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ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 と同じ土台の上に立つ一神教は、なぜ殺し合うのでしょうか。ローマカトリックには、教皇、または法王という絶対的な指導者が存在してる理由がわからない。イスラム教でも戦いを煽動したりする聖職者という権力者が存在する。日本の仏教でも、僧侶と言う存在があり、階級が存在してるようです。
 人間が持つ好戦性を抑える教えもそれぞれの一神教に存在してるはずですが、教えの僅かな違いで殺し合う一神教。
 サイトにあった、2014年制作のアメリカ映画で、高校の生物学教師がダーウィンの『種の起源』を教えていたが、生徒の父兄の中のキリスト教信者(多分、プロテスタント)がその教育を反対する。教師は一応理屈を言いながら反抗するが、ひょいと、学問をすて『神』を信じることになる。信じてしまうと、『ダーウィンの種の起源』を否定する正当性すら言わないで、ジ・エンドとなる。別に壮絶な心の葛藤を描くわけでもなく。制作がキリスト教側のものなので、それでも納得するのでしょう。でも第三者にも入信をさせようとするのなら、もっと納得のいく、何らかの感動とか、入信したからと、心の安らぎを表現してみるとか、工夫が必要であろうかと・・・・。
 
 アメリカのキリスト教原理主義の人達が宗教裁判を起こし、ダーウィンの『種の起源』との戦いをしてきたようですが、排他的な一神教は、同じキリスト教徒であったも、僅かな違い(無神論の私からそう感じる)でも殺し合いをしてしまう。そこが解らないのです。同じ神であるのに、イスラム教との戦いをしてきた、カトリック。また、十字軍を組織したとされるローマ教皇。
 
 アメリカの9.11同時多発攻撃、敢えてテロとは言わずにおきます。これも長い宗教対立や、イスラムの世界が白人のキリスト教にさんざんに蹂躙されてきた積年の鬱憤があり、多くのイスラムの人が、その鬱憤からと、石油の支配のためにアラブに存在してきたイギリスやアメリカ、ほか白人の非人間的支配。その代表格である、アメリカそのもの存在を否定したいための行為であろうと思います。

 私たち日本人は、キリスト教の国アメリカの窓から見た世界観で見てますから、あのニューヨークのビルに突っ込んだ飛行機の情景を見て、また日本人も犠牲になったことを踏まえて、アラブの残忍な攻撃、という印象ばかりが残っています。
 しかし、アラブ側は、植民地されたり、石油を支配するために残忍な多くの殺戮を受けたり、2000年も間、見捨てていたのに、いきなり、パレスチナを占領して、ユダヤ人の国を作り、金融業で成功したユダヤ人をアメリカが承認して、国家の正当性を認めるために武力の行使を認めるし、最新式の兵器も売りつける行為もする。ここから、パレスチナ人の自爆攻撃という方法がポピュラーになり、ジハードが叫ばれるようになる。近代の最新式兵器に石ころを投げて対抗してきたパレスチナ難民が、ハマスのこの自爆攻撃で効果がでてしまい、イスラムの攻撃の常道手段になってしまい、ニューヨークの飛行機の自爆が行われた。残忍な戦いがメディアを通じて見ることができる時代です。

 八百万の神が存在して、仏教が根付く曖昧模糊な日本人の一人として、絶対の神という存在すら疑っています。しかし、疑われるような存在の薄い『神』であるから、そのちょっとした違いも許せないのか・・・・。

 絶対の神は人間に、その神を言い分けにして、殺し合いをしてきた人間が栄えて、72億人に異常繁殖した生物として存在します。この考えも信者の方からすれば、神の子である人間は他の生物とは違うということになるのでしょうね。しかし、一神教は、政治利用もされています。自由の国アメリカで、大統領の就任式では、聖書に手をおいて宣誓がおこなわれます。カルトとして指定されない限りいろいろな宗教が存在を許されているアメリカ。少し前までは、裁判の証人の宣誓も聖書に手を置き行われていました。当然、プロテスタントの国ですから、新約聖書でしょうね。
 ユダヤ教徒の方、キリスト教徒の方、イスラム教の方、どなたでもこうした情念的な激しい戦いにどんな『神の正義』が存在するか教えてください。無神論者であまり宗教てきな知識がありません。よろしく

A 回答 (11件中1~10件)

#10です。

お礼ありがとうございます。補足します。

>その民族的な違いのキリスト教やイスラム教に集約されるローマ帝国時代には、多神教的な扱いの皇帝の施政で、大きく戦乱にならなかった。

ローマは皇帝が出立する以前に共和政の時代があります。紀元前27年にアウグストスが初代皇帝になる前に、すでに共和政で300年以上の歴史を持ち、その時代から多神教をうまく取り込んだ政策が行われていました。

紀元前27年はキリストが生まれる時の30年ほど前ですので、ローマの宗教そして現代につながる宗教的世界状況はこのあたりから動き始めた、といえるでしょう。

また、イスラム教はローマが崩壊した後、東ローマ帝国と同時期にできますが、むしろこれは「西ローマ帝国崩壊によりあたらしい宗教が必要になったから」と見るべきで、ローマ帝国時代にはイスラム教はなんの関係もありませんでした。

>ユーゴスラビアという国が、チトー大統領の指導が崩壊すると、予想されていたとうりに、激しい戦乱になりました。過去にオスマントルコ帝国の支配かにあり、イスラムとキリストの各宗教の違い以外に、こんな憎しみが存在していたのかと不思議になるくらいの憎しみを感じた戦争でした。

人類は群れることで社会を作り、自分たちの生存率を高めているわけで、この方式を昔は「民族単位」今は「国家単位」で行っているわけです。ただ、群れの中にもいろんな考え方はあるわけで、指導者が「私がお前らの上に立ってあれこれ指図できる理由」は昔から苦労して作りだしていました。

この理由を「支配の正当性」といいますが、ここに宗教は大きくかかわっているわけです。国王の就任式で教会の大司教などが王に王冠を被せるのは「神が承認したのだから民衆は納得できるよね」というセレモニーなのです。

また、そもそも人々が群れ「正当性」を信じる理由は「恐怖」にあります。

前回は文字数の関係で書かなかったのですが「宗教」を理解するためには支配階級側からの「群れを支配し制御するための道具としての宗教」と民衆側からの「恐怖を幾分でも和らげるための集団としての宗教」の両方を見る必要があります。

前回は主に「支配者側の都合」を主体に書いたわけですが、それを支える民衆側にも「宗教を信じる理由」があります。それは「この社会に属していることで得られる安心感。排斥されない安心感を得られること」です。

民族ごとに宗教のあり方が異なるのは、民族ごとの「生活の糧を得る方法」が違うからであり、それによって「他者と自分たちを区別する」のは宗教の役目だったのです。

たとえば放牧民族と農耕民族はお互いに対立します。農耕民族は耕した畑に家畜を放牧されるのは困るし、放牧民族からすれば「俺たちの土地を勝手に耕す」農耕民族は生活を脅かす人々だからです。
 そして生活の糧の方法が違えば、当然に宗教も異なります。同じキリスト教でも細部が合わないことになります。
 たとえばイタリアでもキリスト教と土俗宗教が習合して、それまでの道祖神がキリスト教の聖人になっていたりしますが、これはイタリア人が農耕民族で畦に土俗的な神様を見出していたからです。日本の辻々のお地蔵さんと同じです。逆に放牧民族として歴史の長いギリシャ人は、新約・旧約聖書の中から放牧文化に適している部分だけ抜き出して、正教になっていったともいえます。

質問者様は「こんな憎しみが存在していたのかと不思議になるくらいの憎しみ」と書かれていますが、そもそも隣り合って住む民族同士が何千年も交じり合わないのは「生活の糧をどのように得るか」から出発する文化や価値観が異なるためであり、それはお互いに不干渉と境界地の争いをよぶわけで、近代的である程度は理性的な「国家」の枠組みが壊れた時に、民族がもつ歴史的な違いが「恐怖と憎しみ」になって現れ、そんなことに関わりたくない冷静な個人も「お前を守る枠組みはどこだ?所属をはっきりさせろ」と言われれば、そこに参加せざるをえなくなり、結果として争いが大きくなる、と言うメカニズムがあります。

今日本で起きているヘイトクライムも、朝鮮半島の緊張と無縁ではなく、アメリカの人種差別と人道主義の争いが激化しているのも、世界的な民族紛争と無縁ではない、ということです。
 
 どの社会でも、まず恐怖におびえる少数の人々が先鋭化して「○○が襲ってくる」と騒ぎ立て、周辺の人々に「お前は味方か敵か」と踏み絵を迫るところから始まります。
 ユーゴスラビアの時代を知っている人々は「となりはセルビア人・向かい側はユーゴ人で仲良くしていたのに、なぜあんな戦争になったか分からない」というのは、そういう民族の原点にある「恐怖」が引き金になって理性を吹き飛ばし、そこに宗教的・文化的価値観の違いがでてくるからです。

日本人は幸運なことに1500年ぐらいそういう「世界の民族戦争」に巻き込まれないで済んできました。だから日本人には「同じ神なのになぜ争う?」とか「神のために死ねるってどういうこと」という感覚があるのです。

しかし、日本も太平洋戦争までは「天皇のために死ぬ」ということをやっていたわけで、これは「神」でも「天皇」でも実は全く同じ「自分が所属している民族社会のシンボル」を口に出しているだけなのです。

明治時代は世界の現実に合わせて「神(天皇)が日本民族のシンボルであり、それにより民衆は統合され守られる社会」であると教育し、西洋列強と対峙したのです。当時はそうしないと植民地化されてしまったからです。キリスト教は教化と植民地化を一緒に行ったわけですが、アジアやアフリカそして南米にはヨーロッパのような組織だった「国家」が無かったため、簡単に植民地化されてしまいました。南蛮列強がやってきてキリスト教布教を行った時代にそれを見抜いて禁止した太閤秀吉はものすごい慧眼だった、といえるでしょう。

もっとも、日本はその方式で頑張りすぎて、太平洋戦争の敗北を招きます。
戦後の日本は、GHQがクッションになって、70年間元の「世界なんか知らない」という精神的な鎖国ができたのですが、そろそろ第2の明治維新をしないといけないぐらい周辺や世界が緊張してきている、ようです。

質問者様のご質問は「実に日本的である」といえるでしょう。そういう時代が長く続くようにしたいものです。
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この回答へのお礼

再び、ありがとうございます
何やら、人肉を食べ続けてきた西洋人の姿という感想を持ちました。
日本人的であることに、それでいいかな、と・・・・。
大陸と海で隔てられた日本列島に、まったく違う人間が生息してきた感じがします。日本人の持つ独特の感性があります。右でも左でもない。上でも下でもない。江戸時代の『粋』という文化には、きちんとした立派な姿は、『野暮』。少々崩して、しかも美しいという感性は失わない姿を『粋』という。日本には、こうしていろいろなところに、2言論では説明がつかないファジーな部分が存在してます。このファジーな部分は外国人には理解できない日本人の姿であろうとおもいます。日本人には無意識にこの中間的な位置感覚が存在していて、曖昧さ、はきりしない、自己主張がない、とか言われますが、元々、2言論を持っていなかったので、そうなっているようです。大陸文化は、負けると滅びるという激しい生存競争があり、そうした人々には、勝たねば死ぬ、という感覚とそこから作られた情念が日常に存在している。そんな考えで良いですかね。ただ、矛盾だらけの、西洋の宗教。西洋哲学は救いが無いように思います。日本人の中の文化の中心は、中国のものが殆どですが、中国にも、朝鮮半島にも残っていない文化が、日本独自に開花して残っているものが多くあります。その中で、大乗仏教は残念ですが、日本にしか残っていないものです。この仏教が、縄文時代からの日本人の血に合うような部分があり、定着しています。しかし、同時に、老子、荘子も学ばれていて、大陸では、敗者の理論になっていますが、個の幸せ追求という意味では、ここに日本的な哲学が成り立っていて、人間学としての矛盾のない多様性が存在しているのではないか、と感じます。2言論であると、絶対に対立します。勝負けがなければ解決しません。個人的な幸福論で救済されてきた日本人の心のありようは、戦いに不向きにできています。先の太平洋戦争もおっしゃるとうりの『恐怖心』からきているように思います。元韓国在住の方が作ったブログで、日本人と韓国人の違いを述べて、強烈に反韓に向かっていました。韓国人に対する恐怖心を感じとりましたました。日本人にはない激しい攻撃性に警告を発していました。『恐怖』が根っこに存在する。納得です。日本の早稲田大学卒、中国の周恩来首相が、島国根性と言って侮蔑発言をしてます?

お礼日時:2017/10/10 09:19

日本人が知らない「世界の現実」が宗教に関して二つあります。



・宗教は文化であり価値観であり、自分たちの民族の枠組みを守るために必要な手段である、ということ
・世界は文化の違い、価値感の違いだけで殺し合い、勝った民族だけが生き残ってきたこと

です。

今でこそ同じ「神」であるエホバを信じる宗教は3つに大別されていますが、キリスト教以前はユダヤ教しかありませんでした。ユダヤ教は強烈な「選民思想」を持つ民族であり、彼らがなぜ選民とされたかというと「エホバに選ばれた民」だったからです。

ではほかの民族はどうだったかというと、それぞれに特徴的な神をもっていました。ギリシャ神話は有名ですが、同じギリシャ人でもアポロを信仰するポリスとアレスを信仰するポリスでは神が違うので殺し合いをすることができたのです。ギリシャ人たちは同じ出自を持つ人々であったのに、お互いに戦争をしていて、だからオリンピックが出来た、という逸話があるわけです。

「古代」というのは大陸に住む民族にとって「自分たちの民族の価値観(道徳・文化・神)」が一番であり、負けたらそれが滅び、自分たち民族が亡ぶ、という時代だったのです。

キリスト教ができても、それは基本的に変わりません。というより、特殊だったのはキリスト教以前のローマのほうです。
ローマ帝国がなぜあれほど巨大な領土を維持出来たか、それはユダヤ以外の人々が多神教を受け入れており、ローマが「平定した領土の民族がローマ市民として参加することを許した」という画期的な方法と「平等なローマ市民として迎えるために、新しい民族の新しい神はローマの神殿に祀られた」という方法を取ったからです。

 ローマでは選挙で選ばれた最高神事官が「ローマに参加するすべての神々」が年に数回祈りをささげ、新しい神が参加(つまり、新しい民族がローマに参加)すると、その神の祭りがローマで流行ったりしたそうです。そうやって「神が対等なのだから、どんな民族も対等」というのがローマの特徴であったといえます。

しかし、キリスト教はそこに分裂をもたらしました。2世紀から4世紀にかけてローマはキリスト教が国教化し、排他的な宗教性を見せるようになります。それと同時に、ローマ各地の民族はキリスト教を受け入れつつ、自分たちのルーツである宗教と習合し、キリスト教の中にいくつもの分派をもつようになります。

、コンスタンティヌス帝はキリスト教を国教化し325年にニカイア会議を招集してカソリックの基礎を作るわけですが、それ以前にギリシャ正教やミトラ教など原始キリスト教と呼ばれる宗派は、根付いた民族の土俗宗教と習合して、すでに分離していたのです。

これらの分離を「権力の分散」とみたコンスタンティヌス帝は会議を招集し、ローマに法王庁を置くこと、キリスト教として認める宗派と認めない宗派を決めること(つまり認めるということは、その宗派は法王庁に従う、ということ)を決めたのです。

すでにキリストが磔にされてから300年が過ぎ、キリスト教も各地で土俗宗教と習合して、いろいろな形に変化していたからです。

この後、ローマは東西に分裂し、最終的に消滅するわけですが、ローマ帝国という「どの民族も平等に扱う政治ポリシー」が無くなった時点で、また古代と同様の「民族=独自宗教」に戻っていったのです。ただし、違うのは「同じキリスト教の皮をかぶった、でもちょっとだけ価値観と民族性が違うもの」という分け方になっている、ということです。

これは現代でもおなじで、たとえばベツレヘム近くの聖ゲオルギオス教会では、カトリック・ギリシャ正教会・アルメニア使徒教会が共同管理しており、掃除だけでも喧嘩になるそうです。それぐらい今も昔も「民族的価値=宗教的価値」であり「宗教的価値をないがしろにするのは、わが民族を冒涜したのと同じ」なのです。

キリスト教の中だけでもこれです。それに7世紀になるとイスラム教が誕生します。このイスラム教も国家の後ろ盾を得ると分裂します。スンナ派とシーア派の分裂で、それ以降、中近東を中心にイスラム教は土俗宗教と習合していき、インド到達時にはシーク教が生まれています。


日本でも政治と神事は「マツリゴト」であり、権力の大きな派閥を生むわけですが、それは「人間が持っている本能的な群れ意識」を刺激するからでしょう。
そして、群れは必ず権力を呼びますので、結果として教皇を産むに至るのだと思います。

ちなみに、日本人がなぜ「世界的な宗教価値観と乖離しているのか」も説明しておきます。それは「日本統一時に日本がローマと同じことをやり、その後異民族との戦争をほとんどしていないから」です。

実は日本の大和朝廷もローマが新しいローマ市民を迎える時に神殿を作ったのと同様、新しい豪族などが朝廷の支配下に入ると「豪族たちの神をまとめて祭祀を行う」ことをしたのです。
日本人が7世紀以降「日本人」という意識を持つに至ったのは「日本のすべての豪族・民族の神様たちを朝廷が平等に祈る」ようにしたからです。

ですから日本の八百万と言われる神々はすべて「平等」に存在しており、神社などもそれぞれの由緒を守って廃れないでいるのです。

これらの改革が7世紀に行われ「統一国家日本」ができていこう、民族的な戦争は元寇・朝鮮出兵ぐらいしかなく、近代になってようやく戦争をするようになったので、日本人は「世界の民族的価値=宗教的価値観」を全く知らない、ということなのです。

だから日本人は「元は同じ神なのに、なぜユダヤ・キリスト・イスラムと違うのだ」となぜ彼らはみんな「神の正義」というのか「日本人からすれば同じ神(エホバ)なのだから、それぞれが口にする神の正義は同じことのはず、ということ」がどうしても理解できないのですが、彼らにしてみれば「自分たちの受け入れた神(民族的価値観)」と同じように見える神でも受け入れ方が違えば「間違った神」なのです。

彼らには「朝廷が一緒に祈って平等に扱ってくれる」というような価値観はないし、欧米はキリスト教ですから、それを説得できる立場になっていません。

彼らにしてみれば「価値観が違うのであれば、血を血で洗う戦争をして、勝った方の価値が正しい」と言う解決法しかないのです。ない、というより何千もそれでやってきた、ということでもあります。
(日本も古代は豪族たちが同じことをやっていたのですが、それをまとめたのは朝廷の圧倒的な戦力と、特に重要だったのは白村江の敗北で「唐が攻めて来たらやられる!」という危機感、だったのではないか、と推測しています)

日本人と神々の付き合い方からすれば「唯一絶対神」と言う考え方がおかしい、道理に合わない、と思ってしまいますが、それは日本人が「世界の民族戦争」の歴史を共有していないからです。

世界のどこの民族も「神=民族」ですから、自分の神を否定されることは「自分の民族の否定」であり、結果として「俺がに死ねと言っているのに等しい」と言うことにつながっていくわけです。

もちろん政治家はこの部分を使って、普通の庶民を焚きつけるわけですが、庶民もDNAに刻み付けられている感情を刺激されるからこそ、激しく情念の部分で闘争心が湧くのです。

世界中の殆どの国の人々にとって「宗教=道徳=民族の誇り」です。そこを理解しないと「情念的な激しい戦い」の感情の本質や、何千年も続くイスラエルの戦いなど、理解できないのではないか、と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

 それぞれの民族にいろいろな神が存在していたところに、キリスト教とイスラム教が混在してきた。
 その民族的な違いのキリスト教やイスラム教に集約されるローマ帝国時代には、多神教的な扱いの皇帝の施政で、大きく戦乱にならなかった。

 なるほです。

 民族的な違いに裏付けられた、キリスト教、イスラム教のちょっとした違いで激しい戦乱を起こす理由に、民族の存在理由としての土俗的な神とキリスト教やイスラム教との融合時点で、少しの違いが激しい生存争につながるというのは理解し易い部分です。

 ユーゴスラビアという国が、チトー大統領の指導が崩壊すると、予想されていたとうりに、激しい戦乱になりました。過去にオスマントルコ帝国の支配かにあり、イスラムとキリストの各宗教の違い以外に、こんな憎しみが存在していたのかと不思議になるくらいの憎しみを感じた戦争でした。(報道に依る知識)

 農耕が始まる以前には、おっしゃるように、『群れる』ということがなかったようで、群れ始めると、権力者が出てきて、土俗の神がそれぞれ存在してゆき、占いや呪術などから、つくらててきたのでしょう。
 そこに、ユダヤ教という閉鎖的な宗教が生まれる。エジプト、メソポタミアの影響を受けてできた一神教の中で、持続性があったのでしょう。
 私達、現代の日本人には、この土俗的神が、キリスト教やイスラム教に呑み込まれてゆくと言う部分が抜けているので、同じ一神教という括りでみてしまう過ちがあったようです。
 しかし、絶望的にもなります。絶対に許し合えることのない民族対立が存在して、戦火は消えないということにもなります。考えが甘いでしょうか。

お礼日時:2017/10/10 02:37

宗教は人間が作ったものです。

文化であり伝統でしょう。

さて、一神教だから殺し合うということではないでしょう、先日のミャンマーにおいてのロヒンギャ危機からも判ります。ミャンマーは敬虔な仏教国です。
争いは宗教を建前に使っているだけで、実際には教義の正誤を争っているわけではありません。集団の色分けに使っているだけです。
色分けによって多数者や強者は驕り、大きな権利を当たり前のように保持します。持たざるもの少数者弱者は非対称戦争をしかけるしか無くなります。狡猾な者たちは多数強者と少数弱者を煽動して利益を得たり歪んだ理想を実現しようとします。
宗教というモノが実は、有用なプロパガンダとして機能する。そのため都合よく利用されている。私はそう考えます。

多くの人達が宗教に原因を求めようとしていることが、多くの国際紛争が終わらせられない要因の一つだと思っています。

一神教信者でも無いのに、参加して申し訳ありません。

No1さんの意見に近いですかね。

No2さん、凄いですね。私も勉強になりました。

宗教関係者には、どうか科学の発展の邪魔だけはしないでいて欲しいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

 人のあらゆる事が言い訳になって争うことに、正義や不正義、正邪の区別はしにくいですね。
 アメリカのイラク戦争は、石油支配のための確信犯ですね。ヨーロッパの帝国主義時代の植民地の拡大も、キリスト教徒以外は、文明人ではない、という言い訳ですすみました。
 何かの瞬間に、ひょいと人間の心に忍び込む、差別や虐殺を正当化してしまう人間集団の恐ろしさがあります。こうした事に、宗教も止めることができな悲しさがあります。むしろ助長してしまうこともあります。
BluePhantomさんのいうとうりですね。

お礼日時:2017/10/07 22:07

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー、神教。

これらの教えに間違いはありません。
厳密に言えば私はクリスチャンではありませんがキリスト教が最も優れています。
間違いがないのは過が起こるのはどうしてか。
人間に間違いがあるからです。私利私欲。私利私欲が私利私欲に圧力を与える。
結果、私利私欲が宗教を利用する。お前は馬鹿だから教えても無駄。
最も優れた宗教は※である。馬鹿には教えない。馬鹿だからこんなこと言われても平気。
もっと楽しいことはないか知らん、と思う。
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別に、他宗教を、非難して、いる訳では有りません。


もし、誤解を与えたなら、謝ります。

今や、世界人口大半がキリスト教徒です。
イスラムも、負けて無く、15億人以上、仏教徒と、ヒンズーが、後に続きます。
救いとは、只管、主イエスキリストを信じ、お縋りし、主の、十字架の贖いをを信じ、信仰に、生きることこそ、クリスチャンの本領で有り、別に、難しい生き方では、有りません。
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この回答へのお礼

批難している、と言うわけではありませんが、誰でも自己愛というものがあります。自分の所属している組織を良く思う気持ちがあって当然です。そうでなければ、キリスト教徒として存在しているわけがありません。誰でもがそうですが、何かの集団に所属すると、必然的に他との差別化が起こります。企業であれば競い合うことで発展するという理屈もあります。
 対立する組織が複数存在していて、その中の一つに所属する場合は、いやでも、所属する団体を守るために、最低でも防御をします。激しい攻撃に晒されれば反撃せざるを得ません。安全な日本では、イスラムの攻撃を受けて居ませんが、ミャンマーのロヒンギャの問題、フィリピンのキリスト教とイスラム教の攻撃が存在します。中国もいずれウイグル人の差別があり何かが起こる可能性はあります。ヨーロッパだけではなく、徐々に日本周辺にも対立の風が吹いています。宗教的対立は、実は貧困問題化もしれません。ヨーロッパに移民をしたイスラム教徒の場合、例えば、フランスでイスラムの女性の髪の毛を隠す姿を禁止したことがあります。また、ヨーロッパの社会での労働者としての立場が、汚い、きつい、安い賃金、こうした職場しかない状態に置かれて、自然とイスラム教徒だけが集まることがヨーロッパ各地で起きていて、差別されている現状が存在します。イスラム教徒が増えれば増えるほど、キリスト教徒が国を占拠されるのではないかと恐れます。そこから極右が台頭したりして、イスラムの人達の不満がISへ向かわせてしまう傾向もあります。難民というよりも、楽して暮らす、ということでヨーロッパに渡る人も多くいます。
 悲しい現実ですが、違いというものを越えて多様性をお互いに認め合う難しさが存在しています。

お礼日時:2017/10/07 07:20

クリスチャンです。


神の天地創造と、新約聖書27書、旧約39書に及ぶ聖書を、無謬のものと、深く信じて居ます。
なお、私の個人的考えですが、
ダーウィンの進化論は、否定しません。
例えば、アフリカの草原を走るシマウマのゼブラ模様は、環境に、適応した、進化で有り、豹や、チーターなどの模様も、周囲の環境に溶け込み、狩を容易にする為の進化で有り、それもまた、神の手になる、創造の一環です。
ただ、進化論は、絶対では、有りません。
単なる仮説です。
サルは、どんな進化を重ねたとしても、サルで有り、ヒトは、あくまでヒトで、有り続けて居ます。
ミッシングリンクは、未だに解明されませんし、私たち全員は、生まれながらに、罪を持って居ます。
一方、罪には、罪に止まることなく、
赦しを必要と、します。
その赦しを得るには、神の御子である、イエスキリストの、十字架の贖いを信じ、キリスト教徒に、なる以外、私たちに、救いは、有りません。
ユダヤ、キリスト、イスラムと言っても、ユダヤ教は、イエスキリストを認めて居らず、イスラムも、旧約聖書を原典と、しますが、ムハンマドの書いた、コーランを、唯一の聖典と、崇めて居ます。
また、同じ、キリスト教徒ですが、教皇を、中心とするカトリックと、かつて、新教徒と、呼ばれたプロテスタントとなる一派が台頭が有り、現在に、至って居ます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

 救いとは何でしょうか。生まれながらに原罪を持つ。その部分での救いなのでしょうか。救われることが、イエス・キリストの十字架の贖いを信じる以外に救いは無い、と断言されるところが、日本人的な感覚では難しいところです。ムハンマドが書いたコーランとありますが、ムハンマドは文字が書けないので、口伝で伝えたようで、他のひとがそれを書いたと言われています。ですから、イスラム教徒は、声にだしてコーランを読まなくてはいけないとされています。他宗派を排斥するのであれば、その宗教の何がいけないのか、何でいけないのか、やはり勉強してから非難すべきではないでしょうか。そこに誤解が生じているのではないでしょうか。排除行為は簡単です。大人の社会でも子供の社会でも苛めが無くなりません。優越意識や、人間の攻撃性が、良く知らないことを良いことにして、相手を排除したり、軽蔑したりするのが得意な人間社会なのではないでしょうか。小さな教えの違いを超えることがなぜできないのか、それほどに規律が厳しいのであれば、一般生活が許されなくなるはずですが、結構、融通無碍にくらしておいでではないでしょうか。自分に厳しく、他人に優しい。これが難しいことですね。
 ごめんなさいね。天地創造をまったく信じられないので、私も狭量な心の持ち主で、攻めてしまったようです。解り合えることの大事さがあるとおもいます。是非そう願います。

お礼日時:2017/10/06 23:36

ホントですよ、冷やかしではありません。


私はいつも一神教の支配戦略に恐怖を感じています。
日本の国は八百万の神、全ての宗教神様仏様を飲み込んでしまう素晴らしいものだと思っています。
食事の時に神祈りをささげるのではなくて、頂きます、ご馳走様でしたが言えるように教育されてきました。
おはようございます、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい、ありがとうございます。
学校に通学する小学生が知らなかったおばさんに、毎日言っていたらおばさんも返してくれる。
そんな日本が大好きです、台所の神様も、トイレの神様も、猫にも、犬にも皆にいるそんな神様が好きです。
ユダヤ、イスラム、キリスト、ホントに神様なら階級とか支配者とか指導者とかが争いを言うのはおかしいでしょ。
初めの人は凄い人だったんだろうけど、あとからの弟子に恵まれてないね。
金と支配に争いじゃね、日本みたいに気軽に神社とか行きたいだろうに。
私の心の支えはご先祖様に手を合わせてお守りくださいでいいんです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日本では、長い縄文時代があったそうです。古代の4大文明はいずれも乾燥地帯ですね。乾燥地帯ですと、人の移動が、馬や牛、家畜の山羊や羊が楽に移動できるのではないでしょうか。しかし、日本列島は、氷河期が終わるころに縄文人が渡ってきたようです。太平洋を時計の進む方向へ黒潮が巡回して、日本列島をかすめてゆきます。その黒潮の上をモンスーンの風が吹き雲が作られるそうです。暖かく湿潤な気候は、雨が多く、冬は、シベリアからの季節風が日本海を渡ってきます。その時に黒潮の分流が対馬暖流として日本海へ流れ込み、湿った季節風が日本列島の山にぶつかり大雪を降らします。また、日本列島には、高い山が海岸まで迫り、その山には樹木がしげり、縄文人の移動を難しくしていたと思われます。日本列島の海岸沿いや、長野県の八ヶ岳と南アルプスの谷間などに点々と縄文遺跡が見つかっています。現在、大きな集落遺跡は、青森の山内丸山遺跡で、500年間くらい続き400~500人が、栗の栽培の痕跡が見つかっています。しかし、日本海を集落伝えに丸木舟で交流していたのではないかと思われる証拠があるそうです。現在の新潟地方の産出の翡翠の首飾りと思われるものが出土しているそうです。少しの大雨で洪水になったり、火山噴火が起きたり、地震がおきて津波の被害にもあったでしょう。人間には、あがなえない自然災害にさらされる災害列島であったと思われます。火山に祈り、河川に祈り、雨風に倒れない巨木に祈り、洪水で流されてきた、巨岩に祈り、太陽に祈り、月に祈り、自然の中に生かされている人間、と言う感覚や、人間は、この大自然の一部として生きていると思う暮らしがあったように思います。ここから、八百万の神が生まれてきたものと推察します。乾燥地帯の生活とは違い、恵まれている部分もあるが、激しい災害にも遭遇する暮らしが、大陸と海で隔てられた日本列島に独自の宗教的世界観の大自然が存在していたのでしょう。ある種の謙虚さと、自然という大きさが、先鋭的な宗教観が生まれずに、一見、曖昧でもあるし、懐が深く謙虚さが生まれ育つ自然観という宗教が根付いたのではないかと考えます。弥生時代に大陸から、朝鮮半島から、農業を持って日本に入ってきた人間と縄文人が混血してゆきます。稲とともに、文化と戦争を持ち込みます。現在の日本人ができあがります。私見です

お礼日時:2017/10/06 22:51

NO.2凄いです!ひえ~!


コピーしときます。
下手な事書けません。
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この回答へのお礼

気楽に、見方は色々あって良いとおもいます。
こうした長い質問を読んでくださるだけでうれしいことです。
何せ、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムの時代で、短文であざけり罵倒される時代です。

お礼日時:2017/10/06 15:36

訂正します。



いるまでたってもではなく、いつまでたってもです。
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①ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 と同じ土台の上に立つ一神教は、なぜ殺し合うのでしょうか。


 ↑
基本的に布教し、異教徒を奴隷にしてよいという宗教上の理由です。
この奴隷が労働するので、征服者は食料を与えて生活を保障してあげるのです。
奴隷の生み出した利益は権力者の物であり、奴隷は変われているだけです。
信者も働きますが、神に日々の糧を与えてくれるシステムに感謝し、信仰を深めるのです。
…と20世紀まで普通にそんな考えがまかり通ってました。
なので、各地で戦乱が起きていたのです。
現在でも基本的には東側(=オーソドックス)と西側(カトリック/プロテスタント)に別れて争いがあります。
これは元はローマにはじまりますが、それ以前のギリシャのオリンポスか、ローマかってことですね。
そもそもユダヤ教から派生した宗教と思われがちですが、実は超古代イスラエル教によるものです。
シュメール創造記の粘土板をヘブライ語に翻訳したものが旧約聖書となり、それらをまとめたものが新約聖書です。
創造記を簡単に要約すると、こうです。
天(ヤハウェ)は土からアダムを生みます。
そうして、エデンの園(中東イスラエル)に実の生る木々を生みました。
そうして孤独なアダムからエバ(生命)を作りました。
天はこう伝えます。
木の実は食べても構わないが、善悪の実(知恵の実)だけは食べてはいけないと。
しかし、エバは蛇に騙され善悪の実を食べてしまい、アダムをそれを食べてしまいます。
それを知った天は怒り、蛇の足を奪いました。
アダムとエバは善悪の実の効果で、お互いの自我が目覚め、裸を恥ずかしいと意識するようになり、アダムは汗して働かないと糧を得られなくなり、エバは産みの苦しみを味わうことになりました。
これが聖書やコーランでいう”原罪”です。
特に、キリスト教では、アダム信仰の為に、人は土から神が作った物なので、人は死んだら土に埋められるのです。

また、進化論は一つの学説ですが、これが唯一無二論ではありません。
ミトコンドリアから人が生まれたのなら、人しか世界中に存在しないことになってしまいます。
突然変異種はかならず淘汰され、繁殖しません。
これが世の定説です。
魚類ひとつとってみても、数種の亜種があり、それぞれ別の進化を遂げたはずです。
人種の亜種も、確かにホモサピエンスはアフリカかは発生しましたが、ホモネアンデルターレンシスの混血が金髪碧眼の白人の祖だと判明しています。
このことから、白人種の巨人の神=オリンポス神は最初の混血児という話になります。
それはネアンデルタール人は2m規模の巨人で金髪碧眼で温厚な種族であり、洞穴に住み、火(科学)を持っていたとされています。
これがオリンポス神話やオデュッセイアで語られる巨人伝説です。
オリンポス神族は、ギリシャの地で、バルカン半島のスラブ人を奴隷として統治していました。
これが古代ギリシャ神話となります。
ギリシャ神話(ティターン神話)は主に女系(女神)神話で構成されており、男神は”外(クロノス系オリンポス神話)”からいきなり関係します。(脈絡もなく)
これはエジプト神話と同じ特徴です。
征服されてきた血の歴史とも言えるでしょう。

さて、ギリシャの由来は、ティターン神(巨人)のヘレーンに由来します。
ヘレーンから訛ったギリシア→ギリシャになったとあります。
ヘレーンは女神で、英雄プロメーテウスの息子のデウカリオーンと、プロメーテウスと兄弟のエビメーテウスとパンドーラの娘のピュラーとの間に生まれた女神です。
姉妹にプロートゲネイアがおり、これが主神ゼウスと結ばれます。
ゼウスはオリンポス神のクロノスの息子です。
性欲の塊のようなお琴で、一夫多妻でした。
残念なことに、プロートゲネイアは”愛人”にもカウントされていないお手付きです。
ゼウスとプロートゲネイアとの子族は、最終的にはアルゴスのミケーネ中心とするアカイヤ人とトロイヤ人(イーリオス人)との間のトロイ戦争に参加したアイアースの戦死と、その弟の処刑で血は潰えます。

ヘレーンの子族は、最終的にはアカイヤの南のエーリスの王となるエンデュミオーンです。
エンデュミオーンも一夫多妻で、それぞれの妻に50人の娘を設けたそうで、その息子たちをオリンピアで王位を競わせたのがオリンピック発祥だとされています。

これが後のギリシャ亡き後のローマ王に引き継がれて、ローマ王ユリウス・カエサルの時代より以降は、男系となり、現在のヨーロッパの王族と繋がっています。

話は戻ります。
さて、宗教の話に戻りますが、エジプト神話について語ります。
エジプト神話にも天地創造があり、天の女神ヌトと大地男神ゲプから子ラーが産まれます。
ところが、この通説は後付けであり、後の創作であるとされています。
真実は、天から降りてきた天使が人の娘が大変に萌えであっことで、妻にしたとあります。
その天使の初めての子はラーだというのです。
故にラーは唯一無二の王であり、人の女はひとえに子を成すための物であり、男は金を集める奴隷とされました。
それゆえ、ラーはムトと妻に娶ります。(ひえ~!)
更にラーはヌトとの間にできたホトホルをも妻にします。(ひえ~!)
こういった近親相姦はエジプト神の伝統で、代々受け継がれます。
ある意味女系なのです。
ラーの息子はオシリスで、娘がイシスです。
この二人は婚姻します。

ところがナイル川の向こうのもう一つの大地(エジプトではカナンの地とカイロの地と世界が二分されているという考えの元、それぞれファラオがいた。)の神セト(神話上はオシリスの弟とされる)がオシリスを図り事で誅殺し、エジプトを制圧し、イシスを妻にします。(ひえ~!)
このセトは、旧約聖書のアダムの子され、セトの子のエノスはアダムの孫となっています。
セトはエジプト神話においては、オシリスの息子のホルスに殺され、ホルスは祖母のホトホルを妻にします。(ひえ~!)
で、沢山の子宝に恵まれました。(ひえ~!)
これが、現在のエジプトの民間宗教のホルス信仰となっています。
エリスの息子はカイナンと言い、なんと910歳という長寿であったとか。
カイナンの息子マハラエルで、そのマハラエルが65歳の時にできた息子がヤレドで、これも895歳という長寿であったとされます。

話はエチオピア神話に写ります。
エチオピアで発見された粘土板にはヨベル書とエノク書があり、そこには面白いエピソードが掛かれてあります。
なんでもアダムの息子は二人おり、カインとアベルの兄弟に妹アワンがいたそうで、カインはアワンを娶ります。(ひえ~!)
そうして人類初の殺人事件が起きてしまいます。
なんとカインがアベルを殺害してしまうのです。
ヤハウェは死んだアベルの大地の血からそれを知り、カインを無毛の血へと追放しまい、そのカインとアワンの子孫がエノクなのだというエピソードです。
あれ?
なんとなくエジプト神話と被ってきましたね。

さて、面倒ですが、ヤレドにまた話は戻ります。
このヤレドが162歳の時にできた息子がエノクで962歳まで生きたそうです。
その息子がメトシェラ。
メトシェラの息子が、有名なノア。
これが大洪水で人類が絶滅した後の最初の人間の祖であり、この後人類は、ヤフェト(コーカソイド)、セム(モンゴロイド)、ハム(ネグロイド)に別れたというのも、れっきとした科学です。

どれが本当か、誰も知りません。

ちなみに、ホルス信仰から逃れて、アラビア半島で元祖イスラム教(ムスリム)を生んだのがアブラハムで、最初の救世主(預言者)であり、聖人。
で、エジプトから十戒で逃れたて、古代イスラエルを作り、ユダヤ教を起こしたモーゼも預言者で聖人。
滅びたイスラエルから後に現れた救世主がイエス・キリストでありムハンマド。

エホバの証人(ものみの塔)はユダヤ教の前の前身。
※エホバとはヤハウェの別名。

このように、日本以外では、血が血が続かないので、どうしても権威の正当性に欠けるためにいろいろと歴史の修正が行われてきています。
その集大成が現在です。

だからいるまでたっても府の連鎖は停まらないのですよ。

一度全世界で総括しないとダメですね。
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この回答へのお礼

や~っ 凄いです。 ありがとうございます。
都合の良い神話をいかに残すかが、各民族で行われていたようですね。
エジプトのツタンカーメンのミイラをCTスキャンで調べたそうですが、身体の骨格異常が数カ所見つかっているということです。そのことも、近親結婚が原因ということだそうです。確か母親と結婚したとか。

 ギリシャ、エジプト、ユダヤ、と神話は伝わり、ごちゃ混ぜになり、都合で修正の繰り返しが行われてきた、ということですね。

 日本の古事記も口伝で伝わり、主に、日本海側の人達の言い伝えが、出雲神話として集約されて残り、実は、激しい戦争をして、伊勢神宮側が何とか勝利して、政権を受け、出雲側に超高い社を建てて、古事記で言う、国譲りの義、の状態になったようですね。

 日本書紀は、天武天皇が都合の良い状態に書かせたものとされています。この時に【日本】という国家の名前と【天皇】という称号を中国の古来の文献からえらんで付けたということですが、真偽のほどは、???

 ありがとうございました。コピーして保存させてもらいます。

お礼日時:2017/10/06 12:50

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