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江戸時代の教育で「郷校」「寺子屋」「懐徳堂」「私塾」が出てきたのですが、違いが分かりません。
教えていただけませんか?

A 回答 (2件)

No.1さんの回答のうち郷校=藩校というのは、ちょっと違うのでは?


日本国語大辞典には「村里の学校。地方的な私学。」とありますし、国史大辞典の「近世」解説ページでは郷校について「藩士団は、通常城下町に集中していたが、遠隔地に在勤する藩士・陪臣の子弟のために設置された」とあります。藩が藩士育成のため運営しているという点で藩校に分類される郷校もあるでしょうが、城下町にある萩の明倫館などは藩校ではあっても郷校ではなく、岡山藩の閑谷学校のように中心市街から離れたところにあるものに限られると思います。また、国史大辞典によれば、藩校のような藩士育成を目的とするもの以外に、庶民教育を目的とするものもあり、運営主体も藩や代官所に加え民間の有志団体の場合もあるとのこと。民間の庶民教育機関である寺子屋との違いは、寺子屋が個人経営なのに対し、郷校は組織的に経営され、藩などの許可や保護を受けていた点にあるそうです。国史大辞典は大阪の懐徳堂も郷校のひとつとして扱っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2017/12/21 00:35

私塾は、松下村塾など。

個人経営の塾の感じ。レベルとしては、高校や大学ぐらい。寺小屋は、習字やそろばんだから、小学生レベルで主に子供たち対象。郷校=藩校かな。藩がお金を出して、武士の中でも、エリート養成目的。各科に専門の教師がそろってる感じ。萩の明倫館など。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2017/12/21 00:35

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Q藩校・郷学・私塾・寺子屋??

江戸時代の教育機関として、藩校や私塾・寺子屋というものがありますが、藩校と寺子屋については何となくわかるのですが、藩校と郷学との違いが良くわかりません。
また、寺子屋と私塾の明確な違いも良くわかりません。このあたりのことに詳しい方、教えてください。よろしくお願いします

Aベストアンサー

 
  参考URLに示されているように、日本には、古来から、官制の教育機関と民間の教育機関があり、民間の場合、寺院などが、仏教を教えると共に、その他の一般知識も教えていたことになります。足利学校などは古くからありますが、入学者として、庶民も入ることができたとされます。
 
  江戸時代になると、各藩が、自藩の有能な人材を育成しようと、また武士の教養程度を挙げようと、藩立の学校を設けます。江戸幕府も官立学校を設けます。これらの入学者は武士階級で、教授内容は、儒学と武術であったということになります。
 
  他方、伝統的に地域の庶民の教育は寺院などが地元の子弟を集めて行って来たのですが、江戸時代には、寺院以外でも、一般庶民に基本的な読み書き算数などを教える機関が民間で設立されます。対象は庶民の子弟で、江戸時代中期になると、経済の発達もあり、庶民も、読み書きや算数程度は身に付けないと、商業活動などで支障を来すので、特に発達をみたとも云えます。
 
  藩校と郷学の違いは、藩校は、藩が設立した、いわば公立学校で、入学資格は藩の武士階級の子弟ですが、郷学は、半公立学校とも言え、藩校に準じて、藩が認めているもので、入学者は武士や一般庶民で、藩が設立する場合と、庶民や武士が設立し、藩が認めるというような形が多いようです。
 
  寺子屋は、ほぼ純粋に庶民の子弟の基礎教育に当たったもので、経営者や教授者は色々で、大体、現在の小学校・中学校が、民間で造られたというようなものです。これは、社会の発達に応じ、一般庶民も読み書き算数や、その他の色々な教養が必要になった為、需要ができて、それに応じて多数成立したものです。大体、六歳頃から十二歳頃までの庶民の子弟が学びました。
 
  私塾というのは、或る程度知名度のある知識人の先生の元に、教えを請う人がいて、自然発生的に学校のような形になったもので、基本的には、寺子屋と違って、成人が入学する私学です。師=先生がどういうことを専門にしていたかで、私塾で教える内容は色々であった訳で、儒学を教える私塾もあれば、本居宣長の鈴屋のように、本居の国学を教える私塾や、緒方洪庵の適塾のような西欧医学を中心に西欧文化を教える私塾など色々なものがあったと云えるでしょう。
 
  寺子屋は、庶民のための小学校・中学校という感じで、私塾は、特定の師を中心としている私学で、武士・庶民の別なく入学できる、江戸時代の単科大学のような感じでしょう。福沢諭吉の慶応義塾は、後に明治時代の大学にまで延長するはずで、総合大学の祖だとも云えます。
  
  >日本教育史1
  >http://www.nsk-japan.com/kyosai/dts/gts3.html
    

参考URL:http://www.nsk-japan.com/kyosai/dts/gts3.html

 
  参考URLに示されているように、日本には、古来から、官制の教育機関と民間の教育機関があり、民間の場合、寺院などが、仏教を教えると共に、その他の一般知識も教えていたことになります。足利学校などは古くからありますが、入学者として、庶民も入ることができたとされます。
 
  江戸時代になると、各藩が、自藩の有能な人材を育成しようと、また武士の教養程度を挙げようと、藩立の学校を設けます。江戸幕府も官立学校を設けます。これらの入学者は武士階級で、教授内容は、儒学と武術であっ...続きを読む


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