「夫を成功」へ導く妻の秘訣 座談会

「時間は流れ続ける」というのが、一般的な常識だと思いますが、物理学において、これは証明されているのでしょうか。
あるいは、「特定の条件を満たせば止まることもある」というものや、ゲーデルの不完全性定理のように「証明することはできない」というのでも構わないので、ご教示願います。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (24件中1~10件)

これまでのスレッドは、


ところどころ脱線もあり、
ところどころ勉強にもなりっていう感じが私の感想です。
これまでは、スレッドでの対話を重視して回答を重ねてきましたが、
ここら辺で、一応、私も勉強させていただいた成果を踏まえて、
私の考えをまとめておきます。


(回答)
時間とは、変化を表現するためのパラメータである。
で、「時間が流れている」と知的観察者が認識するための条件は、
少なくともひとつの物理現象(観察対象)に関して変化が観測されることである。

(注意)
以上の回答における時間は、局所的な観測者の主観的経験の時間です。グローバルな宇宙でどうなっているか、他者にとってどうか?などは、とりあえずは無視しています。


(解説)
と、以上のように解説すると簡単に見えるけど、
座標変換・変数変換などの効果を考えると、
「流れている・流れていない」
の感覚は、
白黒より、
どの程度流れているか?っていう定量的な感覚がしっくりくる気がします。

というのも、
非常に単純な定常的な宇宙であれば、
説明したい変化の種類も度合いも少なく、
流れる時間のパラメータとしてのご利益がほとんどありません。が、これまでのスレッドで分かるように、
まったく時間を存在させないのは、不可能です。知的遊びで時間というパラメータを導入できる。
こうした宇宙しか眺める対象がないような人は、よほど白昼夢(空想)がうまくない限りは、間違いなくぼけて、時間なんていう概念は忘れてしまうと思います。

他方で、変化が多様で激しく、熱力学第二法則によって、変化に方向性があるような、
今日のような宇宙に住んでいる人にとっては、
時間というパラメータをとるご利益が大きく、
まさしくリアルに時間が一方向に流れています。
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この回答へのお礼

私もこの回答がしっくりします。
とりあえず、「時間は流れ続けるか」という疑問には、「少なくとも、人類(または知的生物)が存在しているうちは、流れ続ける」として、未来については沈黙するしかないですね。
また、対話を経て、「物理的時間」と「主観に対する時間」の違いもぼんやりと見えてきました。初めに意図したものではないのですが、自分にとって新たな視点と問いを得ることができました。とても有意義な「時間」でした。感謝します。

お礼日時:2004/10/12 01:22

>ちなみに、一般相対論における時間の進み具合の違いは、


>同じ時空上の点におかれたあらゆる時計(時計自体は重力とは関係ない)に一様に反映されるという意味で、
>「時間が遅くなる」と解釈することに意味があります

そうですね。相対論の場合、物理現象が起こる舞台の一般的性質についての話なので、
どのような物理現象(つまり”時計”)を持ってきてもかわらないという意味で普遍的
で、相対論における「時間が遅くなる」という主張は誰もが納得する解釈でしょう。

 私があげた例は、そのような普遍性は持ちません。

それは承知の上で、だから最初に
>エンタングルメントを利用した光子などの量子状態の転送を、量子テレポーテーションと
>いうぐらいの意味合いでなら。
とことわっているわけです。

 ただ、量子力学の場合、舞台だけを考えるということはなくて、観測という行為が
基礎に含まれているため、あくまでも、ある特定の観測可能な物理系を想定し、
その物理系の(変化を含む)状態・性質を議論します。

 また、Dirac方程式などでは、ローレンツ変換に対して形が変わらないようにするなど、
一応特殊相対論を取り入れてはいますが、量子論では位置がオブザーバブルとしての立場
を持つのに対し、時間はオブザーバブルにはならず、系の状態を指定するためのパラメーター
としての扱いのままです。

 ですから、系の状態を指定するパラメーターという限定した意味で時間をとらえるなら、
下記の現象を、「時間を止める」といってもいいんじゃないかというのが私の主張です。

 で、電子一個の時間発展をとめたというぐらいだと
たしかに大げさですが、頑張れば分子でもできるかも
しれない、で、下にも書いていますがどれだけ複雑
であればできなくなるのかの境界があいまいである
ため、原理的には「ネコ」の時間を止めるということ
も可能性としてはありえるわけです。
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この回答へのお礼

>量子力学の場合、舞台だけを考えるということはなくて、観測という行為が
基礎に含まれているため、あくまでも、ある特定の観測可能な物理系を想定し、
その物理系の(変化を含む)状態・性質を議論します。

No.26のお礼と関係しますが、時間の流れていないものを観測することができるのか疑問です。例えば、観測対象の時間が静止している場合、観測対象に飛ばされた電子が観測者まで跳ね返ってくることはできるのでしょうか?(当方、観測問題には疎いので、見当外れな疑問でしたらすいません。)

ただ、人間にとっての見かけ上の時間として、「物体の静止」を「時間の静止」とするのは感覚的にはしっくりくるものがあります。幾年が過ぎても、何の動きも変化もないネコがいたら、その様子を「ネコの時間が止まっている」と表現しても、その意味を損なうことはないように思われます。むしろ、時間というのは、何かを評価するときに「見かけ」として現れるだけで、いまだその実を現していないのだと思います。自分で何を言っているのか、よくわからなくなってきましたが、参考になりました。御回答ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/25 01:55

>この時間観というのは、物理学において共通了解なのでしょうか。



そういうわけでは無いと思います。でも、状態ベクトルにすべての物理的情報が含まれているという量子力学的立場からすれば、それほど不自然な定義でも無いと思います。少なくとも、量子情報処理分野(かなり狭い分野ですが)なら受け入れる人は多いんじゃないかな?

>「冷凍庫に食品を入れると長持ちするけど、
>外に置いとくと腐る。
>だから、冷凍庫は時間を遅くする(?)。」
>って聞こえるんですけど、どこが違うのでしょうか?

たとえば、食品を凍らせて、解凍しても元の状態に完全にはならないでしょう?

なお、温度を定義しているということは、状態ベクトルでの記述を放棄しているということなので、下の議論はそのままは通用しないけど、状態ベクトルを密度行列に置き換えてもだいたいは同じ話になるでしょう。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>そういうわけでは無いと思います。でも、状態ベクトルにすべての物理的情報が含まれているという量子力学的立場からすれば、それほど不自然な定義でも無いと思います。少なくとも、量子情報処理分野(かなり狭い分野ですが)なら受け入れる人は多いんじゃないかな?

静止した物体に時間が流れていないとすると、エネルギーの伝達が不可能になり、その物体が再び動き出す可能性がなくなってしまうように思います。ただ、「いかなる系にも時間が流れている」という私の時間観が間違っていたら、これは当てはまらないですが。
おそらく、物体に流れる時間からどのような情報を取り出すかというのが関係していて、量子力学では「物体の静止」=「時間の静止」としても、便宜上不都合がないので、そうしているのだと思います。

お礼日時:2004/10/25 01:14

質問者さんの、優しいお言葉に甘えまして、私の考えを述べたいと思います。



私は、20数年前に「時間とは何か?」を知るために10年くらい色々調べたところ、これまでに全ての物理学者は、誰一人「時間とは、こういうものだと断定している人はいない」ことが、分かりました。
それと同時に、自分も時間について何一つも分かっていないこともはっきりしました。
古典力学の範囲内なら、色々の方々が発言されている時間に関する回答に、ほとんど間違いはありません。
しかし、量子力学や相対性理論をふくめた理論では、時間を一意的に説明できる理論は現時点では無いと思っています。
したがって、質問者さんの「時間は止まることがないのか」という、疑問には「現時点の物理学上では、正解を回答できません」としか答えようがありません。
しかし、仮説としてなら2・3のアイディアを示すことが出来ます。

1)4次元時空が、非常に小さな時空の不連続体からなりたっているのではないか?(これは、ループ量子重力理論のなかで言及されています)
これなら、時間が延びたり縮んだりすることも可能ではないか?とも考えられます。
2)一般相対性理論で仮定されるブラックホールに生じる「事象の地平面上」について、ブラックホールから遠く離れた観測者からは、地平面に近づいていく物質から発生した光の波長は段々長くなり、地平面上にくると、波長が無限大になってしまって、一見時間が止まってしまうように見えることもあるかもしれないと、いえます。

あまり、いい回答とも思えませんが、思いつくままに書いて見ました。
これが、少なくともこのカテゴリーでの今年最後の回答です。

#23さんの回答は、もっとも正統な物理学者の模範回答の一例でしょう。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
>量子力学や相対性理論をふくめた理論では、時間を一意的に説明できる理論は現時点では無いと思っています。

まだ、時間の性質に、明るみに出ていない部分があるのだと思います。ただ、わかっている部分で、ある程度の共通了解はあるとは思いますが。

>仮説としてなら2・3のアイディアを示すことが出来ます。

2)の方は以前に拝見しましたね。想像するのも難しい印象を受けました。1)の方は新たな例ですが、なかなか難解ですね、量子の単位で時空が不連続だとすると、観測者にとってそれぞれの運動はどう見えるのか、こちらも想像するのが難しいですね。興味があるので、調べてみます。

お礼日時:2004/10/21 02:38

『(観測者を含む系全体の)時間が止まるか』という問いは哲学的にならざるを得ませんが、


観測者と観測される系を分けて考えられる場合、『観測される系の時間を、観測者にとって
止めること』は、対象は非常に限定されますが、は一応可能と言っていいでしょう。
エンタングルメントを利用した光子などの量子状態の転送を、量子テレポーテーションと
いうぐらいの意味合いでなら。

 量子力学的に『観測される系の時間を、観測者にとって止めること』の定義を、
『観測者のいる系の時間をToとして、To = tAにおける観測される系の状態が|ψ(tA)>だったとして、
それから後の時刻tBに観測される系の状態|ψ(tB)>が、観測者が何もしていなければ本来
|ψ(tA)>と|ψ(tB)>が一致しないはず(つまり時間が流れている)なのに、観測者の行為により、
|ψ(tA)>と|ψ(tB)>が一致するようにすること』とした場合に、それが限定的だが可能ということ。

これには、いくつか方法があり、

1) 時刻tAの状態|ψ(tA)>が固有状態となるように、時刻tAからtBまでハミルトニアンを変更する
※ハミルトニアンの固有状態は時間発展しないので、その状態を維持できればその間時間発展は
しない。つまり、時間は止まる

 この例としては、たとえば量子力学の演習でよく出てくる二重量子井戸型ポテンシャルの中の
電子は、ポテンシャル形状が一定の場合、井戸間を周期的に移動します(いわゆるコヒーレント振動)
が、たとえば、井戸間のポテンシャル障壁を大幅に引き上げれば、このコヒーレント振動は停止し、
ポテンシャルをもとに戻せば振動が再開します。つまり、ポテンシャル障壁を上げ下げすることで
時間をとめたり、再開させたりできる。このようなポテンシャル障壁を調整できる二重量子井戸は
たとえば電極つきの半導体量子ドットなどで実現できます。

2)時刻tAとtBの中間の時刻tMまで時間発展させ、tMからtBまでの時間発展がそれを相殺するように
ハミルトニアンを変更する。(つまり、途中で時間を逆転させ、もとの時刻の状態に戻す)

 この例に近いのが、核磁気共鳴(NMR)で良く用いられるスピンエコーでしょうか。
スピンというのは、一定の磁場のもとで、一定の向きに一定の角速度で回るのですが、磁場の
向きを逆にすると、逆向きに回ります。だから、磁場の制御により時間の流れを逆にして相殺
できます。

3)時間発展しない系に状態を変換して、また、時間発展する状態に戻す
 たとえば、光子は常に光速で移動しているので、時間発展を必ずしている系の代表ですが、
この状態をいったん核スピンなど時間発展しない系に転写して、必要な時に光子にもどす
というような操作がこれに相当します。

3)量子ゼノ効果などを利用して、時間発展をとめる

 これは、一般の方には説明しにくいのですが、量子力学では、状態は観測という行為により、
ある特定の状態(固有状態)のどれかに瞬間的に変化するとされています。これを利用し、
頻繁に観測することにより、観測しない場合にくらべ状態の変化が遅くなる現象がしられて
います。
----
 量子コンピューターの研究者は、上記の意味で時間を止める技術を開発しているともいえます。

 上記のことは、電子や光子、核スピンといった非常に単純な物理系ではなんとかできそうですが、
もっと複雑な系(たとえば生きた猫を箱にいれて、100年後に生きたまま取り出すというようなこと)
でできるかどうかというと、非常に難しいのは間違いない(上記のようなことを行うハミルトニアン
を見つけられない、もしくは生成できない)とだけ言っておきます。ただ、できる・できないの境界がどこにあるのかはあいまいです。


 なお、よくマンガやSF映画であるような、主人公だけ動いていて、その周りのものがすべて
時間が止まっているというようなこと、(観測者と非観測者が分離できていない系での時間停止)
は物理的に不可能であるように思います。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。非常に興味深く読ませていただきました。
単純な物理系に限れば、時間を止める可能性はあるということですね。
nzwさんが挙げられた例は、 『観測される系の時間を、観測者にとって止めること』の定義を「観測される系が変化しないこと」とすることで得られるものですが。この時間観というのは、物理学において共通了解なのでしょうか。
例えば、変化のない系に対して、観測者が何らかの働きかけをすることで、系に変化が起きた場合。「系が変化するのと同時に時間が流れる」とするのか、「あらかじめ時間が流れているから変化することができる」とするのか、見解が分かれそうな気がします。素人の邪推とは思いますが、お答えいただければ幸いです。

お礼日時:2004/10/21 02:08

もしかしたら、時々止まっていたりして、なんて思ってしまいます。

ただ、宇宙全体が止まっていたら、誰にもわかりませんよね。1時間止まっていても、動き始めた時は止まった次の瞬間であるという感覚ですもんね。瞬間移動とか急に無くなったというのは「時間を制御している誰か」が時間が止まっている間に動かしているのかもなんて思ったりもします。

結局は時間を「制御している誰か」以外は時間が止まっていることを認識することはできないですよね。

「時間を制御している誰か」は時間が止まっている間は寒いでしょうね。きっと。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>もしかしたら、時々止まっていたりして、なんて思ってしまいます。
>結局は時間を「制御している誰か」以外は時間が止まっていることを認識することはできないですよね。

私も同じことを思いました。
ただ、もし「時間を制御している誰か」が存在しているとしたら、その「制御している時間」とは別の時間が、「時間を制御している誰か」に流れているような気がします。なぜなら、時間がなければ「制御する」という「運動」をすることができないからです。
しかし、人知を超えたところで、時間を必要としない「運動」があるならば、この考えも覆りそうですが。

お礼日時:2004/10/14 02:47

>「真空の空間」に対するイメージがあやふや(実際に感じて得たイメージではない)であるため、信憑性が薄いかもしれません。

おそらく、「私が感じることができる全てものには時間が流れている」という普遍性を、感じることができない「真空の空間」にも当てはめているのだと思います。

この辺は、対話としては成立しています。

ただし、私や他の物理学者としては、「感じる」という部分については、沈黙を保たざるを得ません。


>(「真空の空間」を感じることがてきないというのは、感じるために人が空間の中にいると、そのこと自体が「真空の空間」ということに矛盾してしまうため成立しない故です。)

これが、ひとつの議論の肝ですね。

っていうのも、フィクションのストーリーの中に、
人間が恣意的に時間を導入するのはいとも簡単だからです。
いわゆる、「現実世界」の時間について論じたいからこそ、哲学的に面白い、豊かな論争になるわけで、
自分の肉体がハードウェアとして入っているというのは、
ひとつの基準だと思います。

もっとも、観察者が外側にいるような、
たとえば映画のような対象でも、
プラグマティズムの立場からは、同様の物理学的時間の数理的な議論は成り立ちますけど。

人体を宇宙の中に入れる議論は、
プラグマティズムを超越した
「説明には必要ないけど、感覚としてあるんじゃないの?」
っていうような反駁に対する再反駁です。


>私がこのアナロジーで表したかったのは、「地平は、川と同じ次元にありつつ、川の流れに左右されず自らの慣性系を保つ」ということです。つまり、「地平の慣性系」と「川の慣性系」の差から、川の流れの有無を知る。

この段落は、ちょっと理解が難しいですが、

>前述の、私の素朴な「時間のイメージ」(これ自体は疑わしいですが)からすると、時間が止まると時計も止まってしまうと思うので、時計は時間に左右されている、従属関係にあると感じるのです。ですから、物理現象や時計を「地平」とすると、しっくりしないのです。

「時計」は、少なくとも、相対論においては、時間の定義の肝であり、よく考えれば、実に本質的な役割を果たしていることがわかると思います。
「時計」なしに、時間がイメージできるか、考えてみてください。
ただし、ここで、「時計」とは体内時計なども含む周期的物理メディアのことをさします。
詳しくは、
http://plus.naver.co.jp/browse/db_detail.php?dir …
などを参照してください。


>なるほど、確かに全く運動のないものはない。常に何らかの流れ(動き)の中にありますね。そう考えると、地平自体もなんらかの慣性系の中にあり、たとえ地平にとって川の流れが止まったとしても、地平の慣性系とは別の慣性系から見れば、川は地平と共に流れてれているように見えますね。「流れ」というのは、どの慣性系から見るかによって、存在したり、しなかったりするのだと思います。ということは、「時間の流れ」を証明するための「地平」もあまり意味を持たないかもしれません。もともと「流れの」存在に、あらゆる慣性系を越えた普遍性はないのだと思います。

これがいいたいことではありません。
舌足らずでした。
でも、逆に、ちょっと勉強させていただきました。
ありがとうございます。

慣性系の相対性の議論ならば、
物理学思考の私が、
「岸なども動いている」
という言い方はしません。
それはそれで深い問題ですが、
時間が「流れているかどうか」という
私の見方からの議論から言うと本質的でない。

というのも、完全静止した宇宙の説明にも、
冗長に(redundant)時間という変数を導入することは可能であり、
確かにおっしゃるように位置という物理量については、
慣性系のとり方によっては、
時間微分がゼロでなく、
一定であるようにできるからです。

で、
私の視点から時間が「流れていない」場合というのは、
知恵を絞って座標変換や変数変換などを行ったときに、
静学的に説明できるようになるような
理論的説明が「存在する」場合、
本質的には、その興味ある側面(物理量)に関して変化はない、
すなわち時間が流れていないということになるでしょう。

我々の現実世界は、
変化が激しいですが、
安定な側面ばかりに目が行くような老人の頭脳にとっては、
時間の流れというのは、はるかに感じられにくいかもしれません。

もっとも、このような傾向は、なにも、時間という変数に限った話ではありません。
すべての変数に関して似たような議論ができます。


話を戻して、私が「うごいている」岸といったのは、
たとえば、岸の上に動物が複数いて、複雑な動きをしているとか、
要は、慣性系どうしの座標変換では打ち消されないような意味での動きです。
川「だけ」、岸に対して相対的に動いていることの積極的意味が見えなかったので。
私のアナロジーの理解から言えば、皮だけ動いている状態というのは、
すべてが止まっている世界で、
注目している時計だけが時を刻んでいるという状態です。
ありえないことではありませんが、
時計のプラグマティックなご利益はだいぶ減少しますね。

参考URL:http://plus.naver.co.jp/browse/db_detail.php?dir …

この回答への補足

遅れまして非常に恐縮です。長文になり、さらに恐縮です。いつでもいいので、お読み下さい。

>私や他の物理学者としては、「感じる」という部分については、沈黙を保たざるを得ません。
>もっとも、観察者が外側にいるような、
たとえば映画のような対象でも、
プラグマティズムの立場からは、同様の物理学的時間の数理的な議論は成り立ちますけど。

よく考えてみれば、哲学的な立場から見ても、沈黙を保つしかないですね。「真空の空間」は知り得ないことであり、空想の域を出ないと思います。仰るように、フィクションとして語ることは可能だけれども、それが現実世界にとのような意味を持つかはわかりません。私の知的欲求は満たしますが。

>「時計」は、少なくとも、相対論においては、時間の定義の肝であり、よく考えれば、実に本質的な役割を果たしていることがわかると思います。
「時計」なしに、時間がイメージできるか、考えてみてください。

人がどのように時間を感じるか考えてみました。
人は自分の感覚によって表象される、「現在のもの」と、「過去のもの」を対比し、その差から時間を感じる。
この「現在のもの」と「過去のもの」はどちらも表象なのですが、その差は、感覚の明度によって与えられる。
例えば、川があり、そこを木の葉が右から左へ流れ、今、目の前に木の葉があるとします。このとき、「目の前の木の葉」も「右にあった時の木の葉」も表象なのですが、前者の方が後者よりも、よりはっきりと感じることができる。なぜなら、「目の前の木の葉」は直に与えられている情報であり、「右にあった時の木の葉」は頭の中のイメージに過ぎないからです。
このように考えると、周期的なものでなくても、刻々と動くもの、刻々と変化するものがあれば、「時間の流れ」を感じることはできると思います。
ただ、decidrophobさんが仰りたいのは、みんなが同じように認める、測定可能な「時間」、つまり「物理的時間」だと思うので、こちらは時計のような周期的なものがないとイメージするのは難しいと思います。

>私の視点から時間が「流れていない」場合というのは、
知恵を絞って座標変換や変数変換などを行ったときに、
静学的に説明できるようになるような
理論的説明が「存在する」場合、
本質的には、その興味ある側面(物理量)に関して変化はない、
すなわち時間が流れていないということになるでしょう。

はじめは、私の素朴な「時間のイメージ」が上記のものとは違うので、引っかかっていたのですが、対話をしていく上で、「時間のイメージ」はそれが適応される空間が限定されており、あやふやなものだと気づきました。

>私のアナロジーの理解から言えば、皮だけ動いている状態というのは、
すべてが止まっている世界で、
注目している時計だけが時を刻んでいるという状態です。
ありえないことではありませんが、
時計のプラグマティックなご利益はだいぶ減少しますね。

そうですね、時計の有用性は、あくまでも測定された時間によって他のものを評価することで得られるのだと思います。対話をしていく中で、「流れの存在」を問うには、時間を眺める視点を決めることが必要だと気づきました。その一つとして、物理的時間はとても参考になると思います。

補足日時:2004/10/10 00:28
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
人間にとって、「時間」という概念がどのようにして得られたのか、自分の考えをまとめるのにもう少し時間がかかりそうなので、後に補足で書こうと思います。

お礼日時:2004/10/09 02:45

1) >物理学では、そこから何かを導きだす有用性がないので、公理としないのですね



こちらは、全面的に、私の「bofdさんの解釈」の解釈がおかしかったようです。
というか、冷静に考えてみて、

>時間が「流れる」ということを公理に入れるというのは、あまり意味がありません。
というのも、「流れる」ということ自体には、あまり豊かな数理的内容がなく、
公理で性質を規定するに値しないからです。

の発言自体、微妙に訂正する必要がありそうです。

はじめから、具体的な話をすればよかった。

すでに述べたように、
時間とは、
変化の仕方を表現する変数なので、
「時間が流れる」=「変化がある」
ということです。

時間単独では、
単なる R、つまり実数全体の集合 っていうだけなので、
公理で規定するような物理的内容はありません。

なので、「時間が流れる」ということは、
物理量に関する言明、
具体的には、たとえば、少なくともある時点において、
物理量の時間微分がゼロでない
というようなことが公理として表現できるかも、

っていう風に議論を組み立てればよかったです。

これなら、比較的わかりやすいでしょ?


> 時間を川に例えると、川が存在しているかどうかを知るためには、その背景となる地平、岸が必要で、人はそれを認識することができないから、時間の存在を問うことができないのだと思いました。ただ、時間は川ではないので、存在の仕方が全く違うのであれば、この考えも当てはまらないかもしれません。

アナロジーは、もとの内容として何か言いたいことがあって、アナロジーを使う。bofd さんは、このアナロジーで何が言いたいのかを考えられても良いと思います。

なお、わたしの素朴な解釈でいえば、
「その背景となる地平、岸」
とは、実は、物理現象であり、
時計であり、
したがって、
「人はそれを認識することができない」ことはありません。

ただし、もちろん、周りが「とまっている」岸っていうのは、ちょっと変かもしれない。
周りの世界も動いていて、
その世界を川と関係付ける っていうのが、
物理的時間の考え方。
で、川というハードウェアが時計。
水面にマークをつけたときの、マークの動きが時間。
まあ、もっとも、本当に川のようなハードウェアがあれば、
最低限「時計」という物理現象には変化があり、その限りで時間は変数として意味がある、
つまり流れています。

この回答への補足

再度の御回答ありがとうございます。
考えを反芻しておりましたら、長くなってしまったので、時間があるときにお読み下さい。

>「時間が流れる」=「変化がある」
ということです。
>具体的には、たとえば、少なくともある時点において、
物理量の時間微分がゼロでない
というようなことが公理として表現できるかも、

物理的時間を、端的に、わかりやすく表現されているので、これは理解できるんです。
私が引っかかるのは、
「時間が流れる」=「変化がある」とすると、「変化がない」=「時間が流れない」となるのか
ということです。これについては、すでに答えられていて

>時間単独では、
単なる R、つまり実数全体の集合 っていうだけなので、
公理で規定するような物理的内容はありません。

つまり、物理的内容がないので、それについては問わない(問えない)のだと思います。

以下は、No.15に挙げられている設定ですが、
>あるケースを2つに仕切り、ひとつに空気で満たされた空間を、もうひとつは真空にします。

私の素朴な「時間のイメージ」からすると、「真空の空間」にも時間が流れているように思います。しかし、私のこの感覚は、「物理的変化がある空間」=「時間が流れる空間」で得られたものである上に、「真空の空間」に対するイメージがあやふや(実際に感じて得たイメージではない)であるため、信憑性が薄いかもしれません。おそらく、「私が感じることができる全てものには時間が流れている」という普遍性を、感じることができない「真空の空間」にも当てはめているのだと思います。(「真空の空間」を感じることがてきないというのは、感じるために人が空間の中にいると、そのこと自体が「真空の空間」ということに矛盾してしまうため成立しない故です。)

>なお、わたしの素朴な解釈でいえば、
「その背景となる地平、岸」
とは、実は、物理現象であり、
時計であり、
したがって、
「人はそれを認識することができない」ことはありません。

私がこのアナロジーで表したかったのは、「地平は、川と同じ次元にありつつ、川の流れに左右されず自らの慣性系を保つ」ということです。つまり、「地平の慣性系」と「川の慣性系」の差から、川の流れの有無を知る。
前述の、私の素朴な「時間のイメージ」(これ自体は疑わしいですが)からすると、時間が止まると時計も止まってしまうと思うので、時計は時間に左右されている、従属関係にあると感じるのです。ですから、物理現象や時計を「地平」とすると、しっくりしないのです。

>ただし、もちろん、周りが「とまっている」岸っていうのは、ちょっと変かもしれない。
周りの世界も動いていて、
その世界を川と関係付ける っていうのが、
物理的時間の考え方。

なるほど、確かに全く運動のないものはない。常に何らかの流れ(動き)の中にありますね。そう考えると、地平自体もなんらかの慣性系の中にあり、たとえ地平にとって川の流れが止まったとしても、地平の慣性系とは別の慣性系から見れば、川は地平と共に流れてれているように見えますね。「流れ」というのは、どの慣性系から見るかによって、存在したり、しなかったりするのだと思います。ということは、「時間の流れ」を証明するための「地平」もあまり意味を持たないかもしれません。もともと「流れの」存在に、あらゆる慣性系を越えた普遍性はないのだと思います。

補足日時:2004/10/06 03:59
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>私が文脈から勝手に読み取ってしまいました。

物理学では、そこから何かを導きだす有用性がないので、公理としないのですね(特殊な場合を除いて)。

これは、私の言いたいことがぜんぜん伝わっていません。
もし、実際の公理系などの扱いに bofd さんがなれていないようでしたら、
公理系関係の議論は無視されたほうが良いと思います。

>よく考えてみたのですが、物理学は「運動」について考える学であり、「存在」について考える学ではないですね。

まあ、これは基本的には間違っていないのですが、
せっかく「静学」の話をしたので、
運動以外を扱う分野もあることは認めてください。

>つまり、この問いは物理学の範疇ではないのだと思います。

どうなんですかね?
私は、物理学的に「説明」はしたつもりなんだけど。
つまり、明らかに物理学の範疇であり、
また、現状では、物理学以外に何か「論理的にご質問に白黒つける形で答える」知的体系は存在しないと思いますけど。
他の人も、「流れるか、流れないか」の白黒みたいな単純な議論はしていませんが、
流れ方についてはいろいろ言ってくれていますよ。
bofd さんのリアクションでは、どのような説明をすれば満足されるのか、現状ではわけがわかりません。

>これも、「今のところは」という括弧つきのもので、時間を越えるパラメータが発見されれば、解決すると思います。

どういう意味で「超える」のか、よくわかりません。

p.s.
頭をリフレッシュされてから、
これまでの皆さんの回答を読み直すと良いと思います。

なにか、建設的なコメント、もしくは新たな回答が出るようでしたら、再び議論に参加させていただきます。

この回答への補足

>これは、私の言いたいことがぜんぜん伝わっていません

decidrophobさんが仰るように、私は公理系の扱いになれていないので、意図を汲み取れなかったのだと思います。

以下の部分
>時間が「流れる」ということを公理に入れるというのは、あまり意味がありません。
というのも、「流れる」ということ自体には、あまり豊かな数理的内容がなく、
公理で性質を規定するに値しないからです。

「意味がない」、「値しない」というところから、「有用性」がないというのを導いたのですが、的はずれだったようです。
自分で「証明」と言っているのに、どうすることが「証明」なのか、定義できていないのかもしれません。
公理系については、追々学ぶことにします。

>せっかく「静学」の話をしたので、
運動以外を扱う分野もあることは認めてください。

すいません。無視したつもりはなかったのですが、触れていませんでしたね。
マニアックな学問もあるんだなと関心しました。decidrophobさんの回答には、必ずと言っていいほど、自分の知らない分野の話が出てくるので、理解するのもままならない状態です。知識量の違いを痛感します。

>私は、物理学的に「説明」はしたつもりなんだけど。

「この問いは物理学の範疇ではない」というのは、極端すぎたと反省しています。
decidrophobさんの物理学的な時間の説明からもわかるように、物理学では、「物体の運動」から「時間」を、間接的に把握するのだと思います。逆に言えば、「物体の運動」のない場所では「時間」を問うことができない。そういう観点で、物理学では問えない時間があると思います(「静学」については無知なのでわかりませんが)。ただ、この「物体の運動」のない場所での時間というのは、人間にとっての普遍的な時間から外れているので、まさに

>とりわけ自然科学の議論では、抽象論ではなくて、具体的な感覚が重要

という点で、不毛な考えというのも否めません。

>どういう意味で「超える」のか、よくわかりません。

No.6のお礼にも書いたのですが、
時間を川に例えると、川が存在しているかどうかを知るためには、その背景となる地平、岸が必要で、人はそれを認識することができないから、時間の存在を問うことができないのだと思いました。ただ、時間は川ではないので、存在の仕方が全く違うのであれば、この考えも当てはまらないかもしれません。時間については謎だらけです。

仰るように、考えを反芻する時間がもう少し必要だと思います。
不出来な者に付き合っていただいて、本当に感謝しております。

補足日時:2004/10/04 02:24
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いくつかの点について補足しておきます。




> 「時間が流れること」が、物理学の公理だというのは知りませんでした。公理だから、証明できない。おそらく、ゲーデルの不完全性定理と同じですね。

違います。

まず、そもそも、
私が「公理系」の話を持ち出したのは、
かりに「証明されている。具体的な証明は、斯く斯く。」と答えたときには、
別の公理を持ってこなくてはならないわけで、
そのときに、「では、その公理はなんで正しいの?」
って突っ込まれる可能性があるので、
あらかじめその点を確認しておいた。

というわけなので、
通常、この手の難しい哲学的な課題については、
物理学で「証明する」っていう日本語が一般になじまないんです。

どのような場合に「証明されているか?」
っていう日本語が適当か?
それは、もう少しマイナーな問題で、
より自然に納得できる公理に還元できれば十分と思うような質問についてです。
それならば、一応証明っていう言葉も意味を持ちます。

ただし、繰り返しますが、
「物理ではどう説明されていますか?」
っていう問いのほうが、
どんな場合でも日本語してしっくりきます。


次に、
「時間が流れている」は公理に入っていません。

bofd さんは、具体的な公理系に触れられたことはありますか?

とりわけ自然科学の議論では、抽象論ではなくて、具体的な感覚が重要です。

時間が「流れる」ということを公理に入れるというのは、あまり意味がありません。
というのも、「流れる」ということ自体には、あまり豊かな数理的内容がなく、
公理で性質を規定するに値しないからです。

ただし、「流れ方」のより詳しい性質については、
相対性理論の 光速度不変の原理

一般相対論の 等価原理

あたりを通じて、間接的に公理の中に記述されることになります。

では、時間が「流れる」という事実はどこに反映されているか?

それは、No10. の回答がコンパクトでよく、わたしのNo7. については、1)のところに相当しますが、
要は、
モデルに時間というパラメータを導入していること自体が、
物理学者が当該問題について時間が流れている、
つまり時間というパラメータを用いて世界を説明することが有効であると考えている証拠なのです。

物理学でも、
静学という分野がまったくないわけではなく、
そこでは、時間というパラメータが、
必ずしも陽に入ってきません。
そうしたモデルにおいては、時間の流れは本質的ではない。
具体例は、
建築などのように動いてもらっては困る構造体の力学。
No7. 1) で述べたような平衡状態を扱う熱力学の議論の一部など。


> すべてのものが定常状態になってしまえば、時間があろうと、なかろうと意味がない、ということですね。

これは、そのとおりなんですが、

>ビッグバンが起きる前の状態がこれに近いような気がします。もっとも、この場合は、何も存在していないゆえの定常状態ですが。

こっちは、ぜんぜんわかっていないので、沈黙を保つのが、科学的態度です。


>宇宙が収束に向かうと、時間の流れも逆になって、人も若返ったりする。なんてことはないですね。そのころには、きっと人類はないだろうし。流れが逆になるからといって、過去の事象を逆になぞるとは限らないし、なんらかの不確定性(ランダム)もあるかもしれないから。

これが、まさに私の言いたいこと。


>今、「正しい」と思われるものが、絶えず更新される可能性を持っている。新しい発見によって、いつかこの問いに答えが出ることもありえると思います。

そうなんですよ。
しかし、逆に、私が意図的に、「高々数億年」といったことのニュアンスを汲み取ってほしい。
そんなに性能の良い理論なんて物理以外では、まず存在しませんね。


>そうですね、人が存在していること自体が、時間が流れていることを証明していると思います。

そうなんですよ。
なので、物理学者は、「流れているか、流れていないか?」みたいな白黒系の問いは、まず発しないですね。
最初のほうで述べたように、
「流れ方」については、話題になります。

また、参考までに、
観測者としての高度な生物体である人間が、
ハードウェアとして宇宙の中に存在しているということを利用して、
宇宙のパラメータなどの範囲にめぼしをつけよう
っていう学派があって、
「人間原理(anthropic principle) 」と呼ばれます。
でも、ほとんど成果は出ていないようですね。

なので、人が生きていることは、
確かに、宇宙が我々にとって意味がある必要条件ですが、
他方で、その事実を過度に意識して、宇宙の観察にまで利用しようと思わないほうが、経験的にはよさそうです。
いったん生きている以上は、比較的素直に宇宙を観察するほうが、知的成果は大きいようなのです。
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この回答へのお礼

>「時間が流れている」は公理に入っていません。

私が文脈から勝手に読み取ってしまいました。物理学では、そこから何かを導きだす有用性がないので、公理としないのですね(特殊な場合を除いて)。よく考えてみたのですが、物理学は「運動」について考える学であり、「存在」について考える学ではないですね。つまり、この問いは物理学の範疇ではないのだと思います。これも、「今のところは」という括弧つきのもので、時間を越えるパラメータが発見されれば、解決すると思います。

>観測者としての高度な生物体である人間が、
ハードウェアとして宇宙の中に存在しているということを利用して、
宇宙のパラメータなどの範囲にめぼしをつけよう
っていう学派があって、
「人間原理(anthropic principle) 」と呼ばれます。
でも、ほとんど成果は出ていないようですね。

なんというか、たいそうなことを考える人もいるのですね。人のあくなき知の欲望を感じます。自分は身の回りで精一杯ですが、興味があるので調べてみます。

参考になりました。御回答ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/03 02:11

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Q物理的に時間が止まるということはあるのでしょうか?

NHKの「百分で名著」で相対性理論のことをほんの少し知りました。
ただ、私は物理については全く知識がないので、「百分で名著」の内容でも、ついていくのが精いっぱいでした。
相対性理論では時間が遅く進んだり、空間がゆがんだりすることがあるとのことですが、時間が止まったり、空間がなくなったりすることは物理的にあるのでしょうか?
すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 ありますよ。ただ、我々は限りなくそれに近づくだけで、0にはたどり着けません。同様に無限大にもたどり着けません。

 まず、特殊相対論から入りましょうか。自分が周囲を観測しているとします。光は有限の速度ですので普通に見るのではややこしく、仮に無限大の速さで観測できるとしておきましょう。一瞬にして今の時刻の宇宙の果て(あるとsれうばですが)まで見渡せることにするわけです。

 さて、ロケットが飛んでいるのが見えるとします。自分にとっては速度vだとしましょう。光速度をcとして、ちょっとだけ式を出します。√(1-(v/c)^2)という式が大事になります。なお、「^2」は2乗の意味で、エクセルでも使える書き方です。

 ロケットの長さは√(1-(v/c)^2)倍になります。本来の長さより短くなります。

 ロケットの時計の進む速さは1/√(1-(v/c)^2)になります。自分の時計が1秒進む間に、ロケットの時計は1秒未満しか進みません。ロケットの中の時計はゆっくり進みます。

 速度vがどんどん大きくなり、光速度cに近づくにつれ、ロケットの長さは短くなり、ロケットの時計の進み方は遅くなります。

 そして、もしロケットの速度vが光速度になると、ロケットの長さは0になります。空間が潰れてなくなってしまうのです。ロケットの時計は全く進まなくなります。時間が停まってしまうわけです。

 ただ、知られている中では光速度になれるのは光(電磁波)だけです(ちなみに、光速度より速くも遅くもなれない)。そのため、限りなくそういう状態に近づくけれど、本当に長さが0になったり、時計が止まってしまうことは起こりません。

 注意が必要なのは、周囲で速度を持って動いているものがそうなるのであって、自分自身の長さや時間は全く変化しません。突然に自分の身長が縮んだり、自分の腕時計がゆっくり進むようになることは決して起きません。自分は自分に対して動いていないからです。

 また、その光速度で飛ぶロケットに乗っている人からすれば、光速度で動いているのはこちらになりますので、こちらはぺったんこになっていて、こちらの時計は止まっています。

 同様のことが重力でも起ります。これは、一般相対論から出てきます。

 ブラックホールという種類の星があります(お聞きになったことがあると思います)。中心に質量は有限ながら、大きさが0で密度無限大になった点があり(特異点と呼ばれます)、その周囲に「事象の地平面」と呼ばれるものがあります。

 ブラックホールの場合、長さが0になったりはしませんので、空間がなくなるということはありません。むしろ、引き伸ばされます。重力は空間を伸ばしてしまうのです。

 しかし遠くからブラックホールを見ていると、事象の地平面では時間が止まっています。たとえば時計がブラックホールに近づくにつれ、だんだん時計の進み方が遅くなり、事象の地平面では時計は止まってしまいます。

 このため、ブラックホールに落ちて行く物体は奇妙な動き方をします。最初こそ重力に引かれて、だんだん速くなりながら落ちて行くのですが、そのうちだんだん遅くなります。時間がゆっくり流れる効果が効いてくるためです。そして、事象の地平面で永遠に静止してしまいます。

 これも、ブラックホールに落ちて行く立場からすると事情が違います。自分が落ちていくとき、時計の進み方が遅くなることはありません。事象の地平面で静止もしません。どんどん普通に落っこちて行きます。ただ、ふと後ろを振り返ると、いつのまにか外では無限大の時間が経過してしまっています。

 ありますよ。ただ、我々は限りなくそれに近づくだけで、0にはたどり着けません。同様に無限大にもたどり着けません。

 まず、特殊相対論から入りましょうか。自分が周囲を観測しているとします。光は有限の速度ですので普通に見るのではややこしく、仮に無限大の速さで観測できるとしておきましょう。一瞬にして今の時刻の宇宙の果て(あるとsれうばですが)まで見渡せることにするわけです。

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