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昔の社会でも、庶民にカレンダーが普及していて、今日は◯月◯日 ◯曜日 と分かっていだのでしょうか?
ラジオもテレビも無い時代では、そのようなものは どうでもよかった気もしますが、約束事や 行事もありましたでしょうが、各家庭にカレンダーがあった気がしませんし、あったとしても、めくり忘れてズレてる人もあるはず。
江戸時代くらいでは、どうしていたのかな?

A 回答 (1件)

江戸時代くらいになっていれば、何月何日というのは皆分かっていました。

村ごとの行事などもありますから、今みたいに一人だけ我関せずで暮らしていくことは出来ません。
曜日は、今使われている七曜ではなく六曜と呼ばれるもののほうが一般的でした。大安とか仏滅とか友引とか、今でも時々おみくじみたいに見かけるあれです。六曜は、旧暦においては何月何日が何(例えば1月1日は先勝、毎年同じ)と決まっているので、占いのようなものには全く使えません。つまり今の七曜や六曜とは違う感じのものです。(強いて例えるなら2017年を(干支の)丁酉という感じ?)
なので大安を吉日とか仏滅や友引を避けるとかは明治以降に言われだしたものです。

七曜は、調べるとなかなか面白いもので、古代バビロニアに発祥を持ち古代エジプトで発展(完成?)されたものです。この七曜は、何月何日という暦などとは全く関係なく7日周期をずっと繰り返してきています。現代に引き継がれている古代遺産みたいな感じですね。この七曜、日本に入ってきたのは平安時代と、実はかなり古かったりします。でも何に使えるか分からんというか、使い勝手が悪いというか、そんな感じでほとんど普及していません。(代わりに江戸時代には前述の六曜が一般的に)
そんな七曜も、明治になって西暦で使ってるからと日本でもひっぱりだして使うことに。ところで古代バビロニアやエジプトで、これら七曜は太陽系の5惑星と太陽と月に対応していたのですが、長い歴史のなかで世界各国では七曜日の表し方も惑星の名前も色々に変化して、七曜と惑星のリンクは見る影もなくなっている状況なのですが、発祥の地から遠く離れた日本においては、日・月・火~土という七曜と惑星は、見事に今でもリンクしているという奇跡が起こっていたりしますw
ま、日・月・火~土てのは陰陽五行が大元で、それに七曜が中国に伝わった時にこれらを当てて、ついでに惑星もそれに合わせて名付けて、それが平安期に日本に伝わってそのまま(使われずに)残ってた、ってだけの話なのですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます♪(´ε` )
曜日の名と、惑星たちの名の関連性も疑問に思ってましたから 納得できました。
楽しく学べました(´・Д・)」

お礼日時:2017/11/16 23:01

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