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寄進地形荘園はなぜ始まったんですか

A 回答 (2件)

wikiを読んだ前提で答えます。



なぜ始まったかと言うと「寄進しないと取られたから」です。当時は律令制の時代であり、権力を持っているのは都の朝廷とその役人=貴族、そして貴族階級で各地に派遣された国司たちなどです。

当時は自分で開墾すれば「自分のモノ(永年墾田資材法)」がありましたが、土地の登記などはちゃんとしていなかったため「この土地の所有者は俺になっているから返せ」と権力者に言われば、どれほど苦労して開墾した土地でも泣く泣く明け渡すしかなかったのです。

ですからそういう権力のある人に寄進する形で「寄進した土地の4割は取っていいですから6割は耕作した手間賃としてうちらにください」と言う約束をして、自分たちの食料を確保したのです。

それが嫌なら、武装化して権力者と対立するしかありません。逆に権力者も武装化した手下を使って年貢や土地を取ろうとしたわけです。

この「武装化した人たち」がのちの武士になるわけです。武士がなぜ「自分たちの政府」として鎌倉幕府を作ったかと言うと「朝廷の権力で土地などの収奪があまりにも激しかったから」です。

ちなみに私も「教えてちゃん」は嫌いです。でも、歴史の流れは勉強だけでは見えない部分がたくさんあるのです。
なぜ「寄進型荘園」が出来たかと言うと「権力者が権力と武力を使って、せっかく開墾した土地を取り上げたから」であり、寄進することで権力者がその土地を守ってくれて共存で来たからです。

しかし、それを良しとしない人々もたくさんいて、彼らは武家社会の幕開けとなる「武家集団」を作っていったわけです。つまり「墾田永年私財法で誰でも自分の土地が持てるようになったこと」→「自分で開墾したのに、権力者に取られてしまうこと」→「取られるなら寄進して、自分たちの取り分を確保しつつ権力者の保護を得られたこと」→「権力者側で武力で保護を行っていたもの、権力者に取り入らず自前の武力で自分たちの土地を守ったものがのちに武士になっていったこと」→「朝廷の権力を使って横暴を働く地方役人があまりにも多かったことが、武家自前の政府(鎌倉幕府)につながったこと」と全部つながっているのです。

ぜひ、そのつながりを意識して歴史をみてください。
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あなたがどこまで知っていて、その上で何を知りたいのか不明なので回答内容を考えられません。



【寄進地系荘園】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%84%E9%80%B2 …

あなたは、最近増えている宿題の丸投げや↑程度さえ検索しないで。他人様にそれらの内容を纏めて文章にするような事まで要求するような傲慢な方ではないと思います。


そして、私は努力する方のお手伝いはしたいと思っていますが、BA程度の為に怠け者を甘やかすことを親切とは思っていません(他の方については知りませんが)。


【調べ癖をつける|「教えてちゃん」になると残念な結果になる2つの理由】
http://yukomotoyama.com/shiraberukuse/
《「教えてちゃん」が嫌がられるのは自分で調べようともせずにすぐに誰かに聞こうとするその姿勢にあります。

そもそも、そのことを知っている人は知るために、時間も場合によってはお金もかけているのです。

そうして(ある程度の)努力をして得た知識をさも当然のように要求されればあまりよい気はしないものです。

さらには回答するためにはそれなりに時間もかかります。
つまり、「教えてちゃん」は自分で調べないがために相手の資産と(情報も知識も立派な資産です)時間という貴重なものをやすやすと奪うということをしでかしているのです。》
「寄進地形荘園はなぜ始まったんですか」の回答画像1
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます

お礼日時:2017/11/18 16:48

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