大学のレポートで金環の変化について調べています。大阪の大藪古墳から出土した金環は何年に作られたものですか?また純金ですか?なんでもいいので教えてください。

A 回答 (2件)

金釧は腕輪で、金環は耳輪です...紛らわしいことを書き失礼しました。

。。ただの愛好者ですから、お聞き流しください。
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福岡県宗像郡大島村沖ノ島7号遺跡出土品(古墳・6世紀)からは、金釧(金環)の他に鏡、水晶、金指輪、銀釧、金銅帯金具、



金銅杏葉、刀身、剣身、矛身、三彩釉陶器残片などが出土し、福岡・宗像大社に保管されています。

最後の三彩は[唐三彩]で有名ですが、私は「唐」以前の時代に大陸から三彩が渡来し[宗像大社]付近の古墳に存在したことに・・・

何を意味するのか興味を覚えているものです。

大阪の大藪古墳のものと、直接繋がるものかどうか証拠がない限り分りませんが、以前気が付き気になっていたことを書きました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。専門の方なのでしょうか??とても詳しくお話してくださって本当にありがとうございました。ただ・・・・金環が耳飾りだったと本に書いてありましたが新しくなるにつれて耳輪として使用できないような形のような気がするんですが・・。ああ・・どうしよう・・。

お礼日時:2001/07/07 09:51

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Q古墳内部(石室等)の見学についての質問です。考古学初心者です。

古墳内部(石室等)の見学についての質問です。考古学初心者です。

今月内に奈良県へ旅行に行くのですが、その折に古墳の石室を見学したいと思ってます。そこで、まず最初に見学したかったのが以前ニュースになった「條(条)ウル神古墳」です。

しかし、條ウル神古墳は調査が終了したらしく埋め戻されており石室内の見学は不可とのこと。

限られた時間内の旅行ですから「古墳の所在地まで足を運んだけど石室の見学はできませんでした」というタイムロスは極力避けたい思います。

そこで質問なのですが、どこの古墳の石室が見学が可能なのか不可能なのか(見学可能な場合も鍵の有無等で事前申請の窓口があるのか等)の情報を知りたいです。情報の入手先をご存知の方々よろしくお願いします。

まとめて情報を入手できたらいいのですが、できない場合は、各市区町村の教育委員会に問い合わせるしかないのでしょうか?

Aベストアンサー

興味はそれなりにあるけど、あまり詳しくない地元民です。
(ニュースになったら列に並ぶ程度)

>どこの古墳の石室が見学が可能なのか

石舞台古墳。はあまりにも有名ですが、
http://www.asuka-park.go.jp/ishibutai/

平群の古墳群については詳しいレポートがあり参考になると思います。
西宮古墳は山背大兄皇子の墓ではないかと言われています。
こちらは是非みておきたいところです。
http://inoues.net/club/heguri.html

こちらのサイトは東大寺山古墳群の移設分も含めて参考になりそうです。
http://www.asagaotv.ne.jp/~mj-ktmr/tpx1002tenri1.htm

あまり関係なさそうですが、龍王山登山道中にも石室があるようです。
http://www.oct.zaq.ne.jp/kashiko_yushikai/reikai/reikai0405.htm

ついでにこういう施設もどうでしょう。
http://www.sairosha.com/tabi/nazo/zutou.htm

興味はそれなりにあるけど、あまり詳しくない地元民です。
(ニュースになったら列に並ぶ程度)

>どこの古墳の石室が見学が可能なのか

石舞台古墳。はあまりにも有名ですが、
http://www.asuka-park.go.jp/ishibutai/

平群の古墳群については詳しいレポートがあり参考になると思います。
西宮古墳は山背大兄皇子の墓ではないかと言われています。
こちらは是非みておきたいところです。
http://inoues.net/club/heguri.html

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http://www.as...続きを読む

Q最古の暦刻んだ大刀出土、元岡古墳「庚寅」の文字の謎

暦刻んだ大刀出土 福岡市西区・元岡古墳 「庚寅」の文字、570年製造か
「福岡市教委は21日、西区の元岡・桑原遺跡群の元岡古墳群(7世紀中ごろ)で西暦570年に製造したことを示すとみられる「庚寅(こういん)」など19文字の銘文が象眼という技法で刻まれた鉄製の大刀が出土したと発表した。暦使用の日本最古の実例とされ、6世紀半ばに朝鮮半島から暦が伝来したとする「日本書紀」の記述を裏付ける貴重な発見とみられる。
 古墳から銘文が入った刀剣が出土したのは全国7例目で、干支(かんし)や年次と月日を組み合わせて表記された刀剣が発見されたのは初めて。
 日本書紀によると、暦は554年に百済から来日した「暦博士」から伝わったとされる。九州大学人文科学研究院の坂上康俊教授(日本古代史)は「暦博士は中国の宋時代に使われ始めた『元嘉暦(げんかれき)』をもたらしたと考えられ、銘文は日本列島で元嘉暦を使いこなしていた証拠とみてよい。わが国最初の暦使用の実例として画期的な資料」としている。
 大刀は長さ75センチ。エックス線撮影で、背の部分に長さ13-14センチにわたって「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」の漢字19文字が確認された。19文字目は判読できず、製造場所などは確認されていない。
 市教委は、年を示す「庚寅」のほかに「正月六日庚寅」と日付の記載があることから、年と正月六日の干支がともに元嘉暦で庚寅となる570年に製造されたとみる。
 大刀が出土したのは元岡古墳群G6号墳(直径18メートル)の石室で、古墳時代では国内最大級の全長12センチの銅鈴(どうれい)も一緒に見つかった。被葬者は有力豪族と考えられるという。」
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/264501

歴史的な発見ですが、
「大歳」「凡十二果□」の意味がわかりません。
又「庚寅」が二度も出てくるのも不審です。
文字はどういうことを書いているのでしょうか?
正月六日庚寅に刀を作ったという以外に何が書いてありますか。
日本人が作ったものでしょうか?
よろしくお願いします。

暦刻んだ大刀出土 福岡市西区・元岡古墳 「庚寅」の文字、570年製造か
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Aベストアンサー

 現代語訳もあるページ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110921-00000026-mai-soci

「大歳」はたぶん「太歳」と同じ意味。これは木星の反対側にあると仮定された星(神様)。木星が地球から見て約12年で天球上を一周するので、これを十二支に当てはめて年代表記とすることが考えられたが、地理的に当てはめた十二支の位置と当時の暦とずれていたの、反対側にある星を仮定し、その星が天にある位置をもって年数表記とした。「太歳○○」とは「○○の年」の意味。

http://www.geocities.jp/oden1947/250.html
http://www.ndl.go.jp/koyomi/kotoba/02_eto03.html

「凡十二果□」の最後は文中にもあるように判読できない文字に四角形をあてたもので「くち」ではない。現代語訳もあるページだと推定は「練」。意味は訳にあるように「およそ12回鍛錬した」。「練」でないとしたら「およそ12回○○した」で○○は何だか不明。

「庚寅」は十干と十二支の組み合わせの一つで、60個あるうちの順番で言うなら27番目。毎年一つずつ進めて行くのと同様、毎日にも一つずつ進めていく。一年の日付を60で割り切れないので、毎年少しずつずれていく。たとえば今の暦(新暦)で2011年1月1日は年は辛卯で日は丙辰。

 だから「庚寅」が二回出てくるのは年と日の二通りのこと。年も庚寅、正月六日も庚寅となる組み合わせは西暦でいうと570年にあったから、製造がその年と推定できたということでしょう。

http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/calendar/10kan12shi.htm
http://koyomi8.com/directjp.cgi?http://koyomi8.com/kyuureki.htm

 現代語訳もあるページ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110921-00000026-mai-soci

「大歳」はたぶん「太歳」と同じ意味。これは木星の反対側にあると仮定された星(神様)。木星が地球から見て約12年で天球上を一周するので、これを十二支に当てはめて年代表記とすることが考えられたが、地理的に当てはめた十二支の位置と当時の暦とずれていたの、反対側にある星を仮定し、その星が天にある位置をもって年数表記とした。「太歳○○」とは「○○の年」の意味。

http://www.geocities.jp/oden1947/250.html...続きを読む

Qキトラ古墳の現在について?

今度奈良県飛鳥地方へ旅行を考えており、その目玉にキトラ古墳見物を考えています。

しかしいくら調べてみてもキトラ古墳周辺は整備中ですとしか書かれておらず、見学できるのかわかりません?
キトラ古墳の現在のどの程度見学できるのかを知っている方ぜひ教えください。(遠目からでも古墳が見れれば行きたいと考えております。)

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

キトラ古墳の現状は、下記の様な状態です。

参考URL:http://urano.org/kankou/asuka/asuka8.html#kitora

Q【歴史】○○時代、何年~何年みたいなのが知りたい。

例:昭和時代 1925年~1988年 (間違ってるかもです…)
みたいな感じのを
飛鳥時代くらいから教えてください。

よろしくお願いします。

いそぎです(^_^;)!

Aベストアンサー

古代には明確な時代設定は無いですけどね
せいぜい明治からですよ


私がわかるのは

飛鳥時代
645~710

奈良時代
710~794

平安時代
794~1192

鎌倉時代
1192~1333

室町時代
1338~1573(鎌倉幕府滅亡から室町開府まで5年間空白)

安土桃山時代
1573~1603

江戸時代
1603~1868

Q古墳の樹木

古墳の樹木

古墳にはどういう種類の木が生えているのでしょうか?
堀のある古墳よりも堀のない古墳の方が木の種類は豊富なのでしょうか?

Aベストアンサー

古墳がある場所の植生と同じなっていくので特別な植生にはなりません。
また、中世~戦国時代には砦に使われたり、塚に再利用、見晴らしの良さなどから神社か置かれたりしますので、そうした利用状況によっても植生は変わります。

堀があると人が容易に近づくないため畑などに利用されることが少ないのでその意味では植生が豊かになる可能性はありますが、山の上にあってあまり人が行かないところに作られた古墳と条件としては大差ないようには思います。

元々古墳の樹木は「墳墓として管理されなくなって放置された結果」であって植樹されたものではないので質問の答えとしては「古墳がある場所の環境に左右されるので古墳毎に違う」となるかと思います。

Q江戸時代を初期・中期・後期・末期にわけると何年から何年までがそれぞれの時期にあたるのでしょうか?

歴史の本を読んでいると、「~時代の初期」のような表現が使われています。初期・中期・後期・末期はどういう基準で分けているのでしょうか?

そしてその基準はすべての時代に当てはめて考えてもいいのでしょうか?それとも「この時代はこの将軍までが初期にあたる」とかいうものなのでしょうか?

日本史のすべての時代区分を知りたいのですが、無理なようでしたら江戸時代だけでもお願いします。

Aベストアンサー

江戸時代初期は
幕府成立から元禄を経て七代将軍までではないでしょうか?
中期は八代将軍から田沼改革(宗家の消滅)
後期は天保から嘉永まで(米本位体制の崩壊)
幕末は安政から慶応まで(幕藩体制の崩壊)

ここに大きな区切りがあります。

Q盗掘にあっていない古墳

盗掘にあっていない古墳はあるのでしょうか?藤の木古墳は知っていますがその他にありますでしょうか?
また古墳の内部は一般公開されないのでしょうか。

Aベストアンサー

地元の資料館の講演で、団地造成のため、城郭跡を調査しているときに、未盗掘の古墳を発見したというのを聞きました。鏡が出てくるまで、そこが古墳であることすら知られていなかったと言うことです。

このように盗掘にあっていない古墳というのは存在すると思いますが、盗掘や調査に入っていないものは、通常内部は見れません。中を塞いだ状態が古墳本来の状態だからです。

内部が見れるような状況になっていない状態の古墳で学術的調査を行った場合、通常元に戻す、すなわち塞いでしまいますので、中は見れません。

また、内部が見られるようになっている古墳のほとんどは、盗掘や開墾のために封土や石室が破壊されたことにより中が見れるようになっているのですから。

このような古墳は学術調査後でも塞がないことが多く、文化財としてや崩落危険のため立ち入り禁止措置を行うこともありますが(入口に柵をして入れないようにしているが中をのぞくことはできる状態のことが多い)、中を見学できるようになっているものも多くあります。

ただし、陵墓参考地は立ち入り禁止ですので、敷地内入ると問題になります(見瀬丸山古墳は巨大な横穴石室があり開口しているので有名ですが、陵墓参考地)

横穴石室で内部を公開というか見学できるものとしては、西日本各地にあります。まとまって見れるのは、奈良県と大阪府(観光地で有名な石舞台もそうです)が最も多いと思いますが、岡山・和歌山などにある風土記の丘などに内部を見れるものがあります。東日本は少ないのですが、群馬県にはよくあります。
このほか長野なんかも結構固まって見学ができる地域がありました。

また、高松塚古墳(これも盗掘されている)の壁画発見後間もない時期に発見された装飾古墳の虎塚古墳は毎年文化の日のころ、内部を公開しています(普段は保存のため塞いでおり、近くにある資料館の模型を見学)。
たしか九州にも特定の期間のみ内部公開している古墳もありました。

あと、高速道路のSA・PAなんかにも小規模のものが展示してあることがあります。
一例として佐久(スキー場の佐久ガーデンパラだがあるところ)を紹介しておきます。

地元の資料館の講演で、団地造成のため、城郭跡を調査しているときに、未盗掘の古墳を発見したというのを聞きました。鏡が出てくるまで、そこが古墳であることすら知られていなかったと言うことです。

このように盗掘にあっていない古墳というのは存在すると思いますが、盗掘や調査に入っていないものは、通常内部は見れません。中を塞いだ状態が古墳本来の状態だからです。

内部が見れるような状況になっていない状態の古墳で学術的調査を行った場合、通常元に戻す、すなわち塞いでしまいますので、中は見...続きを読む

Q縄文土器が出土する場所に、原子力発電所がある??

少し聞いた話なのですが、日本の原子力発電所がある場所から、数多くの縄文土器が出土したらしいと言うのは、本当なのでしょうか?たまたま海岸縁のなだらかな場所に、全国各地の縄文人が住んでいたと言うだけなのでしょうか??

Aベストアンサー

原発があるような所はそれまで大きな建設物はほとんどありません。ですから、誰もでかい穴を開けたことがないのです。
 しかも海のそばであれば、縄文人が住むにはとても良いところです。最低も海岸に行けば何かの食べ物を得ることが出来ます。
 縄文人が住んでいた確率は高いと思いますがそれが遺跡として現在に載っているのか、そして現代人に発見されるのかはきわめて偶然だと思います。

Q古墳の名前

古墳の名前に『キトラ古墳』『ニサンザイ古墳』と呼ばれる古墳がありますが何故カタカナで呼ばれているのですか、又、キトラ、ニサンザイの呼び名はどこから来ているのかどなたがご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

『キトラ古墳』の「キトラ」は字名「北浦」のなまり、盗掘坑から玄武や白虎を見た人が「亀虎」と言い伝えたなどの説があります。
『ニサンザイ古墳』は地名ですね。

全国各地に古墳は約500あります。
ほとんどがその土地の地名がついています
変わったところでは、
「チブサン古墳」いうのが熊本県山鹿市にありますが、石棺の正面の石板装飾の絵柄が女性の乳房に似ているところから「チブサン古墳」と呼ばれています。
大阪府藤井寺市には「ボケ山古墳」がありますね。
下記のサイトに古墳の場所、名称が詳しく載っています。
これを見れば古墳のことがわかります。
ぜひお近くの古墳をたずねましょう(^.^)

参考URL:http://www2.odn.ne.jp/kofun/index.html

Q金環は何でできているんでしょうか?

こんにちは
この前、たまたま、ある遺跡に行ったら、金環というものがありました。
青銅みたいな色だったんですが、一部が金色になっていました。
まるで金メッキかなにかしたような感じで、何でできているのか不思議に思いました。
金環は何でできているんでしょうか?金製でないとすると、どうして金色なんでしょうか?
ローマングラスみたいに、経年変化(+化学変化)でできた色なんでしょうか?

Aベストアンサー

遺跡の年代が判らないので合ってるかどうか?
たぶん青銅器に金メッキを施した物であると思います。
水銀と金のアマルガムを作って青銅器に塗った後で青銅器を加熱すれば水銀だけが蒸発して金が青銅器にメッキされます。
この方法は奈良時代には行われていた方法で「奈良の大仏」(毘盧遮那仏) もこの方法で作られました。


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