A 回答 (12件中1~10件)
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No.11
- 回答日時:
法界について少し補足をします。
例えばラジオから声が流れてきます。その事から、ラジオ局と言うものが存在する事がわかる。
この世においても、善知識から法の句が発された時に、法界の存在が知られます。法の句が不可思議なものでありこの世のものではないと知られるからです。
また、法界の人口(仏の数)は、現在生存している人間の数よりもはるかに多いと聞いた事があります。
このように言えば、解脱したはずの仏達が法界と言う場所で色々活動をしていると想像してしまいますが、詳しいことは分かりません。
ただ、人が何かの話を聞くのも聞かないのも縁です。私がこのような話を聞き、またここでしているのも縁であり、無理に聞かせるものでもありません。
また、人は常に人に生まれ変わり、虫や動物、逆に天使などになることはないと言われます。地獄とは紛争地帯や飢餓地域のことを言い、天界とは現代日本のような場所のことを言うようです。
現代に仏がいようがいまいが、人は善知識が放つ法の句によって発心し、また解脱すると言われます。
仏説はその広大さと衆生には理解できない性質から、実に多種多様な解釈をなされてきました。しかしどれも皆、人それぞれの独自の解釈をしつつも、覚れば皆一定の、同じ見解を持つようになるということです。それは、まっとうな大人になった人々が、その大人としての見解を、示し合わせたわけでもなく皆一様に持っているようなものではないでしょうか。
No.10
- 回答日時:
死とは何でしょうか。
死んだ後私は何かを感じるのでしょうか。その為には、私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。
では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。
そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。
赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。
では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。
この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。
私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。
例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。
テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。
もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。
同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。
この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。
ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。
科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。
私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。
死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
「不生不滅不垢不浄不増不減」です。
質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。
詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
No.9
- 回答日時:
仏教用語の法界(dhama-dhAtu・だるま・だーとぅ)に対する根本的な誤解があるようです。
法界の〈界・dhAtu〉は、霊界や天界、世界の「界」の意味ではなく、「種類」の意味です。そして、法界は、意識の対象となるものを指します。
〜〜〜〜〜〜〜〜
法界(ほっかい)
1 意識の対象となるすべてのもの。
2 因果の理に支配される万有の総体。全宇宙。
3 一切の現象の本質的な姿。真如 (しんにょ) 。実相。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/204413/meaning/m …
〜〜〜〜〜〜〜
西洋の哲学でいえば、〈法界〉は、(純粋)イデアや(純粋な)概念の集まりくらいになりますかね。ですから、解脱した人・仏(Buddha)が死して〈法界〉に往くなどありえません。
このことは仏典からも明らかです。
歴史上実在したお釈迦様、ゴータマ・ブッダが死んだとき、何故、人々が嘆き悲しんだか。死んでしまったので、この世、あの世からも、ゴータマ・ブッダが消えて綺麗さっぱり消滅し、頼りにできる存在がこの世、あの世から消滅したためです。
ですから、我々の属する娑婆世界には、現在、仏はいない、無仏の状態です。次の仏になるであろう弥勒菩薩が死んで、お釈迦様と同じように、この世界に生まれ変わり、この娑婆世界で仏道修行を完成し仏になるまで、この無仏状態は続きます。
(弥勒)菩薩は輪廻の中にいるので、死んで生まれ変わることができるですよ。
ただし、大乗仏教では、SF作品のパラレル・ワールドのように、この世界、宇宙(Universe)とは異なる別の宇宙が存在するとされています。我々が属し、輪廻を繰り返すこの宇宙、娑婆世界とは異なる宇宙には、例えば、阿弥陀仏や薬師如来がいると――原則、1つの宇宙には、いても、生きている仏様は一人しかいないとされている。ただし、仏様は超能力を持っているので、宇宙Aから宇宙Bへのトリップが可能!!――。
ということで、「現在、無仏状態であるこの娑婆世界は嫌だ。弥勒菩薩が仏陀として出現する56億7千万年後なんてとてもじゃないけれど待てない。だから、阿弥陀仏のいる宇宙、極楽浄土に行きたい、〈極楽往生〉したい」という阿弥陀信仰が生まれたわけです。
原則として、娑婆世界に属するものは、極楽浄土という異なる宇宙にいくことはできないけれど、阿弥陀様の広大無比な本願の力で極楽に死後生まれ変わることができると・・・。
なお、極楽浄土も依然として輪廻の世界です。極楽浄土に再生したものも寿命が尽きれば死んで、再び、輪廻のなかに取り込まれます。
この点が、キリスト教などの、永遠の生が保証されている天国とは異なります。
なのですが、極楽浄土の属する宇宙には地獄は無いので地獄に落ちることはない。ですから、次もおそらく極楽浄土に生まれ変わるのでしょう。そして、何度も死んで生まれ変わり、仏道修行に励む。
また、ほとんども無限に等しい寿命を持っているとされていますが、阿弥陀如来も、お釈迦様と同じように前世の(法蔵菩薩時代に積んだ)因と縁が尽きてしまえば、死んでしまう。
仏・菩薩といえども、(因縁で)生まれてくるものは必ず滅するという、仏教の大原則・〈縁起の理法〉からは逃れられないからです。
No.8
- 回答日時:
増える人口について少し。
生前、余りに葛藤が大きいと、死後人格が分裂し、複数の人間に生まれ変わり、来世において互いに対峙しなければならないといったような状態も想定されるようです。
唯物的な考えを持つ現代の人からすればそんなバカなと思うような話でしょうが、知っていることの方が知らないことよりもはるかに少ない中で、輪廻に関する考察は極めて自由度が高いものとなっています。何が本当かと言えば、結局は自分はこうだろうと思う、と言う緩やかな着地点を持つ事にならざるを得ないし、それで良いのだと思います。仏や、自分よりもはるかに優れた知見を持つ人が言うなら無視はできない、輪廻はあり得る話だろう、私はそのように見ています。
もちろん、分からないでも良いわけです。
輪廻など無いという見方もあるわけです。しかし、それは業否定論と言われる見方であり、間違った見方であると仏教においてはされています。
確かに、自分のなした事をなかった事にはできませんよね。この点は、気をつけなければならない点でもあるでしょう。
No.7
- 回答日時:
人は解脱すると輪廻を脱して法界に行く事が示唆されています。
法界とは解脱した人々(仏)たちが住む言葉でできた世界です。さて、人は自ら作った業によって、来世に地獄に行ったり天界に赴いたりするわけですが、そうならば、業を作らなければ生存の素因が形を為さず生まれないということになります。故に解脱した人は禍福の因を作らないと言われます。禍福の因とは、要するに天界や梵天の世界に生まれるようなカルマの事です。解脱した人は悪しきことはもちろんなさないが、善行についても慎みがあるという事です。
ところで、人は輪廻のことを気にしなかったり、ハッキリと知らなかったりしても、解脱する事ができると言われます。今生を正しく生きる事が全てであり、その正しさは自らに依拠したものであるならば、輪廻の事に期待したり怯えたりする事がなく、まさしく道を達成して人生を完遂し、完成し、行くところも来るところもないただ一つの境地に達するでしょう。
私も大体、質問者さんと同じ感覚です。記憶は消えるがやった事は残り、次の人生を形作る。何もしなければ何もしなかった事がやはり残る。為すべき全てを成し遂げて、人はついに道(流れてきた幾つもの人生)を完成させるのではないかなと。
No.6
- 回答日時:
こんばんは。
おそらく、輪廻転生についてもっとも深い洞察をもっている仏教の立場からお答えします。
☆輪廻はあるのか?
◇あると言えばあるし、無いと言えば無い。
仏教の最終目標である解脱、成仏とは、生まれ死に変わるという輪廻の軛(くびき)から解放されて、綺麗さっぱり消滅することです。
綺麗さっぱり消えるということは、永遠不滅の霊魂、仏教用語でいうと我(アートマン)は存在しないということです。そんなようなものがあったら、解脱・成仏はできませんから。仏教用語でいいますと、霊魂やアートマンは実有(じつう)ではなく仮有(けう)であり、霊魂やアートマンは心身を有する私を統括する実体的な概念として勝手に設定したものということになります。
そもそも霊魂が実有ではないのだから輪廻も実有ではない。したがって、括弧つきで無いということもできる。
実有としては存在しないけれど、さまざまな因と縁が絡み合い仮有として現象化する。実有ではないから〈空〉〈無〉であるといい、しかし、仮有として現象化しているので〈有〉とも言う。「あるわけではない、無いわけではない」という〈空〉の論理という奴です。
なお、ここでいう〈心〉、仏教用語の〈心〉とは、考えたり、快不快に感じるといった心理的な働き、機能、能力のことです。ですから、コンピュータの計算能力のようなもの、そして、その計算結果のようなものです。ですから、日常用語としての「心」とはまったく違うものなので、この両者を混同しないようにしてください。
人間の肉体は、脳に該当するCPUを含むコンピュータの本体並びに、さまざまなインタフェースなどを含む、コンピュータの機械的な部分ですね。
☆輪廻の主体とは何か?
◇(大乗)仏教では、阿頼耶識(あらやしき)だと答えます。
この阿頼耶識に行ったことなどが蓄えられる。大切なものを保管する蔵のようなものだから、阿頼耶識は蔵識ともいいます。
また、阿頼耶識の阿頼耶には潜むという意味もあり、意識表層にはけっして上がってこないので、深層意識のようなものでもあります。
この阿頼耶識に(生前の)行為の習慣性のようなものが残り、その習慣性に基づいて輪廻する。
ここで重要なのは、次の生、ヒトに生まれるか、犬やネコ、さらに、責め苦に絶えず苛まれる地獄の罪人に生まれる変わるかは、自身の(生前の)習慣性が決定するということです。神仏などの超越的存在が次の生の有り様を決定するのではないということです。
また、現在、ヒトだから次もヒトに生まれ変われるわけではありません。そんな保証は、どこにも、ありません。人倫にもとるケダモノのような振る舞いを繰り返せば、その習慣性、余勢によって、おそらく犬やネコ、最悪、地獄の罪人に生まれ変われます。神さまや天使のように振る舞い続けられば、天、神さまの世界に生まれ変われる可能性があります。しかし、めでたく、天、神さまの世界に生まれ変われたとしても、輪廻から解放されたわけではないので、いずれ死に、輪廻します。天界はパラダイスのように楽しいことしかありませんから享楽的に生き堕落し、良くてにヒトに、最悪、地獄にだって落ちる可能性があります。ですから、天界は地獄以上にリスキーな場所です。
☆阿頼耶識とアートマン、霊魂は同じものではないのか。
◇アートマンと霊魂は永遠不滅のものであり、変わらないものです。しかし、阿頼耶識は日々刻々と変化し、晴れて解脱する際には綺麗さっぱりと消えてなくなるものですので、アートマンや霊魂とはまったく違うものです。
まぁ、阿頼耶識は、(生前の)行為の習慣性を維持する保管所のようなものですからね〜。そして、仏教の修行というのは、行為の習慣性、仏教用語では種子(しゅうじ)の発現を抑え、長い時間をかけてそれを滅するというもの。少なくとも輪廻を引き起こす種子をすべて滅することができれば、輪廻の輪から解き放たれると考える。
これが正しいかどうかはわかりません。ただ、(大乗)仏教ではこのように考える、というお話です。
仏教にとって輪廻は中心課題ですから、仏教の教えのみならず、当時のインドの最先端――と言っても1500年以上前のものですが――の哲学、心理学、生物学、生理学、医学知識を駆使し、当時のインドの仏教の学者は輪廻を解明しようとしたんですよ。
ですから、精子と卵子の結合によって、さらに、原子なんて話まで出てきますよ。受精後、何週間の発達過程の胎児の名称まで決まっているほどですから。
No.5
- 回答日時:
>>輪廻転生があるのなら、人口が増え続けてるのって、矛盾しますよね❓
霊界の霊人口は、正確な統計は無いみたいですが、現在の地球人口の5倍以上はいくみたいです。
本来の生活場所が「あの世」ですし、御釈迦様みたいに「3千年に1度生まれてくる」みたいな霊存在もいる。
進歩が、悟りがまだまだ、という霊は、義務教育みたいに、「地上に生まれたくない!」と思っても生まれ変わりを要請される方もいるけど、ある程度進化した霊は、本人が「地上に生れたい!」と希望したとき生まれ変わるみたいです。
だから、食糧事情が良いとか、おもしろそうな文明が展開されていれば、生まれ変わりたいと思う希望者は増えるし、そうじゃあなければ、生れたいと思う霊は減って、地球人口は減る。
ただ、現代科学のレベルで、地球が維持できる人口には、それなりの限界があると思えるので、地球人口としては、百億人レベルが限界なのかもしれませんね。
No.3
- 回答日時:
>>肉体がきえたら意識はどこにいくのか
幸福の科学が毎月発行している「What’s 幸福の科学」という10p程度の薄っぺらい小冊子があります。
この9月号は「人は死んだらどうなるの?」特集です。
この号は、松原さんという幸福の科学・四国正心館の講師の方が、クモ膜下出血で倒れて、1か月近く生死の境をさまよって、その間の臨死体験し、霊としてあの世を見てきたことに基づいて作られました。
冊子には、一般的な人の死後の話がイラストを多用して書かれていて、とても分かりやすいですよ。
なお、一般の方は、死後「三途の川」を渡ります。
が、冊子には書かれていませんけど、松原さんは、有名な三途の川は見なかったそうです。
彼は、霊界における天使たちや、その上司といえるヘルメス神やエルカンターレの活動と幸福の科学の施設の職員さん、会員さんたちを霊的な目で視た時、どうなっているのか?を伝えるために、いろいろとあの世を案内してもらうことが目的だったみたいで、そっちが忙しくて、名物の川を見れなかったとか。
なお、松原さんは、導きの霊に案内されている最中、何人かの霊が現れて、エネルギーが流れ込み、自分の霊的な体が元気になっていったそうです。
そのためか、肉体の頭蓋骨に溜まっていた大量の血の塊が消えて、意識を取り戻したあと、後遺症もなく退院したそうです。
医師は、「非常にめずらしいケースだから、学会の発表で取り上げたい」と驚いていたとか。
この他にも、いろいろと小冊子には書かれていないお話があり、多くの会員さんだけでなく、幸福の科学の職員さんでさえも興味がある内容なので、東京正心館で講演をされる予定があるそうです。
>>そう考えると 意識は受け継がれ(記憶は消えますが)
死後も記憶は消えません。肉体もほぼ同じような霊体を持っているので、多くの方は自分が死んだことに気づかないといいます。自分の葬式や火葬場で自分の肉体が焼かれるのを見て、「もしかして、俺って死んだのか?」と考え始めるそうです。
自分からは、遺族の姿は見えるし、声も聞こえます。でも、自分の声は遺族に聞こえず、かれらを殴っても、腕は素通りします。
49日までは、地上にとどまってもよいルールがあります。
その間、遺族に話しかけたりするけど、相手にされません。
なので「俺を無視するのか!!」と怒り出して、いろいろと遺族に祟りをおこす霊もいたりします。
>>また新しい人生を歩んでいく気がします
まあ、しばらくは「あの世」での生活がありますけどね。なお、地獄行きと判定された霊は、そこから抜けだすまでは、生まれ変わっての「新しい人生」が始まることはありません。
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