諺で、「馬子にも衣装」という諺があります。
意味は、どんな人でも着飾れば、立派に見える という意味だそうですが、何故着飾るのが『馬の子』なんだろう?と‥‥疑問が湧いて来ました。
馬の子供に着せても、立派になんか見えないのに(失礼)、何でこの諺が出来たのだろう?と不思議です。
何か説でも有るのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (7件)

昔、子どものためのことわざの解説本の


中で見た例ですが・・・。

馬子は馬をひいて荷物や人をのせて
運搬する仕事に就いていた人です。

ふだんは汚れてもいいような粗末な
格好をしているのですが、
村で祝言(結婚式)するときには
馬の上にきれいに着飾った花嫁さんを乗せるん
ですね。
そのときは馬子も礼儀を尽くして
よい服装をしたようです。

その姿を見て、周りの人たちが驚いて
いた様子の絵が、このことわざの解説に
ついていました。

一見、ほめ言葉のようですが(立派に見えるから)
真意はその逆の意味(粗末な外見)で
捉えられることもありますので、
使い方には注意しましょうね。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

詳しい説明有難うございます。
子供のためのことわざ解説本‥‥欲しいなぁ。
村で祝言の時のときに馬子も衣装を身に着けていたのですか。馬子が衣装つけたら立派という事は分かりましたが、いつ衣装をつけるのか分からなかったので、勉強になりました。

お礼日時:2004/09/20 17:34

現在は「馬子にも衣装」は、まず良い意味では使われません。

つまり、着ている服や着物のおかげで立派に見えるけど、中身の人間は大したことないという意味で使われるようになったからです。

ですから、結婚式などで親しい友人やジョークの通じる相手に対して冗談で言うことはあっても、家族や親族のいる前では使えませんし、普通の人にこの諺を使うとかなり失礼に当たります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あまり良い意味で無いのは確かですよね。
変わったのは衣装だけで、中身は同じですものね。
近くにジョークが通じる相手が居ないので使えませんが‥‥勉強になったので嬉しいです。
ありがとうございました

お礼日時:2004/09/20 17:37

「馬子」(「ま」にアクセントが来ます)については解答が寄せられていますので、


ちょっと補足をさせていただきます。

一般には「馬子にも衣装」だけで広まっていますが、
「馬子にも衣装、髪かたち」という言い方がフルネーム(?)です。
昔の3Kの労働者である馬子も、それ相応の着物を着せ、
髪型を整えると立派に見えるということです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

髪かたち‥‥というフルネームがあったとは‥‥無くて良かったですよね。
3Kといえば、汚い臭いキツイでしたっけ。大変ですね‥‥ありがとうございました

お礼日時:2004/09/20 17:35

回答1の方に追加です。


江戸時代には、馬方は最も汚い外見の職業とされていました。
これは、馬に密着して仕事をする関係から服の汚れや髪の乱れなどに気を配っていられないという事と、それが当然という馬方たちの意識があったようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

江戸時代ぐらいのことわざなのでしょうか?
馬方ってかなり印象が悪いみたいですね。
でも、ことわざになるのだからいいのかな?
ありがとうございました

お礼日時:2004/09/20 17:38

馬子は馬の子ではなく人荷を乗せた馬の手綱を引く職業のことです。


普段どてらを着ている馬子に小綺麗な衣装を着せれば、
それなりに立派に見えるということ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。
馬を引く職業の人の事なんて知りませんでした。
図書館で実際に馬方の衣装を見ました。
確かに‥‥と思いました

お礼日時:2004/09/20 17:32

「馬子」というのは馬の子供ではなくて、馬をひいて荷物や人を運んでいた職業のことです。


私も実際に見たことがあるわけではありませんが…時代劇などで出てくる馬子は、汚れた衣服を着た身分の低い(よくない言葉ですね、ゴメンナサイ)人々、いった印象です。
ですから、そのような「身分の高くないものでもちゃんとしたものを着せれば立派に見える」という諺に使われているのだと思います。

参考URL:http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?qt=%C7%CF …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
なんか、検索サイトも教えてもらって、色々使えそうです

お礼日時:2004/09/20 17:31

馬子:馬に人や荷をのせて運搬することを職業とする人。

うまかた。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
実際に図書館で、馬方の衣装を見てきました。
確かに‥‥小汚いかな?と思いました。
馬の子じゃなかったのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/20 17:30

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「馬子にも衣装」の意味

諺で、「馬子にも衣装」という諺があります。
意味は、どんな人でも着飾れば、立派に見える という意味だそうですが、何故着飾るのが『馬の子』なんだろう?と‥‥疑問が湧いて来ました。
馬の子供に着せても、立派になんか見えないのに(失礼)、何でこの諺が出来たのだろう?と不思議です。
何か説でも有るのでしょうか?

Aベストアンサー

昔、子どものためのことわざの解説本の
中で見た例ですが・・・。

馬子は馬をひいて荷物や人をのせて
運搬する仕事に就いていた人です。

ふだんは汚れてもいいような粗末な
格好をしているのですが、
村で祝言(結婚式)するときには
馬の上にきれいに着飾った花嫁さんを乗せるん
ですね。
そのときは馬子も礼儀を尽くして
よい服装をしたようです。

その姿を見て、周りの人たちが驚いて
いた様子の絵が、このことわざの解説に
ついていました。

一見、ほめ言葉のようですが(立派に見えるから)
真意はその逆の意味(粗末な外見)で
捉えられることもありますので、
使い方には注意しましょうね。

Q中身と外見が違う という意味の諺

諺についての質問です。
やってみると実際に違った、中身と外見が違うというような諺があったような気がするのですが、どうしても思い出せません。ちなみに月と鼈(両者見た目は似ているが中身が大きく違う)や有名無実(名ばかりが売れていて、中身が伴っていないこと)ではありません。調べてみたのですが分からなかったので質問させていただきます。

Aベストアンサー

聞いて極楽見て地獄

Qやじ男君と馬子ちゃん

どうでもいい質問なんですが
テレビ朝日のやじ馬ワイドの最後にやっているやじ男君と馬子ちゃんの占いですが、
たまに見るのですが,やじ男君か馬子ちゃんのキャラクターの内の一つだけ色が薄くなっているのはどうしてでしょう?なんか意味があるんでしょうか?

Aベストアンサー

どうしても朝の流れで見てしまっているので、自信がないのですが・・・。

「『ペガサス』が出てますね!」と言った女性司会者のコメントがありました。
通常の馬じゃなく白っぽく羽があるような。
数が多いのがいいみたいだけど、更にスペシャルで使われている様子ですかね?
その辺はちょっと私も不明です(^^;)

Qこのような意味を表す諺ご存知ありませんか?

(エリート)集団の中のどん尻。
(普通)集団の中のトップ。

表現がうまくできなくて恐縮ですが、魚にたとえてこのような意味の諺があったような気がするのですが。

ご存知でしたらお教えください。
どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

鯛の尾より鰯の頭

鰯の頭をせんより鯛の尾につけ


両方の意味は正反対ですが。

Q駕籠かきと馬子

江戸時代、駕籠屋と馬子はどう言うふうに仕事を分担してたのでしょう?馬子は主に田舎や峠なんでしょうか?

Aベストアンサー

ものすごく大雑把に言いますね。
駕籠屋さんは、タクシーと似ています。
ハイヤーのタイプもありますが、タクシーのタイプでいいますと、送り迎えの立て込む時間は、繁華街に待機して、指令を待ちます。そうでない時間は、駕籠やさんにいます。
馬子さんは、専業職ではなく、荷物の運搬の帰りなどに声をかけて営業します。
「○○方面に行くがよかったら安くしておくから乗っていかないか」というふうにです。
田舎や峠というか、街道筋ですね。
駕籠やさんの顧客が自宅へ帰ったり、飲食店に行くお客さんなのに対して、馬子さんのお客さんは、旅人なので、バッティングしないのです。

Q難しい文章もくり返し読んでいれば意味が分かるようになる、の諺は?

お世話になります。タイトルのとおりの質問です。難しい書物などの文章も、何度もくり返し読んでいれば意味が分かるようになる、という意味の諺があったと記憶しています。どんな諺だったでしょうか? 教えてください。

Aベストアンサー

読書百遍、意自ずから通ず

Q意味を研究する事って

こんばんは。
今、授業で「認知意味論」を学んでいます。私は「意味を研究する事に意味があるか」という質問に答える事になったのですが、意味が無いと言ってしまうと授業が成り立たないので意味があると答えるべきだと思いました。
しかし、その根拠となる事柄がなかなか思いつきません。「どんな語にも意味があり、言語活動は意味を伝達する事であるから」ということだけでは、意味を研究する意味の根拠としては乏しいと思うのです(語の持つ意味が重要だとしても、言語によって意味は違い、その全てを網羅するのは不可能に近く、また、ある一つの言語に限っても、類似した意味の区別をつけることは困難、つまり意味というものは曖昧なものだから。)
そのような訳で、意味を研究する事の意味はどこにあるのか、皆様の考えをお聞かせ願いたく、質問しました。
また、私は専門家ではないので難しいことは分かりません。もし上の私の考え方でおかしなところがあれば訂正頂ければ助かります。

Aベストアンサー

意味論というのは定義が難しくて定義も様々ですが、共通して確認できる前提としては、意味というものは社会的な性質を持っているということです。要するに、言葉の意味とは事物の中に隠れているものが発見され命名されるのではなく、人間がその言語を通して事物に意味を与えていくものだということです。

将棋をさす時にある駒が足りなければ、そこらの石でも牛乳瓶のふたでも、何でも代用することができますが、これは駒そのものが重要なのでなく、将棋というゲーム全体の関係性の中においてその駒に与えられた意味が重要だからです。逆にいえば、ある駒を見つめていてもその駒の持つ意味というものは決して理解できません。

これと同様に、意味というものは全体の関係性の中で言葉に付与されるものですから、孤立した単語を眺めていても決して浮かびあがってくるものではありません。言葉の持つ意味とは、他の単語との関係の中に捉えられる、ある体系内の価値である、という風に認識できるでしょう。言語とは網のようなもので、意味とはその中の流動的なひとつのマスに過ぎません。これが意味論の根本的なスタンスと言って良いでしょう。
そう考えると、ご質問にある「言葉の意味を考える」ことは、すなわち社会制度としての言語の意味のネットワークを考える、ということに直結するわけですから、文化・社会・歴史全般にわたる広がりを持つという意義もわかるでしょう。裾野が大変に広いわけです。

言葉がご指摘のように曖昧な意味を担っていて、周辺のぼやけというかある幅を有することも事実ですが、先の意味から考えればこれは逆に、意味が他律的に周囲との関係の中で定まるものであるがゆえに、意味の中心が存在せず、せいぜい最大公約数的なものしか認識できない、という風に言えるでしょう。

要するに、明快な意味が定義できないから駄目なのでなく、そこをスタートとして、それなのに曲がりなりにも意味が通じ合うのはどういうことなのか、という風に意味の意義を求めてみてはどうでしょうか。
「言葉はモノの名称リストではなく、我々の世界認識の結果である」というのが、現在の言語観の基本です。

また、意味というものは意外と動的なもので、単純なものではありません。意味論の初歩でデノテーションとコノテーションを学ばれることと思いますが、例えば『ユダヤ人は所詮ユダヤ人さ』というせいりふの意味を考えてみると、最初のユダヤ人は「ユダヤ民族に属する人」という外示的意味(デノテーション)を指すのに対し、あとの方のユダヤ人とは「狡猾でずるいやつ」という共示的意味(コノテーション)を担っています。

これはひとつの些細な例にすぎないのですが、コノテーションを深く知れば、表現を通じて人間の意識というものを知ることにもつながります。言葉の意味は一定しないもので、常に既成の意味体系に限定されていく人間の意識が、言語の表現作用を通じて解放されていく様がコノテーションには見られるからです。
意味というのは世界の分節化であり限定性を本質的にもつものですが、それに抗って新しい意味生産を行うこと、つまり、言語の網の目の改変、という点で言葉の意味をたどることは人間の意識や思考方法そのものを見つめることに直結します。無意識のレベルで言葉の音と意味がどのように関わりひとつの語として紡がれるのか、というプロセスを研究する人達もいます。

さらに、認知意味論というのは特に人間が意味を認識する過程を問題にするわけですから、意味を考えること、ひいてはどうやってその意味が認識されているのか、ということは人工知能や認知哲学など広い分野に活用されるべき知識です。
例えば、海に浮いているメッセージボトルを見たとき、我々はすぐにそこに何らかの意味があることがわかるのですが、これはなかなか容易なことではありません。内部情報(中の紙に書かれている意味)を理解する以前に、外部情報(例えば「この文章が日本語で書かれている」といったこと)、さらにフレーム情報(つまり「このボトルの中には意味のある情報が入っている」ということ)が適確に理解されなければなりません。
「これは意味のあるモノである」という情報それ自体もメタ情報として意味を担っているわけで、実は語やモノの意味を理解することはそれ以前に多くの意味の解釈を必要としているのです。我々にとっては無意識の作業ですが、そういった事柄が我々の頭の中でどのように認識し処理されているのか、大変興味深い研究テーマだと思います。その困難さは、人工知能にこれらの行為を代替させようとした時にどれほどの困難が伴うことかを想像してみればわかることでしょう。

※少しご質問の内容とはずれがあるかもしれませんが、あまり意味論を理解していない回答が多いようなので、敢えて考え方のヒントとして書いてみました。ご参考までに。

意味論というのは定義が難しくて定義も様々ですが、共通して確認できる前提としては、意味というものは社会的な性質を持っているということです。要するに、言葉の意味とは事物の中に隠れているものが発見され命名されるのではなく、人間がその言語を通して事物に意味を与えていくものだということです。

将棋をさす時にある駒が足りなければ、そこらの石でも牛乳瓶のふたでも、何でも代用することができますが、これは駒そのものが重要なのでなく、将棋というゲーム全体の関係性の中においてその駒に与えられ...続きを読む

Qこういった意味の諺や四字熟語知りませんか

ことわざでも四字熟語でも良いのですが、次のような意味を表すものは何かないでしょうか。完全に一致しなくても、似たような意味を持っていることわざや四字熟語で構いませんのでよろしくおねがいします。

「たとえ自分にとって無駄であるようなことでも、大きなことを成し遂げるためには、無駄と知っていても我慢してそれを行わなければならない」

Aベストアンサー

無用の用 

とか?
http://koyomi8.com/doc/mlko/200701270.htm

Q悪い意味からいい意味へ、またその逆。

こだわる、という言葉は本来「そんなことにこだわるな」というようにネガティブな意味だったものが「味にこだわる」というようにポジティブな意味でも使われるようになってしまいました。「すごい」や、最近では「やばい」も本来悪い意味がいい意味でも使われるようになったと思います。悪い意味からいい意味、いい意味から悪い意味に変化した言葉を他にあれば教えてください。またこういう変化のことを専門用語では何といいますか。(意味の昇華?意味の降下?)

Aベストアンサー

「素晴しい」(すばらしい)現在ではほとんどの場合いい意味で、「大変優れている」「程度がはなはだしい」時に使いますが、古くは良くないことに対して、「ひどい」「とんでもない」の意味で使いました。辞書には「この女ゆゑにやア素晴しい苦労をして」という例文が載っています。また大正時代の新聞の関東大震災の写真の説明に「素晴しい被害」という表現を見つけて驚きました。

Qこの意味の、諺・きまり文句・慣用句・故事などを教えてください。

「精一杯取り組んだ先には、必ず何かを得ることができる」
「一生懸命やれば、何かを得られる(学ぶことがある)」
という意味をふくむ、何かを始める人に対して、激励となるような、
きまり文句・諺・慣用句・故事などをたくさん教えてください。
どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 少しずれるかも知れませんが…
《待てば海路の日和あり》
《てんてき石をもうがつ》
《精神いっとう 何事かなさざらん》
《石の上にも三年》
などで どうでしょう?ご自分でも探してみては!


人気Q&Aランキング

おすすめ情報