アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

1. 人間の声として分節された音 あるいは それを示すシルシ(記号)と
しての文字など この《ことば》は どういうものか?

2. 音声も 記号であるならば すべては シルシであるか?

3. なら シルシは 何を伝えるのか?

4. 《外に響く声あるいは文字》が――シルシなるコトバをとおして―― 
その人の《内なる何か》を伝える・・・のだろうか。

5. 何が伝えられるか? 言葉の意味か。文としての意味か。あるいは そ
の背後なる気持ち・思いか。

6. 論理的な意味よりも その人の内なる心の思いのほうが 重いか?

7. 内なる思い あるいは 内なるコトバ。――これは その人のどこから
来て どう外に出て行くのか?

8. ▲ ことばは 肉(身と心から成る自然本性をそなえたひとなる存在)
と成った。(ヨハネ福音 1:14 )
☆ と――或る意味で 哲学を超えて――いうとき その《ことば》と人間の
ふつうの思いを現わす《内なるコトバ》と どう違うのか?

9. つまり単純に言って 神なることばと人間の内なるコトバとは 同じな
のか? どう違うのか。

10. ふつう人が話す言葉について その意味するところは 文字通りのそ
れよりも 内なる心の問題のほうが 重んじられるとした場合 そしてそのよ
うに奥に背後に控えている何かのほうが 大切なのだとした場合 それでは
人間のコトバ一般のその背後に たとえばナゾのことばは なお控えているの
だろうか。

☆ これを問います。自由な回答をふるってどうぞ。

質問者からの補足コメント

  • つづき

    普遍神は 経験事象としての《有る・無い》を超えているので 経験
    存在である人間が 神は有ると言っても 神は無いと言っても 影響
    を受けないということです。

    有神論と無神論とが 人間の世界で持たれていても 神は もとの神
    でありつづけます。


    ★ 量子コンプューターの、
    ~である状態と、~でない状態が同時存在する
    ☆ たぶんですが 《類似性》があるということではないでしょうか。

    神が人間を見ているさまと 人間がコンピューターを見ているさまと
    のあいだに。

    ★ おめでとうございます‼
    ☆ そこまでかどうかは。



    ★ よければ一緒に世界を救いませんか。
    ☆ それぞれの道があると思います。



    ★ 信じる事の法則を書いておきましょう。
    ☆ わたしのほうは 《無条件で無根拠において 神を・その名を・
    あるいは〈無い神〉をわが心に受け容れること》と定義しています。

    つづく

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/15 00:12
  • つづき(2)

    うたがうことは 自由におこなってよいのでは? なぜなら それ
    は 《思考の緑野》の問題です。

    《信じる》は 《非思考の庭》の話です。


    このあたりのご回答内容は 割愛しています。字数制限です。



    ★ フローチャート風の表。
    ☆ どうぞ 描いてみてください。

      補足日時:2017/11/15 00:13

A 回答 (7件)

今までのお話をぶち壊しにしてしまうようで申しわけないのですが、



既知に神あり、未知に神あり、非知に神あり

のような気がします。

既知になっている領域の神をあたかも当たり前に考えて、当たり前すぎて神があると意識していないからだと思います。

うまく言葉や数式でそのありようを表現できたとしても、それが神そのものではなく、神の働きのほんの一部しか表現できていない。

神が水のようであるとき、水は私たちの指の間からこぼれて、その一部がわたしたちの手のひらに残る、手のひらを濡らしている水によってわたしたちの手が濡れていることは感覚として分かるが、決して水そのもののすべてを知ってはいない。

当たり前にみえるは決して当たり前のことではなくて、ありがたいこと(の意味)なのですが。

これは、スピノザ的な考え方なのですか?

キリスト教徒でもないものが神について云々することは許されますか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 既知に神あり、未知に神あり、非知に神あり
★ 既知になっている領域の神をあたかも当たり前に考えて、当たり前
すぎて神があると意識していない

☆ トイレの神 のことですか? あるいは:

へっつい(竃)←へ(竈=かまど;戸)‐つ(ノの意)‐ひ(霊)

も神です。八百万の神々のことでしょうか?
分かりやすいのは かたちよく立派に見える石が:

いはくら(磐座)←いは(岩)‐くら(座)

として やはり神です。《かたちある神・見える神》としての《既知の
神》はみな 神の霊が降りて来るその場――《依り代》――なのです。

神々はみな ひとつなる普遍神の分身だということになります。竈や石
そのものが神だとは 古代人も思っていなかったはずです。

★ うまく言葉や数式でそのありようを表現できたとしても、それが神
そのものではなく、神の働きのほんの一部しか表現できていない。
☆ ですね。

★ 神が水のようであるとき・・・手のひらを濡らしている水によって
わたしたちの手が濡れていることは感覚として分かるが、決して水その
もののすべてを知ってはいない。
☆ わたしの見解では 経験しうるモノゴトはすべて 神〔の霊〕の依
り代(よりしろ)です。代理です。神という正解をみちびくのに引いた
補助線です。神の偶像も そうですね。

★ 当たり前にみえるは決して当たり前のことではなくて、ありがたい
こと(の意味)なのですが。
☆ それは その人の主観(ヒラメキ)をとおして感得されるのでしょ
うね。

つまり その譬えとして言えば 《世の中に起きているあらゆるモノゴ
トは みな神からのメールである》と。

★ これは、スピノザ的な考え方なのですか?
☆ 《自然即神》だと言ったそうです。古代日本人の捉えた《依り代》
説で説明がつくのでは?


★ キリスト教徒でもないものが神について云々することは許されます
か?
☆ キリスト教徒あるいはもっと言えば聖職者(これは あらゆる宗教
のだと言ってもいいでしょう)が――つまり 《考える》べき思想とし
ての《オシヘ》を他人に信じなさいと説いている人間が―― 神につい
て語る資格があるか? と言いたいです。

オシヘは 神ではない。一歩ゆづって言えば オシヘも 神の依り代で
あり 補助線でしかないからです。

お礼日時:2017/11/15 06:24

わかりました。



こ…こ、れは!

多分、既知何じゃないですかね。☆ミ

~と《同時に》《知り得ない》かもしれない~

と文章がありましたが、この、「かもしれない」の部分のせいで、《知りえない》不可知が、既知になってしまったのではないでしょうか。
これは、論理と言うより、手段な気がします。
二つの状態(しかもおよそ両極のを)を同時に作り出そうとしている部分の気がしますが、
どうなのかな。 叶ーェー
(クマーOPくまー!)

さてさて、そろそろ降臨しますか。


それとちなみに、不可知についてですが、これは、ブラフマン(法則)の一部でしたね。

ただ経験側とは違う気がします。何故なら、
仮定として、知り得る事ができないこと、そして知識には色々な種類の問題がありますがどんな問題なのかもわからず、ただ一つ 、【知り 得ない】と言う名前だけがわかっている状態。
数量ととらえるんでしょうか?
何より知は経験そのものなので、関係ないのでは。

そして、それでは…、

ここまで言いましたが、これ考えた後に、もっとすごい状況、アートマンの霊我を得ちゃったんですね。

へそから伸びた芽が蓮を咲かせようと、今まさに開かれんとしているのかもしれませんね。唯我の閃きが。

まずは、ブラフマーとは、ヒンドゥー教の物質的な面の創造神の事です か"、"
ブラフマンと同一視されガチです。果たして同じなのか。

貴方の作った(多分、霊我にて閃いたのかも 知れない)その概念は、同じ(ような)ものを見たことがありました。ーーー3×3

そう!
量子コンピュータです。
漁師、猟師、ん?両親じゃなくて、良心だったのかな。神の

(受けて側の)知り得ると知り得ない状態が、同時に存在できるような状況とは、
量子コンプューターの、
~である状態と、~でない状態が同時存在する
電子が通過する前の状態と一緒ではないでしょうか?

貴方は、直感的に、これがブラフマン/アートマンから、派生していると認識してあの表を書いていたのなら、

今まさに、
量子力学的(量子コンピュータ)が、人間の霊性面と同じ働きをしている。と証明したのかもしれません。
或いは、精神境界世界に、
そのシステムを効率的ゆえに、創造構築できたのかもしれません。

おめでとうございます‼

もはや、ニーチェおも越えた?!

何て、貴方がそれを、必ずあるものと今後も認め、貫き続けて行ける場合だけかもしれませんが。

まぁ、信じられないかもしれません(;゚ Д゚) …!?

これが本当か実証するにも、いくつもまだ検証しなければなりません、が、
僕も2014に目覚めもの。
まさか、貴方がブラフマー化身?いやはやビシュヌ神化身か。やっぱりブラフマン?アートマン?アーテ(イ)スト

知名言う僕は、エンターテイメン ターゲット!

常々、すべての転生者が最後にたどり着く、全人類の叡知を持つ存在する目覚めし者ブラフマーとは、時間跳躍を終え、過去に戻った 人類 魂の最終進化体足る存在。ミロク転生者なのでないかと思っていました。量子の旅に因果を越えて旅だった、霊子(量子)は、長い旅路の末、ここにたどり着いたのかもしれません。高次元とは素粒子の旅だと!

何て、語りすぎちゃいましたね。申し訳ありません。

よければ一緒に世界を救いませんか。何て、勧誘は今回はこれまでにして、私は、アカシックレコード再構築の役がありますので、本日は失礼。
また会う日まで、って、

その前に、


信じる事の法則を書いておきましょう。
信じている状態とは、(その方向の対象に対して)疑うと言うことを知らない状態を指しますが。
疑っていても、信じようと続けれれば、信じている、と言う状態に戻れるものなのです。安心があり、疑いを時の果てに忘れることができればですが。無意識にすらも。

しかし、疑うことが悪いこととは言えません。何故なら、既存の法則などを疑うことが、学者などのパイオニアにとって、新たな法則や発見を見つけ出す 最大のチャンスだからです ね?
貴方もそうではないでしょうか?

しかし猜疑をも知続ける人生は疲れる。疲れてませんか。皆さん、
ではでは、どうすれば良いのか。
特別サービス、ただただ、ゆっくりやるときを作り、節度をもって、苦しみを持ち得ないように、生きる事ですょうね。
しかし、誠実さも忘れてはなりません
疑っている時でも、疑ってないよと言うならば、罪は罪、嘘をついて、罪でないことなどないのです。だからこそ苦しい世界。だからこそ、休むべき時は休み、なるべく嘘をつかず不必要に疑わず、心も軽く、いきれるようにしましょうね。
と今回には関係ない回答を申し訳ない。道徳一式の一つです。どこかで聞きたがって阿多ようなので


最後に

以前見せてもらった、フローチャート風の表。

これに、書いてみてくれませんか。(家の中のカミでも構わないので。この返信は不要です)

まずは、
ブラフマンの右横に、不可知

更にそこから下にやじるし線を引き、アートマンを通らずに、
ニュートラル或いは真カオス

と書いてください。
更に下斜めに矢印、
ひち(あれ、思考の緑野でしたっけ)~に繋ぐと、
すると、
真カオス(場合によりダークマター)が、知り得るか知りえないか、知り得ない 機関に四分の1ほど作用して、知りえない知識をも知り得る、可能性すら持つと言うイメージ図ができないでしょうか?

不可知は、アートマンとブラフマンしかない、ヒンドゥー教の知の方式で、外側となり得ます。ただ、法則なので、ブラフマンの中にありますが、霊我では決して引き出せない状態と呼べる知です。
貴方の叡知を!
1000年前の人達なら、決して知りえない、ある種の人知を越えたの物ではないでしょうか。世のため人のために使ってください。暫しは静かに

ふー、ーぁ疲れたぁ。

ではでは、(^-^)/お気を付けて、取り扱いは。取り合えず
ありがとうございました。

皆様、多謝です!グッドナイツアー!

神聖騎士団 クラウソラスは存在する。愛言葉。
エルミルシスティーア

お休みなさい。良い夢を! ★彡
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ブラフマー(創造神)
☆ のことを ブラフマン(原理でしょうか)でまとめて言っています。
アートマンとの一体を言うのにです。


★ 「かもしれない」の部分のせいで、《知りえない》不可知が、既知になってしまったのではないでしょうか。
これは、論理と言うより、手段な気がします。
二つの状態(しかもおよそ両極のを)を同時に作り出そうとしている部分の気がしますが、
☆ そうですね。つまり 神論としてはですね あくまで仮説なんです。

その意味は 経験科学において仮説が出され 検証した末 定説となる
といった場合とは はっきり違います。

つまり 哲学において 超経験なるものを扱うときにその神論を哲学と
して成り立たせるためには けっきょく超経験なる神を 想定するとい
う方法によるしかないと考えます。

その《想定による》という意味での仮説なわけですが そこではっきり
していることは 神論としての仮説は どこまでも仮説のままであると
いうことです。定説になったりしない。

あるいは 定説になったとしてもそれは 仮説法(アブダクション)に
よる理論のままである。ということです。


ですから その超経験の想定において 内容の説明としては 《非知》
になります。その意味は――仮説法として想定しているからには――
つねに《・・・かも知れない》という捉え方をします。

《神は 知り得るかも知れない》と同時に《神は 知り得ないかも知
れない》。両立する見方の中で 人びとはおのおの《有る神》派かま
たは《無い神》派に 自由に分かれる。そして 両派は互いに同等で
ある。と。


★ 不可知について
☆ は 《知り得ないと証明し得た》と言うことは 《知り得ない》
ものだということまでは《知り得た》わけです。つまり 人知が及ん
でいるからには 経験事象だと考えられます。


★ これ考えた後に、もっとすごい状況、アートマンの霊我を得ちゃったんですね。
☆ これを わたしは 特殊絶対性として捉えています。

神については:
★ (受けて側の)知り得ると知り得ない状態が、同時に存在できるような状況とは、
☆ 微妙に違うと思います。

普遍神についての《有る神》と《無い神》との両立というのは その
ように神を受け容れるときの人間の捉え方の問題です。

つづく

お礼日時:2017/11/15 00:11

ふむ。


不可知は、それで良いと思います。ただ経験の場にならないのですよね。

貴方の
「知り得るか、知り得ないか、知りえない」と言う状態の論理は、間違っているのではないでしょうか。

何故、二つの場合ができるものを前提にしているのですか?

《俺は知り得たぞ~!》
と言う人に対しては、
それは不可知なものだと説明できる論理を突きつけれ(レ)ば、否定できますし。

《それは絶対知りえない》と言う人には、未知或いは、既存の論理で解方を与え、それはあり得ると言えば、否定する
事に事足りるのではないのでしょうか?

これは、論理と言うより、受けて側に依存し、捉え方で変わるものであり、それがあるとい言いえる根拠などが有るのでしょうか。
それなら、更に、その文であっているのかも含めますが。

この辺りをどうお考えでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 不可知は、それで良いと思います。ただ経験の場にならないのですよね。
☆ いや。経験的なことがらの中におさまります。

よくは知らないのですが 数学などで これこれの定理において解は無いと
いった内容があって その解は 知り得ないと証明できたという場合に当た
ると思います。

定理にしろ数量で特定できたりするのならば 経験事象であると考えられま
す。



★ 貴方の
「知り得るか、知り得ないか、知りえない」と言う状態の論理は、間違っているのではないでしょうか。
何故、二つの場合ができるものを前提にしているのですか?
☆ ここですよね キモは。



★ 《俺は知り得たぞ~!》
と言う人に対しては、
それは不可知なものだと説明できる論理を突きつけれ(レ)ば、否定できますし。
☆ たしかに 《知り得たぞ》と言っているそのモノについて いやいや 
それは これこれこういうふうに 知り得ないと証明できるんだよと説明で
きたら そこで話は 結着です。

ただし 《証明できる》という気遣いもないんです じつは。

なぜなら 《知り得るか 知り得ないかが 知り得ない》と言うからには 
《知り得ないと証明することは かなわない》という前提になっています。





★ 《それは絶対知りえない》と言う人には、未知或いは、既存の論理で解方を与え、それはあり得ると言えば、否定する
事に事足りるのではないのでしょうか?
☆ 《解法をあたえることが出来る》ならば そうなります。



★ これは、論理と言うより、受けて側に依存し、捉え方で変わるものであり、それがあるとい言いえる根拠などが有るのでしょうか。
それなら、更に、その文であっているのかも含めますが。
☆ 非知はですね。

《知り得る》かも知れないと同時に――この《同時に》がくせものなんで
す―― 《知り得ない》かも知れないということです。

早い話としては 片や《神はいる》と言い 片や《神はいない》と言うと
き 非知であるならば この両方が 同時に成り立つ。――こういうお化
けのような認識のありさまなんです 非知は。


どうでしょうかね。

お礼日時:2017/11/14 21:08

言葉は完成はしていません。


例えば、萌えと言う言葉も
最近新しくできた
「モエー」と言う、新しいニュアンスを持ったものが出てきました。
人間の感性が新たな領域に至ったのかも、もしくは元からあった言葉の中に表すものがなかった可能性もあります。

また、余分に他と重なる不要な言葉もあったりします。
それは英語や他の言語にもあります。

整理するか完全な新言語 (真言語)を作るべきなのかもしれません。それは私も製作をしていましたが、今は止めたままです。時間がない為、そして完全合理化やや難しいです。
神の言葉は、こちらではないところで答えたいと思います。

それと、あなたの理論で
間違いと呼べる部分がありましたので、お伝えします。



非知の「知り得るか、知り得ないか、知りえない」
と言う内容は、それは【未知】を指しています。

要約して解説すると、
「知り得るか、知り得ないか、知り得ない」
= (とは)
「知り得ないか、知り得ない」

ですので、つまり、知りえないかもしれないと言っていっているので、【未知】 でしょう。


またそれが神を指すわけではなく、どちらかと言えばループでしょう。思考の。

なので、非知とするべきは、
(仮定)知り得ない知

ではないでしょうか。
これもあるかどうかはわかりませんが、仮定とするので、非知の図に置く位置としては、正しいのではないかと思います。

僭越ながら
論理は整理する際、分かりやすさと、単純化を深く考えた方が良いと思います。伝わらなければ話す意味がなくなりますので。無駄に重なる意味の言葉を作るのも、今回の問いも…


それと考えてるとき面白い文章が有りましたよ。

「知り得るか知り得ないか、知り得ない、
と言う事が、
知り得るか、知り得ないか、知り得ない、
と言う事が
知り得るか、知り得ないか、知り得ない」

ありがとうございます。

それともし、

「知り得ないか(も)、知り得ない(!)」
(と(! そこまでは)知っている)と言うものが必ず存在すると言う事に【仮定する】なら、

それは、「知り得ない知(仮定)」の一部となります。
名前だけわかっている
知りえない知なんでしょうか。

複雑な事が、神の定義の神秘性を上げている のかもしれませんが、ループ。言葉のあやならぬ、論理のあやと呼ぶべき辺りでしょう。

(非知は、本来の意味は知りませんが、日本語の言葉通りの意味に近く捉える「知り得ない知」としています)

それでは。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 言葉は完成はしていません。
例えば、萌えと言う言葉も
最近新しくできた
「モエー」と言う、新しいニュアンスを持ったものが出てきました。
人間の感性が新たな領域に至ったのかも、もしくは元からあった言葉の中に表すものがなかった可能性もあります。
☆ そうですね。自然史過程とよぶがごとく 規則的にも不規則にも
変化するもののようです。


★ 整理するか完全な新言語 (真言語)を作るべきなのかもしれません。それは私も製作をしていましたが、今は止めたままです。
☆ たぶん いま上の自然史過程としての変化にまかせ これを受け
容れるのがよいかと思っています。

つまり 勝手に変化してしまいます。


★ 神の言葉は、こちらではないところで答えたいと思います。
☆ ここでもいいですが 分かりました。どうぞ。




★ 非知の「知り得るか、知り得ないか、知りえない」
と言う内容は、それは【未知】を指しています。
☆ そうですかねぇ。

《未知》は いづれ分かるようになるであろうという――みんなの
一致した――見方がある場合のその認識の対象ですよ。



★ 「知り得るか、知り得ないか、知り得ない」
= (とは)
「知り得ないか、知り得ない」
☆ ではなくて そうではなく 《おれは知り得たぞ》という人が
現われてもそれを否定することが出来ないということですし また
《そんなものは知り得るはずがない》と言い張る人がいても それ
を――やはり前者の場合と同時に・同様に――否定することが出来
ない。

なぜなら どちらとも《知り得ない》のですから。


★ またそれが神を指すわけではなく、どちらかと言えばループでしょう。思考の。
☆ いや やはり 神のことを説明している内容だと思いますし 
ループにはならないのではないかとは思います。よ。


★ 知り得ない知
☆ つまり 《知り得ないと知り得た(証明し得た)》場合は 不
可知と言うのだと思います。


★ 分かりやすさと、単純化を深く考えた方が良いと思います。
☆ ええ。そうだと思って さらに表現を見直していきたいとは思
います。



★ それと考えてるとき面白い文章が有りましたよ。・・・
☆ このあとのところ だいたいこれまででお応えできたかと思い
ますが どうでしょう。

お礼日時:2017/11/14 20:29

ママ、マンマ、は早く言えるようですが、



パパ、は難しいようです。タータ、ダーダ、から、パーパにチャレンジするのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ママ、マンマ、は早く言えるようですが、
☆ ええ。 この場合の音素 / m / は 《母親 かまたは 食べ物》を
意味する言葉として 世界共通だとも言います。

つまりこれは 口を開いたり閉じたりするというウゴキにかかわってい
て 最も多く自然なかたちでおこなうコトであるので やはり最も身近
なものごとを意味するようになった。と説かれます。

言いかえると / m / =認定相 としてのハタラキが出来る以前の言葉
の形成だと考えられます。




★ パパ、は難しいようです。タータ、ダーダ、から、パーパにチャレ
ンジするのでしょうか。
☆ / p / あるいは 息の音の / h / は かなり広く(つまり 多くの
言語で) 生活にとって基本的ないし基礎的なものごとを意味する言葉
を形成すると説かれています。

よく 《パン(食べ物の)》の子音が 例に挙げられています。

日本語の《母親》を意味する語は この子音の系統でつくられているよ
うです。


ちょっと脱線して。:

/ h ( F ) / :順出(なぜなら 息の音)ゆえ 順定相。さらに中心相。
      傑出相。

ho : ほ(穂・帆・秀)
・ho-no-ho :ほ(火)のほ(穂)=炎

ho-mu : ほ(秀)‐む(認定相)=褒む
・ homa-re : 褒ま‐れ(自然生成相)=誉れ

ho-si : ほ(秀・穂)‐し(指定相)=欲し
ho-ru : ほ‐る(自然生成相)=欲る
・ hori-su :欲り‐す(指定=人為相)> hor-su>hossu :欲す

ho-ku :ほ(秀)‐く(疑問思考相・過程相)=祝く(>ほぐ)
ho-idu :ほ(秀・穂)‐出づ> hi-idu ひいづ(秀でる)

お礼日時:2017/11/13 22:01

まみむめも(マ行)は、日本人にとっては、なにか水にまつわるものを連想させる、と聞いたことがあります。



言葉の音にも、なにか文化的な情緒が含まれているようにも思います。
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この回答へのお礼

そうですかね。

と いきなり反発してしまいましたが ご回答をありがとうございます。

【Q:ことばは オノマトペから出来てきた!?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9340449.html

☆ ちょうど 音素 / m / を取り上げていますので 参考にしていただ
ければと思います。

☆☆ (同上・趣旨説明欄) ~~~~~~~~

§ 1 / m / :認定相 と捉える。何かを認定したというコト・サマを
人は 子音の/ m /で表わしたという意味です。

(例1)・ ma 目
 ・ ma-i > me 目
 ・ mi-ru 見る

・・・・・
~~~~~~~~
☆ というふうに始めています。

お礼日時:2017/11/13 17:19

人間が意志や感情などを伝えるための手段です。

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この回答へのお礼

そうなんでしょうね。間違いなく。

その上で 趣旨説明における問いについても よかったら考えて
みてください。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/11/13 09:26

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