プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ぼくは立ちションが出来ない。

正確にいうと、まったく出来ないわけじゃないし、肉体上の物理的問題があるのでもない。自宅のトイレであればなんの問題もなく立った状態で用を足すことができる。ただ、公衆トイレなどで人と並ぶと用を足せない、尿意はあるのにおしっこが出なくなってしまう。並ばれなくても、洗面台周辺に人がいるのもダメ。個室での排泄行為にはさほど支障はないのだが。

記憶にある中でそうした「症状」が生じたのは、小学六年生の家族旅行のときが最初だったと思う。旅先で公衆便所の長蛇の列に加わった。やっと自分の番がやってきたとき、背後で待つオッサンたちのプレッシャーに妙に急かされた気分になり、用を足すことが出来なかった。しかも何故か、そのことを家族に言えなかった。「いま自分が置かれている状況全体が恥ずかしい」という感覚をもった。そのトイレ休憩のあと、本来なら当然解消されているはずの排泄欲求と戦いながら継続されるドライブ。次のトイレ休憩までが長く苦しかった。

その後、明確に「できない」と自覚したのは中学校の入学式当日だったと思う。式の直前に席を立ち向かったトイレ。隣には──真横に並んだわけでなく、四つある小便器の両端だったような気がするが──同じ小学校出身の友人が並んだ。不可解なプレッシャーを感じた。結局、尿意は解消できぬまま式へと向かった。

それ以降はもうトイレのことばかり考える毎日になる。どの時間帯、どこのトイレなら誰とも並ばずに用が足せるのか。学校に居るあいだ中、片時もそのことが頭から離れない。一日の行動は「いかに自然に誰もいないトイレに入るか」に支配される。個室に入るという選択肢は容易に選べなかった。小学校時代に比べれば多少抵抗は薄れていたとはいえ、なにしろトイレのたび毎回のことだ。個室に入るのが自然な女子たちのことを羨ましく思った。

水分摂取は極力控えた。ただどんなに努力しても、在校中二回の排泄機会は避けられない。また学校以外でも、誰かと(特に男友達と)出かけるのは気が重い。次第に友人たちと距離を取るようになっていった。泊まりのイベントやフェスに参加したい気持ちはあっても、もはやトイレで苦労する場所に行きたくないという気持ちの方が圧倒的に強くなっている。ぼくはこうして引きこもっていった。


こんな体験談を聞いても「まったく理解できない」と言う人の方が多いんじゃなかろうか。というかぼく自身、全然意味が分からなかった。小便器の前に立つたび、確実に襲ってくる不安のナゾ。なぜこんなことで自分は悩んでいるのか? いったいなにを意識しているのか? 一体なにが原因でどうすればこの不安のマグマを取り除けるのか? まったく解決の糸口が見つからない。誰に相談すればよいのかわからない。そもそも周囲にそんなことで悩んでいる「男」はまったく居ないように思えたし、そのことがさらに自分を追いつめた。

ただ大学生、社会人になって、「症状」はいくらかマシになった。思春期のピークを抜けたという要素もあるかもしれないが、ひとりで居ることへの心理的抵抗感が薄らいだというのもひとつ大きな要因と思う。上述のような心理状況だったから、トイレに気を使う心配が増えぬよう、大学では同じ学科内の友人は極力作らずいつもひとりで居た(反面、つねに孤独感と戦うはめになった)。また大学ともなると、トイレで居合わせるのもお互い知らない者同士(匿名の存在)ということが増える。個室に入る抵抗感もずいぶん和らいだ。

個室での排泄はたいてい大丈夫なことや、大規模トイレの離れた場所に人が居る状況はクリアできたりすることから、次のようなものがキーワードだろうなという当たりがこの頃からつき始めていた。

他人の気配
排泄の音
視線
排泄に要する時間への焦り
匿名性
「自然なふるまい」への憧れ、強迫性

排尿恐怖症の改善方法を教えてください

A 回答 (1件)

改善する必要ありません。



理由は、個室利用が普通になりつつあるからです。

誰でも他人が横にいたり後ろにいたりする情況より、個室が良いに決まってます。

特に、背後が見えにくい情況での排泄行為は、防犯上からも適切ではないと思われます。

特に気にせず、個室しか使わない男性もいっぱいいますよ。あなただけではありません。
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