プロが教えるわが家の防犯対策術!

今月で42歳になる、いい歳のオヤジです。
ことしの春先に、頑張って大型自動二輪免許を取得しました。

ところが、脱炭素化社会により今後ガソリンエンジン車は無くなるのだそうです。
車はおそらく燃料電池車と電気自動車。バイクも電気化されると思います。

今ある自動車メーカーやオートバイメーカーは、バタバタ潰れていくのではないでしょうか。
そして、世の中はつまらない乗り物で溢れるようになる。

私が今、備えておかなければならないこと、考えるべきことはなんでしょうか。
未来が見えません。

皆様の回答をお待ちしています。

A 回答 (3件)

今備えておかなければいけないこと。


そんなことは誰にもわからないがね。
ただ一つ言えることはある。
それは「人類は滅亡への道を突き進んでいる」ということ。
そう、人類は地球にとって「癌や寄生虫」と同じ存在でしかないのだから。
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トヨタが言ってるだけでしょ。


でもソーラーカーのコンセプトはなぜか無いんだよね。
そう簡単に世の中変わらないから大丈夫な感じです。
燃料、高騰し始めたら、ガソリン車、手放すの考えようと思ってます。

オゾン層破壊とか、CO2の温暖化対策って、大変な割に、微妙過ぎてて効果が薄くて期待感が持てていない現状でしょうし、今は「環境を考えて節度を持った経済開発を」って唱えているに過ぎないんだ。もっと効果的な方法を考えなけけば行けませんから、その点、車や人口抑制、巨大な熱源を抑えるなどは、効果絶大だと思えてますけど。
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もう引退していますが、私は職業的物理学者でしたから、ほんの僅かばかり関わりがあります。


地球温暖化の問題は、もはや極めて複雑な因子を多数含んでいますので、これを単純な視野で語ることはだれにもできません。
専ら二酸化炭素が悪者にされ、これが空気中に増えることが温暖化の主因であり、このまま行けば今世紀末には数度の世界平均温度の上昇が見込まれて、その結果、異常気象の増加であるとか、海水位の上昇であるとか、世界の砂漠化の促進であるとか、要するに地球環境の耐え難い悪化を招くだろう、というのが、多くの学者、政治家、環境論者のほぼ一致した言い分となっています。
ただし、この見方はかなりの程度、眉唾物であると主張している人たちもまた多くいます。その中には、最近の気温動向に対して全く違う機構を想定しているものもあれば、逆に、対策として考えられている炭素放出の抑制策ではとても温暖化を食い止めることは出来ず、根本である資本主義的経済そのものの抜本的改革が必要であるとする者たちまで、広いスペクトラムの意見の分布が見られます。炭素抑制を主張している人たちの中にも、その代替策としての、原子力発電を推進するということを言いたいための誇張も見られ、これに、各国の勢力争い、将来の覇権を求める動きと、常に、経済成長を至上の課題とする経済界の絶対のドクトリンが絡んできますから、いったい本当にどうなることかは誰にもわからない、と言った方が正しいと思われます。
要するに、誰がどうなると想定するにせよ、その言い分にはとても大きな曖昧さが伴っているわけで、その一つとしての車の電気自動車化もほんのここ何年か先のことしかそのイメージを描くことは出来ません。言ってみれば、私たちは「見知らぬ明日」を迎えることを余儀なくされているのです。
さて、極端に矮小化された課題に移ります。ここにおいて、いったい個人の努力としてはどうするのが正解なのでしょうか? 誰にもわかりません。でも、40歳代でしたら、今後の人生の間に起こることとしてある程度の予想は出来なくはありません。脱ガソリン化は、少しは進むでしょう。しかし、それに代わるエネルギーとしての電気をどうやって作り出すかはちっとも明らかになっていないのです。もし石炭による火力発電所の増設で賄おうとすると、逆に、炭酸ガスを増やしてしまうことにもなりかねず、原発でということになれば、環境破壊はさらに進むでしょう。海底にある資源を活用するとか、潮汐発電とか、ともすれば突飛な話が喧伝されますが、とても現実のこととは思われません。
何よりも、各国が、・・・ファーストと唱えて、自国第一主義を国是とし、お互いに覇を争う今の傾向がやがては収束に向かうだろうなど、本気で考えられますか? 結果としては、実力行使を伴う地域紛争は決して止むことはありますまい。その結果、どのくらいのエネルギーの無駄遣い、環境破壊となることか、想像できますか。また世界大戦が起こらなければ、それだけでもありがたいとしなければならないでしょう。
結論として、恐らくはあなたは少なくともあなたの生涯くらいでしたら、少しは窮屈になったとしても、安心して大型バイクを楽しめる、と言っていいのではありますまいか。それくらいの間でしたら、この世界がカタストロフィーに陥ることもあるまいと多寡を括るしかない、ということです。本当に僅かな救いでしかありませんが、せめてものことと思わねばなりませんでしょう。私たち個人にはこの形勢を何とも救う方策はありません。
悲しい結論です。
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