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幕末知らないのです。
勉強しようと思いつつも、勉強としている時間が無かったです。

質問者からの補足コメント

  • プンプン

    いらいらしすぎた。

      補足日時:2018/02/15 23:19
  • へこむわー

    精液まで乗っ取られたのだから、
    もう世界がいやになりました。
    京都人は死んでください。
    全員死んでください。

      補足日時:2018/02/15 23:34
  • プンプン

    レトルトは殺します。
    清水鉄平も殺します。

    いくらなんでも異常です。
    なぜこんな人たちに私の人生を邪魔されなければならないのか
    皆殺しにします。

      補足日時:2018/02/15 23:47
  • うーん・・・

    どんどん話が汚くなっていますね。
    スカトロジーの女性声優を寝ドラレテ精液ぶっかけされて経血までかかる。
    しかもそれをやったのが上司と愛人らしいです。
    もうどういう反応したらいいの。

    ちなみに私は便所の外です。追い出されてよかったようです。

      補足日時:2018/02/16 00:04

A 回答 (3件)

徳川幕府が造った体制が、産業革命で力を持った西洋列強の海外進出に伴い、ソレが東周り、西周り、そのドチラからも一番遠い、分断統治の島国に押し寄せてきます。



制度の変革を迫られた訳ですが、幕府他既にある権益を存在させつつでは制度の変革が、中々出来ませんでした。(スピード的に対応できなかった。)
其処で、最終的に幕府には体制を変換させて、新しい国体を造ることにしました。
天皇を中心とした国家として新しい制度を導入して統一独立国家として、スタートしました。

その時の、様々なことが、様々なヒーローを産んでいて、二回に一回くらいの割合で、大河ドラマでヤっています。
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幕末、というのは徳川幕府時代の


終わり間近の時代、という意味です。

武士が官僚化して、武士が武士でなくなり
武士支配が終わるのは時間の問題でした。

黒船は、そのきっかけを作りました。

長州の高杉晋作らが、中国に出かけ、そこで
奴隷化された中国人を目にし、
今のままでは、日本もこうなるとの
危機感を抱き、討幕運動が始まります。

幕末動乱の始まりです。

結局、薩長などの連合軍が幕府を倒し
天皇中心の中央集権国家樹立に成功しました。

その後も、欧米列強の植民地にされまいとの
努力が続き、日清日露大東亜戦争に
繋がりました。
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なんで「幕末」と呼ぶのかと言うと、江戸幕府の末期に起こった出来事をまとめて表現しているためです。


江戸時代は、徳川家康が開いた江戸幕府がありましたが、京都の朝廷(天皇)から、日本の政治を頼まれる形で、徳川家の将軍が国の政治を行ってきました。
そんな江戸幕府は「鎖国」(さこく)の外交政策を取り、外国には「日本に来ないように」と言い、交流をしませんでした。
これが200年も続いたので、日本は大きな発展をすることがなかったのですが、その間にヨーロッパでは工業も発達し、そして、アメリカが建国され、外国では大型の船が作られるまで技術が発達すると、中国やフィリピンなどとの貿易の為、イギリス、スペイン、フランス、ロシア、アメリカなどの外国船が、頻繁に日本近海にも出現するようになりました。

欧米列強は中国とのアヘン戦争に勝利し、植民地化するなど、アジアへの進出を進めていたのです。
アメリカは当時、燃料(油)として使われたクジラを取る捕鯨を盛んに行っており、貿易などで太平洋を船で横断することが増えると、水や食料補給のため、日本に立ち寄りたいと考えるようになります。
しかし、日本は「鎖国制度」を取っていましたので、協力しませんでした。
そんな中、アメリカ大統領の命令を受けた「ペリー提督」が、アメリカの最新鋭軍艦など4隻を率いて、香港から沖縄経由で江戸・浦賀の沖に出現します。
日本にアメリカ大統領の親書を受け取ってほしいと持ってきました。江戸幕府に取って外国船は大きな脅威となりました。
これをきっかけに、日本は産業も国力も乏しいと言う事に気が付き始め、今後どのようにして諸外国に対応していくのか、どうしたら中国のように植民地にならずに、日本を守れるか?と言う国難の時代となりました。

その為、たくさんの本を読み、また多くの事を学んだ知識豊かな若者からは、色々な主張を唱える者が現れます。
日本を守る為には外国と戦うべきだと言う「攘夷派」(じょういは)や、鎖国を解いて外国と交易し近代化を図るべきだと言う「開国派」、これまで通り幕府が主体となって鎖国を続けるべきだと言う「保守派」、そして幕府は頼りにならないから天皇を尊重しようと言う「尊王派」(そんのうは)、やがて幕府を武力で倒そうと言う「倒幕派」も現れ、様々な考えや主張により、各藩でも議論が活発になりました。

そして、意見が異なる者同士は、時には血を流して争うような激動の時代となったのです。

この国難に対応できない徳川幕府の信用は次第に落ち、最後の将軍・徳川慶喜が「大政奉還」(たいせいほうかん)と言う、政治の権利を朝廷に返す事態となりました。
すると、朝廷は薩摩藩などと協力して「王政復古の大号令」(おうせいふっこのだいごうれい)を発表して、何百年も続いてきた武家の政治から、天皇の政治へと転換したのです。
こうして、新政府である「明治政府」が誕生しました。
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