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江戸幕府が滅んだのはなぜですか?

A 回答 (7件)

西洋が世界を席巻出来たのは、国民国家化に


成功したからです。

それまでは、国家は王侯貴族だけのモノでした。
それを国民全体のモノ、としたのが国民国家です。

この国民国家は、国民の力を利用出来るので
王侯貴族だけの力しか使わなかった封建国家よりも
強力なのです。

当時の日本は300モノ藩が寄り集まった
連合体のようなもので、このままでは西洋の国民国家に
対抗出来ません。

それで、挙国一致、中央集権体制に変える必要が
出て来、その方法として、徳川幕府支配を強化するか
天皇集権にするか、で争うことになった訳です。

結果、武士が官僚化して戦う力が無くなった
幕府が薩長に敗れ、幕府が滅びたのです。
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ありがとうごさいます!

お礼日時:2018/01/31 10:54

滅んだというより、大政奉還で、比較的きれいに歴史的役目を終えたと。

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ありがとうごさいます!

お礼日時:2018/02/04 16:50

本当の原因は、金と銀の交換比率の違いによる経済の混乱から、


民衆の支持が得られなくなったからです。
軍事政権といえども、民衆の支持は非常に大切で、織田信長も、この点は、最大限重視していました。
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この回答へのお礼

ありがとうごさいます!

お礼日時:2018/01/30 21:52

①黒船への対応に失敗したこと


②長州征伐に失敗したこと
これらで権威が揺らぎ、薩摩や土佐などの離反を招いたことが主因です。

3年前の池田屋の変のときはもとより、戊辰第一戦の鳥羽伏見の戦いのときでさえ幕府が滅びるとは薩長以外思っていませんでした。
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ありがとうごさいます!

お礼日時:2018/01/30 21:52

時代の変化に対応できなかった


或いは
役目を終えたから
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ありがとうごさいます!

お礼日時:2018/01/30 21:52

300年も続いた長期政権が鎖国の開放により外国の文明文化が入ってきてその変化に対応できなかったためだと思います

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この回答へのお礼

ありがとうごさいます!

お礼日時:2018/01/30 21:52

薩長のテロが原因です。

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ありがとうごさいます!

お礼日時:2018/01/30 21:52

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Q徳川(江戸)幕府はなぜ滅びたのか?

徳川幕府の滅びた原因に国内と国外からのプレッシャーがあったとあるサイトで読んだのですが、具体的にはどのようなプレッシャーがあったのでしょうか?3~4つずつ挙げていただけると嬉しいです。(もちろん一つでも構いません)

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>具体的にはどのようなプレッシャーがあったのでしょうか?

(1)将軍家の衰退
(2)世界の重商主義台頭の波に乗り遅れた
(3)19世紀欧米列強の帝国主義に抗し切れず、開国せざるを得なかった
(4)諸藩の人材育成に大きく遅れてしまった

(1) 将軍家の衰退
家康によって樹立した徳川幕府も三代将軍家光までで、それ以降優秀な将軍は現れず、衰退します。 家康は将軍家を補佐するため水戸藩、尾張藩、紀州藩を御三家として、この中から優れた人材の発掘を命じています。 

八代将軍の吉宗は紀州藩の殿様から将軍になり、享保の改革を行い、徳川幕府を建て直しました。 しかし、19世紀に入ると将軍は凡庸で、これを補佐する老中にも人を得られず、弱体化して行きます。

(2) 世界の重商主義の波に乗り遅れた
世界は18世紀後半にイギリスで始まった産業革命でそれまでの農業中心から工業中心に変わっていきます。 しかし、日本はこの世界の進歩発展をわずかに長崎の出島でオランダ人を通してしか知ることが出来ませんでした。 

士農工商の厳格な身分制度で経済の実験を握っていた商人を一番低い身分に置いたまま。 これでは世界の波に乗り遅れるのも当然です。 19世紀に入ると、日本にも佐久間象山(さくましょうざん)のように洋学といって欧米の先進技術に精通した研究者はいました。 しかし、徳川幕府は彼を登用しませんでした。 

(3)欧米列強の帝国主義の波に抵抗できなかった
前の世紀に産業革命を経験したイギリスに触発され、ドイツ、フランス、オランダ、ロシア、アメリカはアジア、アフリカに進出し、植民地を巡って競争を繰り返します。 19世紀の後半になると、関心は極東に向けられます。 彼らは強大な武力を背景に徳川幕府に開国を迫ります。 

彼らの武力にたいし、長州藩が1863年馬関海峡を封鎖し、馬関戦争が勃発しますが、鉄砲と大砲の火力の差を骨の髄まで知らされることになります。 この戦争によって、徳川幕府は欧米列強との武力の差を知ることになります。 
 
(4)人材育成の遅れ
徳川幕府の他の諸般に対する一番大きな差は人材育成の立ち遅れにあります。 徳川幕府は昌平坂学問所を作り、旗本の子弟育成に当たります。 しかし、ここの教授陣には洋学の」素養もなく、旧態依然とした朱子学に根ざしたもの。 

19世紀の日本には各地に優れた私塾がたくさんありました。
広瀬淡窓(たんそう)の咸宜園(かいぎえん)、緒方洪庵の適塾、吉田松陰の松下村塾(しょうかそんじゅく)などです。

幕末の偉人に大きな影響を与えた吉田松陰は10才の時、時の長州藩の藩主に新春の進講講義をして論語を説いたほどの俊英でした。 そこで藩主の毛利公は参勤交代の列に14才の松蔭を加え、江戸に連れて行き、佐久間象山に洋学を学ばせ、さらに広瀬淡窓に博愛の心を学ばせています。 

このように各藩は子弟の教育に励んでいます。 長岡藩小林虎三郎による米百俵(こめひゃっぴょう)の逸話も子弟教育に対する熱意を示すものです。

しかし、権力の座にあった徳川幕府は子弟教育に大きく遅れを取り、薩摩長州を中心とした勢力との権力闘争に敗れてしまったのです。 

これは長年政権与党の座に居続けている自民党の若手議員が、」ひ弱で無能なのと似ていませんか。

>具体的にはどのようなプレッシャーがあったのでしょうか?

(1)将軍家の衰退
(2)世界の重商主義台頭の波に乗り遅れた
(3)19世紀欧米列強の帝国主義に抗し切れず、開国せざるを得なかった
(4)諸藩の人材育成に大きく遅れてしまった

(1) 将軍家の衰退
家康によって樹立した徳川幕府も三代将軍家光までで、それ以降優秀な将軍は現れず、衰退します。 家康は将軍家を補佐するため水戸藩、尾張藩、紀州藩を御三家として、この中から優れた人材の発掘を命じています。 

八代将軍の吉宗は紀州藩の殿...続きを読む

Q≪江戸幕府は、なぜ崩壊に向かったのか?≫

江戸幕府は、なぜ崩壊に向かったのですか?

詳しく、簡単に教えてください。

よろしくお願いします。^_^

Aベストアンサー

日本人独特の閉鎖主義が生み出したんだと思います。

江戸初期に鎖国をして貿易を出島に限定していた形式は間違っていないと思います。
しかし時代は流れているので、その流れを読むことが出来なかったのが、
平和ボケしていた江戸幕府でしょうね。

黒船襲来なんてのは、湾岸戦争時に自衛隊を出す出さないで揉めた政府と一緒では無いでしょうか?
開国すると幕府の法度が…などと言っていたと予想されるので。

いづれにせよ。流れとして開国は必要だったのです。
それが、外国によって

開国させられた

と言う受身の幕府に国民の不満は表面化しました。
※元々不満はあったが、言えなかった。

アヘン戦争の勃発です。
これが日本に大きな影響を与えた事は確かです。

日本にとって中国とは「先生」であり様々な文化を教えてくれた国です。
大きな中国が英仏に犯されていると知った時に、
やはり国内に憂いを抱く事が多かったはず。

倒幕で盛んに動いた薩摩長州なんてのは西国で長崎が近いのと、
もともと英仏蘭とも交流可能であったこと。

江戸はそういった情報が収集できなかったことかも知れません。
黒船の威嚇によっての開国ではなく、幕府自らの決断で開国していれば
また違った結果になったでしょうね。

となると、幕臣に有能な人間がいなかった、と思いがちですが、そうではないです。
小栗とか勝とか人材はいました。
いたからこそ、鳥羽伏見まで幕府は頑張れたのだと思います。

でも体制を変えられなかった。従来を重んじる文化が滅亡した原因でしょうね。
鎖国をしても幕府だけは海外情報を積極的に収集し、体制を変更し、
時代を読む動きをしていれば…と思いますが、そんなに易しい話では無いでしょう。で

崩壊すべくして崩壊した。新時代を作るために。
客観的に見て、あれだけキッチリした体制なら、変更も楽で無いです。

日本人独特の閉鎖主義が生み出したんだと思います。

江戸初期に鎖国をして貿易を出島に限定していた形式は間違っていないと思います。
しかし時代は流れているので、その流れを読むことが出来なかったのが、
平和ボケしていた江戸幕府でしょうね。

黒船襲来なんてのは、湾岸戦争時に自衛隊を出す出さないで揉めた政府と一緒では無いでしょうか?
開国すると幕府の法度が…などと言っていたと予想されるので。

いづれにせよ。流れとして開国は必要だったのです。
それが、外国によって

開国させられ...続きを読む


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