1. 神は 普遍神であって 《有る神がある》と《無い神がある》との
二つの相い異なる主観を 同時にみとめている。
2. 《有る神》派と《無い神》派とは 互いに自由に同等である。
3. なぜなら これら有神論および無神論なる《人知》を 神は超えて
いるのだから。
4. だから 神をめぐっては われわれ人間は 互いに見解が異なって
も 仲良くするのが 自然でふつうのことである。
5. あるいは 宗教が おれんとこの神がいちばんだ 唯一ただしい
ほかのはデタラメだとほざくのは チャンチャラ おかしい。
6. などなど あなたの自由な主観としてのご見解をおしえてください。
No.18
- 回答日時:
ブラジュロンヌさんの云う《神は人知を超えている》とは、何を指しているのか。
私は思う。
たぶん、宇宙の大精神の事ではないかと。
生命は必ず物体を通して活動しています。この物体から”精神?”を抜き取ったらただの物体であって、それが有機質であるから、他の物質に変化してしまいます。
こんなことを思えば、生命は物質×精神であると単純に思えます。
それでは、”生命”が認められない物質には精神はないのか、という事になりますが物質も活動しています。それは物理的な反応であり、科学的な変化であります。単なる”物”であったならこうした反応はないはず、と思えばやはり精神の存在を認めたくなります。
そして、その反応は生命とは違って規則があり、それは物理・化学となって明らかにされています。
人の道さんのいう“法則”はこれに当たるのでしょう。
こんなことを考えていると、精神は活動するものだと云いたくなります。
ブラジュロンヌさんはこの活動する精神の元を《超えている》と表現している、のかな?
ご回答をありがとうございます。
★ ブラジュロンヌさんの云う《神は人知を超えている》とは、何を
指しているのか。
私は思う。
たぶん、宇宙の大精神の事ではないかと。
☆ そうですよ。ただし 人間の《身と心》というときの《心:精神》
と同じだと思ったら ちょっとおかしい。
なぜなら 《宇宙の大精神》は 《身》にもカカハリを持ち ハタラ
キをおよぼすから。
★ 生命は物質×精神であると単純に思えます。
★ それでは、”生命”が認められない物質には精神はないのか、という
事になりますが物質も活動しています。それは物理的な反応であり、科
学的な変化であります。単なる”物”であったならこうした反応はないは
ず、と思えばやはり精神の存在を認めたくなります。
☆ ただですね。ほぼ同じことを 逆に捉えても言えるんです。
《身》を成り立たせている《質料(材料・素材・要するにモノですね)》
の形而上的な親分としての《物質(これは 人知を超えています)》を
宇宙の大精神の代わりに持って来ても 同じことが言えるんです。
世界は 《物質》のあたかも自己運動として現われた。そこに《心・精
神》もが伴なわれているのだと。
つまり 唯心論と唯物論とは 神論としては ほぼ同じことを言ってい
ます。
★ そして、その反応は生命とは違って規則があり、それは物理・化学
となって明らかにされています。
人の道さんのいう“法則”はこれに当たるのでしょう。
★ こんなことを考えていると、精神は活動するものだと云いたくなり
ます。
ブラジュロンヌさんはこの活動する精神の元を《超えている》と表現し
ている、のかな?
No.17
- 回答日時:
(ある神)が慈愛に満ち溢れた神、(ない神)がただただ厳しい神、というイメージを僕は抱いています。
わたしに見える厳しい神はむかしわたしが神を求めなかったからだとするならば、わたしは反省しまた歩みなおさなければいけない。
だけど、いつになったら神はまた慈愛の姿をあらわしてくれるのだろう。
わたしはこのような姿で生まれてきたが、一体何の意味があるだろう?
———
声聞は仏の説く法を聞いて歓喜した。『無上宝珠 不求自得』と
——
(ここはわたしの勝手な意見です)
菩薩たちはこう思う。
すばらしい、だけど、わたしたちは望んでここに生まれてきて、また、望まれて生まれてきた。私たちの宝珠は求めて得たのだ。だから、わたしたちは仏道を求め、仏を供養し菩薩行に励む。
一番難しいのは、苦しみに耐えているひとに、苦しみを和らげ、自らまた歩みだせるように促し励ますことなのだ。
と。
——
(ここも意見です)
仏はこう思う。
歓喜できることは良いことだ。
しかし、一切のことは、(仏道を求め、自身本来の菩薩行に励み)わたしがただただ精進を重ねて積み上げてきたものだ。
———
言葉足らず、不正確で、正しいことを言っていない、誤りであることを恐れます。
(ここはもう、一乗の場として描かれているところです)
言いたいことは、もし、凡庸な人間として生まれてきて、ちっぽけでしょうもない自分を考えるとき、どう歩んでよいかはわからない。ときとして良き友人に励まされ導かれてすこしづつ歩み、少しづつ理解できてゆくものだと思います。
これは(縁)なのかも知れませんが。わざと(運)とは言わないようにしていました。
(幸運の持ち主)は神に愛され、(不運の持ち主)には神は厳しい。
どれもこれも自らのもの(自業自得)である。のかもしれないが、どうにも受け入れ難いものがある(本当に自業自得で片付けてよいか)と思います。けれどもできるだけ自らの心で、自らのために歩みたい、そして歩んでほしい。
(グラデーションの神)のようなものを想定すると、変に差別意識が助長されてしまうのではないかと考えています。
「わたしはわたし、わたしが努力する以外に道はなし」と覚悟できる人はまだ良い人と言えるでしょうか。
ここにもまだ問題が漂っているように思います。
この(気持ち)のほう、これは学問ではないところです。だから学問としては意味が乏しい。だけど学問以前として存在していて、良い学問を進めるために少しの糧、すこしの励ましにはなりませんか?
ご回答をありがとうございます。
★ (ある神)が慈愛に満ち溢れた神、(ない神)がただただ厳しい神、
というイメージを僕は抱いています。
☆ そうですか。これは すでに旧約の時代から 《隠れたる神:
デウス・アブスコンディトゥス》として一つの主題を成しています。
つまり 《有る神》も《無い神》も 人間の悲惨や不条理を見ても
黙っているではないかという論点です。
★ わたしに見える厳しい神はむかしわたしが神を求めなかったか
らだとするならば、わたしは反省しまた歩みなおさなければいけな
い。・・・
☆ 身も蓋もないことをズバズバ言いますが それは 人知をはた
らかせているという問題だと思います。
★ わたしはこのような姿で生まれてきたが、一体何の意味がある
だろう?
☆ といった問いを 親鸞も何度も問うたと思います。たどりつい
たヒラメキが 《義無きを以って義とす》でした。
《義無き》は 人知を超えた場と言いかえたほうがよいのかも知れ
ませんが わが心を何ものかにゆだねているのだと思います。絶対
他力とは そういうことですね。
★ この(気持ち)のほう、これは学問ではないところです・・・だ
けど学問以前として存在していて、良い学問を進めるために少しの
糧、すこしの励ましにはなりませんか?
☆ 哲学としては この気持ちとそれが志向し修行に励むところを
《人知(その能力と努力)》と呼ぶのだと思います。
それが 《思考の緑野》なる世界だと思います。ほかに 《非思考
の庭》もあるのだと 神論としての哲学は言います。
《一切衆生 悉有仏性》などのヒラメキ命題を借りて来て。
ですから 空海は 《即身成仏》にたどり着きました。親鸞は《即
得往生》と。
▼ (道元:現成公案)
自己を運びて万法を修証するを迷とす。
万法進みて自己を修証するは悟りなり。
ほらふきさんさんは 真面目過ぎるのではないか。
★ 『無上宝珠 不求自得』
☆ なんでしょう?
前回 気づきませんでしたが:
★ (グラデーションの神)のようなものを想定すると、変に差別意
識が助長されてしまうのではないか。
☆ これは 成道の度合いでカースト制度を敷くような恰好ですね。
何か目に見えない階段が置かれていて ここを上がって来いと言っ
ているような。
No.16
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
実を言えば、この発想を得たのは、「カラマーゾフの兄弟」でした。
これは、哲学ではありません。
文学として、「在る神」を信ずる者も、「無い神」を信ずる者も、実は「全て許される」と言う事を論じています。
「無い神」を信ずる者は、悲劇的最後を遂げます。(残念ながら、第2部(「在る神」を信ずる者のその後)を書く前にドストエフスキーは死んでしまいました)
※ドストエフスキーは、哲学は無理だと観念して、文学の道に進んだようです。
ご回答をありがとうございます。
★ 実を言えば、この発想を得たのは、「カラマーゾフの兄弟」
でした。
これは、哲学ではありません。
☆ そうでしたか。ロシア文学については 恥づかしながら う
といです。
映画を見ましたかね。あるいは 最初のところをちらっと読んだ
らしい。
アリョーシャとか 何とかいうゾシマ長老とか何でしたっけ。
つまり ほのかに覚えているところでは 神学の現実的なちから
の限界をおぼえて 政界に入ったとか何とか。
だけど――いささか思い出し来たのですが―― その神学は成っ
ていないなと思ったことを思い出しました。わたしは insolent
(≒田舎者)ですから ドストエフスキーも大したことないなと。
★ 文学として、「在る神」を信ずる者も、「無い神」を信ずる
者も、実は「全て許される」と言う事を論じています。
☆ あっ そうでしたか。これは 早とちりのトンチンカンでし
たでしょうか。
★ 「無い神」を信ずる者は、悲劇的最後を遂げます。(残念な
がら、第2部(「在る神」を信ずる者のその後)を書く前にドス
トエフスキーは死んでしまいました)
※ドストエフスキーは、哲学は無理だと観念して、文学の道に進
んだようです。
☆ この《悲劇的な最後を遂げる》とか 《「在る神」を信ずる
者》の《最後・最期》がどうだとか もしそういう議論(理論?)
があるのでしたら その神学はおかしい。
人間が神に代わってさばこうとしている。人知を超えた者に成り
代わっての振る舞いをしている。
――となります。
(これは J.カルワンの問題ですね。神にさばきをゆだねている
けれど さばきがあるのだと思い込んでいる。人知の限界を踏み
超えてしまっている)。
ふむ。わたしの早とちりと生兵法も ぜんぶを捨てたものでもな
さそう・・・ですかね。
No.15
- 回答日時:
これは、
グラデーションの神となり、個々の人々を導き、その先には一般の神が(延長として)みえる
ような感じなのでしょうか。
うむ。これは むつかしい問いかけですね。
ご回答をありがとうございます。
★ グラデーションの神
☆ これは むつかしいですね。なかった発想ですね。
★ グラデーションの神となり、個々の人々を導き
☆ ですか。
そういう神が みちびくのか?
それとも 神論として理論づけ 《神とわれとの関係》という
かたちで神を位置づけたその説明が みちびくのか?
★ グラデーションの神となり、個々の人々を導き、その先に
は一般の神が(延長として)みえる
☆ ううーん。
わたしの考え――先ほどの発想――では 《一般の神》とは別
のたとえば《グラデーションの神》といったものを捉えている
という視点は ないですね。
ですから まだ腑に落ちては つかんでいないですね。
ちょっと保留していいですか。というより 考えがまとまると
も思えないでいるのですが。・・・
どうしましょう。
No.14
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
回答は、回答と言うより、議論の内容から感じ取った事を記載しただけです。
ですから、これは、やはり思考している結論です。(論理的整合性は取れると言うだけで、何かを生み出しているわけではないです)
考えられている事は、また違うと思いますから、もう少し質問を絞って(明確化と言う意味です)、質問されたら、有効な回答も出てくるのでは無いでしょうか?
ううーん。ぎゃくに これが ひとつの《焦点を絞った》かたち
ではあると思います。
無神論が有神論とまったく同等な神論であるということ。
この問題を そのつど思い浮かんだ切り口で問うて行きたいとは
思っています。
★ 論理的整合性は取れると言うだけで、何かを生み出している
わけではない
☆ のは むしろ神論の特徴ではないかとも考えます。
でも それをおさえておくと ほかの理論や議論に その交通整
理のために便利だとも思います。
それに 《宗教批判》が出来ていると考えています。
★ これは、やはり思考している結論です。
☆ 思考を超えた場について それを思考をとおして明らかにし
たい。神が 世界における人間にとってどのような位置づけにな
るかを知りたい。そのために 思考している。
これは 神論であり 哲学であると思います。
ご回答をありがとうございます。
No.13
- 回答日時:
正直に言えば、私は、神に対して何も語る事は出来ないんですが、もしかして、思考によらず、何かを確信させる「ハタラキ」そのものを神と呼んでいますか?
そのような意味であれば、「神はいない」と確信させる「ハタラキ」としての神が存在する=「無い神を信じている」、「神はいる」と確信させる「ハタラキ」としての神が存在する=「有る神を信じている」となり、つまり、両者とも、本当の神=「ハタラキ」を見ていないと言う結論になりますね。
こう考えるのも、思考しているので、そういうものでも無いのかもしれません。
ご回答をありがとうございます。
★ 正直に言えば、私は、神に対して何も語る事は出来ないんですが、
☆ ヘーゲルあたりで 打ち止めにした〔い〕というようなことでし
ょうか?
★ もしかして、思考によらず、何かを確信させる「ハタラキ」その
ものを神と呼んでいますか?
☆ そういったハタラキがあるのではないかと 信仰――非思考の庭
――が成ったあとでは 感じることがあります。
でも これを 理論立てることは むつかしいと思います。
★ そのような意味であれば、「神はいない」と確信させる「ハタラ
キ」としての神が存在する=「無い神を信じている」、
☆ なるほど。それは おもしろい。次の《有る神》派の場合と同時
に捉えると 分かりやすいし その同時成立説が 現実味を帯びると
いうような感じがします。
★ 「神はいる」と確信させる「ハタラキ」としての神が存在する=
「有る神を信じている」となり、
☆ つまり 口に出して言うわけには行かない・主観内面だけの体験
といったことですが――しかも 《宗教家》は臆面もなくこれをその
商売のタネにするようですが―― これは わたしは主観内でのみ有
効な(または 有益な)特殊絶対性と呼んでいます。
★ つまり、両者とも、本当の神=「ハタラキ」を見ていないと言う
結論になりますね。
☆ たしかに 見たのは ハタラキの通った《跡》なのでしょうね。
でもこの間接的な《神体験》は 主観にとって有力ですよ。
★ こう考えるのも、思考しているので、そういうものでも無いのか
もしれません。
☆ いや。《跡》やあるいは《影》を捉えて――捉えたと思って――
ひとは 内面に特殊絶対性をいだきます。この自由度は 有効なのだ
と考えます。
そういった視点を取り入れて考えてみると たしかに:
☆☆ 1. 神は 普遍神であって 《有る神がある》と《無い神が
ある》との二つの相い異なる主観を 同時にみとめている。
☆ といった命題は きわめて思弁的だと分かります。
ですが・たぶん ヘーゲルらの神論のすき間を埋めることが出来たの
ではないかと自負しています。
ヰトゲンシュタインの神論は いただけません。論理がひねくれてい
ます。
No.12
- 回答日時:
No.11です。
「もう思考力がはたらきませんか?」
⇒bragelloneさん、かなり苦しいようですね。
☆☆ (№9お礼欄) ~~~~~~~~
★ 人知を超えている神、そんなものは最初からないのです。
☆ というひとつの解が分かっていて その解しかないとも分かってい
るとしたら それは 人知を超えていないことになります。
人知が じゅうぶん・きちんと 及んでいます。
★ そんなものは最初からない
☆ という人知を超えているという場合を 言わば想定しているのです。
ですから おっしゃるように 《そんなものは最初からない》というこ
とであるかも知れないし あるいはそうではなく 《最初からある》と
いうことになるかも知れないのです。
これが 人知を超えた神です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ご回答をありがとうございます。
主題について論点を外さず 考えるということをしない回答が多いので
す。それで:
★ bragelloneさん、かなり苦しいようです
No.9
- 回答日時:
No.6です。
「ぢゃあ どこで見解が違ったのでしょう?」
⇒それは以下です。
「3. なぜなら これら有神論および無神論なる《人知》を 神は超えているのだから」
⇒人知を超えている神、そんなものは最初からないのです。
ご回答をありがとうございます。
★ 人知を超えている神、そんなものは最初からないのです。
☆ というひとつの解が分かっていて その解しかないとも分かってい
るとしたら それは 人知を超えていないことになります。
人知が じゅうぶん・きちんと 及んでいます。
★ そんなものは最初からない
☆ という人知を超えているという場合を 言わば想定しているのです。
ですから おっしゃるように 《そんなものは最初からない》というこ
とであるかも知れないし あるいは 《最初からある》ということにな
るかも知れないのです。
これが 人知を超えた神です。
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