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たぶん「三下り半」というのがそれに当たると思うのですが、
「〇を4つ」書いて離縁・絶縁状の代わりにできた、という話を聞きました。

文字が書けない人、読めない人のための方法で
「これまでワ 親子だワ これからワ 他人だワ」でワ(輪)が4つ。

反抗期の頃に、父親からよくそう言われていました。
実際に「4つの〇を書いた紙」をもらったことはないですけど。

本当にそういう習慣があったのでしょうか?
それとも、からかわれていたのでしょうか?

A 回答 (2件)

江戸時代の離縁状は公文書なので誰が見てもわかるものでないといけなかったはずです。


離縁状は妻に離婚を伝える文書ではなく再婚許可証でした。女性が再婚するためには前の夫と離婚したことが証明できねばなりませんがその書類が離縁状でした。ですから離縁状は夫からたたきつけられるものではなく夫から奪い取ってくるものでした。自分の着物などが持ち出せなくても離縁状だけは夫に書かせて持って来たといいます。江戸時代の女性は現代人より遥かにしたたかだったんです。
ですから○四つの離縁状というのは考えられません。少なくとも公文書にはなりませんから文書としての存在価値がありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

再婚許可証、だったのですか。知りませんでした。

お礼日時:2017/11/28 15:39

まぁ判じ絵とか遊び心のある時代だから、もしかしたらそう言うのがあるかも知れないが・・・・



「これまでワ 親子だワ これからワ 他人だワ」
意味が通じないし、全然面白くも無い
で親子は勘当であり、離縁状とは関係無いしね

こじつけだね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

こじつけですか。
まんまと父親にからかわれたのですね(笑)

お礼日時:2017/11/28 15:38

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