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日本で初めて南極に行った時の隊長を教えてください
また何年かも教えてください

A 回答 (6件)

白瀬矗(しらせ のぶ)氏です。

明治45年(1912年)1月16日に南極大陸に上陸。
イギリスのスコット大佐が南極点に初到達した前日。

ニュージーランド・クライストチャーチに行った時、南極記念館に立ち寄ったら
ノルウェーのアムンゼン等とともに白瀬隊に関する展示もあり
日本人としてちょっと誇らしかったです。
毛が濃く「熊か!?」と思えるほど太い足のハスキー犬のはく製にも驚きましたが、
貧相な装備で極点を目指す当時の探検家たちに脱帽です。

戦後、世界各国が南極大陸の調査を再開した際、日本も参加を申し込んだが、
敗戦国日本は嘲笑、冷遇、拒否。
だが、白瀬隊らの過去の実績をアピールし、それが認められ参加できることになった。
が、それでも「どうせ接岸出来ないであろうと考えられていた場所」のみ承認。
敗戦し、意気消沈していた日本産業界も躍起立ち、協力しましたが、
何よりも当時の子どもたちにとって「南極観測への参加」は【大きな夢そのもの】。
1円、5円とお小遣いを貯めて寄付をしたそうですよ。
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No5さんの


>それでも「どうせ接岸出来ないであろうと考えられていた場所」のみ承認
がプリンスハロルド海岸でこれは「南極の玄関」ともいえるロス海の反対側でした。
そこのオングル島に昭和基地を作ったのですが、実はオーロラ観測に絶好の場所だったとか。
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初代南極観測船「しらせ」は私が30歳の時、日本鋼管鶴見造船所で溶接作業しました。

2年間徹夜徹夜で工事しました。なつかしいです。

2代目は舞鶴造船所で溶接の監督として工事ました。

もう、70歳になります。関心を持っていただきありがとうございます。
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南極ということなら初めては白瀬矗で1912年です。



ただし、この時は上陸してから最大到達点まではロス棚氷の上で
氷結した海上なので厳密には南極大陸ではありません。
ちなみに、この時は近くに南極点1番乗りをした
アムンゼン隊がいて、「よくあんな船と装備でここまで来た」と
ある意味感心していたそうです。
また、現在の日本の南極観測船「しらせ」は彼の名前が由来です。



戦後の南極観測では第一次観測隊の隊長は永田武で1956年。
後に日本の観測基地の基幹となる昭和基地が建設されました。
ちなみにこの昭和基地は、南極大陸ではなくオングル島です。
日本人が最初に南極点に到達したのが1968年の第9次越冬隊で
隊長は村山雅美です。
現在の越冬隊が第59次で、南極観測の詳細は国立極地研究所の
サイトで公開されています。
http://www.nipr.ac.jp/jare/
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
リンク先はWikiです。白瀬中尉のことかな〜
その後は、こちらがよくわかります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%A5%B5 …
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【南極点に初めて行った日本人:隊長】



 日本人として初めて南極に行った白瀬矗の探検隊は南極点には到達できませんでした。その後,日本人が南極点に挑戦するのは白瀬探検隊から50年以 上も後のことになります。1957年に日本が昭和基地を建設し,再び日本人が南極に足を踏み入れました。1968年,第9次日本南極地域観測越冬中,村山 雅美(むらやままさよし)隊長を中心に,昭和基地から南極点まで雪上車で往復しました。これが日本人として初めての陸路による南極点到達です。この往復旅 行は総勢12人で4台の雪上車(KD605)を使用,9月24日に先発隊が出発し,12月19日に極点に到達しました。昭和基地には翌2月中旬に戻ってき ましたが,往復距離は5180kmに及びました。なお,極点旅行に使用された雪上車は現在秋田県にかほ市金浦の白瀬南極探検隊記念館に展示されています。
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