マンガでよめる痔のこと・薬のこと

非思考の庭の入り口は眩しいほどに光り輝いているのが分かります。
思考の庭の入り口はやや曇りががっているのが分かります。
噂によると非思考の庭に入ると幸せになれる人もいるといいます。
思考の庭については特段そのよーな噂はございません。
2つの庭は両方とも入り口が開いていて、皆さんが入って来るのを待っています。
ただし、いずれの庭も一度その門をくぐると容易には他方の庭には移れないと言われています。
さて皆さんはどちらかの庭を選ぶとしてどちらの庭に入りますか。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    おそらくはこんな具合になるのではないでしょーか。

    多くの人達は非思考の庭に憧れているでしょー。
    非思考の庭の入り口は眩しいほどに光り輝いている。
    非思考の庭で安らかな時間をおくれば幸せになれると思うからです。
    しかしながら多くの人達は非思考の庭の前に立つと何故かそこで立ちすくむのです。
    なぜ庭の入口で立ちすくんで非思考の庭に入ることが出来ないのでしょう。
    それは非思考の庭が放つ眩しいほどの光りを不気味に感じるからではないでしょーか。
    非思考の庭に入ると安らかな時間をおくれるはずなのに、現実に非思考の庭の前に立つとそれを恐ろしく感じるからではないでしょーか。
    だから多くの人達は非思考の庭の入り口までやって来ても中には入らず、そのまま立ち去るのです。
    そしてしぶしぶ思考の庭に向かって歩いて行くのです。
    やはり最後の瞬間には人間的な生活を送った方が良いと知るからです。

      補足日時:2017/10/16 22:41

A 回答 (12件中1~10件)

非思考の庭に行く前に


思考の庭を選んで納得の行く答えを出した後
非思考の庭に行きます。

納得の行く答えは簡単ではありませんが
行動する事で必ず答えは導かれます。
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第七識が自らの記憶に関連する識、


第八識が共同体・民族的に関連してある識

だったでしょうか、

第九識は、穢れのない命そのもの、力強い生そのものの識

ではなかったでしょうか。いろいろなことを見聞きし、体験経験すると、ひとはいろいろと制限したり、セーブするために、いつのまにか曇らされたり、鈍らされたりして、この九識をとりもどしにくくなる、というような話ではありませんでしたか?
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どうしていつも二つに一つなの。


3つだとだめなの。
どっちか一つならどちらにも憧れたりできない。
私の理想は、行ったり来たり出入り自由。

実際、人の意識の現実では、行ったり来たりも可能だし、
そうしていないとストレスフルですよ。
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思考の庭に生まれてしもたから、時々、酒の力を借りて、隣の庭を覗いてみるんじゃ。

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双眼鏡を用いる前に、自分の目玉の奥の庭から類推せよ、と(誰かに)言われた。



(非思考の庭)を想定しようとするとき、わたしはそれが(感覚の世界)になってしまう。なぜだろう。と思っています。

すると次に、(五根)のなすはたらきを統御し、整理するものを(六感)とせよ。と聞こえてくる。


たぶん、これは第九識は光り輝いてよくわからない世界のようですが…


わたしのもつイメージは左の門の奥に光り輝く庭、右の門の奥に普通の庭が見えます(イメージされます)。

僕はどっちのほうからこれを眺めようとしていますか。


あと、言語野、感覚野、運動野、前頭前野などの言葉も浮かんできています。
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「非思考の庭と思考の庭」


⇒まず、その違いを解説してほしいですね。
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★ (№5お礼欄) ~~~~~~~~~~~~


人は動物ではないのでどれほど穏やかで幸せな時がおくれる
としても非思考の庭には立ち入りません。

やはり最後の瞬間には人間的な生活を送った方が良いと知る
からである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ですから それは 《無い神》派の信仰です。それも
非思考の庭です。よ。
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この回答へのお礼

>☆ いや それだったら 《神を受け容れない(信じない)と
して受け容れた――つまりは 〈無い神〉をわが神とした――》
ということで 信仰が始まり じつに非思考の庭が成り立って
いるのだと思いますよ。


神を受け入れるも受け入れまいも、アルケーの神は我々の前におわします。
神が何であるかまるで分かっていない。無知である。
神に対する感覚があまりに違いすぎる。

お礼日時:2017/10/17 00:18

さらにコメントをいただいています。



★ (№4お礼欄) 非思考の庭に入って安らかな時間がおくれ
れば幸せになれると思うかもしれない。
☆ その《入る》というのが よく分かりませんね。

オホモノヌシの神あるいはブラフマン神を――その名をです――
わが心に無条件に無根拠にて受け容れたときには――それが《信
じる》ということなのですが―― そのわが心に 《非思考の庭》
が成る。

もともと生まれつきそなわったものですが この《信じる》とい
う意志行為をきっかけにして 実現するとします。

そのあとは この非思考の庭の動態として 信仰が推移します。

★ 安らかな時間をおくる / 幸せに成る
☆ これは 確かに信仰のもとに生きることの結果として もた
らされるものと思いますが 問題は その非思考の庭が成るとい
うことは 《われが われに還ること》です。

《わたしがわたしである状態に成ること》です。

ということは わたしは世界と和解することが出来た。同時に
わたし自身とも和解することが出来た。という状態です。


★ しかしながら多くの人達は非思考の庭の前に立つと何故か
そこで立ちすくむのである。
☆ ううーん。神を心に受け容れると 非思考の庭が成るので
すよ。

もともとそなわっているのを知って そのとき《非思考の庭の
前に立つ》ということが起きるんですかね?

どうもピンと来ないんですが 問題は 神を受け容れるかどう
かですよ。受け容れないと反発したかたちで 受け容れる場合
をふくめて。

そのとき・そのあと 非思考の庭が成るのです。


★ そしてしぶしぶ思考の庭に向かって歩いて行く。
☆ あぁ 《非思考》ということを《思考》しているんですね?

どうも得体の知れない庭ぢゃわい! と思いおそれが出るとい
ったことを言うんですかね?


★ やはり最後の瞬間には人間的な生活を送った方が良いと知
るからである。
☆ いや それだったら 《神を受け容れない(信じない)と
して受け容れた――つまりは 〈無い神〉をわが神とした――》
ということで 信仰が始まり じつに非思考の庭が成り立って
いるのだと思いますよ。

何の問題もないはずです。

《思考の緑野》だけでいいと思うということは 神は《無い神》
でよいという選択をおこなったということです。

つまり隠れたかたちで そのときじゅうぶん正式の《非思考の
庭》が 成り立っていますね。
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この回答へのお礼

人は動物ではないのでどれほど穏やかで幸せな時がおくれるとしても非思考の庭には立ち入りません。
やはり最後の瞬間には人間的な生活を送った方が良いと知るからである。

お礼日時:2017/10/16 23:33

コメントをいただきました。



★(№3お礼欄) ~~~~~~~~~
非思考の庭が放つ眩しいほどに光りを不気味に感じるからでは
ないのか。

非思考の庭に入ると安らかな時間をおくれるかもしれないが、
現実に非思考の庭の前に立つとそれを恐ろしく感じるからでは
ないのか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 身と心(身体と精神)は ハタラキとして 《感性の原野
と思考の緑野》である。

けれども 人間は この《身と心とから成る自然本性》だけで
はないと思われる。プラス・アルファとして 《霊我(アート
マン あるいは ブッダター あるいは プネウマ)》がある
ようだ。

これを 《非思考の庭》と称している。

――これは 理論であり まったく感情とは直接のかかわりが
あるとは思えないのですが それでも:
★ 眩しいほどに光りを不気味に感じる / 現実に非思考の庭の
前に立つとそれを恐ろしく感じる
☆ ということですかぁ。



よく分かりませんが ひとつには――ただいま思ったことです
が―― 非思考の庭を 何かいまの自分に外から付け加えるも
のとでも捉えて思っているのではないか?

すでに 生まれつきの自然本性に――プラス α として――そな
わっているんですけれどねぇ。

ブッダター(仏性)も 誰もが宿しているものでしょう? そ
ういうもんなんですけれどねぇ?
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この回答へのお礼

非思考の庭に入って安らかな時間がおくれれば幸せになれると思うかもしれない。
しかしながら多くの人達は非思考の庭の前に立つと何故かそこで立ちすくむのである。
そしてしぶしぶ思考の庭に向かって歩いて行く。
やはり最後の瞬間には人間的な生活を送った方が良いと知るからである。

お礼日時:2017/10/16 22:49

○ 人間たる《われ》なる存在の成り立ち ~~~~~~~~~~~~



【信じる】:霊我:非思考の庭:     ヒラメキ・  良心
                      ↓    ↓
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                      ↓    ↓
【考える】:精神:思考の緑野:コギト: 直観・思想  ↓
【感じる】:身体:感性の原野:センスス・コムニス: ヤマシサ反応

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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この回答へのお礼

非思考の庭の入り口は眩しいほどに光り輝いている。
非思考の庭に入ると幸せになれる人もいるとも聞いている。
しかしながら多くの人達は非思考の庭の前に立つとそこで立ちすくむのである。
非思考の庭に入ると幸せになれるかもしれないのになぜそこで立ちすくむのか。
なぜ立ちすくんで非思考の庭に入ることが出来ないのか。
それは非思考の庭が放つ眩しいほどに光りを不気味に感じるからではないのか。
非思考の庭に入ると安らかな時間をおくれるかもしれないが、現実に非思考の庭の前に立つとそれを恐ろしく感じるからではないのか。
だから多くの人達は非思考の庭の入り口までやって来ても中には入らず、そのまま立ち去るのである。

お礼日時:2017/10/16 22:21

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