです。
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やっぱり石油かな。


 欧州ではいまでもロシアとの付き合いに苦労しているのは、結局ほとんどの油井がロシアの影響圏内にあるからだし、バルバロッサあたりでも、途中でいきなりウクライナへ行けとかいいだして勢いを挫き、それまでのイケイケドンドンが止まるどころか押し返された。
 日本で言われるほど第二次世界大戦時のドイツの石油不足は大きくとりだたされないように見えるが、その実、色々な戦場で石油不足が原因らしい状況やその結果が浮かび上がる。例えば、後退中のドイツ軍によるアメリカの機械化部隊を待ち伏せして、大きな勝利を収めたにもかかわらず、ガソリン不足で砲や装甲車両を持ち帰ることができなかった。有名な(米軍呼称の)バルジの作戦も、最終目的にオランダの港を確保するというのがあった。
 この石油は、当時ドイツ本土爆撃を繰り返すアメリカが指定した、5つの戦略物資の一つ。その一つボールベアリング工場への集中によって、ドイツがすばやくスェーデンなどと鉄鋼の輸入交渉に入ったことが記録に残っている。石油に関しても、ドイツ本土の石油施設がほとんどしらみつぶしに爆撃されていく様が、色々な資料には書いてある。
 つまるところ、原爆開発も、もしかしたら元はエネルギー資源対策だったかも知れない。

 ちなみに戦後のドイツの元将官たちの集会で、「もし、あと半年戦い続けられたらどうなっていたか。」という質問に半数以上がドイツの勝利と回答したと言われている。実際、メッサーシュミットやハインケルなどのジェット戦闘機が登場してから敗戦まで撃墜された連合軍機は500機を超える。この調子で、墜とされ続けたら、アメリカの膨大な生産力でさえも、果たしてどうなったかと想像せざるを得ない。

 日本の石油は、総量的には足りていた、というより予想される不足を補うために、開戦当初パレンバンなどの東南アジアの油井を占領した。しかし日本に運ぶ手段が、B-29などによる機雷敷設で停滞したために本土での石油不足が顕在することになる。
 この機雷敷設は非常に大きな影響を与えた。特に中国本土との往来が細くなり、結果として日常物資までこと欠き始め、やがて違法とされた”買い出し”が日常になる。
 なので本土にいなかった軍などは、敗戦まで元気なところが多かった。シンガポールなどのアジアに点在する海軍などは、豊富な石油が使い放題だったので訓練がゆきとどき、フィリピン近海の米潜水艦を3隻近く磁気探知で撃沈している。

 アメリカ軍にしても、ハワイ以西からインド洋までいかにも広い。だから”かえる跳び作戦”といわれる、島などの攻略で、とにかく補給を断つことに専念するようになる。
 これはやっぱり時間がかかる。ただアメリカの本質的な強さは、状況が変わればそれに対してすばやく自らの体制を変えられる点にある。例えば、アッツ島を最初に日本が占領した時は、数発の砲弾でアメリカ軍が後退してしまった。これは、当時のヨーロッパでの陸戦のやり方のままだったからで、そのわずか数年後には、跳躍攻撃といった歩兵戦術をつくりだした。

 それから考えると、同じ状況下でも対日戦と対独戦の最後までの期間というのは意味をなさないように思える。
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ナチが原爆開発を進めている情報をアメリカが入手した為、日本より先にドイツを叩かなければ戦況が不利になると見込んだからだと聞きました。



兵力をヨーロッパに向けるけど、ミッドウェー以降日本軍の勢いが下がっているからニミッツもマッカーサーも喧嘩しないで仲良くやっていてくれ、という感じで日本を叩くのは後回し的でした。

戦争末期、ドイツが降伏し集中して攻撃したアメリカ軍でしたが、武器弾薬燃料が不足していたにも関わらず、日本軍は徹底攻勢で抵抗し米軍に想像以上の戦死者を出させました。

硫黄島を教訓にしたのか、上陸用舟艇からロケット弾を無数飛ばして沖縄に上陸しましたがそれでも戦死者の多い事、しかも壊滅した日本軍がゲリラ戦を行なった為完全占領に時間が掛かり、これも戦争を長引かせた理由かと思います。

私も日本軍が簡単に鎮圧されたとは思えないですね、「マリアナの七面鳥撃ち」みたいな事はそんなに無かったと思います。
この回答への補足あり
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軍上層部のプライドと意地って、それはベルリン陥落まで戦ったナチス軍の方があるように思いますが、いかが?


〉それは人それぞれだと思いますよ。私の意見を述べたまでです。

沖縄戦では日本軍兵士を大量に投入しており、見捨てたわけではないと思いますが、いかが?
〉では、なぜ多くの民間人が殺害されたのでしょうね?それも日本兵が日本人を殺すという・・・。私は最終的な事実を述べたまでです。

ドイツ軍はフランスと戦っていたって?ご冗談を。ヴィシー政権はドイツに協力していたのはご存知?
〉フランスと明記してしまったのは私の入力ミスです。お許しください。

あと、アジア地域は連合国軍によって簡単に鎮圧されたって?
インドネシア、ベトナム、シンガポール、台湾、朝鮮半島は降伏まで無傷でしたよ。
〉アジア地域と明記したのは大雑把に表現したことです。御不満であれば謝罪いたします。


いずれにしても言葉遣いなど不快を覚えさせられました。
私はこの場で議論するつもりはありません。
お詳しいようですが、質問コーナーを利用して自己満足されたいのであれば、
他所でやってください。

失礼します。
この回答への補足あり
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ドイツ軍の占領地域は欧州とアフリカの一部。


片や日本のそれは東南アジアから南太平洋まで広範囲。

この差。
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