マンガでよめる痔のこと・薬のこと

親の早死にと親の長期介護どっちがいいですか?

愚問だとわかってますが。私の父は64歳で急死。

彼氏のお母さんは同じ60代で認知症で体は元気です。今お父さんが見てます。

皆さん、長生きしたくない、子供の世話にはなりたくない、といいますが、

どうやって死ぬつもりです?

私も同じ考えですが、自殺でもしなきゃ早死を選べるわけじゃないですよね。

A 回答 (8件)

早死に決まってます。

人間は惜しまれてなんぼです。肉親から心の中で「頼むから死んでくれ」と祈られるまで生きていたくない。友人の医師はピンピンコロリするための3原則を教えてくれました。「定年過ぎたら健康診断に行かない、具合が悪くなっても病院に行かない、ぶっ倒れても救急車を呼ばない」。
う〜ん、でもころっと死ねるのかな? 確かに確実なのは自殺。懸命な先人には自殺している人、多いですよね。
ちなみに、スイスの安楽死協会に問い合わせたら、安楽死を申し込める3大ルールというのがあると返答がきました。「死に至る病に侵されている、耐えられない痛みに苦しんでいる。耐えられない体の不自由に苦しんでいる」。「では認知症はどうなのか?」と聞いたら、「認知症は3つに抵触していないので今はお受けしていません。でも近い将来的に考えていかなければならない課題です」だって。早く考えて欲しいですね!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。父はヘビースモーカーでした。

そして私は天涯孤独になりました。

確かに介護の必要はなくなったけど、悲しみがたくさん残りました。

子供が一人っ子だと早死に万歳と言えるのでしょうか?

特に片親一人っ子の場合。

その子がちゃんと自立していればいいのですが。

少なくとも子供が40過ぎてから死ぬべきじゃないですか。

悲しみが大き過ぎるから。

間違ってるかな。

認知症はそうですね、

安楽死も現地では条件があると聞いたことがあります。


合法的安楽死は今のところそれだけなのでしょうか?

お礼日時:2018/01/18 20:38

>人からは薄情だ、と言われるのですが。


「人間なんてそんなもの」程度に考えた方が良いだろうと思います。
私が以前住んでいた場所でのことですが、ご近所さんが轢き逃げ事故に遭ったことが有りました。
40代くらいの夫婦と子供という家族で、自宅直近の道路を横断しようとした奥さんが轢き逃げされ、ほぼ即死だったようです。
亡くなった夜のことですが、自宅に運ばれていた遺体を見て感極まったのか、旦那さんは奥さんの名前を「○○~~~~!!!!!」と、本当に大声で叫んでいました。
冬の夜でしたから、先方の家も我が家も窓は完全に閉まっている状態です。
それでも家の中にいる私達の耳に「○○~~~~~!!!!!!」と叫ぶ声が、大きく聞こえたのです。
それから2年ほどが過ぎたある日、その男性は引っ越していきました。
そして、なんと、たった2年前にあんなにまで泣き叫んでいた人物が、「実は再婚しました」と、引っ越しの挨拶で言ったのです。
離婚から半年で再婚や、死別後に再婚などは、まあ不思議とは思いませんが、ひと目も憚らず(この場合は、ひと耳も憚らずですが)あんな大声で泣き叫び続けていたひとが、それからたった2年で別の女性と再婚していたという事実は、「人間なんて」を実感させてくれました。

太宰治さんの著作に次のような言葉がある事を覚えています。
「年月は人間の救いである」
「忘却は人間の救いである」
太宰さんは、人間としては碌でもない人であったような気がしますが、時々素敵なことを言うようです。
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この回答へのお礼

というより私の場合は母の記憶がまったくないといっていいほどなのです。

母の顔も声さえも覚えてません。3歳ならば覚えていても良さそうなのに。

たぶん、薄情だ、というのは

会いたいと思えないことに対して、人として薄情だ、実の母親なのに、という人間としての

親孝行的側面で私を断罪したかったのでしょう。

親で苦労したこのない人はそんな苦労わかりませんから。

太宰治ですか、私も学生の時、人間失格に衝撃を受けました。

ピカソしかり太宰治しかり、天才とは変態が多いですね笑

私もある障害があり、言語だけは発達してるみたいなので、いつか言葉の世界で何かしてみたいです。

私も所詮世の中からしてみたら変わり者なのかもしれません。

その旦那さんの気持ち少しわかります、人間はそんなに強くないですからねぇ。

私は薄情とは思いませんでした。

でも世の中って常識という枠にはまりながら、個人の虫眼鏡的要素がとても強いように思います。

だから太宰の言いたかったことがよくわかります。

私達は所詮、役を演じているに過ぎないと。

父のこと、忘れることはないでしょうが、

この痛みがわからなくなることを望みます。

お礼日時:2018/01/14 16:47

私の母親は、私が小学校に上がる前に死にました。


「母親の記憶」がほぼ無いので、「親の早死に」と聞いても、そもそも記憶がないので、「早死に」もなにも、なんとも思いません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。記憶がないとそうですよね。

私も母親は3歳で別れたので、思いが薄いのです。

人からは薄情だ、と言われるのですが。

父は育ててもらって、私が35歳で、父が64歳で急死で

だらしない所もある父でしたが、

好きだったのであり得ないくらい今、気持ちが落ち込んでいます。

お礼日時:2018/01/13 23:27

いや、いや…笑


定期検診をしっかり受け
健康で長生きする
それが理想ですよね
寝たきりに成らない様に
健康管理が大事です
必要な医療は受けて下さいね


お父さんは何か、
事情があったんですね

ご冥福をお祈りします
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

でもそれは究極の理想では?

ある程度の年齢になったら病気にもなり、

医者にかかれば無駄に長生き(延命)させられると聞きます。

それに私には発達障害があり、どうしても人より自分に無理をさせ続けなければ生きれません。

そんなこともあり、ストレスフルで健康に自信がありません。

共働き必須の環境だし。


ありがとうございます。

お礼日時:2018/01/13 23:23

自分自身もですが


早く死ぬ方がいいです
自分のことが自分で出来なくなるって
本人の尊厳はもうないです
ただそこに生きて居るというだけ

一番の不幸は自殺すらできないということかな
その選択もない場合毎日、無だと思いますよ

早く死ねるかどうかって
運命しかないような気がする
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そうですか。でも早死にも子供からすると寂しいですよ。

なんの親孝行も出来ずに死なれて、

私自身の幸せも消えたように感じました。

でも苦しまないで死ねたのかな、なんても思います。

本当に心筋梗塞みたいなもんで孤独死で3日後に発見されました。

お礼日時:2018/01/13 06:11

人には寿命がある


延命治療をしなければ
良いと思いますよ

国民皆保険制度で
誰でも安価で医療を
受けるコトができる為
介護問題があるのは
日本だけなんです

社会保証費用が膨らみ
破綻しそうですよね
考えなきゃダメですよね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考にします。

父は健康保険も滞納してました。

もう病院には行かず、私も老後は子供にお金を残すために働きまくります。

お礼日時:2018/01/13 06:17

私も自分の子供とか孫に負担はかけたくありませんが、自殺はできません。


ならば、どうするか。
金銭面で負担をかけないに限るでしょう。
・老後の生活費用
・病気をしたときの入院、手術費用
・老人ホームの入居費用
・そこでの必要費用
・葬式、納骨費用
最低これだけ+αは今のうちに必死で働いて貯えておきます。
お金があればそこそこきちんとした施設に入所できて、家族に介護をさせる必要もなくなるのです。
私の母も同じ考えで、私たちに、「お前たちに頼らなくてもやっていけるだけの蓄えはあるし、そもそも金銭面で自分の子供に頼ろうなんて考えるほうがおかしい」と。(^_^;)
「自分の人生なんだから、親に振り回されずに好きに生きればいい、介護が必要になったら私は施設に入る。」といつも言っています。
私は自分の親なので、面倒を見れる限りは見たいと思っていますがお忙しい方だとそうもいかないでしょうし…。
私は、子供の世話になる=金銭面
というのが大きい気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お金、トータルしたらいくらかかるのやら。

障害者でしかも低収入なので不安ばかりです。

貧乏人は長生きもできませんね。

お礼日時:2018/01/13 07:18

延命治療の拒否と認知症徘徊での行方不明(どこかで…という感じ)。



いわゆるOD。薬の飲みすぎ。
急性アルコール中毒(治療方法はありません。あとは、解毒されるスピード勝負。よく、水を飲ませると血中濃度が下がると言われていますが、それは医療関係者から否定されたことがあります。)
上記+ODとか、
ガスor石油ファンヒーターを使用で、部屋内を不完全燃焼状態=酸欠を狙う。
とかとか。

私は、迷惑をかけたい派(?)なので、意地でも生きることにしたい…ただ、懸念事項があるけど(病気)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。なんだか自殺スレスレのものもありますが、、

生きたいですか、

辛いことが多いんで死にたいです。

お礼日時:2018/01/13 07:23

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Q片親って早死しますよね

私も片親で、60代で親を亡くしてるのですが、
周りを見ても片親って早死多いですよね。
高校生、小学生の頃に亡くなった子も何人か知っています。
片親ってだけでも、さみしいのに、
むごいな~って思うんです。
やっぱり片親だと過労して早く死んでしまうのでしょうか?
不幸の連鎖って不思議です。
まさか自分が早死するって思いながら子供作る親もいませんが・・

Aベストアンサー

最近買った本に「人間 この信じやすきもの」という本があります。

これに似たケースに関する思い込み・勘違いの例がありました。

実際に、片親のほうがちょっとだけ過労死しやすいとデータで出る可能性があります。

しかし、人は死ぬと目立ちます。
天寿を全うしたケースは目立たない。

その結果、実際に起こる確率より何倍も起こるように錯覚してしまうという話です。

興味があったら読まれるといいです。

元気な人は、いくらでも、目立たずに幸せに、生きているのですよ。

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q両親の死が辛い

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気のいい母でした。少し口やかましいところはありましたが。私が子供をつれて実家に戻ってからは、ずっと食事など皆の世話をしてくれました。
娘にとっては、祖母であり母親でした。私は小さい時から母が大好きで「一緒に死ぬ歳まで待って」と言ってましたが先に逝ってしまいました。当然です、21歳違いですから順番からは親が先です。

父も自分が先に逝くはずだったと嘆き、「寂しい」とションボリしている日が続いていました。昨年末に手術・退院後は回復に向かって喜んでいましたが、やはり体力は弱っていたのでしょう。母の急死で気が弱り余計に菌を受け付ける体になっていたのです。母の法要の後に入院し5日後に亡くなりました。
続けて二人を送り、私は気が動転し何も興味がなくなりました。
今は、夕暮れ時になると母を思い出し、そして父が亡くなる前に世話になったと書き残した言葉と顔を想い辛く悲しく、気が変になりそうです。
また、自分もいつか天国へ行く日が来る、今度は娘たちが同じ想いをする、させてしまうと思うと、どうしようもなく悲しく、それまでに身辺整理をしなくては…とあせってしまいます。
みんな生まれると、必ず死が待っている事は分かっているのですがなかなか立ち直れなくて、もう一度会いたい、声を聞きたい、話がしたいと云う思いに胸が押しつぶされそうです。

迷惑ばかりかけていたとは思いません。母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。母は元気でした。元気に見えていました。血圧降下剤は飲んでいましたが、それが悪かったかも…と言う人もいます。もっと早く気付いていればこんな事にならなかったのに。もっと手助けをしていれば、もっと早く帰って母との時間を持っていれば…、など色々悔やまれる事ばかりです。
今日は母の4回目の月命日です。もう4ヶ月たちました。まだ4ヶ月なのかも…当初は何がなんだか分からず泣いたり後悔や自責の日々でしたが、今は忙しくしている時や会社にいる時などは忘れる時間があります。
こういう時は両親に対して罪悪感に似たような気になってきます。少しずつ落ち着いてきたので良いのかな?と思ったりもしますが、夕暮れ時や、何もないのに突然悲しくなったり、会って誤りたいと落ち込みます。こんな事を繰り返しながら日々を送り、いつの間にか普段の生活に戻るのかなあとも思います。
もっと若くして親と死別した方々もおられますが、私はもういい歳です。60です。次は自分の事を考えなければならない歳です。娘が嫁ぐと一人になります。その時こんな気弱でどうしていけばいいのでしょうか?
世間では親の歳を聞いて「大往生」と言いますが自分の親なら、大事に思っているからなおさら「大往生」だとは思いません。母は病気で寝込んだ事はないのです。夜中に一人で逝ってしまったのです。
82歳でした。まだまだ一緒に買い物も遊びにも…

私は娘に心配をかけまいと頑張り、仕事と家事で疲れています。これはかえって悪いのかもと思いますが今はまだ「気分転換にどこかへ」という気になれません。

会社のストレスもあり(小さい会社で休むのもままならないです)早く辞めて家の事だけにしたいと思いますが、そうなると収入も減るので大変です。

両親とか大切な人との別れを経験した人はどのようにして、どれくらいの年月でこの辛さがマシになるでしょうか?
私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていてはいけないのでしょうか?

宜しくお願い致します。

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気...続きを読む

Aベストアンサー

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして寿命というものがあり、親から先に旅立つのは必然です。
しかし、そんな事は頭で理解できることであり、決して心では
理解などできないのが本音だと思います。
私の両親はまだ健在なので、まだ死別の悲しみを味わったことは
ありません。
ただ、大好きだったお婆ちゃんとの別れは経験しました。
肝臓癌が判明してから、あっという間でした。
本人には知らせていなかったので、遠く離れて暮らしていた僕が
急に何度もお見舞いに行くと、おばあちゃんが自分の病を疑う
かもしれないと思い、泣く泣くお見舞いの回数を減らしました。
今思えば、愚かな気遣いであったと後悔しています。
何であろうと、毎日でも会いに行けばよかった。そしてたくさん
話をすればよかったと悔やみます。

人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。
あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることは
ありません。
でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれ
ません。
それも頭で分かっているのですが、複雑な思いでした。

私はいつも近しい人とのお別れを経験する度に、思う事があります。
それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる
愛なのだということです。
人は死というものがいつも身近にありながら、中々そこを見よう
とはしません。
ですから、そうした愛する人の死を目の当たりにすることで、
そこで改めて、死について見つめることで、それまで気付かなかった
事に気付くのです。
自分がその時を迎えた時、どんな思いで旅立つのだろうか?
思い残すことがあるのだろうか?
残していく大切な家族へどんな思いなのだろうか?
などと、リアルに感じることができます。

私も、41歳となり、結婚して妻も子供もいます。
あなたが言うように、私もいつかその時が来るのです。
妻や息子を残して旅立った後、妻や息子が私の死を悲しみ
苦しみ、毎日を泣いて暮らしていたならば、きっと心配で
心配で、残してきたことを悔やみ、きっと次なる場所へ行けなく
なってしまうと思います。
故人への一番の供養とは、故人に心配させないような生き方を
することだと、ある人から教わりました。
そうすることで、故人は思い残すことなく、次へと向かうこと
ができるのだそうです。
私は、その言葉を頂き、それからは、おばあちゃんに対して、
いつも「ありがとう。僕なら心配ないからね」って伝えるように
なりました。

この世へ誕生することをそばで見守ってくれた親へ、今度は
あの世へ向かう時に、そばにいて見守るのが、子供としての責任
だと思っています。
今度はあなたが、子供さんへ教えてあげる番です。
しかしあなたはまだお若いですから、まだ見えない先のことを
考えて悲観的にはならないでください。
そして、また今度会いに行けばいいでは無くて、会いたいと
思えたら、すぐに会いにいくのです。
伝えたい言葉があれば、すぐに伝えるのです。
それが後悔の無い人生というものです。
あなたのお母さんとお父さんがいてくれたから、今のあなたがあります。
そして、子供さん、お孫さんへと命のリレーはどんどん繋がって
いるのです。
私の祖母も祖父と二人で人生をスタートさせてから、今では30人という
家族たちができました。
そして今もなお、増え続けています。
そうした歴史も踏まえて、それぞれのドラマがあります。
辛い事、苦しい事。そして楽しいこと、嬉しかったこと、涙が出る
ほどの幸せな思いを感じてきたのです。
今はとにかくとことん泣いていいと思います。
気が済むまで泣けばいいのです。
そしていつか、涙を拭いて、新しい一歩を踏み出して下さい。
お母様とお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして...続きを読む

Q自分の親に対し 早く死んでほしいと願うのは間違っていますか?

自分の両親は60歳で定年退職しました。以後、家に入り浸りです。

運動も何もしてません。食事に気を使うわけでもなくぶくぶく太ってます。

ウォーキングすらしません。足腰が痛い、痛いと60代なのに言ってます。

このままだと75歳ぐらいにはおそらく車イス生活か寝たきりになるでしょう。

 私はたかだか75歳の年齢で、そんな状態になる親の面倒など見たくありません。

かなり迷惑です、さっさと死んでほしいです。

そう考える私は、間違っていますでしょうか?

私はまだ40代です。50代で親の介護の為に仕事を制限する羽目になったら私の人生も終わります。


みなさん どう思いますか?
定年したら後は自由。家で一日ひきこもっててもOKなんでしょうか?

1時間のウォーキングすらしない。10分すらしない親に怒りを覚えてます。

Aベストアンサー

ごく普通の感情だと思います。

私も、80歳で認知症になって老人ホームに入所した母に対して、同じ思いをいだきました。

そして、半年後に願いが叶ってしまいました。
外泊のさいに、老人ホームの玄関で転んで骨折し、そのまま還らぬ人となったのです。

正直、ほっとしました。
これで、介護生活が終わり、フリーになれるって。

ひどい話かもしれませんが、それが人間の真実です。

現在勤務している老人ホームにおいても、認知症高齢者の家族は「早く逝ってほしい」というのが、偽らざる心境のようです。

私は、認知症を生きる意味を、考えつづけていますが、
今のところ、自分が認知症になったら、安楽死したいと望んでいます。

さらには、勤務先でも
認知症高齢者が、静かに逝けるお手伝いをしていますね。

認知症高齢者に、自立を求めるのは間違っていると考えています。
だれも望んでいないですからね。

Q母の死。父が心配です

3月中旬母が急逝しました。

私は結婚して実家から車で15分くらいの所に住んでいます
兄は海外で仕事しています

母が急逝したため、父は落ち込んでいます
亡くなってから、今現在も私と子供は実家に帰っています
旦那も仕事が終わると、私の実家に帰ってきます

もうすぐ49日です。
私は、自分の実家なので気にしていませんでしたが、
旦那がストレス感じているようです
当たり前ですよね。

もうそろそろ、自分たちの家に帰ろうかと考えてはいますが、
70歳近くになる父が心配です。
家の事は、亡くなった母が全てやっていたので、食事面など心配です

私はフルで働いているため、夜しかいませんが
父は体は元気ですが、精神的には弱っている今
出来れば一緒にいてあげたい
げど、旦那の事考えるとそろそろ帰ろうか・・。
いずれか、帰るのだから、49日がよい機会なのか
けど父が心配

一体どうすればいいでしょうか!?
乗り越えるにはどうしたらいいのかわかりません

アドバイス下さい

Aベストアンサー

  おはようございます。50代女です。
  この度、お母様の訃報、
  心よりご冥福をお祈り申しあげます。
  今誰よりも辛く悲しいのはお父様です。
  いつも一緒にいた大事な伴侶を失った
  悲痛さは解りません。
  娘として当然のこと、側にいてあげること。
  こういう場合は女の助けは必要ですから。 
  49日の法要が終わるまであなたが支えになって
  あげてください。
  ただ、”可哀想”では今度はあなたの家庭が大変です。
  旦那様のこともきちんと考えてあげないといけません。
  嫁ぎ先と実家も近いのだから、様子を見に来る事くらい
  にとどまらないとお互いがギクシャクしてしまいます。
  お父様も今は"抜け殻"状態かも知れませんが
  子供が思うほど親とは弱くないものです。
  何れはどちらかが先旅立つもの。
  人間、生まれてくればいつかは死ぬもの、
  これも運命です。
  最後を見届け責任を果たされた。
  りっぱな”夫婦愛”です。  
  こういう時はお子さん(お孫さん)を口実に時々、実家に
  連れて行ってあげて成長を共に喜びましょう。
  子供の笑顔が何よりです。
  私は14歳で母(47)と兄(25長男)を交通事故でなくしました。
  父は48歳、祖父78歳、
  このときの父の顔には"涙"はありませんでした。
  母をなくした哀れな娘(私)をどう育てようか
  必死でした。ましては年老いた父の世話もあります。
  普段、お酒も好きで晩酌は欠かさなかった父
  お酒に溺れることなく、仕事とに専念し家計を支えてくれました。
  あれから37年。昨年永眠(85)しました。
  大切な伴侶をなくしても再婚することなく
  自分の子供を第一に考え、教育し,独立させ
  親として子供を嫁がせ孫に囲まれ幸せに旅たちました。
  海外に移住されているお兄さんにも今後のことを相談され
  子供達が親孝行してあげて下さい。
  ”見守る”これも愛の形ですから。  
    
   
    

  おはようございます。50代女です。
  この度、お母様の訃報、
  心よりご冥福をお祈り申しあげます。
  今誰よりも辛く悲しいのはお父様です。
  いつも一緒にいた大事な伴侶を失った
  悲痛さは解りません。
  娘として当然のこと、側にいてあげること。
  こういう場合は女の助けは必要ですから。 
  49日の法要が終わるまであなたが支えになって
  あげてください。
  ただ、”可哀想”では今度はあなたの家庭が大変です。
  旦那様のこともきちんと考えてあげないといけません。
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Q両親に長生きしてほしいですか?

嫌いな両親でも長生きしてほしいですか? 皆さんはどうですか?
私は長生きしてほしくないです
うちは父親が今年77 母親今年70です
両親とは性格が合わないし両親の性格が嫌いです
特に父親は嫌いです
喜寿のお祝いをやってもらわないとな、兄弟で相談しておけと言う
独身の私に親の面倒みるのは当たり前と言う(今は一人暮らしだけどこのまま独身ならいづれは親と住むべき、結婚したら話は別と言ってるが)
親に感謝しろと言う
親のことを知らんぷりではだめ(昔も今も私が全く親を気にかけず無関心だからでしょう 嫌いなので一人暮らしをしてからますます知らんぷり)
とにかく42歳で独身だからといって親も年とってるんだからとか、老後の話だとかうるさくてウザイです
両親と疎遠の人、両親がいない人がうらやましいです
長生きしてほしいとか世間はではよく言いますけど変に長生きされたら面倒みさせられたりやっかいなことだらけだと思います
私は嫌いだからかもしれないけど、両親が好きな人ではなくて私のように嫌いな人は長生きしてほしいと思ってますか?

Aベストアンサー

 還暦過ぎのオジサンです。一人娘がいますが女房殿は既に鬼籍です。

 人間には“死に時”ってのがあると思っています。80,90まで生きて娘の“お荷物”にはなりたくありません。痴呆老人が電車にひかれて家族に賠償請求なんて“死に時”を間違えたとしか思えません。
 私の両親も「まだもうちょっと生きていればねぇ。」と言われながら死んでいった。良い時期だったようです。私も、70までには娘に家庭を持ってもらい、早々に女房殿のもとに行くのが私の“親としての努め”と思っています。ですから『体の良いこと』なんて避けて通っています。でも残念ながら血糖値が高いくらいで・・・。血糖値なんて気にせず生活していますが、こればかりは人事では如何ともし難い。

Q両親がいない方、どのような傾向がありますか

ふと思いましたが、
独身で両親がいない人の心境はどういうものか知りたくなりました。

自分は、独身一人暮らしで、両親には話をしようとしても悩み事など話せないような間柄ですが、
とりあえず両親はいるので、いない人とはちょっと違うのかと思います。

死別、離婚など理由や、いつから両親がいなくなったかによっても違いはあると思いますが、
独り立ちしようとする気持ちが強いのか
金銭感覚
自分の性格
人間関係
恋愛観
など何でも結構です。
両親がいる人とは違う点など思うところありましたら
よろしくお願いします。
特にご当人様か、知り尽くしているような方からの回答を希望します。

Aベストアンサー

初めまして。
独身ではありませんが、私の父親が3歳で母親が亡くなり、10歳で
父親が亡くなりました。
その後、兄弟三人で(父は三男)父親方の親戚の家にお世話になって、大人に成って家を出たそうです。

私が独身で一緒に暮らして居た時、良く父は「なんで俺を生んだのか恨んだ日もあった。早く自立することだけを考えていた。人に馬鹿にされたくないから勉強は良くした。親と接した思い出が薄いから、どうお前たちと接して良いかわからなかった。親が揃っているだけでお前たちは幸せだ。母親の愛情って深いな。(母を見て、私たちに対する態度から羨ましさを感じていた様です)」等々。

また、知り合いの女性で、親の離婚によって伯母さんと生活していた人を知っていますが、やはり「強がる」傾向にありました。

この二人の共通点は「表現下手」と、「他人のやさしさを素直に喜べな
い」所ですね。他人のやさしさを「情けを掛けられているんじゃ?」
と思いがちで、こちらが気を遣ってしまいます。

間違いなく苦労していたり、寂しい思いをしてきているので、しっかり
していますね。

乱文失礼致します。

初めまして。
独身ではありませんが、私の父親が3歳で母親が亡くなり、10歳で
父親が亡くなりました。
その後、兄弟三人で(父は三男)父親方の親戚の家にお世話になって、大人に成って家を出たそうです。

私が独身で一緒に暮らして居た時、良く父は「なんで俺を生んだのか恨んだ日もあった。早く自立することだけを考えていた。人に馬鹿にされたくないから勉強は良くした。親と接した思い出が薄いから、どうお前たちと接して良いかわからなかった。親が揃っているだけでお前たちは幸せだ。母親の愛情って...続きを読む

Q両親がいない人の性格と恋愛観。

両親がいない人の性格と恋愛観。

こんばんは。
・両親を小さい頃に亡くし、施設へ預けられ、その後伯母さんに育ててもらった。
・きょうだいは兄と姉で普通に仲は良い。
・今は30代前半で独身。
こういった境遇で過ごしてきた方の性格や恋愛観は両親がいる方と何か違ったり、偏ったりするのでしょうか?
おそらく両親からの愛情はほとんど受ける時期がなかったと思われます。
それでも周りの環境でフォローできるものでしょうか?
偏見などはありませんが、こういう境遇の人は両親がいる人と違いはあるのかな・・・と思いまして。
求めるものや固執するものは変わらないでしょうか。
特に恋愛観が知りたいです。

私が好きな人はこの境遇なのですが、普通に恋愛もし、ひねくれるどころか周りに優しく友人もおり、しっかりしていて、でもどこか放っておけないような雰囲気を感じます。

両親がいない人の特性というか、どういった傾向があるのか知りたいです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

そこまでそっくりな状況でなければ友人にもいますしなんとなく・・・・

母親の思い出がな=母像が成立していない=どんな人を好きになるのかメドがつかない事が多いでしょう・・
甘える事もあまりできなかったのであれば、甘えん坊な人も少なくないと思います。
だけど甘え方がちゃんとわからずどう甘えればいいかとかどう愛情を与えていいのかわからない場合も考えられます。

いい部分でも、もし友達がいてすごくやさしい人なのであれば、すごく頼りになる強い人でもあると思えます。
親がいないから自分が強くなんなきゃいけないとおもったのであれば。

母親がいない人(思い出がない人)は恋愛でなかなか上手くいかないこともあると思います。
あばさんにどこまでしてもらったかはわからないので、はっきりとはいえないですが、愛のあげ方もらい方がいまいち理解できない子tも考えられますね。

しかし強く言えることは・・・・小さいときに大変な思いをしてる人はトラウマもあるし面倒なこともあるかもしれませんけど、人1倍頑張ったり、強かったりすることがあると思います。
人間はいたい思いをして強くたくましくなっていくものだと思います。

誰しも必ず、悪いところといいところがあるのでそこまでそこを気にしないことだと思います。
いいところを見て悪いところを一緒に改善できる中になればいいだけの話しです。

応援してます。 がんばってくださいね^^

そこまでそっくりな状況でなければ友人にもいますしなんとなく・・・・

母親の思い出がな=母像が成立していない=どんな人を好きになるのかメドがつかない事が多いでしょう・・
甘える事もあまりできなかったのであれば、甘えん坊な人も少なくないと思います。
だけど甘え方がちゃんとわからずどう甘えればいいかとかどう愛情を与えていいのかわからない場合も考えられます。

いい部分でも、もし友達がいてすごくやさしい人なのであれば、すごく頼りになる強い人でもあると思えます。
親がいないから自分が強く...続きを読む

Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q親の死後の親戚付き合いについて

両親が亡くなった場合、
両親と付き合いのあった親戚との付き合いはどの範囲でいつまで続ければいいものでしょうか?

自分自身がその親戚達とあまり疎遠な場合でも、親のあとを引き継いで関係を続けていくものなのでしょうか?

私自身は、親戚と言っても結婚式に呼んだ人や年賀状を送っている人以外は、ほとんど疎遠になっているのですが、親のどこまでを引き継がなければならないのかわかりません。

ご教授宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

「うちの場合は…」ということで書き込みたいと思います。

父方:父は私が成人する前に亡くなりました。父実家・親戚は遠方で交流は数年に1回程度だったため、父が亡くなってからは疎遠に。しかし、結婚して子供ができたことを父方親戚代表である長男(私から見て伯父)に義理を立てるために報告。それをきっかけに、伯父に子供が居ないこともあり、手紙や電話や贈り物の交流が始まり、子供の成長を喜んでくれています。
母方:母も早くに亡くなったのですが、昔から頻繁に交流があり気心知れた仲。冠婚葬祭はよほどのことがない限り集まります。母はすでにいなかったため我が家の代表として私が顔を出してます。
いとこ:双方のいとことも、昔はよく遊んだのですが、いまでは年賀状くらいのやり取りです。

いずれにしても、比較的若いころから親の代わりに矢面に立って、親の世代の親戚と交流していくのは非常に骨が折れました。一番下っ端なので。そして冠婚葬祭の時に包むものも多く飛びます。それでも関係を続けたいと思っているのは、私の小さいころを知っている人たちであること、親の思い出話をふとした時に聞けたり、昔話をできる仲を大切にしたいと思っているからだと思います。

「うちの場合は…」ということで書き込みたいと思います。

父方:父は私が成人する前に亡くなりました。父実家・親戚は遠方で交流は数年に1回程度だったため、父が亡くなってからは疎遠に。しかし、結婚して子供ができたことを父方親戚代表である長男(私から見て伯父)に義理を立てるために報告。それをきっかけに、伯父に子供が居ないこともあり、手紙や電話や贈り物の交流が始まり、子供の成長を喜んでくれています。
母方:母も早くに亡くなったのですが、昔から頻繁に交流があり気心知れた仲。冠婚葬祭はよほ...続きを読む


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