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脳の中の神経細胞(ニューロン、シナプス)や神経伝達物質、脳漿のホルモンゃモルヒネ

無数の毛細血管等の反応によって心や精神は働くのではないでしょうか?

それらの持つ性質が精神を実現しているのではないでしょうか?

そう考えると精神を構成する性質は何らかの物質の持つ性質の集まりの主体化ではないでしょうか?

クオリアと言うのもそれらの性質が働いているだけで、それが特別に見えたのでクオリアと

呼んだのではないでしょうか。

もし私の考えが正しければ 精神を含めた完璧な唯物論で精神や物質を説明できます。

分かるでしょうか? 分からないでしょうか?

A 回答 (9件)

未知の領域ですので 創造するしかありませんが


唯物論で精神や物質を説明できないと思います
古典力学は否定され 相対性理論まで
ボーワの論争で 否定されました

コペンハーゲン解釈  粒子性と波動性
観測しないと意識を向けていないと 
見ていないと 何処にあるかわからない
意識すると 時間と位置が決定する
意識を向けると粒粒になる
その事から
言葉 意識が素粒子を動かす事が考えられます


生命科学の最新の分野で 意識や精神は
深層心理学(ユングやフロイト)や
アナログ的なニューロンなどの伝達や 
広がりでは説明できなくなりました

DNAの突然変異は ランダムに発生するが
実は 量子の揺らぎに起因している可能性と指摘されています

意識が現実を作るのです
ニューロンのなかの極小のチューブの振動
である 量子重力効果が 意識となり現実の貴方を作るのですが
量子もつれ 等で知られている通り
それは 宇宙の情報と一体なのではないか?

「宇宙の現意識 の存在が生命たらしめている」 
意識たらしめている可能性があります
意識は量子レベルにおける
物質の振る舞いを定義していると
ロジャー・ペンローズ
スチワート・ハメロフ が述べています
意識は 観測で極小の粒子が変わる事が 分かっています
意識は乱数表に変化をもたらすことも知られています
人間の意識は 計り知れない 未知の世界です 
量子レベルの情報や意識は 宇宙からでは?

宇宙の原意識を 神と捕らえるか
仏教の究極の法則と捕らえるか
いずれも 哲学 宗教の領域に入ります

詳しくはカット

心の仕組みは驚くほど判明していないのが
現在の生命科学です

脳は860憶の神経細胞でできていて
その電機的な基礎は 理解されているが
心 思考 記憶 感情
人間の脳をマップ化するのは 不可能です
量子コンピューターがあれば 可能かも?

人ゲノムが完成したが
DNAがコードしているタンパク質については
ほとんどわかっていないのが現状です

ちょっと長くなるのでこの先はカット
すなわち 人間の知恵は あまりにも小さいと言う事です

分かった と言う人がいたら 詐欺師です

意識の存在  魂とは 死の先を述べるには
科学的検知には限界があり
哲学 宗教の側からの解明が 必要となります

アインシュタインにしてもホーキンスにしても
 決して宗教を否定しないのです

量子論 弦理論  宗教 哲学と交差しています

詳しくはカット


九識論 
  http://sannkuto66.3zoku.com/newpage51.html
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この回答へのお礼

助かりました

随分勉強になります。相当の勉強をされているのでしょうねえ。

僕も相対性理論は間違ってると思っていました。なんか何処かで騙されてるんですよね

わかる人の方が珍しかった。

人間の精神や意識は性質の複合体と言うか複雑な反応なのでそれだけ性質が働いてますから

何かを観察する時に対象物を変化させる可能性はあるでしょうね

しかし人間が居ない所でも自然派現象してるのですから観察するから実態がわからないじゃあ

科学も廃れてしまいます。観測の仕方を帰るなり 観察を上手く何かに写すなりして

人間の影響を受けない様な観察方法を考える必要が有るでしょうね

宇宙の現意識が在るかどうかは分かりませんが 現意識というか法則・摂理があるんでしょうねえ

人間の脳をマップ化するのはそりゃあ難しいでしょうねえ。子供の頃から経験したことや

学校や社会で学んだこと。個人的な趣味や夢や妄想 それが一人一人違うのですから

マップかと言ってもネットの世界の様になってしまいます。

「科学的検知には限界があり」とありますが それを補うのが哲学なのではないでしょうか?

科学万能かと思われた20世紀でしたが限界もあると。特に精神について、人間存在については

なかなか分からない。哲学会も旧態依然としている。

宗教は宗教家たちが限界を感じてるでしょうねえ。お金儲けに走る宗教もあります。

神って宇宙に居るのでしょうか?人格神が?心がある? 僕には天照大神やイエス・キリストを

讃えてみんな仲良くしようじゃないか 世界中平和にしようじゃないか 宗教の違いを乗り越えようじゃないか

とやってくれればいいと思うのですが 凝り固まって違う神を信じるから上手く行かないと思います。

しかし人間に与えられた時間は長いはずです。atoiti先生がここまで勉強されたのですから

100年後1000年後にはきっともっとまともな時代になっているはずです。

九識論は以前読みましたが 先生は自分でも考えてあるのでしょうねえ

学びて思わざれば即ち暗く、思いて学ばざれば即ち危うし と故人が言っています。

大変勉強になりました どうもありがとうございます。

お礼日時:2018/01/17 12:06

決めつけてしまう事が分からない。

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この回答へのお礼

ありがとう

決め付けてる訳じゃないですが そう考えると説明がつくので

問いかけている訳です。

お礼日時:2018/01/16 12:20

お礼について。


人は、人であると自ら認知する以前から、人であるものとして発生するのですよ。いつが始まりなのかは、問題ではない。それは後付けでしか確認出来ないものだから。
あなたは後付けで確認した物事を先にそれがあったと名付けてしまっているだけです。
人は、感知認知の範囲でしか、リアルを表現出来ないのです。ですが、それらを感知認知する前にそれらに触れるという事を人は必ずやっているのですね。感知認知は、後からついてくるのです。
私は、あなたに共感しておりません。
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この回答へのお礼

うーん・・・

よく分かりませんねえ。確かに人間に生まれれば人間として育ちますが

人間の条件として 心があること というのはあるでしょうね

だから赤ちゃんも心はあると思いますが、もし心がなければ人間の卵ということでしょうね。

あなたは実存主義的な事を言っているのですか?私は実存主義者ではないですが??

お礼日時:2018/01/14 20:52

お礼について。


ありとあらゆる事象の、全ての「末端」です。
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この回答へのお礼

ありがとう

>ありとあらゆる事象の、全ての「末端」

と言うのは現実すべてのことでしょうか?

それとも感知・認知できる全ての末端ということでしょうか?

お礼日時:2018/01/14 13:59

物質が下部構造で精神は上部構造です。



それぞれ依存しあっています。
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この回答へのお礼

ありがとう

僕は物質の性質が精神をなしていると思います。

物質の状態次第で性質が変化すると考えます。

精神・性質界を認めながらの唯物論です。

お礼日時:2018/01/14 13:55

>クオリアと言うのもそれらの性質が働いているだけで、それが特別に見えたのでクオリアと



呼んだのではないでしょうか。

いえ違います。「クオリアはなぜ応じるんだ?」といっているみんなは、HARUさんのいう「精神は物質の性質」だという事は理解しているんですよ。むしろ、
「精神は物質の性質」だというHARUさんの理解の上を行っているんです。

つまり私達が哲学的ゾンビではない理由を模索している人たちなのです。
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この回答へのお礼

Thank you

最後の一文はどういう意味ですかねえ?

私たちは哲学的ゾンビではなく 当たり前の話をしているということでしょうか

それならいいのですが。僕の考えは存在性理論へとつながっていきます。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~yuniko37/

どうもありがとうございます。

お礼日時:2018/01/14 13:51

私は誰でしょうか。

大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
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この回答へのお礼

うーん・・・

脳が若返る薬でもない限り、自分は衰え死ぬということがDNAに組み込まれています

それには進化するために世代交代をするという目的があります。

私は誰でしょうと言われたら 私は精神だと答えます。

そして死んだらもう二度と転生することはありません

kothimaroさんは毎回同じ文章を投稿するのでしょうか?

自分で考えたのでしょうか?

人間が死んだらその人を完璧に再生することはできません

人間が死んだらその人の精神も意識も消えるのです

その代わりその人やった事の影響は無限に影響していくことでしょう。

お礼日時:2018/01/14 13:46

脳は、未開発な途上の臓器ですよ。

それを養い、回路を繋ぐのは、常に末端なのです。
「我思う、故に我あり」とあなたは考えるのかも、知れませんが。「あるが故に、我思う」のです。
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この回答へのお礼

Thank you

「我思う、故に我あり」と言うのは古典ですねえ。

あるが故に、我思う と言うのが本当だと思います。

哲学は妙に考え過ぎて当たり前でない結論に至るので考えものです。

あなたの言う末端と言うのは神経の末端でしょうか それとも現実でしょうか?

それとも人体の末端ということでしょうか?

共感します。

お礼日時:2018/01/14 12:52

脳は、末端に支配されます。

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この回答へのお礼

ありがとう

脳は末端をコントロールします。仕事も生活も脳で考えて上手く行くように作業するのです。

安倍さんが政策を決め実行していくのです。

明日或いは今日 或いは今何をするのか 脳で考えるのです。勿論末端や環境とも考え合わせます

しかし脳でコントロールするのです。性質が環境のあり方や自分の体のあり方をコントロールするのです。

お礼日時:2018/01/13 21:57

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