アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

私は大学院への進学を考えています。しかし、大学院(とりわけ文系)へのネガティブな意見を多く聞きます。「大学院に進学すると就職ができなくなる」や「カネがかかるだけで良いことはない」などです。
学問をするには、就職を諦めなければならないのでしょうか?「勉強はするな。学部を卒業して就職しろ」や「勉強がやりたければ定年退職した後に放送大へ行け」と言われているようです。大学院へ行く意味はないのでしょうか?また、大学院へ行くと就職がなくなって生活が厳しくなるのでしょうか?

放送大を出した理由は、放送大客員教授をしている方から「放送大には定年退職した人が多くいる」と聞いたからです。

A 回答 (8件)

今年の就活は学生側が選ぶ年だったので、その様な運不運があることはそもそも理解した上での話し。


卒論が書けない奴はお話になりませんが、企業・省庁から「来て呉れ」と言われる様でないと、もう既に才能が無く「遊びに行く」になってしまう。
だから五十年前に中央線の代々木付近で卒論の指導教官だった講師にふと「学者って極貧に慣れているか、富豪の遊びじゃ無きゃ出来ませんね」と言ったら「まあその積もりでないとな」という返事が復って来たのをしっかり覚えているからその程度。
今もまるで変わっていない。ただ、今はITがあるのでブログがあるし、それどころかどこかの有名誌にそのまま通る論文を書いてしまうことも出来るから、作家やイラストレーターは年に五人はその手がある。
でも長さは五十から二百倍だから学者には無理に近い。机の上にスーパーカミオカンデや重力波検知ネットワークは乗らないし、厳しい恩師はネット上には居ない、忙し過ぎるからだ。
ところで放送大の難しさは半端でない、大きな本屋には何処にでも教科書が山のように置いてあるが、内容を見ると今年修士通った奴でも投げ出すと思う。
理由は簡単で、普通有名な教科書は外国の有名な教科書の翻訳だから早くても五年前の教科書の内容、一方放送大学の方は二年ごとに改版だから、
早いと二年前に見つかって世界的著名誌に載った事実がそのまま書いてある。
    • good
    • 1

学問をするには、就職を諦めなければならないのでしょうか?


  ↑
文系の大学院では、普通の企業は欲しがりませんね。
これが理系なら研究所などがありますが。

学問と就職を両立したければ、学者になる
ことです。
大学に残って研究職に就くことです。




大学院へ行く意味はないのでしょうか?
  ↑
人格形成の意味はあります。
会社員になるなら、あまり意味はありません、というか
邪魔です。

国立国会図書館勤務はどうですか。
あそこなら院生がゴロゴロしています。
ただ、入るのが極端に難しいですが。
倍率などは百倍になります。



大学院へ行くと就職がなくなって生活が厳しくなるのでしょうか?
  ↑
ハイ、そうした傾向はあります。
    • good
    • 0

大学院というのは、勉強をするところではなくて、研究をするところです。


理系で大学院に進学する人が多いのは、企業であっても研究系の就職をしたい人が多いからです。文系就職ならば、理系でも学部卒です。
で、最終的に一般企業の就職を目指しているのならば、文系大学院というのは、目的にあった進路とは言い難いのです。なぜなら、大学院は、基本的に研究者を育てる場所だから。
例えば、院卒でも門前払いしない公務員、修士卒の専修免許が存在する教員や、高度な知識が必要な学芸員(資格は取りやすくても就職は非常に狭き門)ならば、大学院に行く意味があります。高い専門性が求められる仕事だからです。
ですが、高い専門性が求められない就職ならば、学部卒の若い社員のほうが、企業にとっては雇いやすいのです。

そんなわけで、文系大学院への進学は、理系よりも進路が限られてしまうので、「最終目標が一般企業への就職ならば、安易に行くべきではない」と言われるわけです。
文系だと、企業での研究職というものがかなり少ないので、研究職=大学教員になる、ということとほぼ同義です。これまた非常に狭き門で、旧帝大の院卒でもすんなりとは就職できません。空きがないからです。
そういうわけで、文系大学院に進学しても、稼げるようになるまでの2年~それ以上の間、学費と生活費を賄えるだけの財力が必要になります。旧帝大の院生ならば奨学金は申請すればほぼ通りますが、結局は借金ですし、それでも、奨学金だけでは生活費や研究費は賄えません。親の理解があって、親に援助してもらえる人でないと、続けていくのは楽ではないです。
    • good
    • 0

昔はそうだった。


最近は違うかなあ。そもそも教授というものが浮世離れしてて就職とか世間と無縁で、それを変にプライドにしてたりもあったしね。
いまでいうセクハラ、パワハラも多かった。本人たちは悪気はなくやってた感じだよね。
学生の書いたものなんて大したことないから論文の中身を読まずにその重さで評価してるとか、女子生徒をちゃんづけで呼ぶとか、飲み会を開いて未成年に飲酒させるとか、あと嫌いな教授を個人攻撃したりその教授を好きだと言う学生をあからさまに暴言吐いたり、...今なら全部懲戒解雇だよね。当時はそんなもんって感じだった。
最近は学校によっては教授にも学生の就職先をノルマにしてたり、学校方針に従うように規則化されてて浮世離れしてることは良いことでもないよね。
COE採択もあって大学間競争も過激になってるし。
言わばサラリーマン化してて悲しいことだけどね。

僕のちょっと上の世代までだと「院生ってのは変わってる(ニート予備軍ぽい)とか就職失敗した人が行くところ」ってのは実際多かったし。そういうネガティブな理由はあるだろうね。教授にまでなる人は優秀なんだと思うけど、民間人の感覚ではダメ人間が多かっただろうからね。
ただ今は優秀で勉強する人がよく行く専門職大学院もあるし、大学がコモディティしてて院を出るメリットが大きくなってたり海外だと修士、博士を出ていないと評価が低かったりっていうのがあって、周囲でも文系で大学院に行った人の就職良いよ。


放送大学ってのは無試験だよね?通学もないし。そういうところは通常の組織では評価されないかなあ。
社会評価や就職を気にするなら専門性があるとか、有名大への通学がいいだろうね。
    • good
    • 0

金持ちの子供なら、大学院で好きな研究に没頭。


金持ちの子供でないなら、教育サラリーマンをめざして、学位の取りやすい大学院を選択。
    • good
    • 0

「社会人大学院」というワードは聞いたことがありますか?



最近では、社会人修士や社会人博士のコースも登場しています。

社会人博士は様々な大学にありますが、社会人修士は私の知っているところでは筑波大があります。

学問と就職、両立してみませんか?
    • good
    • 0

年収200万円代の生活でも好きな研究を続けられれば良いという覚悟があるなら、そのような人生の選択肢もあります。



実際文系の大学院の専門性を活かせるような就職先はごくわずかです。

海外の大学院、または国内でも法律や臨床心理などの分野で専門職を目指すのであれば大学院も意味はあると思いますが。
    • good
    • 2

博士課程のことですね。


博士課程修了者は相応の待遇で雇わなければならず、人件費抑制の関係上企業は敬遠しがちです。

日本では博士課程は研究者養成コースと見なされる風潮があり、就職の上では報われないことがあるのです。

もちろんすべてそうだというわけでありません。
そこはあくまで自分次第です。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!