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アンリ4世はユグノー戦争のとき、
改宗してナントの勅令を出しましたよね?
でも、なぜわざわざ改宗する必要があったんですか?

A 回答 (1件)

 こんにちは。



 1560年、まだ幼少のシャルル9世が王位につきますと、62年にカトリックVSプロテスタント(=ユグノー・・・カトリック側からの蔑称)で内戦が発生します。

 ここで王室は、宥和政策を採ります。70年には、ユグノー側の大物・ナヴァラ王アンリと、シャルル9世の妹マルグリットが結婚することになり、8月18日、パリで盛大な婚礼がおこなわれます。ところが、パリにユグノーの大物が参集した6日後、サン・バルテルミの大祭に出席したユグノー達の大虐殺が行われました。このサン・バルテルミの大虐殺でユグノー側の指導者コリニーらが死亡。怒ったユグノー側はドイツの新教徒、イングランド・オランダと手を結び、一方旧教側はスペインの介入を招き、内戦は泥沼化。

 1588年、シャルル9世の跡を継いだ弟のアンリ3世は、旧教・新教どっちつかず。そのため旧教徒の修道士に暗殺されてしまい、ヴァロワ朝の血筋が絶えてしまいます。そのためナヴァラ王アンリは、先に述べた通りマルグリットと結婚していたため、即位しブルボン朝を開くことを宣言(アンリ4世 位1589~1610年)します。

 ですが、そんな勝手は旧教徒は認めません。アンリ4世はパリ入りを拒まれます。そのため彼は旧教に改宗。一方新教徒に対してはナントの勅令を発布し、信仰の自由を認めることで決着をつけ、内戦を終結させました。

 というところでしょうか。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございました。
とてもわかりやすかったです。。

お礼日時:2004/09/13 17:28

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