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私大と国立大の学習環境について

4月からマーチの大学に進学する者です。第一志望の国立大に落ちて入学することになりました。首都圏にあって学習などの環境も良いだろうと思い、私大に進学するつもりで、後期国立大は受けませんでした。(後期は東北にある国立大です。)

しかし、祖父母やインターネットの書き込みによると、勉強するなら国立大の方が良いとのことでした。

実際のところ私大と国立大では学習環境などは違うのでしょうか。それとも大差はないのでしょうか。できましたら、どのようなところが違うのかも教えてください。お願いします。

質問者からの補足コメント

  • 日本史学を専攻するつもりです。

      補足日時:2018/03/17 16:28
  • 文学部に入りました。

      補足日時:2018/03/17 16:37
  • 文学部です。

      補足日時:2018/03/17 16:38
  • 余計に補足をいれていました。失礼しました。

      補足日時:2018/03/17 16:52

A 回答 (4件)

私立大学と国公立大学の一番の差は、教員ひとりあたりの学生数です。


教員ひとりあたりの学生数が少なければ、それだけ教員の目が行き届くわけで(レポートや卒論もきっちり読み込んだり指導したりできる)、それだけ丁寧な教育を受けることが出来る、というわけです。
例えば首都圏の私大だと、教員ひとりで卒論指導する学生の数は20~30人が当たり前です。任期の先生に指導してもらうには選抜があったりして、希望通りに指導してもらえないこともあります。普段の授業も、1クラス数百人とかは当たり前です。
これが国公立大学だと、教員ひとりで卒論指導する学生は多くて4,5人程度。任期の先生に学生が集中して10人もいたりすると「信じられない!多すぎ!」となるレベルです。普段の授業も1クラス10~50人程度。一番大きな大教室で200人くらいが限度でしょう。

文学部とのことですが、文学部で重要なのは図書館にある資料や蔵書の「質」です(数よりも)。歴史のある大学や学部ならば、昔からの積み重ねと伝統で良い本が揃っているのですが、こればかりは大学次第、先生や図書館司書の選書眼、そして予算次第です。
首都圏の利点としては、首都圏中心部ならば、仮に大学にない資料でも、国立国会図書館や都立中央図書館など蔵書の充実した公共図書館に簡単にアクセスできる、ということがあります。
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この回答へのお礼

教員と生徒の人数比の問題ですか。それでも首都圏なら資料が充実してるのですね。詳しくありがとうございます。

お礼日時:2018/03/18 12:29

大学の評価に関しては、大都市(特に首都圏)と地方による評価の違いと、文理でも評価が違ってきます。


 
 まず、前者の大都市と地方ですが、国公立に関して首都圏ではそこまで評価は高くありません。もちろん日本一の東大や一橋、東工大などは別として、東京以外の首都圏大学(例えば横浜国立大や千葉大、埼玉大、首都大学東京)と早慶両方に合格すれば早慶を選ぶ受験生は多くいます。地方の場合、学校の多くは公立校であり、公立校の先生は「国公立が一番であり、私立は国公立に落ちた人が行くところ」という認識があります。その先生も多くは地元の国立大学の教育学部を卒業しそのままその地域の先生になっているわけで、多くは都心を知りません。経験した世界も狭く学校という狭い世界で働いている人は、正に「井戸の中の蛙、大海を知らず」の状態です。これは、地方の先生に限らず、地方在住の多くの方に当てはまることです。日本の高校の大半は都市部、都市部周辺にあり、国公立が素晴らしいところという発想は都市部ではだいぶ前に廃れています。首都圏では4人に一人が中学受験をしている状況であり、彼ら(の親)は小学校4年生くらいから大学受験に向けて動き出しています。
 また、あなたの祖父母を悪く書くつもりはありませんが、早慶でも30%以上がAOや推薦など非筆記試験の入学者です。そうした状況も勘案して、その主張をされているのでしょうか?もし、そうでないなら、「古い情報だけによる古い時代の判断」と断じざるえません。きつい書き方かもしれませんが、聖書に書いているから天動説が正しいというくらい時代遅れな発想です。もっとも、地方の変化は都市部の速度に比べて10分の1程度にも感じます。しかし、あなたが地元の企業や役所に勤めない限り、その発想はマイナスです。

 文理に関しては、やはり理系は国公立の評価が高めです。理系の研究や人材育成には非常にお金がかかり、国の補助金なしではどこもやっていけません。私立も同様ですが、国公立に比べると火除菌が少ない傾向にあり、なかなか国公立と肩を並べる学習環境になりません。文系の場合、そうした差はあまりません。マーチと地方の国公立大学の場合、文系ではマーチに軍配が挙がっても理系では地方の国公立大学が勝ることも多いです。
 また環境についてですが、理系は設備た教授陣、研究者の質が最も重要であり、それらを満たせれば山奥でも平気です。物理学でノーベル賞を取った日本人も「わざわざ海外に行かなくても研究できるのが物理学のいいところ」とも言っています。しかし、文系になると、基本的に人や社会の研究ですから、対象となる人がいないと研究はできません。アメリカの資本主義経済を勉強しにハワイにいってもそこで得られるのは「ハワイ地域経済」なはずであり、いわゆる観光経済です。間違ってもニューヨークの研究はそこではできません。そうしたことから、文学部で勉強するのであれば、近現代文学では東京、古典系では京都などの関西圏がベストです。東北・北海道で源氏物語を研究するのは、物好きかその地域出身者にしか意味はありません。

 私自身は都市部の大学出身でしたが、地方の国立大学の学生と一緒に勉強する機会がありましたが、(マーケティングでした)どうしても彼らは彼らの経済圏を中心の考えが棲みつき、東京のことも同じように話していることに違和感を覚えました。何も彼らは悪気はなく、自然に地域の特性が出てしまっているようでした。しかし、彼らなりに一生懸命研究したことは、学術的には「的外れ」になります。
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この回答へのお礼

世代や、住む地域によって見えているものが違うということでしょうか。確かに僕も祖父母も地方の出身です。もっと知見を広げるためにも、今回の進学を良い機会と捉えようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/27 17:03

東京の文系私大生の最大の関心事は「就職」なので、勉強する(純粋に学問する)なら国立でしょう。

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この回答へのお礼

関心や意識が違うのですね。ありがとうございます。

お礼日時:2018/03/18 12:23

何学部かも分からないので何とも言えませんが、理系学部であれば、MARCH クラスの大学と、国立大学とでは、研究の充実具合に、かなり差が出ます。



極論、どこの大学であっても、学ぼうとする強い意思さえあれば、どこでも学べるものです。そうは言っても人間は周囲の環境に流される生き物なので、周りの友達が遊んでたら、やっぱり自分も遊んでしまうし、周りの友達が勉強してたら、自分も勉強するものです。そういう環境という意味では、MARCH だと遊んでしまうでしょうから、田舎の国立大学に進学した方が良いと思います。
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この回答へのお礼

周囲の雰囲気に飲まれるかもしれないということですね。ありがとうございます。

文学部です。説明不足でした。

お礼日時:2018/03/17 16:40

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