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哲学と科学の違いとは何ですか?教えて下さい

A 回答 (9件)

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「どうやって?(HOW?)」を問うのが、科学。


「どうして?(WHY?)」を問うのが、哲学。

たとえば、
「宇宙はどうやって生まれたの?」
という問いに対し、理論と観測、実験を組み立ててビッグバンの0.0000…1秒後の状態まで再現することができても、
「なるほど。でもそんな宇宙が生まれたのは、なぜ?」
とさらに問われるともう答えようがないのが科学です。

で、哲学はそれに有効な答えを持っているかというと、そうではなくて。
「『そんな宇宙が生まれたのはなぜ?』ということを知りたがる人間の存在って何だろう?」
と問題をすりかえてしまうのが(近・現代)哲学のズルいところです(笑)。
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ぼくはこんなふうに考えています。



科学:自然や社会の現象について、理路整然と関係性を説明し、理論化するもの。
哲学:科学的にまだ説明できないもの、説明できてもその背後に潜むことに意味をあたえるもの。

たとえば今日社会のネットワーク化が進んで来ていることについて、哲学者ドゥルーズは早くも1960年代に、社会構造がツリー状(樹木型)からリゾーム状(茎根型=ネットワーク型)に進むことを主張しました。それに対して、ノーベル賞をもらったガルブレイスなどの経済学者は、まだネットワーク経済が出来つつあるか現象を慎重に見守っていると言います。ニュートンもデカルトの哲学の影響で万有引力を発見したと言います。

ある有名な哲学者は、「哲学者の役割は、まだぼんやりしている事象に1歩早く意味を与えることだ」と言いました。

また長い間哲学者が取り組んでいる問題に、「実在とはなにか」、つまりモノが存在するということはどういうことかというものがありますが、科学者は、生物系のひとは、どうして存在するモノが目に見えるかを精密に追求したり、物理学者は、それを重力や支えるものの反作用で説明しようとします。それに対して先端的哲学者は、人間の認識とモノの客観的存在とを融合させて考えます。それがハイデッカーや西田幾多郎です。

このように科学的に解明されたようにみえるものでも、哲学者はそれらの現象を包摂する意味を考えます。
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科学は唯一絶対の答えを持っているもの。


哲学は無限の答えの可能性を持つもの。

・・・だと思っています。
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 科学と哲学を同一と見なすのはいかにも哲学っぽい質問ですね(笑)



 この二つの学問に共通するのは、どちらも真理を突き止めるための学問であるということです。科学は物理的で唯物的で、なおかつ客観的にこの世の中を分析するのに対し、哲学は主に人間の精神を対象に、精神的で唯心的に分析します。

 科学は、この世の物理法則を極める学問ですので、要は「この世の中がどういう仕組みで成り立っているのか」ということを考えるのです。
 そして哲学は、人間の精神を分析するわけです。昨今では心理学にすっかりお株を奪われた感がありますが、実際にはそうではなく、心理学はやっぱり、人間の精神を客観的に観察しているわけなので、心理学はどちらかというと科学の方に分類されます。
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私の考えでは、



ただ「科学」と言えば、人文科学、社会科学、そして自然科学の総称だと思います。

また「哲学」とは、人文科学に含まれる学問であると思います。

とすれば、両者に違いはありませんよね。

しかし、質問の意図はそこにはありませんよね。
たぶん、人文科学である哲学と自然科学である
(恐らく)物理学との違い、または(哲学を科学
でないものとしてとらえ)神学と科学との違い
のどちらかにあるのではと推量します。

前者の違いはわかりませんが、後者の違いなら
まだわかる気がします。その違いは、神学は
100%正しいものを目指すが、科学は99%正しい
ものを目指す傾向にあることだと思います。

以上
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ごく簡単に言えば、形而上と形而下の違いではないでしょうか。



例として人が死んだ時、医学的に言えば「高次神経系の機能の停止」
と言うことになりますが、自分の大切な人が亡くなった場合、
そういう風に科学的に納得できる人はいるでしょうか。まあいないですね。
仮に自分が死に直面したときのことを考えてみてください。
それが例え科学的に十分説明できる理由であったとしても、あなたにとって解決にはならないでしょう。
自然科学の基本スタンスは「自然なる物を支配する(EX 病気の治癒)」というものではないかと思うのですが、それには限界があり、科学では説明のつかない範疇のものを扱っているものが、形而上の学問、すなわち哲学なのではないでしょうか。
そういう目に見えないものに対して考察していくものが人間には必要なのでしょう。

しかし、哲学も人文科学と言いますから、科学の一つとしての哲学という考え方もできます。私は哲学は人間の生命を科学したものと捉えています。
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科学は哲学の一分野です。



科学も哲学も、ある種の「問い」に答えようとする活動です。
でも、迷子の子猫ちゃんの名前を問うような問いでは面白くない。一回しっかり検討しておけば、後々に使えるようなのが面白いし重要だ。それで、何らか普遍性・再現性があるように見える現象を捉えて、その背後にある(かもしれない)本質、つまり法則を見つけ出したいというのが一つの到着点です。(例えば「法則なんか、ない。」なんて答も、あんまり役に立たないですけど、法則を主張したことには違いないでしょ。)そうすると「問い」を作り出すこと自体が哲学に含まれてきます。つまらん問い、どうしても答えようのない問い、答の出る問い。問いの内のあるものは問うたとたんにもう答が出てますし、答がまとまらない問いもあるだろうし、どう答えてもおかしくなるような仕掛けが入った問いもあります。
そういうものを見極めるにはどうすりゃいいんですか?ちゅう問いもアリです。

科学では、(ネタや発想をどこから持ってくるかは別として、)最終的に「科学的方法」という形式に従って法則を記述し、実証しなくては落第です。

哲学では、方法を科学的方法に限ったりしません。それどころか、何にでも一般に通用する方法というものはないと考えている。科学とは相反するのかというと、とんでもない。そうじゃなくて、科学を含むんです。科学で解決される問いはいっぱいありますからね。新しい方法を開発するのも哲学の内だし、その方法で手に負えない問いを出して見せるのも哲学。

最も成功した哲学の代表選手は、やっぱり理論物理学でしょう。11次元空間で記述される(まだ詳細不明の)理論から導かれる10次元空間における沢山の物理理論、という描像。物に質量が生じる機構とそれに関わる未発見の粒子、という描像。これらは紛れもなく形而上学ですよ。直接実証できる見込みなどありませんからね。
 科学においては、何かを実験的に実証した、と言うことがある。ですけど客観的には、実験はただの統計の偏りを示しただけのこと。そこに理論から演繹された予言との一致を見て、「少なくとも辻褄はあってる」と言っているに過ぎない。だから確かな例外が一つ出れば全てがひっくり返ります。だからこそ、世の中的には「既に実証済み」と思われてる理論・法則が、いつまで経っても研究の対象になっています。

下記URLでも似たようなこと書いてますんで、ご参照下さい。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=53553, http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=12863
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