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社会の問題です(><)

豪族達が渡来人の技術や文化を取り入れたわけを、「くにづくり」という言葉を使って書きましょう。

という問題です。
全然分からなくて…教えてください(TT)

A 回答 (2件)

手っ取り早く書いてしまえば、「渡来人がもたらした大陸の進んだ技術や文化を取り入れて、くにづくりに役立てようとしたから。

」あたりでしょう。

当時は大陸の技術や文化の方が圧倒的に進んでいました。
漢字や儒教、仏教、須恵器、機織りの技術など様々なものが大陸からもたらされたものです。
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この回答へのお礼

簡単に分かりやすく教えて頂きありがとうございました(>_<)よく分かりました!

お礼日時:2017/11/20 06:20

古来、日本の渡来人には多くの滅亡国家の亡命人が多く存在します。



代表的な氏族に曽我(そが)氏と秦氏がいます。

曽我氏の伝聞によると、紀元前5世紀の第八バビロン王朝のカッシード朝の後裔であるとされています。
それで”月氏”と姓が与えられ、それが曽我氏の祖となりました。
月→我に変わった形ですね。
曽我氏の曽とは「かつて」という意味です。

蘇我蝦夷は有力豪族として、厩戸皇子の後ろ盾となって宮中統制を手助けしました。
また、国政に仏教を取り入れたのもそうです。
お香文化もそうなのでしょう。
日本の重要なくにづくりに貢献したと言えるでしょう。

次に、秦(はた)氏。
これはもっと凄いです。
なんと秦の始皇帝の後裔です。
もっとも中国の正史には子供は息子二人で、いずれも殺されていて滅亡したことになっていますが、正史に載っていない傍流の子は男30+α、女10はいるとされています。
その始皇帝(嬴政=えい・せい※紀元前3世紀)は49歳で亡くなります。
朝鮮半島の任那で保護された政の13代目の孝武王の※孫の融通王が9世紀に日本へ渡来してきました。
※父親は功満王。なので数えて15代ということ。証拠がないので赤の他人ともいえなくもない。

この融通王がなぜ日本で弓月君(ゆづきのきみ)と呼ばれているのかというと、弓月国の皇子だからです。
※弓月国とは、東トルキスタン※新疆ウイグル自治区にあったとされます。

養蚕を生業とし、機織技術に優れ、日本に絹織物の技術をしましたもたらしました。
なので、秦+機織物の”はた”で秦(はた)氏なのです。
この絹織物は後年の日本の基幹産業となりました。
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この回答へのお礼

とても分かりやすかったです!ありがとうございます(>_<)

お礼日時:2017/11/20 06:19

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