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明治憲法下の内閣の位置付けと日本国憲法下の内閣の位置付けの相違点を教えてください

A 回答 (3件)

明治憲法では、天皇が統治権を総覧し、行政権に


ついては、広い範囲にわたって天皇が行使しました。

天皇のこの行政権の行使を、補弼するのが内閣
でした。

明治憲法には、内閣については特別に規定されず、
国務各大臣は天皇を補弼しその責に任ず」
(明治憲法55条)
とあるにすぎず、内閣制度は勅令によって運用されて
いました。

内閣制度は、憲法上明確な根拠がなく、
内閣が軍部、貴族院、枢密院、内大臣府などから制約を受け
議会に対する内閣の責任も曖昧でした。


以上に対し、現行憲法は、
内閣について特に一章を設け、内閣は、国会、裁判所
と並んで、憲法上の必要機関とされています。

更に、内閣は、天皇とは独立に、自ら行政権の
主体となり、天皇大権とされていた事項が内閣の
所管とされています。

内閣総理大臣には、内閣の首長たる地位が与えられ
その権能が強化されています。

議院内閣制が確立されるようにもなっています。
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「違う」と言う前提が間違い。


内閣の位置付けは、明治憲法も現行憲法も同じです。


■明治憲法

天皇→国家元首(名目上の統治者)
内閣→委任統治者(実質的な統治者)

(「君臨すれど統治せず」は誤訳。正しくは「統治すれども支配せず」です。天皇が実際に権力を振るわない事を前提とした条文です。実際に権力を振るうのは、天皇から委任統治を任された内閣です。)



■現行憲法

天皇→象徴(国会で決まった法律を誰かに委任する役目が天皇にありますが、あくまでもそれは儀式をやっているだけの人です。)
内閣→委任統治者(実質的な統治者)

(天皇は象徴。内閣が統治する。)



明治憲法での思想は、日本は天皇が治めて来た国ですしそれは日本の長い歴史がそうだったからですが、天皇の統治権は憲法で定められた責任ある者に委任します。しかもそれは、誰から強制されたわけではなく天皇自ら統治権を委任するのが、嵯峨天皇以来の日本の慣習です。というものです。明治憲法の条文は、その前提で書かれています。

現行憲法は、天皇は象徴ですので統治権はありません。統治する者は憲法で定められた者が行います。
というものです。


書いている内容は違いますが、やっている事は同じ立憲君主制と同じです。

正しい例えかわかりませんが、明治憲法の誤解は、リヒテンシュタインの憲法(国家体制)の誤解に似ています。リヒテンシュタインの国家体制を無知な人が額面通りにそのまま理解すると、「リヒテンシュタインは未だに絶対君主制ではないか!」と思うでしょう。しかし実態は立憲君主制と同じです。大日本帝国の天皇と内閣も、実際にやっている事は立憲君主制です。明治憲法の条文だけ読んで判断しているような無知な人は、大日本帝国を絶対君主制だと思っていますが・・・。

憲法の条文を憲法典、或いは形式的憲法と呼び、文字に書かれていない憲法の事を、憲法、或いは実質的憲法や憲法附属法と呼びます。憲法は条文がすべてではありません。むしろ、不文法の方が憲法のメインです。







明治憲法の天皇は、現在の象徴天皇と同じです。

違う点は、五・一五事件のような政府機能が失われた時は、明治憲法では天皇が政府機能を回復する役目がありますが、現行憲法ではその機能はありません。

明治、大正ではそのような事件はありませんでした。昭和では過去二回ありました。五・一五事件と終戦の御聖断がそれに該当します。その2例だけ、天皇は象徴ではありませんでした。理由は余程の事態だったからです。それ以外は、明治憲法の天皇と現在の象徴天皇は同じです。内閣の位置づけは委任統治者です。これも明治憲法も現行憲法も同じです。







ネットは間違いだらけなので、ちゃんとした本を読みましょう。私も昔読んだ記憶なので、書いた内容もところどころ間違っているかもしれませんので、自分の目で確認しましょう。詳しくはこれらの本を読んで自分で確認してください。(特に『立憲君主昭和天皇』は500冊以上の参考文献の出典を記載していますので、本当に知りたいならそれらの文献を読むことをお勧めします。私はそこまでは読んでいませんが。)


『明治憲法の真実』
著:伊藤哲夫

『帝国憲法の真実』
著:倉山満

『立憲君主昭和天皇』
著:産経新聞『昭和天皇実録』取材班キャップ 川瀬弘至
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・大日本帝国憲法下


憲法上、ドイツのプロイセン憲法を元としており、大臣の任命権や解任権を太政大臣(後の総理大臣)の自由にせず、内閣は太政官としての、天皇の下での一機関という位置。
なので、対外的には日本は首相が存在しない帝国(王国)でした。
各藩の代表者1名を太政官の下に置き、この代表者を衆議院。
各藩主(大名)を家族として貴族院を設けました。
衆議院を左議院、参議院を右議員とし、真ん中に閣僚会議を置いたのが内閣の始まりで、これが新政府(後の国会)の始まりです。
天皇の統帥権は太政官の承認を得ないと行政権を行使できませんでした。
行政は確かに内閣が牛耳っていましたが、軍部は内閣に承認権がありませんでした。
なので軍部は天皇の直轄組織として自由に戦争などを決められたのです。
※御前会議の元、陸軍と海軍の将校がそれぞれ意見を述べて決定していました。
※内閣が軍に直接意見できるようになったのは、軍人が総理になってからです。

なので、内閣は天皇の上位にありはしたが、実質は軍部が掌握していた。となります。

・日本国憲法下
内閣は天皇の下に置かれ、天皇の承認がなければ行政を行えないようにしまた。
恰好的には帝国憲法の逆です。
なので、憲法改正(直接民主制)以外のすべての行政は、天皇主権になりました。
しかし天皇は憲法で行政に意見を述べられないのは帝国憲法のままなので、実質内閣の承認期間であり、拒否できません。
なので天皇以外に承認できませんが、国民主権というのはそういうシステムなのです。

日本国憲法下では、自衛隊の最高司令官職は総理大臣が兼務するので、戦時下の帝国憲法とほぼ同じということです。
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