ここから質問投稿すると、最大4000ポイント当たる!!!! >>

幕末、京都などで、治安回復のため、新撰組が活動しました。
ところで、この隊員は。正統な武士ではありません。
徳川時代では、治安を守るのは、本来武士の役目ですね。
なぜ、治安を確保、正統な武士でない新撰組に任せたのでしょうか?

A 回答 (10件)

京都で暴れた、いわゆる勤王の志士達が


アラっぽくて、武士では太刀打ちできなかった
からです。

当時の武士、は、軟弱で
刀など抜いたことがない、なんてのがゴロゴロ
しており、
武士ではなく、官僚になっていたのです。

武士らしい武士といえば、薩摩藩か会津藩ぐらいな
もの。

長州藩だって、武士が役に立たないので
高杉晋作が奇兵隊を組織せざるを得なかったわけ
です。


鬼平犯科帳をご存じですか。
火盗改めですが、これも、奉行所の与力、同心
では役に立たないほど、荒っぽい犯罪者「鶉権兵衛」
が登場したので、武官である先手組の人間で
火盗を構成したのを彷彿させます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
各方面のカテでお世話になっております。
長期間、割に太平だった徳川の世では、武士は<官僚>や文官に変質していたですね。地下の家康は眼を丸くしていたしょう。一般武士による治安部隊を造ることは、無理だったのですね。(ただし、気骨のある武士はいることでしょうから、彼らを選抜して武士の治安部隊・機動部隊を編成すれば良いのに、と思っています)

お礼日時:2017/10/23 19:25

「成り行き」と言うのが大部分じゃないかと。



新撰組が成立する過程においては、まず「清河八郎」と言う尊王攘夷派の志士の存在を抜きには語れません。
この清河が、幕府に献策して、将軍警護のため、新撰組の前身「浪士組」を結成するのですが、しかし清河は、実は幕末屈指の策士であって、彼の本心は「尊王」であり「倒幕」でした。
すなわち、幕府の権力を利用して浪人を集めておいて、その浪人を使って倒幕を実現しようと言うもの。

その本心を浪士組に明かしたところ、大半は清河に従いますが、芹沢鴨や近藤勇らは賛同せず、清河の陰謀を幕府側に伝えると共に、清河ら一派とは敵対的な関係になって行きます。

この反清河派が、後の新撰組へとなるワケですが、芹沢や近藤らは、清河の陰謀を未然に防いだことで株を上げ、大勢が会津藩(京都守護職)の客分(士分)として取り扱われた後、幕臣に取り立てられるし、近藤に至っては、最終的には旗本格にまで登り詰めます。

また、この様に厚遇された背景には、幕府側も、浪人,浪士と言う連中に注目した様です。
清河の様な尊王派の策士も居る反面、新撰組の様な佐幕派も居るし、何より大半は、コロコロ寝返る連中なんですね。
幕府としては、そう言う連中を江戸に置いておくことはリスクがあるし、倒幕派に参加されても厄介。
それなら、尊王攘夷派の対抗勢力として、「激震地の京都警護などで利用してやろう!」と言う魂胆です。

今風に言うと「派遣社員募集」で、「いずれ正規雇用も?」と言うエサをぶら下げて、浪人を幕府側に引き寄せた感じでしょうか?

なお、清河に従った連中も、清河が幕府側の手で暗殺された後は、「新徴組」として江戸警護などの役目に就きますが、役に立った部分もありますけど、ロクでもないことも多くしてますね。
コチラは新撰組とは違い、ほぼ派遣社員のままで終ってる様な・・。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<「成り行き」>
なのですね。後世の人(私だけかもしれませんが)には、歴史はすっきりと明瞭に進行した
ように見えますが、その時点・時点の選択により紆余曲折に・”成り行き”で進んだ、と思い始めました。
スタートの時点でも、(私だけかもしれませんが)理解しずらいことです。
<将軍警護のため、新撰組の前身「浪士組」を結成>
するのですね。第一人者の将軍警護のためなら、旗本を使用すれば良い。と思います。

お礼日時:2017/11/02 13:05

幕末は倒幕や攘夷等の反幕府活動が活発だったので、京都の警備にあたっていた治安維持組織ではとても警備しきれない状況だったらしいです。


なので、江戸で人を集めて浪士組とかいう集団を組織して、徳川さん京都行に合わせ、先がけて京都に派遣したわけですが、結局天皇派・幕府派みたいなひと悶着があって、京都に残った浪士組が、会津藩のバックアップを受け、京都の警備を担ったとかそんな感じです。
武士じゃないのに警備の仕事を任されたというよりは、自警団的な組織が必要なぐらい治安が悪かったという事だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
<徳川さん京都行に合わせ、先がけて京都に派遣した>
が発端なのですね。しかし、江戸にも、本来の警備の武士がいるはずですが、浪士を組織したのは、不思議です。

お礼日時:2017/10/28 15:49

新撰組は討幕派を殺すために、会津藩に雇われた徳川幕府護衛の警備隊、幕府は存亡の危機にあった、おかしな話天皇が位的には上、徳川幕府は力がある、天皇を殺しておけば徳川幕府はあんたい、新撰組は時流に乗れなかった。

    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
当時の天皇の復活は、不思議なこと思っています。徳川が天皇の復活の芽を摘んでければ、歴史は大きく変わっていることでしょうね。

お礼日時:2017/10/27 10:11

>ただし、気骨のある武士はいることでしょうから、彼らを選抜して武士の治安部隊・機動部隊を編成すれば良いのに、と思っています)



大枠の記述は#6さんに譲りますが、新選組は今でいえば「対テロ専門組織」であり、ドラマ24のCTUとかSWATのようなもの、と考えればいいと思います。

一応彼らは「士分」でしたから警察権を付与されるだけの階級ではありましたし、当時の勤王志士は為政者である幕府側からみれば、ISISに匹敵するテロ組織でしたから(えーと、比喩ですので意味とか意義とかが違う、という突っ込みは無しでお願いします)それに対するカウンターディフェンスとしての組織が新選組だったといえます。

ただ、新選組は思想的にちょっとアレで、暴走しちゃうわけですね。実は「正義側が暴走する」というのは歴史上良くあって、たとえばフランス革命成立後のジャコバン派の粛清なんてひどいものですが「自分たちが考えている正義に忠実で、純粋に希求する」と暴走になっていくわけです。

幕府から見ても新選組は劇薬であり「対テロ組織」以上のものになってほしくなかったのでしょうが、暴走しちゃった、というのが本当のところだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
1.<新選組は今でいえば「対テロ専門組織」><「士分」でしたから警察権を付与されるだけの階級>、
2.勤皇志士は、<ISISに匹敵するテロ組織>、ISISに似て<「正義側が暴走する」>
3.<幕府から見ても新選組は劇薬>、<暴走しちゃった>
密度の濃いご説明で、引用ばかりになりました。

お礼日時:2017/10/25 11:06

ただし、気骨のある武士はいることでしょうから、


彼らを選抜して武士の治安部隊・機動部隊を
編成すれば良いのに、と思っています
   ↑
それは実際にやられています。
京都見廻り組がそれです。

ただ、新撰組と比較すると、影が薄いです。


また、後年、西南戦争で、政府軍が苦戦した
時、かつての旗本などが、薩摩憎し、という
ことで抜刀隊として
政府軍に応募して活躍しています。

気骨のある武士は、少数ですがいたようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました、
<京都見廻り組>や<抜刀隊>
がいたのですね。何時の世にも、気骨のある人は居るものですね。後世、名が派手に残るかどうかは、別として(私の歴史知識の貧弱さをを棚に上げて)

お礼日時:2017/10/24 15:18

当時の京都で暴れまわっていた者たちはかなりの荒くれで、三百年の太平に慣れきった武士の子弟ではとても太刀打ちできそうもなかった。

そもそも市中の治安維持は町奉行の管轄。そんな仕事にわざわざ名家の子弟を充てるのもどうかなあ。
 そんなところに、ある意味勝手に京に上ってきちゃった浪士隊がいた。どうも素性のはっきりしない乱暴者も多い。放っておけばかえって治安によろしくない(かも)。
 だったら毒をもって毒を制すという考え方で市中治安維持の仕事を与えちゃえ。身分はとりあえず会津侯預かりとしておこう。ただし彼らは町人街や花街あたりを管轄させる。
 御所や城のまわりはあんまり素性の良くないものは配置できないので、それとは別にいわゆる「正当な武士」であることがはっきりしている旗本の子弟や御家人で京都見廻組ってのを作って、こっちを充てる。
 公的なエリアは正式な武士の見廻り組、ちょっと怪しいエリアは身分の怪しい新撰組って分けていたんじゃないですか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<毒をもって毒を制す>
という、実情に合った名案だったのですね。
<公的なエリアは正式な武士の見廻り組、ちょっと怪しいエリアは身分の怪しい新撰組>
と器用に使い分けていた、のですね。

お礼日時:2017/10/23 19:34

治安を守るのは奉行の役目です。



文久2年(1862年)、江戸幕府は庄内藩郷士・清河八郎の建策を受け入れ、将軍・徳川家茂の上洛に際して、将軍警護の名目で浪士を募集。

浪人なので、武士ですよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AA%E4%BA%BA
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速にご回答ありがとうございました。
<浪人なので、武士ですよ>
ですね。当時も、身分制度といっても、庶民が武家に形式上養子に行き、建前上、武士に昇格することがありましたね。

お礼日時:2017/10/23 19:40

>徳川時代では、治安を守るのは、本来武士の役目ですね。


ここがそもそもの間違い。
それぞれの身分がそれぞれの治安維持が基本。

>新撰組に任せた
これも間違い。

人手が足りないから補助的に雇われたものだし正規の侍が非合法あるいは不正な行為に手を汚すことは出来ないから武士では無いものにやらせる。
それまでも町人である岡っ引きを使ったりヤクザが二足のわらじを履いているのだからそれの延長。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<正規の侍が非合法あるいは不正な行為に手を汚すことは出来ないから武士では無いものにやらせる。>
ということは、討幕藩の武士を暗殺することは、正規の武士が法律上困難(手続きが大変?)だから、今でいう暴力団にやらせた、ということですか?

お礼日時:2017/10/23 17:27

新撰組をつくったのは徳川幕下の会津藩主です。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
了解しました。

お礼日時:2017/10/23 17:21

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


人気Q&Aランキング