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なんで昭和天皇はGHQの極東裁判で裁かれなかったんですか?
天皇が軍事の統帥権を持っていたはずですよね?軍事国家の最高権力が裁かれなかったのは何故ですか?どういう理由があったとしても、裁かれないのはおかしいですよね。
この大戦の死者はどういう気持ちでいるのか不思議です。

A 回答 (12件中1~10件)

マッカーサーの伝説について



色々調べたのですが、どうもマッカーサーが昭和天皇に感銘を受けた、というのは本当のことのようです。アメリカ側の記録にも残っているからです。

で「なんでマッカーサーが感銘を受けたのか」というと実はその前の話が合って、第一世界大戦の際に、マッカーサーは青年将校としてプロイセンの戦後処理に赴き、そこでドイツ皇帝がひどい醜態をさらすのを目の当たりにしたようで、それまで「王侯貴族はさぞ気品があるのだろう」と思っていたアメリカ人青年としては「なんて恥ずかしい、庶民よりゲスい」と感じたようです。

だから、天皇と合うときも「命乞いをするのだと思った(実際にドイツ皇帝は命乞いをしたらしい)」がなんと「自分が大将で部下は命令に従っただけだから、私を処刑すればよい」と語ったのでびっくりした、ということらしいです。

この点がすぐに天皇制維持に結びついたわけではありませんが、日本到着まで「天皇処刑または天皇制廃止」の指令をうけていたマッカーサーが一旦思いとどまって、再調査に入ったのは間違いないようです。

そのうえで、アメリカ側は「日本人は無学で騙されやすく、エリートである軍部と天皇に騙されて(洗脳されて)戦った」と言う点も調べてみたら、日本人の識字率は当時でも97.9%というレベル(GHQが実際に調べた数字です)連合国のどこよりも識字率が高かった、という事実が判明したり、日本が戦争に入る以前の国会の普通選挙は通常通り行われたこと、手続き上国会の宣戦布告に瑕疵がないこと(アメリカ通告が遅れたことは別)、天皇は明治時代からかなり慎重に立憲君主制を守ってきたこと(実際に戦時中には「天皇機関説」が通説になっており、GHQもそれを照会したうえで天皇の犯罪の是非を考慮したとみられること)などから、天皇責任について疑問を持ったようです。

さらに、GHQが日本占領して直面したのは「ユーラシア大陸の東側での共産主義の猛威」でした。
ドイツ敗北時も、ソ連がしゃしゃり出てきて、ドイツが分割統治されてしまったので、GHQは日本を分割統治しない予定でいたのですが、それを知ったソ連はすぐに朝鮮半島と北海道に攻めてきて事実上の占領を完成させようとしたのです。

また日本国内でも共産主義勢力が革命を準備していたようで、これはアメリカにとって非常に困ることであったといえます。

結局GHQは「日本の共産化を防ぐ」ために、天皇の戦争責任を全く問わない、という選択肢を選んだと言われています。

実際には他にも選択肢があり
A天皇制廃止→革命的勢力を抑えるのがむずかしく、共産化に行ってしまうこともありえる(周辺の共産化を見れば当然の危惧)

B 昭和天皇を処刑して、その代り天皇制は残して皇太子か三笠宮親王に跡を継がせる→何が起こるか全く予想ができない

少なくともアメリカ本国はBはできるものと考えていたようですが、それを押しとどめ説得して天皇制を残さなかったのはマッカーサーの判断によるところが大きいとされています。

ようするに
・実際にマッカーサーは天皇の責任感の強さに驚いた
・日本は本国でいわれているように、無知蒙昧な国民性ではなかった
・日本に着てみたら、思った以上に共産化の危険が高かった
ということで、天皇制を廃止せず、危険な部分だけ取り除いて「資本主義国の西の防波堤」にすることを選んだ、というのが真相だと思います。
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日米の無条件降伏交渉における(内密の)条件だったようです。


その背景には、既に始まっていた米ソの対立において、
日本をアメリカ側につけておくため、国民感情を害さない
必要があったと言われています。
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昭和天皇自身も裁かれる事も覚悟はしていたようです。

ですが昭和天皇の正直さに感動したマッカーサー元帥がこの人だけは裁かないでくれとお願いしたというような逸話が残っています。
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裏取り引きをしてアメリカ合衆国の属国となり命が助かった。

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あ、譲位ね。

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お金で解決したのでしょう。



私は昭和天皇は自ら責任を取って退位、自害すべきだったと思います。
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1.統帥権とは名ばかりのもので、天皇は実質的に決定事項に異を唱えず裁可を下すだけの形になっていた(と考えた)。


2.死に物狂いの抵抗をした日本人を統治するためには、天皇を廃するよりも利用したほうがよいと判断した。
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色々な理由が重なってそうなったのです。



1,日本を統治するためには、天皇を裁くよりも
 利用した方が良い、というGHQの判断がありました。
 当時の米国は、天皇の力を分析して
 17個師団の力があると、考えていました。
 これだけの力のある存在を裁いたりしたら、日本国民を
 統治出来なくなる。

2,当時は社会主義運動が盛んで、その防波堤として
 利用する意味がありました。
 天皇のような特権階級は存在するだけで、平等を理念と
 する社会主義と相容れないからです。
 だから、当時の共産党は天皇制廃止を声高に訴えて
 いました。

3,このような状況を日本も利用して、東京裁判では
 米国などの非を主張しないで、温和しく裁かれる。
 その代償として天皇には手を出すな、という取り引きが
 行われたのです。
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如何にも私の立場としての回答で言うと



大東亜戦争は大日本帝国憲法下で戦いました。
大日本帝国憲法第3条には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあります。
更に、第55条には「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」とあるわけです。
それで多くの大臣たちが「A級戦犯」とされ、処刑されたのですね。
日本は当時から法治国家ですので、これを遵守したと言えるでしょう。

更にマッカーサーは米本国からの「天皇を殺せ」という要求に対し
「天皇を生かしておくことは、米軍20個師団(約20万人と考えてください)駐留させておくのと同様の
効果がある」と打電しています。
これなど、天皇陛下が現人神である所以であると感じています。
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今明らかにされている限りだと、マッカーサーのさじ加減だったようです。



①天皇がマッカーサーに面会を求めた
②マッカーサーは天皇が命乞いをするものと高をくくっていた
③ところが天皇は開口いちばん「全責任は自分にある。部下の命は助けてほしい」と言った
④そんな人物にあったのは初めてで、マッカーサーは最大級の衝撃を受けた
⑤で、それまで処罰する心づもりだったのが「これほどの人物を殺すのはもったいない。国民の意見をまとめる役に使えるのではないか」と思い始めた
⑥至る無罪
これが伝説です。

まあこれはできすぎで、どこか誇張や美化があるはずです。

アメリカ軍の情報収集力は日本を圧倒していました。
当然開戦前からの一連の御前会議のいきさつ、すなわち軍部が開戦派で天皇は外相蔵相とともに消極派だったことを把握していたはずです。
そういう下地があったうえで政治的配慮が働いたものと思います。
上の伝説を形作る何かもダメ押しにはなったと思います。

これが私の推測です。
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