1: 文法上、「防止することができる」と「防止できる」はどちらが正しいのでしょうか?また、どちらも文法上正しい場合、使い分けについて教えてください。

2: 同様に、「得ることができる」と「得られる」についても教えてください。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

みんな正しいと思います。



2の方は
「得られる」だと、
「尊敬語」だととられて「可能」の意味にとられないことがあるから、
そういうときには「得ることができる」って言う方が、「可能」の意味が強調されていいかも。
そういう意味では、
「ら抜き言葉」肯定派の僕としては「得れる」でもいいと思いますが。

※本題からちょっとずれてますね。ごめんなさい(^^;
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どちらも文法上正しいはずです。


オレの場合でいえば…
1:「防止できる」より「防止することができる」の方をよく使います。
 理由→レポートを書くときなど字数を稼げるから。
2:「得られる」より「得ることができる」の方を使います。
 理由→尊敬や受動の意味と混同するため。あと字数稼ぎ。
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1も2も同様だと思いますが、


「~ことができる」というのは「~ことが可能」と置き換えても不自然ではないと思います。

なので、「~ことができる」より「~できる」の方が「確信」が強いと思います。
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a:とb:間接話法で"我/わたし"。・・・子貢さんは「私は他人が私に仕掛けるのを好まないようなことは」と言っていました。それゆえに"我"を使用します。

c:直接話法で"吾/わたし"。・・・・・「私のほうでもまたこれを他人に仕掛けないようにしたい」と子貢さん自身が"自述"しています。それゆえに"吾"を使用します。

論語全文に亘って以上の方法を採用しています。上記の場面背景を想像してみるとすんなり行くと思います。(^^♪。

こんにちわ(/は)。

いくらか語感が異なりますが、「間接話法」と「直接話法」の違いのようなもの、と説明すれば解り易いと思います。

間接話法:誰かが述べたり書いたり考えたりした内容を、話し手の表現に換えて伝える話法。(伝達話法)とも言う。
直接話法:ある人が述べたり書いたりした内容を、引用符に入れて直接的に伝える方法。

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>出版社の間違いでしょうか
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1926年(大正15年)の「佐藤春夫詩集」では、ご記憶の通りです。

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http://wa.tea-nifty.com/lie_luck/2010/05/16-2a5b.html

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