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江戸時代、幕府は西洋との交易を制限し、唯一オランダに対しては交易を認める代わりに狭い出島に押し込め、オランダ人の行動を徹底的に制限しました。そしてオランダ商館長に海外情報を取りまとめた文書(オランダ風説書)の提出を義務付けています。
また、島原の乱においてはオランダは幕府側に立ち援護射撃を行っているなど、オランダは日本との交易を認めてもらうために徹底的に下手に出ているように思えるのですが、このように江戸幕府がオランダ商人に対して強く出られた理由は何でしょうか?
出島は長崎にあり、江戸はおろか京や大坂とも遠く離れた場所なのですが、このような辺鄙な場所にあえて設置したのも幕府側の強い意図を感じます。

質問者からの補足コメント

  • オランダがキリスト教を布教しない、交易は出島だけ、オランダ風説書の報告といった多くの条件を飲むなど、下手に出た理由を聞いています。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/03 09:51
  • オランダ人は儲けるために徳川幕府に頭を下げることも厭わない卑屈な国民だったのでしょうか?

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/04 11:56
  • オランダは日本に阿片を売らなかったし、黄金も搾取しませんでした。貴方の頭は大丈夫ですか?

    それに、オランダは出島に押し込められて文句を言える立場でもなかったですしし、島原の乱では幕府に追従するためにキリスト教徒を砲撃しました。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/05 19:04
  • 全く関係ないことを書いていますが、頭大丈夫?

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/07 20:07

A 回答 (6件)

常に組織は三番目の状況(外圧ともいう)の影響を受ける。


 オランダが東南アジアに作った東インド会社は、その以前に地球を山分けしようとしたポルトガルの、いわば商圏へのクサビだった。
 その結果各地で摩擦が起き、新興オランダとしてはとにかく摩擦がないところ(つまりポルトガル勢力がいないところ)を探す必要に迫られていた。

 この状況で上から目線は無理。さらにはビジネスとしての交渉は当然「契約」としてしっかりと履行する必要がある。こんな時にもめている場合じゃない。

 だいぶん先の話だが、戦国時代末期徳川家の下に日本の諸家が束ねられた際、徳川の号令で集められる軍事力は約兵員30万人くらいだと推測されている。(おまけにそのほとんどが鉄砲を扱えるから、今風にいうと歩兵30個師団ということになる。)
 これだけの人員を動員できるところと勝負しようとするのは、ほんまのアホだ。
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お前が女児を見かけた道を覚えていて、ムラムラが抑えられなくてその道をはいかいをした。


結果は女児は見つけられなくてお前は残念の気持ちになって帰路についた。
お前は何のためにその道に出向いたのか。
頭が悪いな。
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見下しているものをおとなしくさせるためだ。

お前は頭が悪いな。
オランダは①にアヘンを売るため。②に黄金を搾取するためである。
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このように江戸幕府がオランダ商人に対して強く


出られた理由は何でしょうか?
  ↑
オランダの儲けになるからでしょう。

他の国が、日本とは貿易できないが、オランダは
出来る。
となれば、オランダは利益を独占できます。

人間というのは、結局はこうした利益の為に
動いていると思われます。

後年の植民地政策もしかりです。
儲けの為に、現地人を奴隷化し、資源などを
強奪しました。

その後、現地人の反発が強くなるや
貿易に切り換えました。

軍隊で押さえる経費を考えると、貿易の方が
儲かるからです。
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江戸幕府はキリスト教が広まってしまうのを恐れたからです。

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独占的な貿易を行う”許可”を与えるのですから・・・・

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