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怒りで大声を出したり、物を壊したり、場合によっては暴力があったり。
そんな怒る人が「自分は普段こんなに怒らない。ここまで怒らせるお前が悪い」と怒りの起点は相手にあると主張した場合、皆さんはどう考えますか?
怒りの起点は本人にあるのか、相手にあるのか、それとも喧嘩両成敗なのか。
皆さんの意見をお聞かせください。

【注意】
このお題は教えて!gooウォッチ編集部から出題された記事と連動するアンケートとなります。
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なおベストアンサーの選出はない点をご理解いただき、回答をいただけますと幸いです。
皆様のご理解と回答に心から感謝いたします。

A 回答 (18件中1~10件)

前提は下記のようにまとめられます。


怒っている人がいる。
 ┠その人は客観的には怒る人で本人の主観では怒らない人である。
 ┃ └その人が怒りの起点があると主張する。
 ┃   ┠ある。
 ┃   ┃ └その起点は相手にあると主張する。
 ┃   ┃  ┠相手にある。
 ┃   ┃  ┠怒っている人にある。
 ┃   ┃  ┠他にある。
 ┃   ┃  └上記の内の3つか2つの複合。
 ┃   └ない。
 └回答者の立場が不明確である。
   ┠怒っている人として回答する。
   ┃  ┠利害関係がある。
   ┃  ┃ ┠怒っている人に味方すると得をする。
   ┃  ┃ └主張された相手に味方すると得をする。
   ┃  └利害関係がない。
   ┠主張された相手として回答する。
   ┃  ┠利害関係がある。
   ┃  ┃ ┠怒っている人に味方すると得をする。
   ┃  ┃ └主張された相手に味方すると得をする。
   ┃  └利害関係がない。
   ┠怒っている人でも主張された相手でもない人として回答する。
   ┃  ┠利害関係がある。
   ┃  ┃ ┠怒っている人に味方すると得をする。
   ┃  ┃ └主張された相手に味方すると得をする。
   ┃  └利害関係がない。
   └人外として回答する。

怒っている人の自分像が間違っています。どのように言っても両義的になり論理的な説得は困難です。味方をしても敵対してもうまく行くかは運しだいです。割り箸を隠し持っておきましょう。余裕があればそれを大きな声を出しながら割って怒りを発散させましょう。いざとなれば武器として目や鼻や耳を狙って突き刺しましょう。考えるな。感じるんだ。『Enter The Dragon Bruce's Real Voice』
 1:02~ 1:13の師匠の言葉
 The enemy has only images and illusions
 behind which he hides his true motives.
 Destroy the image, and you will break the enemy.
とつれづれに鑑み考えるに怒っている人に上島竜平さんが適合します。すると相手は肥後克広さんで、怒っている人でも主張された相手でもない人が寺門ジモンさんです。人外は南部虎弾さんです。イメージを壊さずに敵ではなくなりました。うまあじです。
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自分に対する自尊心ではないでしょうか?

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基点から考えると、起点は本人にあると思います。

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怒りは、心理学的に、だいたい言葉事態が、相手に言ってるようで、自分に言ってるから、五感は、感情は、自分に言ってる。


例えば、「うるせえな、お前。」て、言う人は、就職後に、始めに、「俺になに言ってるんだ(受け身)、うるせえな、お前。(主張)」だから。
目などで感じたことが、脳に行って、言葉が出る❗
一般的に、主張すると言うけど、受け身である❗
言葉は、受け身による❗
だから、「自分がされて嫌なことは、人にはしない❗」→合ってますね❗
マインドコントロールができる人は、怒り自体が出ずに、流すことができる❗
相手への欲求から、自分の理想的な相手ではないとき、受け身による考えからの主張である❗
相手に怒る感情への自分への怒り、だから、日々、笑う人は、相手から責められても、よく見ることができる❗(責めることを教えてくれた、いい人と、考えられる❗)
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例えれば、怒りは静。


自己という荒野?宇宙に於かれている。
「怒り」は本人の意味にあり。

怒るは動き。
相手(人、または、こと、もの)によって「怒る」。
感情を引き出される。

怒る度出来事は変わるが、怒りの意味は変化しがたい。

起点は、
怒りはそもそも内に抱えているものが、
きっかけの事柄に出会い表面化する。
普段、客観的にならないと見えない、なかなか気づかない。


起点をどこに於いて考えるか。

心理の方を起点に考えれば、
時間的に当初は相手になっても結局は本人。
他者としている限り本人は深まらない。
良い悪いは関係しない。

哲学なら人間。

喧嘩両成敗は「事柄」重視、良い悪い、処罰ではないでしょうか。
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そういう質問に、怒りがある方がいると思います❗


通報しますよ❗あまり、ふざけないでください❗

音楽家心理学より・・・
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怒りの起点は「相手」



そもそも相手が居なきゃ喧嘩にもならないワケで。
怒りの当人に油を注いでさらに延焼させたのも相手側。
もちろん怒りの当人にも自制する能力を養ってほしいとこだが。
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怒りを持たない人間などいない。

しかし、怒りを制する人はいるのである。
俺様根性を捨てたなら、その人は怒りを根本から制したのである。
自分を捨ててはならない。しかも、俺様根性(我執)は捨てなければならない。
我執を捨てたならば対等ということがどういうことかを理解する。
(正しい)ありえべき人間関係もそこから始まるだろう。
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人間の中には、社会の中で、平等でありたいという心と、自分だけ、特別に扱われたいという心が存在していて、一人でいるときにはいいんですが、他の人間と交わる時、または、様々な情報を受け入れたときに、葛藤が起こります。



特に、自分の社会的立場に、直接利害を及ぼす案件では、感情を揺さぶられることになります。優越感が満たされなかったり、劣等感が刺激されたとき、怒りの感情が湧いてくるのは、人間として、きわめて自然なことでしょう。しかし、その怒りを、そのまま相手にぶつけるのは、人間的に未熟な証拠であると言えます。

人間はすべからく平等である、という、欧州的な視点に立ってみれば、怒りの対象の人権を尊重できてこそ、成熟した一人前の人間、といえることになります。

怒りの起点は、あくまで、未熟な人間の心の内側の葛藤にあります。本来であれば、あほらしい人間世界の、あほらしい利害関係のすれ違いを、俯瞰して、人間喜劇として、笑い飛ばすことも可能なのです。

けれども、私たちは、いつまでたっても、俯瞰して眺めることができないまま、狭い料簡を持ち続け、メンツにこだわり続けて、怒りをお相手にぶつけます。

自分の権利が侵害された、と感情的になる時、それを、とにかく、言葉で表し、相手を説得できる能力を育て、暴力につながらないような、教育が必要なのでしょう。怒りの起点を対象に求めるのは、頭が悪いというものです。最低です。
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納得がいかなかったり、容認できない時に怒るんだと思います。


相手に対する反発です。
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