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科学は経験の領域の枠内のことである。
つまり科学は経験科学である。
しかし宇宙の法則が存在すると考えることは経験科学ではありません。
これはまさに哲学である。
万物の根源、宇宙の法則、アルケーは存在する。
これが哲学の始まりではなかったのかい。

A 回答 (2件)

哲学も 経験科学ですよ。



形而上学なる哲学も 神を哲学として――経験事象に立脚しつつ――
説明するものです。

もっとも 形而上のものを 経験事象そのものとしては扱い得ません
から それは 仮説法(アブダクション)において 想定として立て
た上で 扱っています。




★ 万物の根源、宇宙の法則、アルケーは存在する。
☆ 《万物・宇宙》は: 
★ 経験の領域の枠内のことである。
☆ ですよ。



《法則》は その経験事象の中に規則的な動きを捉えて規定するもの
です。

《根源》も どこまでも《経験事物》を要素・要因に還元しようとし
て得られる元の事物ないしその認識です。



もし 《根源》を 経験世界を超えたところに捉えようとした場合に
は――つまり 根源という言葉を 経験的な要素ではなく それを超
えたものとして扱う場合には―― 形而上のナゾとして立てたことに
なります。

つまり 仮説法による場合です。

それは 《アルケー》が 始まりや根源という経験事象を意味するこ
ととは別に 形而上のナゾとして立てる場合があり得ることと同じで
す。



自然科学は 形而上のことについては 経験科学に徹することにおい
て 発言することを禁欲します。

哲学は 欲張りですから 何にでも挑戦します。仮説法は その想定
した定義やそこから展開した理論が 経験世界や人間のあり方に 不
都合を生じないとき ひとつの有効な仮説としてみとめられます。
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形而上学は科学ではありません。



取り出して見せることができないものを、有る、と言い張るのは科学か、はてまた宗教か。

0と1の間に無理数がいくつもある、などと言いながら、一つとして取り出して見せることができない連中など。
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