1. われわれ人間の《感じる や 考える》は この相対性なる経験世界での
出来事です。
2. 経験事象を超えたナゾの何ものか(つまり 神)について どうしてわれ
われの《思考や感覚》で知り得るのですか?
3. だから 思考の緑野や感性の原野のほかに われらが身と心とから成る自
然本性にはさらに――アートマン(霊我)やブッダター(仏性)のごとく霊の問
題として―― 《非思考》としての信仰の場を仮設せざるを得ない。そうして人
間存在の理論を建てざるを得ない。
4. 《〈人知を超え経験世界における因果関係から自由なナゾの何ものか〉を
無条件で無根拠においてわが心に受け容れる》 これが 《信じる》というわれ
われ人間の意志行為である。
☆ どうでしょう?
A 回答 (4件)
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No.3
- 回答日時:
「 絶対である神とわれとのカカハリですから」
⇒昔から、人間はそのようなことを考えて、人生の辛さを克服しようとしてきました。
ご回答をありがとうございます。
そうですね。微妙に見えるかも知れませんが ちょっとの違いで
ずいぶん大きな理論の違いが出て来ると思います。
★ 人間はそのようなことを考えて
☆ というところですね。
つまり 神については:
☆☆(趣旨説明欄) 2. 経験事象を超えたナゾの何ものか
(つまり 神)について どうしてわれわれの《思考や感覚》で
知り得るのですか?
☆ という問題が 大事だと思っています。
No.2
- 回答日時:
ひとつひとつの言葉のあいだ、ひとつひとつの感覚のあいだ、にも
なんらかの情報がありますね。ことばでいえば行間とか文脈とかいいますね。
感覚にも、行間や文脈のようなものもあるように思えます。
それが、作用反作用の関係なのか、順序(手続き)のような関係なのか、原因と結果の関係なのか
ひととひとが話をしているとき、いつもの応答と異なるタイミングの応答であれば、
それがいつものものと違いが大きいと、「うん?」という感じになります。
これはお互いの普段のやり取りの平均ができていて、そのズレかたが許容される範囲でないと判断しているからではないでしょうか。
ことばの(間:ま)ひとつとってみても、これは芸術なのではないかと思うことはよくあります。
いろいろの(型:かた)はたぶんあって、その型は保ちつつ、独特な細部をもつものがよい個性といえるのでしょうか。
神は細部にも宿るのでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
★ 神は細部にも宿るのでしょうか。
☆ 神は細部に宿るというのは 何ごとであれ小さなものごとをおろそか
にするなかれと言っているのだと思います。
★ ~~~
ひとつひとつの言葉のあいだ、ひとつひとつの感覚のあいだ、にも
なんらかの情報がありますね。ことばでいえば行間とか文脈とかいいますね。
~~~
☆ でも そういう場合というのは だいたい人間の思いや気持ちやあるい
ははっきりとした意志などでしょうね。
つまり 《何ごともおろそかにするなかれ》に当てはまりますが それは
むしろ 自己表現をおこなったその本人が まづ気づいたり あらためて重
んじたりするときに 大事なものになるのではないでしょうか。
つまり 何が何でも 《言われなかった部分》や《隠れた意志の部分》が問
題になるとも思えません。
気づかなかったなら 気づいたときに 対処すればよいとも 思っています。
ぎゃくに言えば 《言われた表現 示された意志》についてまづしっかりと
捉えて 応答する。これで それほど大きな問題はなく だいじょうぶなん
だとも思います。
★ ~~~~~
感覚にも、行間や文脈のようなものもあるように思えます。
それが、作用反作用の関係なのか、順序(手続き)のような関係なのか、原因と結果の関係なのか
(中略)
これはお互いの普段のやり取りの平均ができていて、そのズレかたが許容される範囲でないと判断しているからではないでしょうか。
~~~~~~~
☆ そうなんですけれど そのときこちらは 相手に対して どうしたんだ?
とそのまま尋ねてみればよいのではないか。――とは思うんですけれどねぇ。
★ ~~~~
ことばの(間:ま)ひとつとってみても、これは芸術なのではないかと思うことはよくあります。
いろいろの(型:かた)はたぶんあって、その型は保ちつつ、独特な細部をもつものがよい個性といえるのでしょうか。
~~~~~
☆ そのたぐいの自己表現になれば ふつうの対話における話の場合とは違
って来ていますね。不特定多数を相手に表現している場合ではないかと。
振り子を真ん中に戻そうとして 極論を言ったかも知れません。
No.1
- 回答日時:
ひとはいつのまにか、先入観でものごとを当てはめて見て理解しています。
こどものころは、ただ、あるものを、あるように、見ています。
こどもの見方がつねに正しいとは言い切れませんが、おとなの見方はある意味、省エネのものの見方になっています。
省エネの見方をしているので、ある意味、時間と労力を少なくして判断できるものとも思います。(おとなは忙しいから)
果たして、それだけで、ものの見方が過不足ないかという意味では、もう少し柔軟にみる見かた(感じ方)を開発すべきであるということでしょうか。
こどものように感じ取るは、おとなでも可能でしょうか。
ご回答をありがとうございます。
★ こどものころは、ただ、あるものを、あるように、見ています。
☆ 《聖なる甘え》またはその延長線じょうの状態と見ています。
★ 果たして、それだけで、ものの見方が過不足ないかという意味
では、もう少し柔軟にみる見かた(感じ方)を開発すべきであるとい
うことでしょうか。
☆ これには ナゾの何ものかを無条件で無根拠にてわが心に受け
容れるという信仰がもたらす効用として 《心の明け》があります。
心が閉じられていないという状態です。
★ こどものように感じ取るは、おとなでも可能でしょうか。
☆ 《聖なる甘え》は ものごころが着くという事件を経て――と
いうことは 善と悪とを知り おのが心にさからってウソをつくと
いう悔恨の出来事を経て―― おそれをいだくように成りますから
《きよからなおそれ》として 心に定着するようになるのだと思い
ます。
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